鬼と土蜘蛛
大江山。
この山の上部には鬼の里、下部には土蜘蛛の洞窟がある。その真ん中、山の中腹あたりを鬼の大将は歩いていた。長めの赤い髪を無造作にくくって横に流し、紅色の着物に太刀を帯いている。
二人の男が、その後ろ姿を木の陰から見ていた。
「まさか、本当に鬼がいるとは」
「ああ、髪や角以外は人のようだがな」
彼らは、度胸試しに鬼退治に来た者だった。鬼の首を持ち帰り、村の皆に自分の強さを認めさせてやろうと思っていた。
「はずすなよ」
一人が言い、もう一人が弓を構える。ぴったりと鬼に狙いが定められ、ぐぐっと弓が引き絞られる。男が、ぱっと矢を放ったとき――もうそこに鬼の姿はなかった。
次の瞬間、弓を持っていた男の顔に生暖かい飛沫が跳ぶ。それが隣にいた友人の血液だと気づく間もなく、男は、木に叩きつけられていた。
「が――ッ!」
背中が強烈な痛みに包まれるが、倒れることは許されない。男は首をつかまれ、木に押しつけられていた。
見下ろしているのは、赤い瞳。男は、その顔を見てはっと息を呑んだ。友人のことも、自分が置かれている状況も一瞬にして忘れた。
それほど、その鬼は美しい顔をしていた。
「誰かの命令か?」
その官能的な唇が動き、若い男の声が発せられる。ひどく冷たい声なのに、心地よく耳朶を打つ。
「誰かの命令で、鬼退治に来たのか?」
端正な顔が苛立ったように歪み、鬼の腕に力が籠る。反対の手には、血に濡れた太刀が提げられていた。
男は声を出すことができなかった。美しいといっても容姿は男性なのに、完全に見入ってしまっている。鬼に取り憑かれるとは、まさにこういうことか。
鬼の赤い目がすっと細められて、太刀が持ち上げられた。
「酒吞――っ!」
男の身体が斬り裂かれるその直前、場違いな少女の声が割って入った。それと共に青い影が木々の隙間から飛び出し、赤い鬼に激突する。
突然自由になった男は、その場にずるりと座り込み、悪夢から覚めたように荒い息を繰り返した。男の眼前では、青い髪の少女と先ほどの赤鬼が倒れている。
「い、勢いが余ってしまった……」
「茨木、貴様……」
赤鬼が頭を押さえて、ゆらりと体を起こす。
「しゅ、酒吞、これは事故で――」
「う、うわぁぁあっ!」
そこでようやく男は、正気を取り戻し、悲鳴を上げて逃げ去った。
それを見て、青鬼が大声を上げる。
「ああああー!」
「騒々しいやつだな。助けたかったんじゃないのか」
赤鬼――酒吞童子が言うと、青鬼――茨木童子は、ばたばたと手を振った。
「踊り食いが一番美味いと思ったのだ! せっかく捕まえてあるのに、酒吞が殺そうとするから……!」
「……俺は別に、食おうと思って捕まえたわけじゃないぞ」
名残惜しそうに男が消え去った方向を見つめる部下に、酒吞は、怒りを通りこして呆れていた。
酒吞は気を取り直して、その背に声をかける。
「で、いつ京から帰ってきた?」
「そうそう! 帰宅の報告をしようと思っていたのだ!」
茨木が、ぱっと明るい顔になって振り返る。彼女は、京まで土蜘蛛の様子を探りに行っていたのだ。
「今帰ってきました! 酒吞は、何でこんなところに?」
「ちょうど、お前を探しに京まで行こうと思っていたところだ」
茨木が帰ってきた今、山を下りる必要はない。酒吞は、落ち葉のついた着物をはらうと踵を返した。
茨木が、ぴょこぴょこと後ろをついてくる。
「わーい、酒吞に心配されたー」
「すぐ戻ると言ったのは、どこのどいつだ」
「そのつもりだったけど、腕がなくなっていて――あっ、ちょっと待って!」
酒吞が振り返ると、茨木は、初めに殺した男の死体へ駆け寄っていた。何の躊躇いもなく、薙刀で死体の腕を切り取る。
「山登りしたらお腹すいたのだー」
「茨木、お前さっき、妙なことを言わなかったか?」
「お腹すいた?」
茨木が首を傾げる。子どもらしくて可愛らしい仕草だが、手に握っているのは、血まみれの腕である。
「その前だ」
「んー? あっ、腕がなくなっていたって話!」
茨木はぽんと手を叩くと、何故か楽しそうに話し出した。
「そうそう、腕が斬り落とされて、持っていかれてしまったのだ。で、帰るのが遅れてしまった」
「よかったな、くっついて」
酒吞は敢えて突っ込まず、再びすたすたと歩き出した。茨木は、ご機嫌な様子で人間の腕を食みながら、酒吞の横に並ぶ。
「酒吞ー、そういえば、金童子は帰ってきたの?」
金童子とは、スパイとして土蜘蛛の中に忍び込んでいる鬼女だ。定期的に土蜘蛛の様子を報告にきていたのだが、二ヶ月以上前から、姿を見せなくなっていた。
「金童子なら、石熊が捜しに行っているところだ」
「心配なのだー」
そう言う茨木の声は、楽観的である。実際、金童子は無事だと思っているのだろう。彼女は、少し、いやかなり、方向音痴だ。どこかに出かけたまま帰らないことは、よくある。
「茨木、京の様子はどうだった?」
「えっ?」
ふいを突かれたように、指についた血を舐めていた茨木が顔を上げる。酒吞と目が合うと、茨木の青い目が泳いだ。
「京まで、土蜘蛛の様子を探りに行っていたんだろう?」
「そうなんだけど……足をくじいた人間のふりして、馬に乗せてくれた人に最近の京の様子を聞こうと思ったら、その人が運悪く渡辺綱だったのだ」
珍しくしょんぼりした様子で、茨木は京で起こったことを話し始めた。
京には、頼光と頼光四天王と呼ばれる者がいること。そのうちの一人、渡辺綱に腕を斬り落とされたこと。腕を取り返すまで、京観光をしていたこと。取り返したあとも、なんやかんや遊んでいたこと。
「要するに、土蜘蛛については何も分からなかったということだな」
「そうなのだ!」
酒吞は、言い切った茨木の頭を叩く。茨木は大袈裟に首をすくめて、非難がましい目で酒吞を仰いだ。
「でも、鬼の格好した盗賊が流行っているらしいことは分かったのだ」
「鬼の格好?」
酒吞が興味を示すと、茨木は得意げに胸を張った。
「鬼のお面を被った連中が、屋敷を襲う場面に遭遇したのだ。それ以外のことは、何も分からなかったけどね!」
「お前は本当に、何をしに京まで行ったんだ」
酒吞は呆れ果てたが、茨木は、のほほんとしている。それを見ると、怒る気も失せてくる。
――まぁ、いいか……。
酒吞自身、土蜘蛛に対して、そんなに危機感を抱いていなかった。土蜘蛛が恨んでいるのは、鬼でなく人間だ。
酒吞が初めてこの山に来たとき、鬼の里は混乱に陥っていた。土蜘蛛が、鬼たちに朝廷を倒す協力を求めてきたからである。当時、鬼の里には大将がおらず、鬼たちの意見は分かれた。土蜘蛛と不仲になるのを恐れ、協力に賛成する者、それより人間を敵に回したくないと反対する者――。酒吞は、ちょうど腕に自信のある一部の鬼たちが内戦を始めたときに、鬼の里に辿りついた。
ここに弟――鬼同丸が来ているかもしれないと思っていた彼は、矢が飛び、刃と刃がぶつかり合うその光景に唖然とした。
これでは、ここに弟がいたとしても巻き込まれて死んでしまうかもしれない。わざわざ山を登ってきたことを考えると、無性に腹が立った。それで酒吞は、物陰で震えていた子どもの鬼に事情を聞き、戦っている鬼を片っ端から黙らせたのである。気がつけば、鬼の大将ということになっており、土蜘蛛の大将、陸耳御笠のもとへ談判に行かされるはめになっていた。
土蜘蛛とは、お互い不干渉ということで決着がついたが、結局、弟については何も分からずじまいだった。
――あの馬鹿弟、勝手にどこかへ行きやがって。
「酒吞?」
茨木が、怪訝な顔で見上げていた。
「何か、考えごとしてた?」
酒吞は、いや、と答えて顔を逸らす。鬼同丸のことはもう考えるなと自分に言い聞かせる。
弟は村人に殺されそうになって、どこかへ行くより仕方なかったのだ。誰にも助けられず、もしかしたら、逃げる途中で息絶えたのかもしれない。
鬼となった外道丸は、数日は家で鬼同丸の帰りを待った。それから、よく狩りに行った山や、村周辺の廃屋、人目につかないところを探し歩いた。だが、弟の姿はどこにもなかった。
最後の心当たりが、大江山だったのだ。
「茨木」
酒吞はけもの道を歩きながら、のんびり後ろを歩く青鬼に話しかける。
「うん?」
「何だかむしゃくしゃする。帰ったら、酒に付き合え」
言うが早いか、茨木は、ええっ、と嫌そうな声をあげた。酒呑は彼女を振り返って僅かに口角を上げてみせる。
「そしたら、激突されたことは忘れてやる」
「そ、それは悪かったと思ってるけど、酒吞の酒に付き合ったら体壊すのだー」
茨木がばたばたと走ってきて、酒呑の袖にすがる。
酒は酒呑の好物だ。鬼になったあの日から、身体が酒を求めてやまなかった。
「腕を斬り落とされて平気なら、大丈夫だろ」
「酒呑、自分がどれだけ呑んでるか分かってる?」
茨木がじっとりした視線を投げかける。酒呑があえて無視すると、彼女は思い出したように、いたずらっぽく笑って酒呑を見上げた。
「でも、酒呑と呑みたいって女の子、多いと思うのだ」
「……茨木、用意してあるのは血酒だぞ?」
血酒。名前の通り、血で作った酒である。
茨木の顔が、パッと輝いた。
「ほんと?」
「ああ」
やった、と茨木が跳びあがる。
茨木のような存在に、酒呑は安心する。大江山に来てからは、見ず知らずの女が死ぬこともなくなった。冗談めかして黄色い声をあげる女鬼はいるが、取り憑かれたように焦がれる者はいない。それに何より、髪や目の色のことで疎まれる者がいない。
鬼の里は、確かに良いところだ。
わけも分からずに大将になった酒呑だが、今では、この里を守っていこうと思っている。
土蜘蛛からも、人からも――。生きているかも分からない鬼同丸を、いつか迎えるために。
「早く帰るのだー」
茨木に腕を引かれ、酒呑は思わず、転ぶなよと声をかけた。
*
その夜、大江山山麓付近。
山の斜面には、一つの大きな穴を囲むようにして、無数の穴が開いている。その一つ一つが土蜘蛛の住処であり、一番大きな穴に、土蜘蛛の大将陸耳御笠はいた。
その洞穴は他と違い、随分と奥行きがある。広々とした集会所があり、そこからいくつもいくつも枝分かれしている。
一番奥の部屋で、御笠は赤毛の子鬼を待っていた。
しばらく姫さらいのために京に行っていた鬼同丸は、今朝、袴垂と共に帰宅した。御笠は、鬼を利用した計画が順調に進みつつある今、久々に鬼同丸と話がしたかったのだ。
近江国の山で、じっと死を待っていた赤毛の子鬼。もう十年以上も前のことになるが、御笠は良い拾いものをしたと思っている。
「御笠様」
部屋の入口で、鬼同丸が恭しく片膝をついていた。御笠は、部屋に入るように促す。
「別に何の用というわけでもないが、お前、鬼と人と、どちらが勝つと思う?」
「鬼と、人ですか」
ふいをつかれたというように、鬼同丸は顔を上げ、それからすぐに目を伏せた。思案しているようである。
鬼に扮した少年たちに京の姫をさらわせたのは、酒呑童子を大将とする鬼たちと、人間を争わせるためだ。姫さらいは鬼の仕業だと知った朝廷は、鬼の里に軍を差し向けるだろう。
「やはり、鬼でしょう」
「そうか?」
御笠がわざとらしく首を傾げると、そのわけを問うように鬼同丸が赤い目を瞬かせる。
「人間が鬼と、まともに戦うとは思えぬな」
かつて、まつろわぬ民だった御笠は知っている。朝廷というのは、自分に従わない者を化け物とし、卑怯な殺し方を正当化するのだ。
「ヤツらはどんな手を使ったとしても、大将の酒呑童子を討ち逃がさぬだろうな」
「――え」
鬼同丸が色を失くした。篝火に照らされているせいで、その髪がより赤く見えた。
どうした、と尋ねる前に、御笠の頭に、酒呑童子の姿が浮かんだ。
――赤毛……。
御笠は、鬼の大将酒呑童子と、一度会ったことがある。
土蜘蛛が鬼に協力を求めたときだ。鬼の大将という者が談判に来たと聞き、御笠は、大将を人質にとれば鬼たちも言うことを聞くだろうと思った。そいつを捕らえろ、と命じたのだ。
十匹以上に襲わせたのに、いくら待っても仲間は御笠に酒呑童子捕獲の報告をしにこない。しびれをきらし、外へ出た御笠の目に飛び込んできたのは、バラバラになった仲間の死体――。
『今後一切、鬼の里には関わってくれるな』
真っ赤な髪の、美しい鬼が、土蜘蛛の死体に太刀を突き立て、やはり赤い瞳で御笠を睨んでいた。
――鬼同丸とは、あまりに違う。
当時を思い出し、御笠は、一瞬頭に浮かんだ考えを打ち消した。髪と目の色は偶然だろう。まさか、血族ではあるまい。
「鬼同丸」
御笠が呼ぶと、鬼同丸の赤い髪がぴくりと揺れた。
「官軍が鬼退治に向かったと報告があれば、また袴垂と京へ上れ」
「……そこで、何を?」
「鬼退治の勅令を受けるのは、おそらく源頼光だと私は思っている。ヤツらのいない京の警備など、たいしたことはあるまい」
そこを襲うのだと御笠は、化け猫のような目を細めて笑う。
「もちろん、お前たちの他にも大勢向かわせる。その間に、大江山に残った仲間と私は、鬼退治で疲れた官軍を討ち取ろう」
「御笠様、しかし……」
鬼同丸は俯いたまま、何かを思案するような声で、酒呑童子は、とつづける。その名を口にしたとき、彼は僅かに眉根をよせた。
「酒呑童子は、簡単にやられないと思います。土蜘蛛のしわざと知れば、鬼たちは、俺たちが京に行っている間に攻めてくるでしょう」
「そう思うか? それなら戦闘中の隙をついて、鬼と官軍、両者の大将を人質にとってしまえば良い。官軍がどのような戦い方をするか分からんが、お互いがうまく疲労すれば、そうしよう」
大将を人質にとって、鬼とその官軍を大人しく従わせることができるなら、これほど良いことはない。そうしたら我らも京へ向かおうと、御笠は胸中でうなずいた。
「あの、御笠様……」
「何だ?」
「そろそろ退出してもいいでしょうか。袴垂に夕飯の支度を任せてきたので、心配で」
鬼同丸が、決まり悪げに視線を逸らす。
「それは大変だな。山火事でも起こされたら敵わん」
早く行け、と言うと、鬼同丸は一礼してさっと出ていった。
御笠は、部屋の隅に体を横たえる。いや、蜘蛛の体であるから、実際に横たえたわけではないが、心境はそんな感じだった。
彼ら土蜘蛛は怨霊であるため、食べる必要も寝る必要もない。それでも御笠は、じっと目をつむる。
――もうすぐ、この復讐も終わる……。
京を攻め、御所を破壊し、政治の中心にいる貴族どもと帝を殺し奉る。御笠の頭に、その次はない。
京を落としても、人間を支配することはできないだろう。地方からすぐ、国司や豪族が駆けてくる。そうして、土蜘蛛はまた滅ぼされる。
分かっていて、なお、御笠は、朝廷――貴族と帝を殺すことしか考えていない。それさえ叶えば、あとはどうでもよかった。
かつて人間だったころは何を望んでいたのかも、彼はもう思い出すことができなかった。
ここまで読んでくださったかた、ありがとうございます!
酒呑童子としての外道丸、ようやく出せました。外道丸が大江山に来て大将となるまでの話も、番外編としていつか投稿したいんですが・・・いつになるか・・・。
茨木童子、今は茨木市のマスコットキャラクターになってますよね。この前遊びに行ったら、車の免許とる学校のチラシに載ってました。「僕も応援します!」って・・・鬼とはなんぞや。
このあと、姫さらいのあとのどーでもいい話を割り込み投稿する予定なので、よければそちらもよろしくお願いいたします。
次回は頼光&頼親&保昌です。保昌、保輔は死んだと鬼同丸に言われて以来の登場ですね・・・。




