白髪の鬼
大和、頼親邸付近。
源頼親が、異母兄頼光の鬼退治の知らせを聞いたのは、すでに数日を経たあとだった。
――マジかよ……。
頼親は先ほど聞いた知らせを思い返しながら、馬を走らせていた。どこに行くわけでもない。ただ単に、じっとしていられなくなっただけだ。
一人で、思いっきり馬をとばしたい気分だった。
「頼親様ぁー、どこ行かれるんですか?」
「うるせぇな。ついてくんなよ」
頼親は振り返って、郎党の当麻為頼を睨む。彼は、頼親の叔父、藤原保昌の家来と会えば揉め事を起こす問題児である。こっそり屋敷を出たはずなのに、為頼に見つかってしまったことも頼親には腹立たしい。
為頼が何か言おうとしたとき、彼の後ろから、もう一人の郎党、秦氏元が追いついた。
「こら、為頼。頼親様は、頼光様のことで心中穏やかでないんだ。お察ししろ」
「そんなことは分かってるさ。ただ、このまま一人で京まで行かれるのは、さすがにまずいかと――」
「行かねぇよ」
頼親は吐き捨て、馬の腹を蹴った。
「頼親様、一人は駄目ですよ……! また、白髪の鬼に遭遇したらどうするんですか!」
――お前、どーせ役に立たねぇだろ……。
背中で為頼の声を聞きながら、頼親は日の暮れかけた道を駆ける。白髪の鬼――その単語を聞いて、頼親の鼓動はさらに速くなる。
鬼は強い。頼親は、身に染みてそのことを知っている。
頼光に鬼退治の命が下ったのは、名誉なことだ。弟として喜ぶべきだと思っている。
だが、頼親の脳裡に浮かぶのは白髪の鬼女。もう二ヶ月以上前になるが、そいつに襲われたときの傷はいまだに疼く。傷口は塞がっているから、精神的な問題だ。
それは、春日参詣の帰りだった。為頼と氏元を含めた五人の郎党を率い、頼親は、今のように馬を走らせていた。
興福寺付近に来たとき、突然霧がたちこめ、その中から頼親は射ぬくような殺気を感じた。それは本当に一瞬だったが、頼親の武者としてのカンが、彼に体をひねらせた。
それが少しでも遅れていたら、頼親は確実に死んでいただろう。咄嗟に体をひねったとはいえ、その拍子に落馬し、脇腹は大きく裂かれていた。
「興福寺の僧兵かっ!?」
頼親はすぐに立ち上がり、太刀を抜くと、霧の中の敵の姿を探した。そして、前方に立つ影を発見する。
「頼親様っ!」
郎党が口々に叫んでいたが、頼親の目は、まっすぐ一点を向いて動かなかった。
霞んで見えるのは、二本の小刀を手にした女。一つにまとめられた真っ白な髪が、霧にとけこむように流れている。大人しそうな顔をしているが、その頭からは、二本の角がちょこんと生えていた。
白髪の鬼女は、一本の小刀にべっとりとついた血を舐める。桜色の小袖に膝までの短袴という妙な出で立ちだ。
鬼女は、銀色の瞳を頼親に向けると、再び地を蹴った。
「……っ!」
人間離れした速さだが、攻撃がくると分かっていて防げない頼親ではない。しかし、小刀と太刀で押し合っている間にも、頼親の脇腹からはどくどくと血が流れ続ける。
「頼親様、お逃げ下さい!」
為頼の声を皮切りに、頼親の郎党たちが鬼女に斬りかかった。
鬼女は軽やかに跳躍し、振り向きざまに為頼の背中を蹴飛ばした。彼女は流れるような動作で攻撃をかわし、体勢を崩した敵を蹴って転がす。そうして、立ち上がろうとした為頼に小刀を振り上げた。
その一瞬の隙を、頼親は見逃さなかった。怪我も忘れ、全身の力を奮い、鬼女の大腿部に太刀を突き立てた。
「てめぇ……人の家来に……っ!」
鬼女の銀色の目が、大きく見開かれた。あっ、という小さな悲鳴も聞こえた。
「頼親様ぁっ!」
為頼が安堵の声をあげたとき、地面が揺れた。その拍子に太刀は抜け、鬼女は高く高く跳躍した。
揺れはみる間に大きくなり、四方で地面が盛り上がった。霧を散らして飛び出したのは、巨大な蜘蛛。化け猫のような顔をしたそれは、跳んだ鬼女に向かって糸を吐きかけた。
――……どういうことだ?
鬼女が二本の小刀で糸をなぎ払う光景を前に、頼親の頭は完全に働くことをやめていた。
「頼親様、今のうちです……!」
郎党の声で頼親は我に返ったが、身体を動かそうとした瞬間、脇腹に激痛が走った。傷は思ったより深く、血は流れつづけ、彼はもう限界だった。
頼親自身はあまり覚えていないが、その後、郎党たちに担ぎ出されたらしい。気がつけば、部屋に寝かされていた。
鬼と土蜘蛛――それは、叔父の保昌が、弟をさらわれたときに現れたものと全く一緒だ。
そう考えると、頼親は居ても立ってもいられなくなった。そうして彼は、傷も癒えぬうちに京へ出向いて再びぶっ倒れたというわけだ。
――結局、叔父さんの弟をさらったのは白髪の鬼じゃなかったみたいだし、盗賊袴垂には遭遇するし、あの日は最悪だったな。
当時のことを思い出し、頼親は無意識に舌打ちをする。
白髪の鬼はまだ見つかっていない。保昌の弟をさらった鬼でなくても、何か知っているかもしれないと、捜索は続けているのだが――。
――次は、兄貴に鬼退治の命令かよ。
「頼親様、本当にどこまで行くおつもりで?」
「あ?」
氏元に言われ、頼親はようやく速度を落とした。きょろきょろと辺りを見渡す。
「おい、ここどこだよ」
「知りませんよ! 俺たち頼親様についてきたんですから」
「やっぱ役に立たねぇ」
頼親は再度首を回す。
薄気味悪いところだった。先へ行くほど木が茂り、民家は見当たらない。おまけに、霧が出てきた。
霧。それは嫌でも、白髪の鬼女を思い出させる。
「もう帰りましょうよ。真っ直ぐ走ってきただけですから、戻れますよ」
為頼が急かすように、馬首を廻らした。
「そうだな」
特に用事があるわけではない。それに、霧が濃くなったら面倒だ。そう思い、頼親が馬の方向を変えようとしたときだった。
琵琶の音が聞こえた。霧の向こうから、水の粒をひとつひとつ震わせるように嫋嫋と繊細に響いてくる。
人間のわざとは思えない、妙なる音だった。
頼親は直感的に、その音の方へ馬を走らせた。
ここまで読んでくださったかた、ありがとうございます! 久々に頼親です。
だいぶ前ですが・・・プロローグの次の話で、頼親が頼光の家にきて「白髪の鬼に襲われた」とか言ってぶっ倒れてるんですが、そのときの話です。
実際、源頼親が春日参詣の帰りに何者かに襲われた事件があったらしく、おそらく興福寺の僧兵だろうということなんですが、もし、鬼だったら・・・という発想で書きました。そのせいで話がややこしくなったことには、けっこう前から気づいてます! ・・・でも、頼親出したかった・・・。
次回は、そのままこの続きです。




