鬼の里2
酒呑童子は、土蜘蛛の巣に向かって山を下りていた。彼が鬼の里についた、翌日のことである。
白い小袖に、赤い袴。腰には父の太刀を帯いている。鬼の大将として、土蜘蛛の大将陸耳御笠と話し合いにいく。
石熊童子、金童子、虎熊童子、星熊童子の四人と一緒である。
「酒呑、昨夜は相当呑んでたけど、体は大丈夫なのか?」
「酒を呑むと、体に悪いのか?」
酒呑は驚いて、大柄な虎熊童子を見上げる。彼は虎の模様のような傷跡がある顔に、苦笑を浮かべた。
「呑み過ぎるとな。酔って、気分が悪くなる人もいるし」
「……そうなのか」
鬼になったあの日から、父のようにどれだけ酒を呑んだか知れないが、そんな経験はなかった。
――そんなことになると不便だな。
そんなことを考えていると、石熊童子が、だらりと首に腕を回してきた。
「僕は、君があんなに酒呑みだとは思わなかったよ。ああ、イメージが……。でも、新しい着物、綺麗だね」
「お前、また気絶するぞ」
酒呑は、じっとりとこちらを睨んでいる金童子を見やって、石熊を引きはがす。
「今から土蜘蛛のところにいくとは思えない雰囲気だね。ねえ月夜」
先頭を歩いていた星熊は、ふふっと笑って鬼火を手の上にとまらせる。ちらりと振り返って、酒呑に黄色い瞳を向ける。
「土蜘蛛の住処は、麓の近くにあるんだ。気づきにくいところだけど」
「鬼は土蜘蛛に味方もしないし、敵対もしない。お互い不干渉という案を土蜘蛛にのませればいいんだな」
「そんなの、うまくいくの」
白髪の鬼女、金童子は憂い顔に不機嫌を滲ませて呟く。石熊童子が、酒呑を眺めて冗談っぽく笑った。
「御笠が女だったら、話は早いんだけどなぁ」
「鬼の里の代表なんだから、そんなのだめ」
金童子はますます機嫌を損ね、酒呑から引き離すように石熊の袖を引く。彼女の銀色の瞳が、酒呑を見据える。
「ちゃんと話し合ってもらわないと」
「俺は相手が女でも、話し合いをするつもりだが?」
酒呑は彼女の視線を受け止め、低く返す。二人の間の空気が冷えていく。
「こ、これが終わったら、宴でも開くか!」
虎熊が間に入って、酒呑と金童子を交互に振り返って笑顔を作る。
「酒もたくさん用意して、な?」
「本当か?」
酒呑が少し声を弾ませたとき、
「あそこだよ」
星熊が前方を指さした。
生い茂る木々の間から、芝の生えた広場が見え、その奥の斜面には無数の穴があいている。
「あの一番大きい穴に、大将、御笠がいる」
いかにも薄気味悪いところだ。ぽっかりあいた穴は、森の命を呑みこんで呼吸しているようにも見える。
「俺たちはここで待ってるからね。頼むよ、酒呑童子」
不思議な輝きを放つ星熊の瞳に、酒呑は静かに頷く。
石熊が珍しく、真剣な顔で酒呑の前に立った。
「くれぐれも顔だけは傷つけないように」
突っ込むのも面倒になり、酒呑は適当に返事をして、一人、足を踏み出した。金童子の刺さるような視線も無視し、土蜘蛛の巣へ歩いていく。
「酒呑、帰ってきたら一緒に酒、呑もうな」
土蜘蛛に気づかれないようにするためか、虎熊が小声で叫ぶ。
酒呑は少し振り返った。
「ああ、楽しみにしている」
初めて見せたその表情に、四人が言葉を失ったことを彼は知らない。
*
芝生の広場にでた酒呑は、用心深く辺りを見渡した。
広場には誰もいないが、いくつかの小さな穴から視線を感じる。それがどうも、子どものようなのだ。暗闇の中で小さな人影がちらちらしている。
その穴の一つから、どこかぎこちない足取りで人間らしき少年が姿を現した。まだ十に満たない幼い顔に、警戒の色を強くにじませ、酒呑を見据える。
「鬼の里の者か?」
「そうだ。土蜘蛛の大将陸耳御笠と話し合いに来た」
「名乗れ」
可愛くないガキだ。酒呑は腹立ちを抑えて、冷静に答える。
「――酒呑童子だ。大将どうしで、話し合いがしたい」
少年は頷くと、さっと身を翻して一番大きな洞穴へ駆けていった。
――土蜘蛛というから、蜘蛛の化け物かと思っていたが……。
さきほどの少年は、年相応の可愛さはなかったが、どう見ても人間だった。鬼も案外人と変わらないが、土蜘蛛もそんなものなのかもしれない。
酒呑がそっと肩の力をぬき、穴の奥から現れるであろう人を待っていたときだった。ごごご、と地の底から唸るような音がし、直後、激しく地面が揺れた。よろめいた酒呑を取り囲むようにして地面が盛り上がる。
「鬼の大将酒呑童子、大人しく我らが人質となれ」
いっせいに飛び出してきたのは巨大な蜘蛛だ。顔は化け猫のようで、鋭い牙が光っている。
酒呑はとっさに太刀を抜き放ち、地面を蹴って跳躍した。その行動は適切であったものの、もとより内心は焦りと驚きで満たされている。
「思いっきり化け物じゃないか……っ!」
土蜘蛛の背に着地した酒呑に、他の土蜘蛛が大量の糸を吐きかける。酒呑はそれをかわすため、再び宙を舞う。
「酒呑!」
虎熊は金棒を握りしめて、飛び出そうとする。その袖を引いたのは、星熊だ。
「あれをなんとかできないなら、彼は人違いだ」
「けど……!」
「虎熊、土蜘蛛のああいう行動は想定内だろ」
石熊が虎熊を押しのけ、食い入るように赤毛の鬼の戦いを見る。
「散ればこそ、いとど桜はめでたけれってね。僕は、彼が散るなら、ぜひそれが見たいんだ」
「……あの鬼が、星熊の言う通りの――酒呑童子なら、土蜘蛛との問題を何とかしてくれる。そうでないなら、人質にとられても助ける必要はないの」
金童子が石熊の肩に手を置き、静かに虎熊を見上げる。
虎熊は息を呑んで、目の前の戦闘をみつめた。
反撃すべきか。降り注ぐ蜘蛛の糸と、彼らの足をかわしながら、酒呑は頭を働かせる。土蜘蛛は何か勘違いをしているだけで、自分が反撃したことによって鬼と土蜘蛛の関係が悪化するのではないか。いや、しかし、土蜘蛛は人質がどうのこうのと――そこまで考えたところで、面倒臭くなった。
――だいたい鬼たちがケンカをしていたのも、こいつらのせいじゃないか。
酒呑の中に、土蜘蛛に対する怒りがふつふつと湧き上がる。何故、このタイミングで、朝廷打倒の協力なんかを鬼に頼むのか。もう少し早く、もしくは遅くしてくれていれば関わり合いにならずに済んだのに。
――鬼と土蜘蛛がどうなろうと知ったことか。
酒呑は姿勢を低くして、地を蹴った。飛びかう糸の下をかいくぐり、太刀を一閃させて土蜘蛛の足を薙ぎ払う。前のめりに倒れた化け猫のような顔を踏みつけ、首筋に刃を叩きこむ。
「この中に大将がいるなら聞け。鬼の里と土蜘蛛は一切――」
「黙れ! 御笠様ならここにはおらぬ!」
「俺は大将と話し合いに来たと言っているだろうがっ!」
ぶち切れた酒呑は、土蜘蛛の額を叩き割った。血を吹き出して苦しむそれの足をつかみ、迫りくる土蜘蛛に投げつける。
その拍子にもげた足を投げ捨て、酒呑は燃えるような赤い瞳で残りの土蜘蛛を見据えた。
気がつけば土蜘蛛は全て息絶え、酒呑は、その骸の上に立っていた。それでも何か物足りず、酒呑は土蜘蛛の死骸をばらばらに切り刻む。
やがて、一際大きく、深い土色をした土蜘蛛が、辺りをうかがうように洞穴から這い出て、ひたと酒呑に目をとめた。
「鬼の大将、酒呑童子か?」
酒呑は土蜘蛛の死体に太刀を突き立て、土蜘蛛の大将を凝視する。
「今後一切、鬼の里には関わってくれるな」
「酒呑!」
御笠が引き下がり、酒呑が踵を返したときだった。
茂みから虎熊が、石熊が、星熊が、最後にどこか暗い面持ちで金童子が出てきた。
「酒呑、怪我はないか? よくやった、よくやったな」
虎熊は安心したような笑みを満面に浮かべ、酒呑の背を叩く。子どもに言うようなセリフに閉口しながらも、酒呑は彼の手から逃れようとはしなかった。
「あれで良かったのか?」
「僕としては、もう少し優雅に戦ってほしかったな。君、なかなか乱暴な戦いかたをするね?」
石熊がにっと笑う。言葉こそ今までと似たようなものだが、その目は酒呑の内部を見据え、親しげな笑みを作っている。
「あれで良かったんだよ。ねえ月夜――と、金童子」
星熊がその黄色い目をいたずらっぽく光らせて、白髪の鬼女を振り返る。
「……結局、ちゃんと話し合いはしなかったけど」
金童子は目を伏せ、もごもごと話す。
「星熊が言うんだし……鬼の大将としては良かったのかも」
「お前ら、俺を試したのか」
酒呑は顔についた返り血を袖でぬぐい、彼らを見渡した。
「そうだよ。でも、俺は正しかった」
星熊はにっこりと笑い、さあ帰ろうかと鬼火に声をかける。
「大将なら、やっぱりそれなりの教養がないとダメだと思うんだ。僕が和歌や舞を――」
「そんなの、必要ない」
石熊と金童子のやりとりに虎熊が笑い、酒呑の首にがっしりとした腕を回して肩を組む。
「よし、帰ったらさっそく宴だ! 酒呑、改めてよろしくな」
女のことで男の恨みを買うことの多い酒呑は、男に親しくされることに慣れていない。女だって、友達というのではない。
「……土蜘蛛の血で汚れるぞ」
酒呑はどう反応すればいいのか分からなくなって、血で汚れていることを理由に虎熊から逃れようとしたのだが、彼は意に介さなかった。
御笠のいる洞穴から一番離れた小さな洞穴。
四人の鬼に囲まれて去っていく赤鬼を、そっとうかがう影があった。
「きどーまる、どうしたの?」
「……何でもない。ほら、袴垂、奥へ戻れ」
*
鬼の里。
宴も終わり、酒呑は里の中心にある大きな館の縁に出て、夜空を仰ぐ。
――鬼の大将、か。
ガラでもない。自分の身を守るためのケンカしか、したことがないのに。
何故、自分にそんな運命がと考えてしまう。
「酒呑、今日はお疲れ」
虎熊童子が縁の端から歩いてくる。瓶子を提げ、杯をもっている。
「……虎熊」
「呑み足りないだろうと思ってな。宴のとき、ずいぶん、みんなに囲まれていたから」
虎熊は縁側に腰掛け、まぁ座れよと自分の隣を叩く。酒呑はそこに座ると、注がれた酒に口をつけた。
「石熊の舞も、あんまり見れてないだろ」
「人垣ごしに少しは見た。うまかったな」
舞う彼のために、琵琶を弾いていたのは金童子だ。舞も琵琶もよく知らない酒呑が良いと思ったのだ。きっと、うまいのだろう。
「それ、本人に言ったら喜ぶぞ」
「気が向いたらな」
酒呑は杯を干し、再び酒を満たす。虎熊はそうかと言って、自分の杯に目を落としたきり、黙ってしまう。
弓張りの月が、煌々(こうこう)と光っている。その周囲の小さな星は数えきれない。
「酒呑、本当に良かったのか?」
ぽつんと零した虎熊に、何がだと返そうとして、酒呑はふと気づく。
「ああ。決まっていたことなんだろ。父親が一度呼んだだけの『酒呑童子』が、ずっとつきまとっている」
「でも、お前、他の用があって大江山に来たんじゃないのか?」
虎熊の瞳は温かい夕焼けの色をしている。真摯な声に、酒呑は遠くを見る。
「弟を探しにきた」
「……赤毛の子鬼はいないかって言ってたのは、その弟のことか」
酒呑は返事の代わりに酒を呷った。酒は美味いが、呑んでも呑んでも満たされない。
「死んでるかもしれないけどな。生きているなら……あいつは大江山に鬼がいることを知っているから、ここに来ることもあるかも――」
言いながら虎熊の顔を見やり、酒呑は唖然とする。
「何で、お前が泣いてるんだ……?」
「だ、だって、悲しい話じゃないか……!」
虎熊は鼻をすすりあげ、袖でごしごしと涙をふく。
「お前、なかなか面倒臭いな」
「俺、だめなんだよ、子どもが死んだとかいう話。無事に見つかるといいなぁ……」
酒呑はなんだか恥ずかしくなって、目を伏せた。
「……鬼っていうのは、案外、鬼らしくないんだな」
「そりゃどういう意味だ。……あれか? 人間が想像する、怖いヤツ」
「そうだ。人間を食うやつだ」
虎熊を始め、ここの鬼たちは見目以外、人間と変わりがない。鬼同丸だってそうだ。
人間の勝手な想像かと思ったとき、虎熊は意外なことを口にする。
「俺たちだって、人間は食うぞ? ただ、人間はそんな姿しか見てないから、鬼はいつでも怖いもんだって思ってるだけだろ。人がいたからって、片っ端から食ったりはしないのにな。怖くないところを見せる間もなく、逃げちまうから」
目の縁を赤くしたまま、虎熊は冗談っぽく笑う。調子が出てきたのか、豪快に酒を呷る。
「魚や獣だって、人間に対して同じようなこと思ってるんじゃないか?」
なるほど、言われてみればそうである。妙に納得して、酒呑は虎熊に酒を注いでやる。
「おっと、悪いな。誰かと呑む酒は美味くて――。……そういえば、あいつはどうなんだろうな」
突然、虎熊は独り言のように呟き、思案顔になった。
「あいつ?」
「ああ、うん。お前の言う、鬼みたいな鬼ってやつがいてな……噂でしか聞いたことがないから、そいつも案外、泣いたり笑ったりしてるのかなと思って」
漠然と『鬼』の噂があるわけではなく、誰か一人の鬼が噂になっている――。酒呑が見ていると、虎熊は、面白い話じゃないぞと苦笑して話し始めた。
「鬼が首領をやっている人間の盗賊団があるらしい。そいつがかなりの強者で、襲った家の人は皆殺し。上手く隠れることができた人が、青い髪に青い瞳をした鬼が、死体を食らうのを見たって話だ」
「……そうか」
酒呑は闇の籠る外に目をやって、酒に口をつける。
青い髪に、青い瞳。大量に人を殺して食らうというその鬼らしい鬼に、彼は興味をもった。
*
館の屋根の上、星熊童子が足を組んで寝転がっている。
「ふうん。生き別れの弟か」
星熊は、満天の星空に向かって、まっすぐ指を立てる。星と星を結ぶように動かし、ときには円を描いてみせる。鬼火はその動きに合わせ、ふわふわと宙を飛んでいる。
「分からないや。生きてはいるのかな。でも……これからどうなるか、ちょっと分からない」
星熊は体を起こし、鬼火を手の上に迎える。そうして再び、空を見上げた。
「それより、月夜、面白い星があるよ」
星熊は笑みを浮かべ、それを見つめる。
「面白いね。青い星だ。青い――彼女の運命は……」
「酒呑しだいみたいだ」
ここまで読んでくださったかた、ありがとうございます。
次回は茨木童子と酒呑童子が出会う話です。二話くらいに分けると思いますが、それで番外編は終わりです。




