プロローグ「長雨にて」
震える。
ここはどこかしら。
季節はずれの長雨が鈍い光を放つあの街を覆う頃、車は泥濘んだ道を市街地の外れの方へ走り続けていた。夜遅く、道脇の崖の下では雨を飲み込むように荒れ狂う波が、誰か落ちてこないものかなあ、と待ち構えていて、そんな車の通りの少ない道を車は敢えて選んでいた。街は出た・・・あとは人目につかないように、つかないように・・・・・・ただそれだけだった。
錆びた匂い。雨の音。湿った空気。そして寒気。がたんと揺れて、頭を軽く打った。お世辞にも乗り心地が良いとは言えない。
乗り心地?
車の音と振動、そして内蔵がぐーっと引っ張られてるようなこの感じ。わたし・・・車に乗ってるんだわ。でも、どうして・・・
ひんやりとした空気をおそるおそる瞼で押しやると、うす暗い視界が広がった。となりに誰かいる。男の人だ、この人が車を運転している。
「どなた?」
「・・・・・・」
男は黙っていた。うっすらとした暗闇の中で男の鋭い眼だけが、やけに印象的だった。
「どうして車に・・・」
いつものように自分の部屋で寝たはずだ。たしかにそうだった。その証拠に自分は今、寝巻きを着ている。この格好のまま、寝たまま車に乗せられたのだ。考えがはっきりしていくにつれて不安がこみ上げてきた。どうしてこうなったのか・・・現状を把握しつつあった。
「誘拐・・・ですか」
男の視線が少し動いたように見えた。動揺したのだろうか。
「あの・・・おじさん?」
「21だ」
「えっ?」
隣の男ではない。うしろだ。後部座席に誰かいる。
まったく気がつかなかった。振り返ると後ろの席で人が横になっていた。若い男の声だ。
「そいつの歳は21だ。まあ、お前から見ればおじさんかもしれんけど」
「い、いつから・・・」
「おいおい!いつからって不思議なことを聞くんだね!最初からここにいたさ。走ってる車に俺が飛び乗ってきたとでも思ったのかい?まるで人がいなかったみたいに言うなよな」
と、ちょっと機嫌を損ねたような口調で彼はまくしたてた。隣で黙々と車を走らせてる男と違って、この若い男はよく喋る。
「まあいいさ。こうして会えたのも何かの縁・・・ってわけじゃないかもしれんが自己紹介といこう。 俺はラシェッド、そこのだんまりがギリアン。エルシー・フォン・ブラウン嬢、あなたを迎えにあがりました」