姫さらい
三条、とある貴族の邸宅。
袴垂たちが池田の中納言の屋敷を襲っていたとき、彼らとは別行動をしていた土蜘蛛の仲間の一人が、そっと屋根から建物の中へ侵入した。
今夜、この屋敷には、源頼光が警護にあたっているという。
鬼の面を被った少年は、息を殺し、辺りをうかがう。頼光たちは庭にいるのだろうが、姫をさらうまでは、絶対に気づかれるわけにはいかないのだ。
姫のいる部屋は、事前に調べてある。
彼は、間違いなくその部屋の前に下りたはずなのだが、そこは何か妙だった。
女房の一人や二人、殺す気できたのに、誰もいない。それに姫の部屋は、格子も下ろさず、御簾がかかっているだけである。
少年は不審に思いながらも、御簾をあげた。
――よかった。
帳台の中には、ちゃんと姫の影があった。
姫は人の気配に気づいたらしい、衣擦れの音と共に、鈴のような声が聞こえてきた。
「誰?」
少年は躊躇いなく帳台に飛び込んだ。姫を抱え上げる。
あとは外へ飛び出して、すぐに逃げればいい。仲間が警備の攻撃を防いでくれる――。しかし次の瞬間、少年の視界は反転していた。
「あー、やっぱこれ、お面じゃねぇか」
「な……ッ!」
少年は、突然の出来事に目を見開いた。彼を床に抑えつけて鬼のお面をくるくる回しているのは、確かに抱えていたはずの姫である。
暗闇の中でぼんやり見えるその顔は、美しく可愛いらしいが、白粉や紅は刷いていない。何より、声が若い男のものに変わっていた。
そこで少年は、姫の着ているものが巫女装束であるということに気がついた。
「殿ー、早く助けにきてくれないと、さらわれちゃうー」
姫が声を上げたとき、さっと部屋に松明の明かりが差しこんだ。
「妙な呼び方すんなよ……」
「へへっ、でもちゃんと捕まえたっすよ」
そのとき、庭の方でざわめきがおこった。作戦が失敗したことを悟った少年の仲間が、襲撃しにきたのだ。
「季武っ、そいつ縛ったら、すぐ来い!」
「了解っすー」
松明を持った青年が庭の方へ駆けていく。
姫はその背中を見送ると、すぐに少年に向き直った。懐から縄を取り出し、慣れた手つきで少年を縛っていく。
「あーあ、本物の鬼、見たかったなー。もしかして、全部偽物なのか? それとも、お前はただの模倣犯?」
そこで縛り終え、姫は少年をぽんと叩いた。
「まっ、いいや。あとで聞くし」
少年を部屋に転がしたまま、喧騒に満ちた庭へ出ていく。
――朝廷のやつらに捕まるぐらいなら……!
少年は悔しげに涙を流して、舌を噛み切った。
「貞光っ、できるだけ生け捕りにしろ!」
「きりがありませんよ」
貞光は頼光にさらりと言葉を返して、眼前の男の首を刎ねた。
つい先ほどまでは味方だった放免(罪を許された囚人で、検非違使庁の下部)が、鬼が乗り込んできた途端、手のひらを返したように盗賊行為を働きだしたのだ。放免どうしで計画していたのだろう。
この当時、死刑が行われることはなかった。捕らえる際に盗賊と戦闘になり、そこで殺すのは良いが、逮捕された罪人が死刑になることはないのである。
盗賊を殺してみれば実は皇族だった、なんて話もあるが――ここで殺しておかなければ、きりがない。
それは頼光も承知しているらしい、放免をばっさりと斬り捨てた。
「鬼のことだよっ」
「それは心得ております」
鬼には、事情を聞かなければならない。が、ここ数日で見た鬼は、どれもお面を被った少年のようだった。彼らは、なかなか捕まらない。捕まりそうになると、自分で自分の喉を突いた。
貞光は、正直うんざりし始めていた。
綱が鬼の腕を斬ったというが、実はそれも偽物だったのではないか――ふとそんなことを思ったとき、ぴょん、と小柄な影が築垣を越えるのが見えた。
その人は、乱闘をあっさりくぐり抜け、こちらにやってくる。
「貞光、久しぶりだな」
いつもの数倍不機嫌な顔で、ひょいと片手を上げたその人は、物忌中のはずの渡辺綱だ。
「やはり、大人しくしているのは無理でしたか」
「違うぞ! ちょっと騙されただけだ!」
綱が怒ったとき、季武が慌てた様子で駆け寄ってきた。手には弓を持っている。
「綱ぁー、何で出てきたんだよ!」
「だから、茨木童子に騙されたんだ」
「俺、貞光と賭けてたんだぜ? お前がずっと籠ってられるか」
「昼飯一週間ですよ」
「綱ぁぁぁあー、俺、お前のこと信じてたのにぃー!」
「し、知るかそんなの! っていうか、人で賭けをするな!」
綱は屋敷の中へ侵入しようとする放免を食い止めながら、話を続ける。
「何でもいいから、今はすっごい暴れたい気分なんだ。金時はどうした?」
「裏庭の方だと思います」
「そうじゃなくて、あいつはどっちに賭けたんだ?」
「ああ、参加していませんよ。ただ、綱がいない間は妙にいきいきしていました」
「よし、ぶっ殺してくる」
綱は放免を一息に殺して、裏庭の方へ走っていった。
季武がわざとらしく、にやりと笑う。
「貞光、お前、金時の信用まで失うぞ?」
「それではまるで、私が金時以外に信用されていないようですよ」
「季武、貞光! 今、綱がいなかったか?」
向こうで戦っていた頼光が、隙を見て駆けてきた。
「殿ー、綱、物忌やめたみたいっすよー」
「やめた!?」
「そーなんすよ、貞光と賭けてたんすけど――」
季武が頼光相手に愚痴り始める。
「へぇ、そりゃあ災難――って、それ、貞光が、綱が出てくるように仕向けたんじゃないのか?」
敵と戦いながらも真面目に聞いてあげる主人は、優しいのか馬鹿なのか。貞光は、二人の会話を背中で聞きながら、太刀を横に払って放免を斬り伏せた。
何はともあれ、都の変事に関わらず、ここだけはいつも通りに戻ったらしい。
*
大江山、深い洞窟の中。
土蜘蛛の大将御笠は、くぐもった笑い声を上げた。
洞窟に響くのは、その声と、篝火の燃える音、そして複数の女の啜り泣き。女は皆一様に、土に汚れているが、色鮮やかな着物を着、髪は長く地面に垂れている。
御笠は、おかしくて仕方がないというように、怯える女たちを見下ろした。
「都は混乱しているだろうなぁ……」
蜘蛛の糸に縛られた女と御笠以外、ここには誰もいない。
「……お助け……下さいまし……どうか……」
女たちは、消え入りそうな声で、しきりに呟いている。
御笠に命乞いしているのではない。体を寄せ合い、顔を伏せ、神仏に祈っているのだ。
「助けなどは来ぬぞ」
女たちが、びくりと体を震わせる。しかし、汚らわしい化け物の姿は決して見ない。
御笠は構わずに続ける。
「奴らは、あれで土蜘蛛は退治したと思っているのだ。貴様らをさらった鬼が、まさか土蜘蛛の仲間だとは思うまい」
確かに都を襲う計画は、一度、頼光たちのせいで失敗したが、あれは土蜘蛛のほんの一部にすぎない。
土蜘蛛は昔、人間の幼子をさらい、仲間にしてきた。
生活が困難なために捨てられる、疫病で両親を亡くす、生活のために辛い仕事を一日中やらされる――そういう子どもは多い。
それも、これも、朝廷のせいだ。何年経っても、奴らは、自分のことしか考えていないのだ。
朝廷に苦しめられた子どもらが、鬼を装って都の女をさらう。それは、何とも愉快な話ではないか。
「しばらく利用させてもらうぞ、酒呑童子――」
御笠は高らかに笑う。
いつまでも、いつまでも――
いつも隣にいた、七本足の仲間がいないのにも気づかずに。
ここまで読んでくださったかた、ありがとうございます。ちょっとばたばたしていて遅くなりました・・・。
平安時代、死刑になることはないといっても、牢獄内の環境が劣悪すぎて命を落とすことは多かったらしいです。免罪で捕まって、まともな裁判が行われることもなく亡くなった人もいたでしょうね・・。
次回は金時が貞光と出会って、頼光の家来になったときの話の予定です。




