鬼と人
頼光邸。
袴垂たちが会議をしているころ、渡辺綱は、部屋に籠って謹慎していた。斬り落とした鬼の腕を、近所の凄腕陰陽師に見せると、案の定、物忌しろと言われたのだ。
部屋の隅には、木箱に入った鬼――茨木童子の腕が置かれている。
鬼の腕と共に部屋に籠って、今日で六日目だった。
「暇だー」
綱は、板張りの床にごろりと寝転がる。物忌中は、お経を読むよう言われていたが、遠くの昔に飽きていた。
ご近所さんに告げられた物忌の期間は、七日。綱は、自分でもよくここまで耐えたと思う。
丁度、茨木童子と出会った次の日から、姫君が鬼にさらわれる事件が多発し始めた。日が暮れ始めると、頼光たちは慌ただしく見回りに出ていく。
「また俺は、こんなときに限って……」
誰もいない部屋で、綱は長いため息とともに呟いた。
今日も、ついさっき頼光たちは出ていった。
貞光も季武も、一応金時もいるのだから、心配することはないと思うのだが――じっと帰りを待つのが、こんなに辛いと思わなかった。
――坂東にいたころみたいだな……。
坂東――綱の故郷である。綱の頭に、姫様と呼ばれて琴を弾いている自分の姿が浮かぶ。
綱の母は、娘がそうすることを望んでいた。
――怒っていらっしゃるだろうな。
ぼんやり亡き母のことを考える。思い出すのは、憂い顔ばかりだった。
そうしていると、綱は、突然激しい眠気に襲われた。自然な眠気ではない。無理矢理意識を奪われるように、視界が霞む。
綱はなんとか体を起こそうとしたが、気がつけば、夢の中だった。
坂東の広々とした平野に、綱は母と二人でいた。草原はどこまでも続いているのに、他に人の姿はない。
「母上……?」
「綱」
すっかり元気な様子の母が、綱に笑いかける。
綱は、合わせる顔がなくて下を向いた。自分は今、男物の狩衣姿で、太刀まで帯いているのだ。
しかし、母は優しい微笑みを浮かべたまま、綱の頬に触れた。
「いいのよ、綱が幸せなら……」
綱は信じられない気持ちで、顔を上げる。
これは本当だろうか。
本当に、母が夢の中に会いにきてくれたのか――
「綱」
母は尚、優しく続ける。
「鬼の腕を斬り落としたのですって?」
「はい、先日……」
「それ、私も見たいわ」
「え?」
途端に、綱は強烈な違和感を覚えた。表情こそ優しいが、母の目は、綱を見ていない。
微笑む母の黒い瞳が、ゆらゆら揺れる。光の加減によってか、そこに青い光がともった気がした。
――青……?
綱がそれに気づくと共に、母の顔はぼやけ、潮が引いていくように夢から覚めていく感覚がした。
ぼやける世界で、髪まで青く染まった母が口を開く。
「だから――」
「綱、ここを開けて」
戸を叩く音がする。
「母上!?」
夢か現か、その区別もつかないままに綱は戸を開けた。
「茨木童子――!」
「腕を返してほしいのだ。あんなもの、持っていても仕方がないと――」
青鬼は、無邪気な笑顔を浮かべている。
綱は太刀を抜いた。
「貴様っ、よりによって母上に……!」
「は、母上!? 待って、何のことだ!?」
「しらばっくれるな! あんな夢を見せておいて!」
あの夢は、茨木が見せたものだったのだ。綱は、一瞬でも信じた自分を痛いほど恥じた。母が、侍になった自分を許すはずがないのに。
茨木は薙刀で綱の攻撃を防ぎながら、素早く部屋を見渡した。その目が、腕の入った木箱に留まる。
「綱っ、とりあえず腕は返してもらう……!」
「待て、茨木!」
茨木は木箱だけ手にすると、風のように向かいの屋根に上り、駆けていった。
「くそッ……!」
綱は太刀を地面に叩きつけようとしたが、頼光から預かった鬼切だと思い出して、ぐっと堪えた。
代わりに、その柄を強く握りしめる。
茨木童子の姿は、闇に紛れて、もうどこにも見えなかった。
茨木童子は、屋根から屋根へ飛び移り、頼光邸を離れた。綱がここまで追いかけてくるとは思わないが、何かに急かされているような気分だった。
――私はまた、知らないうちに何かしてしまったのだ……。
人を食べるにしても、腕を取り返すにしても、茨木の体は、自分の都合がいいように働いてしまうらしい。
たぶん、斬られた腕も、だ。
茨木は、大きな檜皮葺の屋根の上で足を止め、薙刀を下ろすと、綱から奪った木箱を開けた。全く変わっていない自分の右腕が転がっている。
切口どうしを合わせると、腕は難なくくっついた。
茨木は、戻ってきたばかりの手のひらを閉じたり開いたりして、色んな角度から眺めてみた。初めは冷たく、硬直したような動きにくさがあったが、しだいに何の違和感もなくなった。
――自分のこととはいえ、ちょっとキモいな。
ふと腕から視線を外した茨木は、屋根の端に人影があるのに気がついた。
人影は屋根の端にへばりついて、屋敷の中を窺おうとしている。
「鬼同丸……?」
身を隠すように黒い布を羽織っているが、隙間から見える赤い髪に見覚えがあった。綱に腕を斬られたとき羅城門で出会った、赤毛の子鬼だ。
向こうは、こちらに気づいていない。
茨木はイタズラを思いついて、ぷっと笑った。
――驚かしちゃおう!
そぉっと近づいて、大きく息を吸う。
「――こらっ! 覗きはダメだぞっ!」
「ッ!? わああああぁっ!」
ビクっと振り返った鬼同丸は、体勢を崩し、足を滑らせた。
「鬼同丸!?」
茨木は慌ててその体を掴もうとしたが、届かない。鬼同丸は真っ逆さまに落ちていく。
「き、鬼同丸ーっ!」
茨木は、身を乗り出して下を覗きこんだ。まさか、そんなに驚くとは思わなかったのだ。これでは逆に驚かされた気分だ。
「いってぇ……」
鬼同丸は、背中を押さえて上体を起こした。今のは茨木だろうかと、考える間もなく、それどころではないことに気づく。
ここは、池田の中納言邸の庭だ。
「鬼だ! 鬼が出たぞ!」
――やべ……!
屋敷の警護をしていた侍たちが、鬼同丸を見つけて次々と駆けてくる。
そして、このタイミングで、青鬼はひょいと下りてきた。
「鬼同丸、悪かった。別に、落とすつもりはなかったのだ」
「ばかっ! 逃げろ!」
「へ?」
きょとんとする茨木の真横を、矢が掠めた。
「鬼は二匹いるぞ! 姫様をお守りしろ!」
「え、えええ? 一体どういう状況?」
茨木が動揺している間にも、矢はどんどん飛んでくる。侍が、太刀を振り上げて向かってくる。
次の瞬間、わっと築垣を越えて庭に下り立った集団があった。
「親の仇の取り方を教えてやるよっ!」
鬼の面を被ったその集団は、侍たちを襲い、建物の中へ侵入していく。
そのうちの一人、お馴染みのセリフと共に入ってきた少年が、鬼の面を押し上げて、ちらりと鬼同丸を見た。馬鹿にするように舌を出して、笑っている。
「あいつ……!」
袴垂だ。すっかり盗賊らしい着物に着替えた彼は、ばーか、と口を動かすと、すぐに鬼の面を被り直し、向かってくる侍と相対した。
鬼同丸は、ぐっと堪えるしかない。腹は立つが、馬鹿にされても仕方がないのだ。一番力のある鬼同丸が先に出ていって、姫を担ぎ、袴垂たちが警備の攻撃を防ぐ作戦だった。
だが作戦が失敗した今、鬼同丸がすることは、茨木に、自分が姫攫いの仲間だと気づかれるのを防ぐことだ。
茨木は大江山の鬼。土蜘蛛は、姫攫いの罪を彼女らに被せようとしている。
「今のうちに逃げるぞ!」
鬼同丸は、ぽかんとしている茨木の手を引いて駆けだした。
藤原保昌は、騒ぎを聞きつけて、池田の中納言の屋敷に向かうところだった。
郎党を率い、保昌は黙って馬をとばす。騒然とする屋敷が見えてきたとき、反対方向に走っていく二つの影とすれ違った。
赤い影と、青い影。
それが目に入った瞬間、保昌は、手綱を引き絞っていた。十年前の記憶が、雷に撃たれたように鮮やかに蘇った。
――まさか。
「保昌様、いかがなさいました?」
「お前ら、先に行っていろ」
「は?」
郎党を無視して、保昌は馬の方向を変えた。真っ直ぐ、反対方向に馬を走らせる。
保昌の心臓は激しく脈打っていた。
あれは、忘れもしない赤毛の子鬼だ――
ここまで読んでくださったかた、ありがとうございます!
茨木童子が綱から腕を取り返す話は、本当にあります。本当は綱の伯母に化けて取り返すんですが、そのへんは(都合のいいように)アレンジしました。




