出発
頼光邸、母屋。
「兄貴! 起きろ!」
頼光は弟、頼親の声で目を覚ました。朝日が辺りを白々と照らし始めたころである。
「……頼親……お前、まだ起きてたのか……。早く寝ろ……」
頼光は眠たげな目で頼親を見つけると、再び衾にくるまった。
「朝だっつーの! 早く起きろよ」
「……心配すんな。あとで遊んでやるから……」
「ワケ分かんねぇこと言ってんじゃねぇ!」
頼親が勢いよく頼光の衾を剥ぎとり、投げ捨てる。
頼光は早朝の冷たい空気にさらされて、しぶしぶ体を起こした。怖い顔で睨んでいる頼親はすでに、狩衣に着替えている。
「頼親、何でここにいるんだ?」
頼親は大和に住んでいるはずだ。まだ頭の覚めていない頼光は、目をこすって弟の姿を確かめた。
「兄貴、それで本当に鬼と戦えんのかよ……」
ため息と共に吐き出された頼親の言葉で、頼光はようやく昨日のことを思い出した。
旅の準備中に頼親がやってきたこと、頼親が盗賊袴垂は保輔だと言ったこと。それから、保昌にそれを告げたときの答えも、頼光は頼親から聞いていた。
「お前は元気そうで何よりだ」
頼光がちょっと笑ってみせると、頼親の頬にさっと赤みがさした。彼は、保昌に袴垂のことを言ったのを悔やみ、昨夜はどこか元気が無かったのである。
「別に俺は、叔父さんのことで落ち込んだりしてねぇぞ。せっかく人が教えてやってんのに、信じねぇから腹が立ってただけだ」
「叔父さんに悪いことしたって、言ってたじゃねぇか」
「そ、それ、酒呑んでたときだろ……!」
それより早く準備しろよ、と頼親に急かされ、頼光は逃げるように母屋を出た。着替えや朝食を下人に用意させるためである。
だが、簀子縁に立つと、頼光はふと目的を忘れた。
朝露に濡れる庭の草花。遣水の上を走る冷たい風。体に馴染んだ都の匂い。
――俺は、もうここに帰ってこないかもしれない。
鬼退治の勅令が下ったときから覚悟していたことだが、今になってじんわりと実感が湧いてきたのだ。
頼光は、急きょ共に戦うことになった血のつながらない叔父を思う。今、保昌も自宅で同じ思いを抱いているだろうか。
――いや、叔父さんは本当に死ぬつもりだ。
「兄貴、立ったまま寝てんのか?」
背後から聞こえてきた頼親の呆れ声に、頼光は前を向いたまま、楽して鬼に勝つ方法を考えていたんだと答えた。
数刻後。
頼光邸の門の前には、すっかり旅の支度を整えた頼光と、その四天王、それから保昌が馬に乗って並んでいた。
頼親は彼らを見送るため、屋敷から出てきていた。後ろには、郎党の為頼と氏元が控えている。
頼親は、頼光の留守中、この屋敷にとどまることにした。
頼光と四天王が鬼退治に出かけることは、都中の人が知っている。その留守を狙って、頼光邸を襲おうと考えている盗賊は少なくないだろう。それなのに頼光は、下人と郎党、侍女を少ししか屋敷に置いていなかった。
「じゃあ頼親、猫の世話、頼んだぞ」
「それはやらねぇ」
頼親は馬上の兄を見上げ、盗賊から守ってやるだけだ、と吐き捨てる。
「頼親様、頼光様は俺がお守りするんで、ご安心ください」
妙に意気込んでいるのは、渡辺綱だ。本人は勇ましくしているつもりなのかもしれないが、顔がいきいきとしていて、いつも以上に子どもらしい。
「別に心配はしてねぇよ。ほら、さっさと行け」
「よし、出発だ」
頼光は四天王を振り返って一声あげると、馬を走らせた。あとから、綱、金時、季武、貞光が続く。
列の一番後ろについた保昌は、去り際に頼親を一瞥した。
「あまり無茶ばかりするなよ」
昨日の取り乱したのが嘘のように、落ち着いた表情だった。口元には微笑さえ浮かんでいて、頼親が目を疑ったときには、保昌はもう前方を向いていた。
「保昌様、意外と普通でしたね」
後ろで控えていた為頼が、安心したように呑気な声をあげる。
「逆に気持ちワリぃ」
頼親は、小さくなっていく保昌の背中から目を離し、踵を返して門をくぐった。
「頼親様、庭を探検してきてもいいですか?」
「猫がいるって本当ですか?」
何が楽しいのか、為頼と氏元が跳ねるようについてくる。
「勝手にしろ。ついでに、築垣の壊れてる場所チェックしとけ。あとで修理する」
「了解です! 猫がいたら捕まえてきます!」
「こなくていい!」
頼親が振り返ったとき、二人はすでに駆けだしていた。
――転んで池に落ちてしまえ。
心中で毒づきながら、頼親は母屋へ向かう。ぐしゃぐしゃに積まれている書物を、整頓してやるつもりだった。
――それから……袴垂のことだな。
頼光には言わなかったが、頼親が京にいることにしたのは、この屋敷を守るためだけではなかった。
京にいれば、いつか盗賊袴垂が出る。袴垂の名を騙っているだけの者かもしれないが、それでも何か手がかりが得られるだろう。
保輔は死んだ。頼親は、それに納得していない。
「捕まえてはっきりさせてやる」
頼親は自分の気持ちを固めるように、声に出して呟いた。
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