彼を守るひと
「月のない夜」の翌日の、鬼同丸&袴垂です。
大江山、麓。
袴垂と鬼同丸は、住処である洞穴を出て、生い茂る木々の間を歩いていた。
袴垂は一人さくさく進み、鬼同丸はどことなく暗い表情であとに続く。
「晴れてよかったよな。ほら、すげぇ青空」
袴垂は振り返って、天を指さしてみせる。木の葉に覆われ、空などほとんど見えないのだが、鬼同丸はうつろな瞳で頷いた。
「そうだな」
「あ、でも、お前の目は赤いから、赤く見えてんのかな」
「そうだな」
「マジで?」
袴垂が眉をひそめると、鬼同丸は正気を取り戻したように、え、と声をあげた。
「お前、何か言ったか?」
「だから、お前には空も赤く見えんのかなーって」
「んなわけないだろ、そしたらお前は真っ黒に見えることになるぞ?」
何故か焦ったように答える鬼同丸に、袴垂は、冗談に決まってるだろ、とため息をついた。
「それからさ、鬼同丸、角に花輪かかってるの知ってる?」
「えっ」
鬼同丸が頭に手をやる。二つの小さな角には、それぞれ花で作った輪っかがはめられていた。
「俺が出発前につけたんだよ。なかなか可愛い感じになってんのに、全然気づかねぇし」
「アホなことしてんじゃねぇよ……!」
鬼同丸は顔を赤くして、花輪をむしり取ると地面に叩きつけた。
「お前がぼうっとしてるから悪いんだ。最近おかしいぞ? 昨日の夜だって、水飲みに行くって言って、なかなか帰ってこなかったじゃねぇか」
「起きてたのかよ」
「寝たふりなんかしてないぜ?」
袴垂は足を止めて鬼同丸を見据えた。
昨夜、川から帰ってきた鬼同丸の目に、袴垂は映っていなかった。遅かったな、と声をかけるつもりで体を起こしたのに、鬼同丸は魂がどこかへ行ってしまったような目をして、ふらふらと自分の寝床に入ってしまった。
「茨木童子に会ったんだよ。土蜘蛛の仲間だってバレたんじゃないかって、気になって」
鬼同丸は視線を逸らすと、早く行くぞと、立ち止まっている袴垂の横を通り抜けた。
そろそろ人里に出る。鬼同丸は頭巾を被り始めた。
袴垂はしぶしぶついていきながらも、鬼同丸の背中に疑いの眼差しを向ける。袴垂は、昨夜、鬼同丸が何と叫んで目を覚ましたかを知っていた。
――どうせ、何も言わねぇんだろうけどさ。
袴垂はぴょんと木の根を跳び越え、その勢いを借りて鬼同丸の横に並ぶ。と同時に、頭巾をひょいと鬼同丸の頭から剥ぎ取った。
「あっ、こら!」
「話せないなら忘れろよ」
袴垂は、頭巾をひらひらと振って走り出す。鬼の鬼同丸から逃げ切れたことはほとんどないが、そんなことはどうでも良かった。
――悪い夢、見たんだろ。何か知らないけど、兄貴の嫌な夢。そんな過去なら忘れちまえよ。
「袴垂、待て、待てよ!」
案の定、鬼同丸のほうが足が速かった。追いつかれ、頭巾を奪われそうになるが、袴垂は、頭巾を持つ手を高くあげて、鬼同丸の手が届きそうになるたび、あっちへひらり、こっちへひらりと逃れてみせた。
「前から言おうと思ってたんだけど、お前、頭巾あんまり似合わないよな」
「おしゃれでやってんじゃねぇよ!」
鬼同丸が叫んだとき、袴垂は、あっと思った。彼の後ろに、人影が見えたのだ。
猟師のような恰好をした男だ。犬を連れ、弓を引き絞っている。
「鬼同丸!」
袴垂が呼ぶのとほぼ同時に鬼同丸は振り返り、次の瞬間には、袴垂に覆いかぶさって地面に伏せていた。
矢がうなりをあげて、二人の上を飛んでいく。
鬼同丸の行動は速かった。袴垂を抱えると、跳躍し、木に登った。二人が転がっていた場所に、オオカミのように大きな犬が跳びついていた。
犬は、木を見上げて吠え立てる。猟師が駆けてきて、矢をつがえる。
鬼同丸は袴垂を肩に担ぎ直すと、じぐざぐに木から木へ飛び移りだした。
「ちょっ、き、きどーまる!」
「しゃべると舌かむぞ!」
言われるまでもなく、袴垂はそれ以上しゃべれる状態ではない。鬼同丸が方向を変えるたび、頭を揺すぶられ、木の葉や小枝が体を打つ。その上、後ろからは矢と、犬の咆哮が追いかけてくるのだ。
人から恨まれる心当たりはありすぎるが、あの男は何だろう。袴垂が襲うのは、貴族や豪族の家がほとんどだ。あんな下賤な猟師は知らない。
「待て、鬼! その子を放せ!」
鬼同丸が矢頃を出たのか、男は、大声で叫んだ。
――俺が鬼に襲われてると思ったのか。
途端、袴垂の体は、がくんと下へ引っ張られた。鬼同丸が木から飛び下りたのだ。
鬼同丸は、半ば落とすように袴垂を地面に下ろすと、再び木の葉の中へ舞い戻った。
「いってぇ。もっと丁重に扱えよ……」
「くそっ、鬼は逃がしたか」
猟師は袴垂の前で足を止めると、悔しそうに弓を地面に突きたてた。犬は鬼同丸が消えていったほうを向いて、吠え続けている。
「君、大丈夫か?」
猟師はようやく袴垂に顔を向けた。髭面のむさくるしい男だ。
袴垂は地べたに座ったまま、うっと呻いて、身体を折った。
「鬼の瘴気に……あてられたみたいだ。苦しい……」
「何だと? おい、しっかりしろ――」
体を横たえようとする袴垂の肩を猟師がつかむ。
「親の仇の取り方を教えてやるよ」
袴垂は懐に忍ばせていた小刀を抜き放ち、眼前にある猟師の喉を斬り裂いた。ぱっくり開いた新たな口からほとばしった鮮血は、袴垂の顔を濡らし、スローモーションのように男の体が後ろへ倒れていく。
すぐさま強靭な猟犬が、狂ったように唾を飛ばして襲いかかってくる。
犬がぐわりと口を開けて跳びかかった瞬間、袴垂は、男の死体を蹴り飛ばした。犬は勢いに乗ったまま飼い主に牙をたて、その肉を引きちぎる。
袴垂は、その鼻づらに小刀の柄を叩きこんだ。
犬は、ギャンと悲鳴を上げ、山の奥へと逃げていく。
「馬鹿な飼い主を持つと大変だね」
袴垂は笑ってそれを見送ると、男の死体に向き直った。しゃがんで、男の懐や、腰につけている袋の中をあさる。
「まったく、『大丈夫か?』じゃねぇよ。てめーの弓矢のほうが危なかったっての。……こいつ、ろくなモン持ってねぇな」
結局、乾し飯くらいしか価値のあるものはなかった。袴垂は、それを頂戴して自分の腰の袋にしまう。
「さて……」
鬼同丸はどこへ行ったか。
鬼同丸は、袴垂を下ろしてからも木から木へ飛び移り、しばらくして振り返った。猟師と犬の姿はない。
――やっぱり、俺から袴垂を助けようとしてたんだな。
鬼同丸は木から下りると、それを背もたれにして座り込んだ。手元を見ると、頭巾を持っている。気づかぬうちに、取り返していたらしい。
「あいつがアホなことするから……」
頭巾さえ被っていれば、こんなことにはならなかったのに。鬼同丸は自分に言い聞かせるように呟いて、頭巾を頭に被せる。首のところで結ぼうとしたとき、急に馬鹿馬鹿しくなって、その頭巾を地面へ置いた。
――頭巾なんて関係ないんだ。
無性に悔しくなって、鬼同丸は辺りの雑草を、手当たり次第にむしって捨てた。
あの猟師は、鬼と人間の姿を見ただけで、すぐに弓を構えたのだろう。それだけで、少年が危ないと思ったのだ。そうでなければ、頭巾の取り合いをしているところを、どうして鬼同丸が袴垂を襲っているなどと思うだろうか。袴垂は笑っていたのに。
しかし、鬼同丸には、純粋に悔しがることも腹を立てることもできない。
――もともと、俺とあいつが一緒にいるのがおかしいんだよな。
『放せ』の声は消えることなく耳の奥で響いている。体内の深いところまで侵入し、突き刺さっていく。
「何やってんの?」
顔を上げると、袴垂が木の後ろから覗きこんでいた。顔に、返り血を乱雑にぬぐった跡がある。
「何って……」
別に何も、と続けようとして、鬼同丸は、袴垂の視線が自分の手元に注がれているのに気づいた。引っこ抜いた雑草を握ったままだった。
「草むしりだよ。この木が、養分をひとりじめできるようにしてやってたんだ」
「意味わかんね」
「それより、あいつはどうした?」
鬼同丸は雑草を捨て、手を払うと立ち上がった。袴垂に気づかれないように、頭巾を拾って懐にしまうのも忘れない。
返り血の跡を見れば聞くまでもないことだが、案の定、袴垂は、殺したと答えた。
「ろくなモン持ってなかったけどな。あ、死体、向こうにあるけど食う?」
食わねぇよ、と返事して、鬼同丸は歩き出す。
「あと、俺の頭巾返せ」
「あ……そういえば、どこやったっけ?」
「あれないと、俺、超困るんだけど」
懐を探りつつ地面に視線を走らせている袴垂を横目に、鬼同丸は真剣な声を作った。
「お前に担がれたときに落としたかな?」
「いや、俺もそう思って探しに行ったんだけど、なかったぞ? それで、お前が持ってるもんだとばかり……」
「いやいやいや、俺持ってねぇぞ? あ、でも、あんなもん他の布で代用でき――」
「実はあれ、深い思い入れのあるもんなんだ」
鬼同丸は笑いそうな口元を見られないように、わざとそっぽを向いた。
「嘘だろ?」
袴垂の声が、いよいよ焦りを帯びてくる。
「俺、ちょっと探してくる――」
「嘘だよ」
鬼同丸はこらえきれなくなって吹き出した。懐から頭巾を取り出して、くるくると回してみせる。
「お前……!」
「嘘だって分かるだろ。こんな布きれに思い入れなんかあるかよ」
声を上げて笑っていると、袴垂が、馬鹿、と跳びかかってきた。
「いろいろ心配して損した! とにかく、これは没収だ!」
「わ、やめろ! また、矢射られるだろ」
「人間が鬼退治してる分には問題ねぇよ! 嘘つくのは、悪い鬼さんだぞ!」
「最初に悪いことしたのはお前だからな! このっ、無駄に成長しやがって!」
取っ組合いをしているうちに、おかしくなったのか、いつの間にか袴垂は笑っていた。
三歳のころと、そう変わらない。生まれ持った貴族としての品は、いつまでも影のように張りついて消えてはくれない。
それなのに袴垂は人を殺す。袴垂の異常な点はこれと、鬼と一緒にいることだ。この二つに関連があるとするならば――。
唐突に、猟師に射られた矢が、幻影となって鬼同丸の脳裏をかすめた。いつしか『放せ』の声が保昌のそれになっている。
鬼退治の命を受けたのは頼光だ。保昌は都にいるだろう。
土蜘蛛の復讐は終わる。都はめちゃくちゃになる。
――潮時だ。
自然と心に湧いて出た。次の瞬間には胸深くに浸透し、鬼同丸は、まさか、と思う。
まさかこんな急に、いつかはと思っていたけれど。
だが、今度、京へついたときが、保輔を帰す絶好の機会なのは間違いない。
「よっしゃ、俺の勝ち」
袴垂が頭巾をかかげて、ぺろっと舌を出していた。
鬼同丸は、引き分けだ、と体を起こす。袴垂の頭をぽんと叩く。
「だって、お前、一回俺に取り返されてるだろ」
「えー、あれは無しだって」
袴垂は何も知らずに笑っていた。
ここまで読んでくださったかた、ありがとうございます。
明けましたね。今年もよろしくお願いいたします(^^♪
次回は、酒呑と茨木です。




