兄
頼光邸、出発前日。
そろそろ冬も終わりに近づいている。勅令が下った日から頼光たちは、各自氏寺に参詣し、写経を済ませた。明日は、陰陽師の占いで『吉』と出た出発の日である。
その夕刻、源頼光は母屋で荷造りをしていた。着物、夜具、食糧を詰めた袋などを笈に詰め込んでいく。
「それから……」
頼光は竹筒を手に取って、目を細めた。神便鬼毒酒だ。壺に入っていたものを、移しかえた。
頼光は黙ってそれを笈に入れる。全て収まったところで、封印するようにパタンと蓋を閉めた。今回の旅に、荷物持ちの下人は連れて行かない。供は頼光四天王――綱、金時、貞光、季武の四人だけである。
相手は鬼だ。弱い者を連れて行っても、邪魔にしかならない。
「頼光様」
襖障子の向こうから、貞光の声がした。頼光は、ああ、と返事をして立ち上がり、襖障子を開ける。
「おやつなら持っていっても構わないぞ?」
「保昌様がお見えです」
片膝をついて頭を下げる貞光。その隣には義理の叔父――藤原保昌が、いつになく暗い陰を背負って立っていた。
「では、私は失礼します」
貞光が一礼して退がる。
「叔父さん……」
頼光は、自分に確認するように保昌を呼んだ。参詣や写経で忙しかったのもあるが、ここ最近、保昌とは宮中でも会っていなかった。いや、会えなかったのだ。保昌はしばらく出仕していなかった。
明日の朝、出発の前に挨拶に行こうと思っていたのだが――。
「頼光、突然悪いな」
保昌は部屋に入ると襖障子を閉め、どっかりとその場に腰を下ろした。
「話がある」
頼光は息を呑んで、保昌の向かいに正座する。明日から頑張れよ、なんて話ではなさそうだ。
「何ですか?」
「俺も連れて行け」
頼光は保昌を凝視した。暗い光を放つ保昌の瞳には、もがいても抜け出せない泥のような強さが宿り、頼光をどんよりと映している。
「というのは……鬼退治に?」
「足手まといか?」
まさか、と頼光は慌てて手を振った。
「そりゃあ、叔父さんがいたら頼もしいですけど……。鬼退治ですよ? 普通、行きたくないですよね? 俺は行きたくないです」
「頼光……それ、義兄さんが聞いたら半殺しじゃすまないぞ」
「もちろん、父上には頑張りますって言いました」
そこで頼光はふと気づく。保昌の義兄である頼光の父は、しっかり手柄を立ててこいと言った。
なるほど、名を上げたい者にとって、鬼退治は良いものかもしれない。
――いや、でも叔父さんは……。
「やっぱり、弟をさらった赤毛の子鬼……のせいですよね?」
保昌は、ふっと自嘲的な笑みを浮かべた。
「俺はとっくの昔に落ちぶれた藤原南家の者だ」
保昌が立ち上がる。
「明日の朝、荷物を持ってまたここに来る。もちろん、供は連れて行かない」
出て行こうとする保昌の袖を、頼光は思わず捕まえた。
「本当に良いんですか? 赤毛の子鬼がいるとは限りませんよ?」
「もう上に話は通してある」
保昌はじっと頼光の目を見て告げる。低く静かな声だが、そこには揺るぎない響きがあった。
保昌が帰ると、頼光は笈に寄りかかった。ぼんやりと保昌の暗い瞳を思い出す。叔父の身に何があったのだろうか。聞いたほうが良かったのか、聞いても良かったのか。
「頼光様」
襖障子の向こうで、貞光の声がした。
頼光は何故か救われたような気持ちになって、素早くそこを開けた。
「だから、おやつなら持っていっても構わないって――」
「頼親様がお見えです」
片膝をついて頭を下げる貞光、その隣には異母弟――源頼親が、いつになく不機嫌そうな顔で立っていた。
「頼親……」
貞光が一礼して去ると、頼親はずかずかと部屋に上がりこんだ。頼光と向かい合って座ると、若干視線を逸らして口を開く。
「兄貴、いよいよ明日……だな」
「ああ、鬼退治な」
「それで、その……気をつけろっつーか……」
視線を逸らしたまま口ごもる弟を見て、頼光は思わず笑った。
「心配して来てくれたのか?」
「違ぇよ! し、心配とかじゃなくてだな、兄貴には清和源氏の長男としてしっかりしてもらわねぇと――」
「分かってる、分かってる。家にどろ塗るようなことはしない」
頼光が穏やかに言うと、頼親は黙りこんだ。
「失敗して、逃げ帰るような真似はしないから安心しろ」
「……そんなことしたら、父上の雷が落ちるだろうな」
「うん、だから絶対しない」
二人の間に微妙な沈黙が流れる。
「まぁとにかく、だ」
頼親は咳払いをして、頼光をちらりと見上げる。そしてすぐに目を伏せると、本当に小さな声で呟いた。
「……成功して、ちゃんと生きて帰ってこい……」
「それは家のためにか? 弟のためにか?」
「兄貴うぜぇぞ……」
頼光は、顔を赤くして小声で非難する弟の頭をわしゃわしゃと撫でる。
「まぁ俺に何かあっても、お前がいるから安心だな。それに、頼信もいる」
頼信とは、河内に住んでいる頼親の弟である。つまり三男だ。
「兄貴、あと、ちょっと相談があるんだけどな」
頼親は頼光の手をうっとうしそうに払って、真剣な表情を作る。
「相談?」
「ああ、このことに関してはもっと早く来て話したかったんだけど、興福寺と揉めててぎりぎりになっちまった」
「またか。いいかげん仲良くしろよ」
で、何の相談だ、と頼光は膝を進めた。
頼親は意を決したように顔を上げて、頼光の全く予想していなかったことを口にする。
「保輔が盗賊になってたら、兄貴、叔父さんに何て言う?」
「保輔って……叔父さんの弟の、あの保輔か?」
「それ以外いねぇだろ」
頼光の頭に、先ほど別れた保昌の姿がよみがえる。
「保輔は、盗賊袴垂だ。たぶん、いや、間違いねぇ」
「……嘘だろう?」
頼光は思わず弟の顔をまじまじと見た。頼親は、真剣で、すがるような目をしている。
「頼親、それ、叔父さんは知らないんだよな? さっき、叔父さんが来たんだけど、なんか様子がおかしくて――」
「叔父さんが来た?」
「ああ」
俺も鬼退治に行くって――。
頼光がそう言うと、頼親は弾かれたように外に飛び出した。
保昌は笛を吹きながら、夕暮れの小路をのんびり歩いていた。馬に乗った頼親は、すぐに追いつき、大声で呼ぶ。
「叔父さん!」
笛がやみ、保昌が振り返った。その暗い瞳に驚きの色が浮かぶ。
「鬼退治行くってホントかよ!」
「頼親……来ていたのか」
頼親は馬から飛び下りて、保昌に詰め寄った。
「兄貴から聞いたぞ! 鬼退治行くってマジなのか?」
「ああ、そうだ」
興奮している頼親とは対照的に、保昌は落ち着いている。それがさらに、頼親の心を掻きたてた。
「保輔が、保輔が見つかったんだ! 鬼退治なんて行ってる場合じゃねぇ!」
「……保輔が?」
保昌が息を呑む。淀んだ瞳が頼親を覗きこむ。
もうあとには引けない。頼親は呼吸を整えながら、全て言ってしまおうと決心する。
「保輔は、盗賊袴垂なんだ。驚くなっていうほうが無理だと思うけど、あの、俺、白髪の鬼に会って――」
そこで頼親の言葉は打ち切られた。保昌に抱きしめられたからである。
「頼親、悪かった。本当にいろいろ心配させた。俺は先日、赤毛の子鬼に会った。保輔は死んだ。あいつはそう言った」
言い切ると、今まで堪えていたものが溢れ出すように保昌の体が震えた。声を殺して泣いている。
頼親は呆然として、それでも必死で舌を動かした。
「そんなの、赤毛の子鬼の、嘘だろ?」
「盗賊袴垂? ああ、よく知ってる。保輔に似てるよな。俺はあいつに言われたよ。オッサン、誰だって」
保昌の腕に力がこもる。苦しげな声が洩れる。
「頼むから、これ以上希望を持たせないでくれ」
頼親は完全に言葉を失った。
ここまで読んでくださったかた、ありがとうございます。
どーでもいいんですが、頼光の「おやつなら持っていっても(以下略)」の部分、ほんとはバナナはおやつに入らないぞにしたかったんです。でも、平安時代・・・! くそ!
名前だけでてきました、頼信様。頼光の異母弟、頼親の同母弟です。頼朝のご先祖様。
歴史上の人物で一番好きなのは誰かって聞かれたら、頼光と死ぬほど迷います。とにかく、今昔物語の彼はかっこいいです。
でも、この人、大きく歴史に関わってるのでライトノベルにはしにくい・・・。
というわけで(?)、ある日になったら、どーでもいい話として彼を出そう思います。
次回は、この話のちょっとした余談です。その次、鬼同丸です。




