勅令
金時の過去の話が終わり、時間的には「姫さらい」の続きになります。
頼光邸、池田の中納言の屋敷が襲われて一週間。
頼光四天王の一人、碓井貞光は、主人を探して庭を歩いていた。
主人の頼光に、急ぎ参内せよとの知らせが入ったのである。
庭には雪が薄く積もっており、貞光が歩くたびにしゃりしゃりと音を立てる。今日は比較的暖かい日だが、さすがの頼光も、この状態では庭で昼寝をしていることはないだろう。
では、寝殿の簀子縁で寝転がっているかと考え、貞光は、そこに向かったのだが――主人は、簀子縁の上ではなく、下にいた。
頼光は、雪に着物が濡れるのも構わず、這うようにして、簀子縁の下に頭を差し入れ、そこを覗きこんでいる。
――今、声をかけたら、頭を打つだろうな。
貞光はそう思いながら、声をかけた。
「頼光様、急ぎ参内せよと知らせが――」
「え――わっ!」
頼光は貞光の声にびくりと反応し、案の定、簀子縁に頭を打ちつける。途端、縁の下から数匹の子猫が飛び出して、走り去っていった。
「いってぇ……」
「大丈夫ですか?」
頭を押さえて簀子縁の下から這い出た主人に、貞光はいつもの淡白な調子で問うた。
頼光は、涙の滲んだ目で、批難するように貞光を見上げた。
「お前、いきなり声かけんなよ」
「申し訳ございません。ですが、急ぎ参内せよと――」
貞光が言いかけたとき、頼光は、急に、はっとして立ち上がった。
「貞光、今の見たか?」
「あなたが頭をぶつけなさったところでしたら、ばっちり見ましたが」
「猫だよ、猫! 昔からここに住みついてたやつがさ、いつの間にか子ども産んでたんだよ!」
「ああそうですか」
心底どうでもいいという返事をする貞光とは裏腹に、頼光は、猫の走っていった方を嬉しそう眺めている。
「可愛かったなぁ。四匹くらいいたよな?」
「急ぎ参内せよと、帝がお呼びです」
「白いのは母親似――え?」
聞き返すように、頼光が貞光を仰ぎ見る。貞光は、動じずに繰り返した。
「帝がお呼びです」
頼光の顔から血の気がひいていく。
「お前、何でそれ先に言わねぇの……?」
「早くお着替えください」
言い返す気にもなれず、貞光は、主人を寝殿の方へ向かせ背を押した。
「…………貞光、何か怒ってる?」
「急いだ方がよろしいかと」
「そ、そうだった!」
そこでようやく頼光は、高欄に手を掛け、簀子縁に飛び乗った。が、焦りすぎて危なっかしい動作である。
貞光はため息をこらえて、そんな主人をいつもの冷めた目で見守っていた。
それから数刻後。
頼光邸、東面の庭。
そこの木に腰掛けていた坂田金時は、東対の陰から一匹の子猫が姿を現したのを見て、ひょいと木から飛び下りた。
「初めて見るやつだな」
真っ白な猫は、子猫特有の青みがかった灰色の瞳で金時を見上げている。
金時がしゃがんで手を伸ばすと、子猫は人懐こく近寄ってきた。抱き上げて、撫でてやる。
「お前、もしかしてあの白猫の子どもか? ……ふうん、やっぱりそうか。……なるほどなぁ、巣の外は初めてなのか。……うんうん、外の世界は怖いぞ。人間がいっぱいいるから……」
「き、金時……」
「あ?」
振り向くと、綱が、奇怪なものでも見るような顔で、若干後退りをしながら、こちらを見ていた。
「き、貴様、いくら友達いないからって猫に話しかけるなんて……相当イタイぞ」
「イタイ?」
綱は何を言っているのだろうかと、金時は眉をひそめる。それに友達がいないとは失礼だ。故郷の足柄山に、熊のタロウ、猪のジロウ、他にも沢山の動物がいる。
金時が言い返そうと思ったとき、子猫が、にゃあと鳴いた。
「え? ああ、こいつは渡辺綱っていって……チビだけど凶暴だから、近づかないほうがいいぞ」
「誰がチビで凶暴だ! ――いやいや、その話はまず置いといて、お前、そいつとしゃべれるのか?」
「ああ、こいつ、まだ子猫だけど、結構ちゃんとしゃべるぞ」
「いや、子猫とかそういう問題じゃなくて……」
珍しく綱が言いよどむ。言葉を探しているようだったが、しばらくして諦めたように、まぁいいかと零した。
「で、金時」
気を取り直したように、綱が向き直る。
「稽古の相手をしろ」
「いきなりだな」
その返事を聞く前に、既に綱は斬りかかってきている。金時は、片手で猫を抱えたまま、マサカリでその攻撃を防いだ。
「こいつ逃がす時間もくれないのかよ」
「悪いな。どうにも武者ぶるいが治まらなかったんだ」
名刀鬼切でぎりぎりとマサカリを押しながら、綱は、金時を見上げてにやりと笑った。機嫌が悪いわけではないらしい。
「帝に呼ばれた頼光様が、そろそろお帰りになるころだ。ご近所さんの陰陽師が、鬼の住処を占っていたことは知っているだろ? きっとその結果が出て、頼光様が追討使に任じられたに違いない」
攻撃の手を緩めることなく、綱は、心底楽しそうに話す。
彼女は、金時の母が鬼であることを知らない。
「鬼を退治できるなんて、楽しすぎるじゃないか!」
「でもさ、姫をさらった鬼って、お面を被った人間かもしれないんだろ?」
「陰陽師の占いにひっかかるとしたら、まずは本物の鬼だろ? 姫をさらったさらってないに関係なく、鬼がいたら退治するのは当然だ」
「なんだよ、それ」
金時はむっとして、思わずマサカリを両手で握った。子猫は軽やかに、地面に着地する。
「なんだ? 貴様はそう思わないのか?」
綱がきょとんとする。
「うるせぇな! お前とそんな話したくねぇよ!」
「はぁ?」
「チビのくせに!」
「貴様――ッ!」
子猫は危険を察知して逃げたらしい。地面には溶けかかった雪だけが、むなしく残っている。
綱は、その雪の上を軽やかに跳ね、隙あらば金時に斬りかかる。単純な腕力だけでは、金時が圧倒的に勝っているが、綱の柔軟な攻撃には非常に戦いにくいものがあった。
「山へ帰れッ!」
「お前の命令なんか聞くかよ!」
金時は、足元を払うような綱の太刀を辛うじて受け止める。綱は金時の力を上手く受け流す。
「まさかり担いだ金太郎のくせに!」
「それの何が悪いんだ?」
「そのうち貴様の歌を作って、そこらへんで熱唱してやるから覚悟しろ!」
「手の込んだ嫌がらせ思いつきやがって……!」
金時の頬を汗が一筋流れたとき、
「お前らって、探さなくても、どこにいるかすぐ分かるよな」
楽しそうな声と共に、東対の陰から巫女装束の青年が姿を現した。
綱がその姿を認め、身体の力をふっと抜く。
「季武、それはどういう意味だ」
「子どもは元気でいいねって意味」
季武はわざとらしいくらいにっこり笑って、雪をしゃりしゃりと鳴らしながら、二人に近づいた。季武は、綱が言い返す前に、彼女の唇の前に人差し指を立てる。
「殿がお帰りだ」
「本当か! やっぱり鬼退治のことだっただろう?」
綱の顔が、ぱっと明るくなる。それに反して、季武の笑顔が少し困ったようになった。
「そうなんだけどな――」
頼光邸、会議室。
「俺は大江山なんて行きたくない!」
「頼光様、そうはおっしゃいましても、勅令に背くわけには参りませんよ」
主人にあるまじきことを堂々と言い放った頼光に、貞光が冷静かつ当然の返答をする。
「い、行かないとは言ってないぞ。ただ、行きたくないなって話だ」
「どうしてですか!? 俺は、すっごく行きたいです!」
「綱、鬼退治だぞ!? 今までみたいに、やってきた鬼を退治するんじゃないんだぞ!? わざわざ自分から、鬼がわんさかいるところに入っていかなきゃ駄目なんだぞ!?」
「殺しがいがありますよ!」
「殺される気しかしねぇ!」
頼光はそう叫ぶと、すがるように季武を見た。
「お前は行きたくないよな?」
「俺は、殿と一緒に戦うの好きっすよ?」
季武は極上の笑みを浮かべ、小首を傾げてみせる。うっ、と言葉に詰まった頼光に、すかさず貞光が詰め寄った。
「頼光様、行くことは決定事項です。観念なさって、出発の日時や作戦を話し合うべきでは?」
「そ、そうだけど――あっ! 金時! まだお前の意見を聞いてなかった!」
「えっ?」
皆の様子をぼんやり眺めていた金時は、思いがけない指名にうろたえた。突然注目を浴びて、人見知りの少年の顔が火照る。
「え、えーっと……あっ! 姫をさらった鬼って、大江山にいるんですよね?」
「貴様、ご質問の答えになってないぞ」
呆れたような綱の指摘に、金時はますますうろたえた。頼光が、まぁまぁ、と金時を落ち着かせ、質問に答える。
「大江山に鬼の住処があるって、ご近所さんの占いに出たらしい。姫の気配も大江山からするってことだから、間違いないだろうな」
頼光の言葉に、綱が、うんうんと頷く。
「どちらにせよ、鬼は退治するべきですよ」
「まぁ、そうだな。帝も、我が国に鬼神がいるわけがない、なかったことにせよ、おっしゃって――金時?」
どこか悔しそうに俯いていた金時が、はっと顔を上げる。その金色の目と合って、頼光は、ようやく彼が鬼の子だということを思い出した。
頼光が焦って何か言おうとする。が、頼光の様子で、心の内が表情に出てしまったことに気づいた金時は、激しい羞恥に襲われた。
頼光に謝られると、よけい、どうしていいか分からなくなる――そう直感し、金時は即座に立ち上がる。
「すみません、俺、難しい話はよく分からないんで、あとで決まったこと教えてください」
金時はそれだけ言うと、逃げ出すように部屋を出た。
ここまで読んでくださったかた、ありがとうございます!
頼光はヘタレだと思うんですよ。原作の御伽草子で鬼退治を命じられたとき、ダッシュで家に帰って「我らが力にかなうまじ。仏神に祈をかけ、神の力を~」って家来に堂々と、ハナから自分の力で勝つことを諦めちゃってますが、いざ鬼と相対したらまぁペラペラと嘘をつき酒呑を騙しばっさり首を落としちゃう頼光が私は好きでs
帝の「我が国に鬼神がいるわけがない」というのは、この時代に流れていた考えで中国の「詩経」にそのような文があるそうです。王土にあらざるはなし。鬼神の存在自体が許されないんですね・・・。
頼光あまりにもダメだろと思われたかた、次回までお待ちいただけると幸いです。
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