鬼同丸と保輔
村人に殺されかけ、土蜘蛛の仲間となった鬼同丸。
番外編のつもりで書いたので、読み飛ばしても続きは分かるようになっています。でも・・・読んでもらえると嬉しいです。
土蜘蛛の住処は、大江山の洞穴だ。大将の陸耳御笠が住み、集会所にもなる大きな洞穴を中心に、無数の穴があいている。
その穴のひとつひとつに、数匹の土蜘蛛、もしくは土蜘蛛の仲間の人間が数人。土蜘蛛と人間が同じ穴に住むことはない。
鬼の子は、たった一人だった。先日仲間に加わったばかりの赤毛の子鬼には、少し離れた洞穴があてがわれた。人間たちは、突然仲間になった子鬼を警戒しているし、土蜘蛛は復讐以外に興味を示さない。
ただ、夕暮れになると、赤毛の子鬼――鬼同丸のもとを一人の少年が訪れる。大将の命令で、動けない鬼同丸のために食事を運んでくるのだ。
鬼同丸の体には、包帯がわりに蜘蛛の糸が巻かれている。人間に殺されそうになってできた傷だ。鬼同丸は鬼であるために、矢を射られ、鎌で斬り裂かれた。
串に刺して葉っぱで包んだ焼き魚と、木の椀に入った雑炊。昨日とはまた別の少年が、それらを持って、恐る恐る鬼のいる洞穴に足を踏み入れる。
今日の少年は、まだ五、六歳といったところだった。昨日は、もう少し上だ。土蜘蛛の中にいる人間は、幼いものばかりらしい。
「これ、御笠様の命令で……」
少年が差し出した飯を、鬼同丸は礼を言って受け取る。それでも少年は立ち去らず、どこかびくびくしながら、物珍しそうに鬼同丸を見ている。洞穴の外では、やはり同じような目で数名の少年がこちらをうかがっていた。
これは、鬼同丸がここに来た日からだ。
しばらくすると去っていくのは分かっているが、いいかげん嫌になって、鬼同丸は目の前の少年に声をかけた。
「なぁ」
少年がびくりと身を震わせる。
「土蜘蛛は怖くないのに、俺は怖いのか?」
どちらかというと、自分のほうが怖くない自信が鬼同丸にはあった。土蜘蛛は蜘蛛の体に化け猫の顔だが、鬼同丸は赤目、赤髪、角以外は普通の人間だ。
少年は後ずさって、鬼同丸から視線をはずす。
「土蜘蛛は僕らの仲間だもん。僕の母さんと父さんを殺した、国のおえらいさんに一緒に仕返ししてくれるんだ」
まさか国のおえらいさんが、この少年の両親に直接手をかけたわけではあるまい。厳しい税の取り立てのために飢えたか、病に侵されたか、そんなところだろう。鬼同丸がそう推測していると、少年が意を決したように鬼同丸に目を向けた。
「御笠様と一緒に、近江に行っていた仲間がね、君が人を食べるところを見たって」
少年は言い捨て、走っていく。穴の外で様子をうかがっていた連中もそれを追って、離れていく。
「赤い目、近くで見たらどうだった? 角は本物?」
そんな声が、風に乗って聞こえてきた。
その夜、鬼同丸のところに大将の御笠がそっと見舞いに来た。御笠は他の土蜘蛛より大きく、深い土の色をしている。
「傷は良くなっているか?」。
「はい、少しずつ……」
鬼同丸は、痛みを堪えて体を起こした。
御笠は化け猫のような目を光らせて、鬼同丸を見下ろした。
「ひと月後には、完治しそうか?」
「ひと月後?」
「ああ。もし治っていたら、他の仲間と共に京へ参ってほしいのだ」
御笠は説明した。
京には藤原保昌という貴族がいる。権力争いに敗れた藤原南家の者で、その祖父は怨霊、兄と父は、今の権力者を恨んで、賊と化した。
「保昌もそのうち、兄と父の無念をはらすため北家に仇をなすだろう。保昌は、兄らの失敗を見ているだけに、我らの仲間になるのではと私は考えている」
貴族。近江の小さな村で育った鬼同丸には、縁遠い存在だった。見たことはないが、煌びやかで、優雅で、暴力や血とは無縁の世界に生きている存在というイメージがあった。
――それが、賊?
鬼同丸の疑問が伝わったのか、御笠がひそやかに笑う。
「保昌は貴族と言うても、武士みたいなものだ。平和ボケした衛府の官人などよりは、はるかに強い。兄や父もそうだったが……あれを、生まれながらの才能というのだろうな。そうだ、その才能が、保昌の弟にも受け継がれているかもしれんのだ」
藤原保昌には保輔という幼い弟がいる。御笠は、それだけでも仲間にしたいと言った。
「保昌が、弟、郎党を率いて仲間になればそれでよし。そうでなければ、保輔だけでもさらって帰る。それが、今度京へ行く目的だ。まぁ、お前は初めてだから、気楽にしていれば良い」
御笠はそれこそ気楽そうに笑うと、八本の足で器用に方向転換して出ていった。
鬼同丸は再び体を横たえる。土の天井を見上げながら、御笠の話を咀嚼する。
――藤原、保輔……。
兄の保昌が土蜘蛛の提案をのむかわからないが、どちらにせよ弟の保輔は、土蜘蛛の仲間にされるのだ。朝廷に恨みをもっている連中が集まっているここで、貴族の保輔は嫌がられるだろう。
何も分からないような年齢で、ちゃんと居るべき場所があるのに。
――俺は、もうここしかないけどな。
村を追われた子鬼は、ここでもやはり一人。彼自身、無理に人間と仲良くなろうという気はもうない。
鬼同丸は藤原保輔という少年を憐れに思って、眠りについた。
*
ひと月後の夜は、月が綺麗だった。ほとんど満月で、優しい光が澄んだ空気を濡らしている。
鬼同丸は、保昌邸の庭にいた。築垣の傍に生えている木に登り、木の葉に身を隠して、一人の青年の様子をうかがっていた。
その青年、藤原保昌は、寝衣のままで寝殿の簀子縁に座し、幼い弟を抱いている。兄弟は何やら言葉を交わしていたが、しばらくして保輔は眠ってしまったようだ。
すやすやと眠る弟を、保昌が大切そうに抱きしめる。さらさらと揺れる前髪が、保昌の顔に影を作り、どこか暗い印象を受けるが、保昌の弟を見る目は優しかった。
――幸せそうだな。
鬼同丸の心に暗い雲がかかった。だがそれは薄く、本人も気づかないものだった。
保昌が保輔を抱えたまま、立ち上がった。東対のほうへ足を向ける。
鬼同丸は木の葉の間から目を覗かせ、緊張のために息を呑んだ。屋敷の屋根では、一匹の土蜘蛛が這い、二人に近づいている。
「藤原保昌……。我ら土蜘蛛の仲間にならんか……?」
そこからは、あっと言う間だった。保昌は素早く腰に手をやり、太刀が無いことに気づくと、母屋に駆け込もうとした。その体が、土蜘蛛の糸によって地面に叩きつけられる。
そのとき、鬼同丸のいる木の根本まで飛んできたのは、保輔だった。保輔は、幹に頭を打ちつけ、そのままぐったりと動かなかった。
さらうには絶好のチャンスだ。土蜘蛛の仲間として、鬼同丸はそうするべきなのだろう。だが、彼は保輔から目を逸らす。
近くで見た保輔の体は、鬼同丸の想像よりずっと小さかった。
――嫌いだ、暴力も、血も。
数多の土蜘蛛が地中から飛び出した。あちこちで悲鳴が起こり、屋敷が騒然とする。
「保輔!」
その中で、まっすぐ鬼同丸のいる木に向かってくる人がいた。土蜘蛛を少しも恐れず、猛然と太刀を奮い、真っ赤な血を全身に浴びている。
鬼同丸は、信じられない気持ちでその人を見た。
保昌だ。弟を守ろうとしているのだ。
保輔は、今まさに土蜘蛛に殺されようとしているわけではない。他に郎党もいる。なのに、どうしてそんなに必死なのか。これほどまでに必死な人間を、鬼同丸は初めて見た。
――俺は死にそうだった。一人だった。兄さんに、助けてほしかった。
彼の心の雲が、黒く厚くなっていく。彼の過去をくぐって、まっ黒に染まった雲だ。それは本人の意思とは関係なく、もくもくと広がっていく。
――助けさせてたまるかよ。
保昌が、保輔の前に立はだかる土蜘蛛の背中に太刀を突き刺した。
「……鬼……同丸……っ!」
土蜘蛛の呻き声が聞こえるほんの少し前に、鬼同丸は飛び出していた。気を失ったままの保輔を抱え上げ、再び木に登る。
今度は木の葉に隠れたりはしない。枝の上に立って、根本を見て呆然としている保昌を見ていた。
おかしくて仕方がなかった。鬼同丸は声をあげて笑った。
「いい兄さんだな、羨ましいや」
「保輔っ!」
保昌が顔を上げる。大きく見開かれた目には、悪党そのものの鬼の姿が映っている。
「こいつも大きくなりゃ、あんたみたいに強くなるかもな」
鬼同丸は目を細め、保輔の頬を撫でる。飢えたことも、凍えたこともない、綺麗な肌に鬼の手を這わせる。
「返せ、貴様っ、弟を返せ!」
「その前に、俺が食らっちまわなけりゃの話だが」
鬼同丸は感情に任せて高らかに笑うと、ひらりと跳んだ。築垣を越え、夜の都を駆けた。
心臓が激しく脈打っていた。いくら吸っても、肺に酸素は満たされず、むなしいばかりに苦しかった。
腕の中の保輔は何も知らない。
*
翌日、大江山に帰ってきた鬼同丸の心に、もう黒い雲はかかっていなかった。それがすっかり姿を消したかわりに、込み上げてきたのは後悔だ。時間を追うごとに、心臓をえぐられたような痛みがうずいた。
鬼同丸は保輔を自分の洞穴に寝かせる。幼い彼の頭には、大きなこぶができていた。鬼同丸は、道の途中で濡らした手拭いを保輔の頭に巻いていたが、保輔はまだ目を覚まさない。
鬼同丸は彼をおいて、洞穴を出た。御笠に報告するためである。
「そうか、保輔をさらったのか」
鬼同丸が一部始終を話すと、御笠は感慨深げに息をついた。
「まだ袴着も行っていない幼子だからな、今から土蜘蛛の仲間として育てれば役に立つだろう」
お前が育てろ。御笠が放った一言に、平伏していた鬼同丸は顔を上げた。
「俺が、ですか?」
「他の人間は、貴族の子をよく思わんだろう。それにお前は、あの洞穴に一人だったな」
鬼同丸は反論の言葉も見つからず、ただ困惑した表情で御笠を仰ぐ。だが御笠は、話は打ち切るというように、蜘蛛の巨体を動かして背を向けた。
「いいな、鬼同丸。保輔に自分が貴族だったということを忘れさせるのだ。名前をかえ、別人として育てよ」
鬼同丸は呆然と自分の洞穴に帰る。ふらふらと洞穴に足を踏み入れると、小さな影がこちらを向いた。
「にーちゃん?」
保輔が莚の上に上体を起こし、顔だけ鬼同丸のほうを向けている。
「……だれ?」
鬼同丸の姿を認めると、保輔は身を僅かにひいて瞬いた。その声は舌足らずで、瞳は清水のように澄んでいる。
鬼同丸は足が震えるのを感じた。心臓をえぐられたような痛みが、はっきり形をとって目に見えてしまった。
鬼同丸はこぶしを握ってたえる。息を殺して、なるべく足音を立てないように中に入った。鬼同丸が足を進めるたび、保輔の表情に恐怖の色が現れる。
保輔の口から悲鳴が洩れそうになったとき、鬼同丸はしゃがんで、保輔の頭に手を乗せた。
「安心しろ。帰してやる」
ひどくかすれた、空虚な声だった。
鬼同丸の言葉に安心したのかどうかは不明だが、保輔は悲鳴を上げなかった。口をつぐんで、じっと鬼同丸の目を覗きこむ。
「め、あかいろ?」
鬼同丸は目を逸らす。張りつめていた糸がほぐれ、彼はその場に足を崩して座っていた。
「俺は、鬼だから」
「おにって?」
鬼同丸はぎくりとした。自分が昔、兄の外道丸にしたのと同じ質問だ。
「……そういう名前の生き物だ」
「かみも、あかいろ? おにだから?」
保輔の目が徐々に好奇心で満ちていく。保昌の弟だけあって、臆病ではないらしい。
反対に鬼同丸は委縮していく。
「あたまにはえてるの、なあに? とれる?」
「……とれねぇよ」
ふうん、と言ったが、保輔はまだ鬼同丸から目を離さない。それどころか、視線を逸らし続ける鬼同丸の顔を覗きこもうと、少しずつ身を乗り出してくる。
「で、だれ?」
「いや、だから鬼だって。俺は鬼で……でも、悪くはない」
言ってしまってから、鬼同丸は身を絞られるような気がした。悪くない、わけがない。鬼だけど心までは、と思い続けていたのに、もう罪を犯した。
思えば、人も殺した。武器を振り上げて向かってくる村人を、二人も食い殺していた。
「帰してやるから。帰してやるからな」
鬼同丸は少しでも楽になりたいがために、保輔に背を向けて、固く目を閉じた。
読んでくださったかた、ありがとうございます! エピローグの鬼同丸目線・・。
次回はこの続きで、それで鬼同丸の過去編は終わりです。




