鬼同丸と外道丸
鬼同丸の過去です。
今は昔、近江国の小さな集落。
赤毛の子鬼は、粗末な竪穴住居の中、臨月を遠に超えて生まれ落ちた。
「まぁ……!」
母親である美しい女は、近所のお婆さんが取り上げた我が子を見て、目を見開いた。
普通より、一回りも二回りも大きい赤ん坊。赤い髪からは、小さな二本の角が顔をのぞかせている。
稚児はよちよちと母親の傍へ寄り、無邪気に笑った。
その瞳の、赤色であること。
「――」
難産で疲れきった母親は、声にならない声をあげてこときれた。
数刻後、子鬼の兄にあたる青年は帰宅し、生まれたばかりの弟を見て絶句する。
*
鬼同丸と名付けられた赤毛の子鬼は、三年で、五、六歳の子どものように成長した。その赤い髪と目に角がなければ、性格に鬼らしいところは見られず、普通の子どもと変わらない。
だが、彼は『鬼』であるため、外には出ず、いつも家で兄の帰りを待っていた。
鬼同丸の兄は、外道丸という。母親が死に、父親も滅多に帰ってこない鬼同丸にとって、十七も歳の離れた兄は、親も同然だった。外道丸は、市へ出て働いている。
それは、特に、外道丸の帰りが遅かった日のことだ。
待ちくたびれた鬼同丸は、迷ったあげく、そっと入口にかかる簾をあげた。家は、草葺きの竪穴住居である。
鬼同丸は、外へ出ようとして、やはり身を引っ込めた。お前は皆と違う。だから、勝手に外へ出るな。いつも兄から、そう言われているのだ。
鬼同丸は空を見上げた。
――でも、だいぶ暗くなってるもんな……。それに、ずきんも被ってるし。
鬼同丸は今まで、真夜中以外は、ろくに外に出たことがなかった。外の空気に触れていると、どうしようもない好奇心が鬼同丸の背を押した。
少しだけ、少し兄を探しにいくだけ――そう自分に言い聞かせ、鬼同丸は明るさを残した大地を、一歩一歩進んでいく。この辺りに民家は少ない。幸いそのときは、人影もなかった。
川まで来ると、鬼同丸は、河原に生える背の高い蘆の中を歩いた。蘆は幼い鬼同丸の姿をすっぽりと隠してしまう。
蘆を掻き分けて進みながら、鬼同丸の鼓動は高鳴っていた。兄以外の人間を間近で見たことはなかったが、案外、赤い目の者もいるのではないだろうか。髪や角も、兄はお前だけだと言うけれど――。
「貴様ら、しつこいぞ」
唐突に兄の声が聞こえてきて、鬼同丸はびくっと足を止めた。恐る恐る背伸びをして、蘆の中から少しだけ顔を出す。
石が転がる川のすぐ傍で、兄の外道丸は数人の青年に囲まれていた。十人くらいだろうか。それだけの人数に囲まれていても、背の高い外道丸はよく目立つ。いや、身長のせいだけではない。鬼同丸は、他人というものを初めて近くで見て、兄の容姿がどれだけ優れているかを知った。
外道丸は、ぼさっとした長めの髪を適当に一つにまとめ、いつものように横に流している。服装も馴れた直垂を無造作に着ているだけだ。それなのに、その中の誰より綺麗だった。
一人の青年が、一歩前に出た。手には、木の棒を持っている。
「外道丸っ、お前だけは許せん!」
「貴様が彼女にフラれたのは、俺のせいか?」
外道丸は億劫そうに、市へ売りに行っていた品物の包みを地面に置いた。両手が空いた状態で、青年をじろりと睨む。
「そ、そうだ!」
青年が木の棒を振り上げて、外道丸に襲いかかる。
「早く帰らせろ」
外道丸は攻撃をかわして、相手の男を蹴り倒した。それを皮切りに、他の青年が束になって外道丸に殴りかかる。
「お前がそっけないって、俺の妹が落ち込んでんだよ!」
「彼女返せ!」
「姉ちゃん返せ!」
「母ちゃん返せ!」
喚きながら向かってくる連中を、外道丸は容赦なく殴りつけた。整った綺麗な顔を不機嫌そうに歪め、倒れた相手をさらに蹴り飛ばす。
――うわっ。
鬼同丸は思わず目を逸らした。暴力は嫌いだ。怪我も血も、見たくない。
そのとき、どさっと音がして鬼同丸の隣に青年が倒れてきた。蘆が青年の下敷きとなり、赤い瞳を持つ子どもの姿が露わになる。
「鬼同丸……!?」
外道丸はぎょっとして、弟を振り向いた。
「わああぁっ!」
鬼同丸が兄に答える前に、隣で悲鳴が上がった。先ほど倒れてきた青年が、鬼同丸を指さして震えている。
鬼同丸はきょとんとした。この人は何を怖がっているのだろう。
外道丸は、弟を指さして震える青年の頭に拳を落とした。続けて、気を失った青年を物でもどかすかのように蹴り飛ばす。外道丸の目は鬼同丸に向いたままだ。
「お前、何でここに――」
外道丸が言いかけたとき、その後方から再び弱々しい悲鳴が聞こえてきた。
――しまった……!
外道丸が振り返ったときには、遅かった。倒れていた青年たちが恐ろしそうに鬼同丸を見て、足を引きずったり、腕を押さえたりしながら散っていく。
「にいさん……?」
戸惑った幼い声がして、外道丸の袖がそっと引っ張られた。
ああ、こいつは何も分かってない――そう悟った途端、外道丸は、かっとなってその手を振り払っていた。
「何で出てきた! あれだけ勝手に外へ出るなと言ったのに!」
尻餅をついて目を丸くする弟に、外道丸は余計苛立った。言葉が止まらない。
「さっきのでよく分かっただろう!? お前は受け入れられないんだ!」
その言葉は、川のせせらぎの中でよく響いた。
言ってしまってから外道丸は、はっと後悔した。さっきの言葉は、本当は自分自身が聞きたくなかったと気づいたのだ。
鬼同丸は納得のいかない顔をして、ふいっと踵を返した。
「こら、勝手に行くな」
外道丸は弟をひょいと抱き上げた。鬼同丸は逃れようと、足をばたつかせる。
「は、はなせよっ! にいさんの言ってることは、よくわかんないんだよ!」
「お前はどこまでアホなんだ」
「それに、ぼうりょくはダメなんだぞ! 人のこと、あんなになぐって!」
「暴れるな。落とすぞ」
外道丸が脅しにちょっと腕の力を弱めると、鬼同丸は慌ててしがみついてきた。
鬼なのは、見た目だけだ。外道丸はそのことをよく知っている、
――いっそ、心まで鬼だったら……。
「……あの人たち、けがしてたし……」
「いいかげん黙れ」
外道丸は、弟の顔を自分の肩に押しつけた。頭巾の上から、その頭をぽんぽんと叩く。
「家に着くまで顔を上げるなよ」
もちろん、赤い目を見られないようにするためである。
外道丸は、ケンカの際に下ろした品物の包みを拾い上げた。弟と包みとをバランスよく抱えながら、家路を辿る。
――あいつら、鬼が出たと言いふらすかもな。
外道丸は、鬼同丸に悟られないようにため息をついた。頭巾のおかげで角が隠れていたことが、せめてもの救いだが、明日からどのような噂が流れるだろう。
鬼同丸は、拗ねたように黙っている。
――外道丸と鬼同丸、か。
そんなろくでもない名前は、父親がつけた。
彼らの父親は弥三郎という。もう中年だが、その顔立ちは凛々しく、体つきはたくましい。外道丸は、父の凛々しさと母の繊細な美しさを、ちょうど合わせたようだった。
弥三郎は、鍛冶屋をしている。どこで、というのは外道丸も知らない。たまにふらりと帰ってきては、太刀や包丁、農具を置いていく。
外道丸は昔から、それを村の市で売って生活しているのだが、父に良い印象はなかった。珍しく帰ってきたかと思えば、彼は必ずといっていいほど泥酔している。
母が死んだ翌日、ふらりと帰宅した弥三郎は、やはり酔っぱらっていた。
外道丸がその死を告げても、ああそうか、と頷き、父の関心はすぐに、鬼の嬰児へと移った。
弥三郎は赤毛の子鬼を抱き上げて、嬉しそうに笑ったのだ。
『これをあいつが生んだか!』
乱暴に抱えられ、鬼同丸は驚いて泣きだした。それでも弥三郎は、下卑た笑みを浮かべたままだった。
『名前は鬼同丸だ! 鬼の子、鬼同丸だ!』
弥三郎は笑いながら、おぼつかない足で家を歩きまわった。それから、糸が切れたように倒れたかと思うと、すでに眠っていた。放りだされた赤子は、泣き続けている。
家を満たすのは、泣き声と、いびきと、酒の匂いだけ。その中で、外道丸は心底ぞっとした。
外道。それは、仏教以外を信じる者を指す。仏教以外――それは、天狗や鬼神信仰のことではないか。
昔から抱いていた不安が、満足そうに眠る父を前に確かなものとなった。
――間違いない。
今、外道丸は、鬼の弟を抱きかかえながら再度確信する。
俺にも、鬼の血が流れている。
*
翌朝、外道丸は、鬼同丸の頭に頭巾を被せ、しっかりと結んでやった。
「いいか、絶対人前で取るなよ。それから、その目は病気で赤くなったんだ。その病気のせいで、今まで外に出なかった。そういうことにしておくからな」
「うそつくの?」
「仕方ないだろ」
外道丸はそう言って、弟の頭をぽんと叩く。
今日、外道丸は、鬼同丸を市に連れていくことにした。昨日の青年たちが変な噂を流す前に、都合のいいように弟を紹介してしまおうと考えたのだ。
市に行けると聞いて、鬼同丸は嬉しそうだった。
「そんなにキョロキョロするな」
外道丸が道すがら嗜めても、弟は物珍しそうに辺りを見渡している。
――まぁ……仕方あるまい。
こんな子どもを、ずっと家に閉じ込めようという方が無理だったのだ。
市に近づくにつれ、人の姿が見えるようになってきた。鍬を持って畑に向かうおじさん、水を運ぶ少女、元気に走っていく少年――鬼同丸が、それらを見るのは初めてだった。
兄の外道丸は道行く人々には目もくれず、すたすた歩いていく。
「あっ、外道丸!」
途中で、若い女が嬉しそうに駆け寄ってきた。粗末な麻の着物を着、日に焼けた明るそうな娘である。
外道丸は、ああ、と返事とも言えないような声を漏らしただけで、足は止めなかった。
娘は気にした様子なく、また何か言おうとする。そのとき、鬼同丸と目があった。
赤い瞳を見た娘が、目を見開いて息を呑む。
「俺の弟だ」
固まっている娘に外道丸はちらりと視線を送る。だが、すぐに前を向いて、娘の方を向いている鬼同丸の腕を乱暴に引っ張った。
「目の色は病気のせいだから、気にするな」
「え? そ、そうなの?」
娘の戸惑ったような声が聞こえたが、すでに鬼同丸は、兄に手を引かれて娘から遠ざかっていた。
市に着くと、鬼同丸は、その景色に目を瞬かせた。
干した魚を吊るした店、竹細工を並べた莚、桶を被いた女、売る人、買う人――。
そんな弟を無視して、外道丸はさっさと地面に莚を敷いた。隣では、いつもの人の良さそうなお爺さんが甕や壺を売っている。
「おや、外道丸。その子は?」
「弟ですよ。病気だったんで、今まで連れてこなかったんです」
父が作った太刀や包丁を並べながら、外道丸は淡々と答える。目の色も病気のためだと告げると、お爺さんは、まじまじと鬼同丸の目をのぞき込んだ。
外道丸に頭を押されて鬼同丸がお辞儀すると、お爺さんは目を細めて笑った。
「そうか、そうか。そんな病があるとは知らなかったなぁ。じゃあ、あの噂も、その病のせいかもしれんなぁ」
「あの噂?」
外道丸が怪訝な顔をする。お爺さんは、穏やかな笑みを浮かべたまま懐かしむように話しだした。
「昔、丹波国に行ったときの話だがね、そこにある大江山には、鬼が住んでいるという噂を聞いたんだよ。鬼の目や髪は、人と違う色をしているという話だったが、その病にかかったものと見間違えたのかもしれん」
そこまで言って一息ついたとき、お爺さんのところへ客がきた。お爺さんが、愛想よく商売を始める。
――大江山には、鬼が住んでいる……?
外道丸が先ほどの話を思い返していると、鬼同丸がそっとその背をつついた。
「にいさん、おにって?」
鬼同丸は純粋に疑問を抱いているようで、外道丸は答えに詰まった。少し間をおいて、わざとそっけなく視線を逸らす。
「そういう名前の生き物だ」
鬼同丸はよく分からない顔をして、ふうんと頷いただけだった。
読んでくださったかた、ありがとうございました。
次回も鬼同丸の過去、続きです。




