鬼同丸
羅城門。
綱が茨木童子の腕を斬り落とした直後、赤毛の子鬼、鬼同丸は梁の上から、すとんと飛び下りた。
「一体、何だったんだ……?」
床には、二つの穴があいている。一つは青鬼、もう一つは渡辺綱が、足を踏み出した拍子にあけていった穴だ。
今日、鬼同丸は、土蜘蛛の大将御笠の命令で、女をさらいに京に来ていた。先に派遣された仲間が、もう始めているようだが、鬼同丸がその仕事をするのは明日からである。
例によって袴垂は、こんなところで寝るのは嫌だと出ていき、鬼同丸はここで寝ようとしていたのだが――
唐突に、青い鬼と、それを追いかけて小柄な少年が入ってきたのだ。少年の方は、どうやら頼光四天王の渡辺綱だったらしい。
その後、突然豹変した青鬼に続いて、綱が外へ飛び下りたかと思うと、聞こえてきたのは、青鬼の悲鳴。
鬼同丸は、用心深く連子窓に近づいた。見えたのは、渡辺綱が赤く染まった雪の上から、腕を拾い上げるところだった。
――あの青鬼の、だよな?
当の鬼の姿はない。逃げたのか――鬼同丸がそう思ったとき、後ろでどさりと音がした。
「痛ぁ……あぁッ」
「お、お前」
鬼の目は、暗闇でもよく見える。鬼同丸は、その姿を確認して僅かに身を引いた。そこで呻いているのは、先ほどの青鬼だった。
「腕、腕を取りに行かなきゃ……」
息も絶え絶えに、青鬼は連子窓に寄ろうとする。
「や、やめとけよ」
鬼同丸が、思わずその肩をつかむと、青い瞳がこちらを向いた。
「……あんたは誰だ? いや、それより……腕を……拾いに……」
「腕なら、渡辺綱が持って行ったぞ?」
「…………え…………」
力が抜けたように、青鬼がガクッと両膝をついた。
「わざわざ……ここまで戻ってきたのに……。何なのだ? 趣味なのか? 鬼の腕、コレクションしてるのか?」
「つか、お前っ、まず手当てだろ! 待ってろ、今止血してやるから」
「止血?」
鬼同丸が自分の水干の袖を裂くのを、青鬼は不思議そうな顔で見ている。
「ほら、早く腕出せ」
「血なら、もう止まってる」
「は?」
水干の袖を片手にきょとんとする鬼同丸の眼前に、青鬼が、肘から先のない右腕を出した。綺麗に切断されたそこからは、もう一滴の血も流れてはいない。
「そろそろ、痛みもなくなってきたのだ」
「……お前さ、腕、拾ったらどうするつもりだったんだ?」
「くっつける! 当たり前じゃない」
「……くっつくのか?」
「くっつかないのか?」
「……」
そういえば、試したことはない。いやしかし、普通の怪我だって、こんなにすぐには治らないだろう。鬼同丸が悩んでいると、青鬼が、少女らしい笑い声を上げた。
「なんてね、私は鬼の中でも、特別鬼らしい鬼なのだ」
「そうなのか?」
鬼同丸は、青鬼が渡辺綱と喋っていたところを思い出す。
――鬼らしくない……と思ったんだけどな。
鬼同丸の心中を見透かしたように、青鬼が寂しげに微笑んだ。
「私は、どうしようもなく鬼だ。血を見れば、我を忘れて求めてしまう」
「人間なんて、おいしくないだろ……?」
「そう思うか? 私には、極上の味なんだけどなぁ」
青鬼はなくなった腕を眺め、ぽつんと零した。
「綱とも、せっかく仲良くなれそうだったのに、もう駄目だな」
「……お前が人間を襲わなくたって、人間は鬼と仲良くなんかしない」
青鬼は、腕を見たまま黙っている。ややあって青鬼は、鬼同丸の赤い目に視線を移した。
「あんた、名前は?」
「鬼同丸……」
「私は茨木童子。大江山から来たのだ」
――え?
鬼同丸の心臓が、どきりと跳ねた。大江山――土蜘蛛の拠点である山だ。もちろん、土蜘蛛の仲間である鬼同丸と袴垂も、普段はそこにいる。が、そこには鬼の里もあるのだ。鬼と土蜘蛛の仲は、あまり良くない。
鬼同丸の動揺には気づかず、茨木童子は続ける。
「鬼同丸は京の鬼だよね? なら、ふた月ほど前の、土蜘蛛騒ぎは知ってると思うけど、最近また土蜘蛛が妙なことを――鬼同丸?」
青い瞳に訝しげに覗きこまれて、鬼同丸の硬直が解けた。
「な、何だよ?」
「あんた、もしかして――」
自分の素性が茨木の口から飛び出しそうで、鬼同丸の心臓は早鐘を打った。茨木が眉根を寄せて、じいっと鬼同丸を見つめる。
「眠いの?」
「え? ああ、うん、超眠い」
鬼同丸は、これ幸いとばかりに頷いた。
「なーんだ、それならそうと、早く言ってくれればいいのに。私も疲れた。腕を取り返すのはまたにして、寝る!」
そう言うと茨木は、その場にごろんと寝転がった。腕を斬り落とされたばかりとは思えないほどの、能天気ぶりである。
「こ、ここで寝るのか?」
「駄目なのか? 死体なら気にならないぞ?」
「いや、駄目じゃねぇけど……」
「なら、いいじゃん」
――俺もここで寝ようと思ってたんだけど……。
茨木は既に目をつぶって、寝る体勢に入っている。青い髪がかかるその顔は、少女らしく、なかなか可愛らしい。
――いやいやいや、同じところで寝るのはまずいだろ。
真面目な赤鬼は、真剣に考えた結果、兄弟同然の盗賊のところへ行くことにした。
*
羅城門近く、あばら屋。
袴垂は綿の着物に包まって、うとうとしていた。人に見つかるリスクは羅城門より高いが、あんな死体だらけのとこより、このあばら屋のほうがずっといい。袴垂はそう思い、鬼同丸と別れてここに来たのだ。
明日、袴垂たちは、土蜘蛛の計画で都の女をさらうことになっている。そのために、今夜はゆっくり休もうと思っていたのだが――侵入者の気配に、眠気がとんでしまった。
袴垂は体を起こし、目をこする。
「……何で来たんだよー……」
「なんだ、起きてたのか」
そっとこのあばら屋に入ってきたのは、羅城門にいるはずの赤毛の子鬼。彼は、袴垂が起きていると分かると、ずかずかと奥まで入ってきた。
袴垂は不機嫌ながらも、一応鬼同丸に質問する。
「何かあったのか?」
「いや、あの……鬼が来たんだ」
「はぁ?」
――鬼のくせに、鬼が怖かったのか?
袴垂が失礼な推測をしているとも知らず、鬼同丸は続ける。
「しかも、大江山の。土蜘蛛の動き、探ってるみたいだった」
「大江山? それって……」
袴垂が身を乗り出すと、鬼同丸は頷いた。
――マジかよ……。
大江山には鬼の里がある。土蜘蛛が山の麓付近に住んでいるのに対して、鬼の仲間は山の上部を拠点としている。方角も全然違うため、会うことはないが、土蜘蛛と鬼は微妙な関係にあるのだ。
昔、土蜘蛛の大将御笠は、鬼に、朝廷を打倒す協力を求めたが、断られたらしい。それから、お互い干渉せず暮らしてきたのだが、御笠は鬼の力を利用することを諦めていなかった。
「鬼同丸、今回の作戦……鬼のカッコして都の女をさらうっての、要するに、鬼のせいにしようってことだよな?」
「ああ、人間と鬼がケンカしてくれればいいなって話だ」
そう言うと、鬼同丸はさっさと寝転んだ。袴垂は、その顔をじっと覗きこむ。
「……鬼同丸、お前、けっこうどうでもいいと思ってるだろ?」
「眠いだけだ……」
「俺は、朝廷に復讐とかどーでもいいんだけどね」
朝廷に恨みのない袴垂が、土蜘蛛の協力をしているのは、単に楽しいからだ。袴垂が軽い調子で言うと、案の定、鬼同丸は飛び起きた。
「お前、それ、他の仲間には絶対言うなよ!」
「分かってるって」
袴垂以外にも、土蜘蛛の仲間に人間はいる。幼いころに土蜘蛛にさらわれて来たらしいが、皆、朝廷に恨みを抱いているようなのだ。
『俺の母ちゃんも、父ちゃんも、国に殺されたようなもんだ』『奴らは、呑気に宴なんかやっているのに……っ!』
彼らはそう言う。だが、袴垂にそういう感情は分からない。自分も幼いころに、連れ去られて来たらしいが、よく覚えていなかった。
ただ漠然と残っているのは、自分をさらった赤毛の子鬼の傍にいようと思った記憶だけだ。
袴垂は、寝ようとする鬼同丸の身体を揺する。
「でも、鬼同丸もどーでもいいと思ってるだろ?」
「だから、あんまりそういうこと言うなって」
「誰も聞いてねぇよ」
そんなことは、鬼同丸も分かっているはずだ。鬼同丸が答えないのには、別の理由があるのだろう。
――ホント、自分のこと話さないよな。
鬼同丸は、結局、袴垂の質問には答えずに、再び横になってしまった。
「……都の女さらうとかも、ホントは嫌なくせに……」
袴垂は呟いてみるが、鬼同丸は振り向かない。
なんだか、もやもやしたものが晴れなくて、袴垂は鬼同丸の背中をつついた。
「なぁ鬼同丸ー、もしかしてお前まで、鬼のスパイなわけじゃないよな?」
「……んなわけ、ないだろ……」
半分眠ったままの返事。鬼同丸に動揺した様子は全くない。
袴垂が、お前まで、と言ったのには理由がある。
土蜘蛛の復讐が本格的になりだしたころ、突然、土蜘蛛の仲間にしてほしいとやって来た鬼がいた。白髪の女の鬼で、金童子という名だった。彼女はふた月ほど前、鬼の里からのスパイの容疑がかかり、源頼光の異母弟、源頼親討伐に利用されたということは聞いたが、そこからの消息は知らない。
――まさか、昔からいる鬼同丸がスパイだとは思わないけどさ。
だが、鬼の鬼同丸が、初めから土蜘蛛の中にいたわけではないだろう。
袴垂は、十年前、自分をさらった赤毛の子鬼を見やる。
――人のことさらってきておいて、自分は何も話さないとか……。
隣ですっかり爆睡している鬼同丸を見ていると、袴垂の心にふつふつと怒りが込み上げてきて――
「お前は一体、どこの鬼さんなんだ!」
「てめぇ、いきなり蹴っ飛ばすとはいい度胸じゃねぇか」
「だ、だってむかついたんだもん!」
「ええい、ごめんなさいと言え!」
「痛い痛い痛い! ごめんなさいごめんなさいごめ――」
暗闇で、夜目のきく鬼に敵うはずがない。袴垂は、鬼同丸に関節を決められて悲鳴を上げた。
「ったく、俺が何したってんだよ」
不機嫌に吐き捨てながらも、鬼同丸は袴垂を解放してやった。
「いってぇ……やっぱお前鬼だわ……」
「先に手ぇ出したの、お前だろうが」
「手じゃない! 足だ!」
鬼同丸は、すかさず袴垂の頭を叩いた。
「……お前が何も言わねぇから」
袴垂が頭をさすりながら、口を尖らせる。
「何もって……何がだよ?」
とぼけてみるが、鬼同丸は袴垂の言わんとすることの予測はついていた。案の定、袴垂はそのことを口にする。
「だからー、どこの鬼さんか、とかさー」
「どこのって……」
「まさか、初めから土蜘蛛の中にいたわけじゃねぇだろ?」
袴垂が、じっと鬼同丸の目を覗きこむ。
鬼同丸は追い詰められた気がして、息を呑んだ。不思議なことに、あれだけ人を殺していても、袴垂の目は幼いころと変わらず、純粋な色をしている。
その目に映るのは赤毛の子鬼。鬼同丸は顔を背けて、そっと口を開いた。
「……人間」
「え?」
「人間だったよ、俺の母さんも、父さんも、兄さんも。鬼だったのは俺だけだ」
袴垂が闇の中で瞬きする。
ふいにその姿が、三歳のころのものと重なった。
『おれ、だれかがさびしそうにしてるの、いやなの』
何も知らない保輔は、自分をさらった赤毛の子鬼にそう言った。
――三歳児に分かるほど寂しそうかよ、俺は。
今頃になって、そんなことを思って、鬼同丸は悔しくなった。
「それにさ」
内の感情を悟られないように、鬼同丸はふざけた調子で笑う。
「俺の兄貴、超イケメンなんだぜ?」
「それお前の兄貴じゃないんじゃ――いってぇ!」
予想通りの答えに、鬼同丸は構えていたデコピンを食らわせた。
「ほら、どーせ俺の話したって、そういうことしか言わねぇだろ? だから、もういいんだよ」
さっさと寝ろ、と言い捨てると、鬼同丸は、袴垂に背中を向けて寝転がった。
「……お前の話全部聞こうと思ったら、体がもたねぇよ……」
ぼやきながらも、袴垂は諦めたらしい。体を横たえる気配がする。
――人間……だった、俺の兄貴は。
穴のあいた天井を見上げながら、鬼同丸は、人間の兄の顔を思い浮かべた。
一般庶民のくせに、どこの貴族の公達かと思うほどの整った顔。いや、都に来て分かったが、兄は、着飾った貴族なんかより断然美しかった。
そんな人並みならざる顔を、どうして見間違えようか。
土蜘蛛が、鬼に朝廷打倒の協力を求めたときだ。酒呑童子と名乗る鬼の大将が、そのことについて話し合いにやってきた。
それまで、鬼の里に大将がいるという話は聞いたことがなかった。一体、どんな鬼だろう。酒呑童子は洞穴の前で、土蜘蛛の大将、陸耳御笠を待っていると聞き、鬼同丸は、こっそりその鬼を見に行った。
洞穴の中からちらりと見えたその鬼、酒呑童子は、美しい赤色の髪をしていた。鬼同丸と同じ色だ。それに、ぼさっとしている長めの髪を乱雑に一つに纏め、横に流すというその髪型に、鬼同丸は見覚えがあった。
まさかという気持ちで鬼同丸は、決して見つからないように、若干身を乗り出した。よくよく目を凝らした。
一度だって見たら忘れられないその顔を、ましてその弟が見間違えるはずがない。鬼の大将酒呑童子は、人間だったはずの、鬼同丸の兄だった。
――思い出したくもなかったのに……。
天井の穴から漏れる月明かりから顔を背けるように、鬼同丸は寝返りをうった。茨木に酒呑童子の弟だと気づかれなかったことに、改めて安堵する。そもそも、全然似ていないのだから、そんな心配をする必要はなかったのだ。
兄は、鬼同丸が土蜘蛛の中にいることを知らない。鬼同丸は、知らせる気もないし、会いにいくつもりもなかった。
――鬼の弟を嫌って、見捨てた兄貴なんか。
酒呑童子――外道丸だ。外道丸と鬼同丸なんて、ろくでもない名前の兄弟だった。
隣から、袴垂の寝息が聞こえてくる。もう寝たのかと様子をうかがうと、こんなあばら屋や、ぼろぼろの着物に、何の不満も抱いていないような穏やかな寝顔をしていた。盗賊になっても袴垂には、やはりどこか気品が感じられる。
鬼同丸は、袴垂の、兄の保昌に似た癖のある髪を撫でてみた。袴垂は少し身じろぎするが、起きる気配はない。
十年前、鬼同丸に、藤原保輔をさらう気などなかった。心が変わったのは、弟を守ろうと必死で土蜘蛛と戦う兄がいたからだ。
鬼同丸は、それを信じられない気持ちで見ていた。それから、兄に見捨てられた自分がどうしようもなく惨めに感じられた。
悔しくて悲しくて羨ましくて、赤毛の子鬼は、ただただ藤原保輔という少年に嫉妬した。
金童子は酒呑童子四天王の一人です(酒呑童子四天王については色々な説があります)。
読んでくださったかた、ありがとうございます。次回は鬼同丸の過去のお話です・・。




