第二章 1 暴走
おびえた瞳が、神経を逆撫でする。
まるで、追い詰められた小動物だ。
狩られるだけの、ウサギかネズミだ。
無様な獲物!
そうだ、こいつらは獲物だ。
(オレの獲物だ!)
なんなんだ、この眼は……!
オレも、こんな眼をしていたのか。
あのとき……あの夜、ライオンを従えた少女のことを、こんな眼で見ていたのか。
オレも、こいつらと同じだというのか!
(ちがう!)
ちがう、ちがう、ちがう!!
オレは、獲物なんかじゃない!
(獲物は、こいつらだけだ!)
狩られるのは……!
「おまえらだけだ!!」
江島周防は、身にこもる苛立ちを抑えようともせずに、叫んだ。
手には鉄パイプ。すでに何度それを叩きつけただろう。意識の飛んでしまった少年たちが、血まみれになって足元に転がっている。
今夜の獲物は、五匹だった。
駅前のハンバーガーショップの前で、たむろしていた連中だ。
道端に座り込み、すさんだ眼で通行人を威嚇していた。話している内容は、女をやったの犯すだの、教師をしめるだの殺すだの、生きていても仕方のないクズどもだ。
まだ意識が残っているのは、あと一匹。
その一匹も、もう抵抗をあきらめ、哀れにも、おびえた瞳で許しを請おうとしている。
それでも、狩りは終わらなかった。
(くそっ!)
苛立ちをのせて、鉄パイプを振りつづけた。瀕死の身体に容赦なくたたき込んでいく。
叩いても叩いても、気持ちはおさまらない。
あの夜から、一週間ほどが経っていた。
妹に面影の似ていた……いや、そっくりだと思った少女との出会い――そして、街中にいるはずのない猛獣から無様に逃げだした、あの屈辱の夜から。
ライオンに睨まれ、身がすくんで動けなくなった。
きっと、震えていたはずだ。
こいつらと同じように……!
この獲物たちと同じように!!
(オレも、こんな眼をしてたのか!)
最後の一匹も、いつのまにか意識がなくなっていた。それに気づいても、攻撃の手はゆるめなかった。
妹の復讐など、頭から消えていた。
ただ、恐怖を振り払っていた。
ただ、悔しさを少年たちにぶつけていた。
「――これ以上は、死ぬよ」
ふいに、鉄パイプを握る腕を、だれかにつかまれていた。
ひんやりとした手の感触が、背筋を凍りつかせた。
「むごいことするねえ」
腕をつかんだ手の主が、言葉とは裏腹に、凄惨な現場を目撃したとは思えないほど楽しげに語った。
周防は、とっさに手を振りほどいて逃げようとした。
だが、その手はビクともしない。
たかが、女の腕だというのに――。
「あらあら、怖い顔」
「は、放せ!!」
「あんた、世間を騒がせてる、〈A狩り〉の犯人だろ?」
言い当てられたことへの焦りが鼓動を瞬間的にはやめたが、嘘で切り抜けようとも、黙秘しようとも考えなかった。
やりはじめたときから、腹はくくっている。
「……だったら、なんだ!」
「まるで野獣のようだねぇ、その眼。安心おしよ、警察に突き出す気はないからさ」
その女は、妖しく微笑んだ。
年齢は、周防よりも何歳か上――二〇代半ばほどの女性だ。周防のことを連続傷害事件の犯人と知っているにしては、妙に落ち着いている。
切れ長の眼が、冷たい印象をあたえていた。
女性的な色気はないが……いや、充分以上の美貌をもっているのだが、色気よりも研ぎ澄まされた鋭さが際立ってしまう女だった。
まるで身を刻む、厳冬の風――。
「あんた、女を知らないだろ?」
女は、悪戯っぽく言った。
「な、なんだと!?」
「欲求不満がたまってるからって、ここまですることはないだろ」
視線を、転がっている少年たちに向けた。
「黙れ……! おまえに、なにがわかる!!」
そのとき、遠くからサイレンの音が流れてきた。
女の手から、力が抜けた。
周防は、迷わず走りだしていた。
「お待ちよ」
女の呼びかけに、足を止めた。
「あんたの怒りをぶつける相手……こんなボウヤたちでいいのかい?」
「……なにが言いたい!?」
「なんなら、あんたの欲求不満、このあたしが解消してあげてもいいんだよ」
誘っているともとれる、そのセリフ――。
だが、女の眼は笑っていなかった。甘さや艶っぽさなど感じさせないクールな眼差し。クールというより、コールドといったほうが適切だろうか。とにかく、『淫』という印象をあたえない瞳だ。
周防はその視線に、氷結した冷たい穂先で刺し貫かれたような痛さをおぼえた。
こわい眼だった。
脅しとか畏怖とか、そういうたぐいの怖さではなく、もっと超常的な、自分ではどうすることもできない……だれに頼ったとしても克服できそうにない恐怖――。
(こ、この女……)
足が勝手に動いていた。
一刻もはやく離れなければ……!
この女から!!
走りながら周防は、あの少女の顔を脳裏に浮かべていた。猛獣に守られた少女――あの少女と同じような恐ろしさを、この女からも感じる。
(なんなんだ、クソッ!!)
周防は、ネオンきらめく街の中心へと消えていった。
「冗談がすぎますわ、レイ姉さま」
いままで二人のやり取りを身をひそめてうかがっていたのだろうか、周防の姿が完全に見えなくなってから、もう一人、女が現れていた。
雅びやかな着物姿の少女――。
歳のころ一六、七だろうか。その着物少女は呆れ顔で、〈A狩り〉の犯人を誘惑した女のことを見つめていた。
「なにしにここへ来たか、忘れてしまったんじゃないですか?」
「あら、だったら桜子が相手する? 経験がない者同士、案外うまくいくんじゃない?」
「まあ!」
着物少女は、頬をプウッと膨らませた。
「わたくしのはじめての人は、レイ姉さまと決めています!」
真剣なその表情に、女は「やれやれ」とため息をついた。
「《道》の言いつけは、これで果たしたね」
気を取り直したように、女は言った。
「ええ、ここで死ぬ運命だった彼らを助けたのですから」
「運命ってのが、ホントに決められてるものだとしたら……の話だけど」
「それにしても、殿方が五人もそろって情けないですわね。見かけ倒しもいいところ。これだから、男ってイヤですわ!」
まるでゴミを見るような眼つきで、着物少女は気絶している少年たちのことを眺めていた。嫌悪感が、眉間に皺をつくらせる。
自分と同年代の男の子たち……虚勢をはった出で立ちをしていなければ、まだあどけなさも残っているだろう。
「最近の高校生は、すさんでるねえ」
「あら、お姉さまも昔はずいぶんとならしてたんでしょうに。二枚刃片手にロングスカートなんかはいちゃって」
「そこまで古くかーないよ!」
キッとした睨みをきかせるが、着物少女は動じたふうもない。それどころか、うっとりとした瞳で、頬を赤らめる始末だ。
女は、再びため息をついて気を取り直すと、しみじみ言葉を吐いた。
「なんかちがうよ……なんか、心の奥底まで汚れてるよ、この子たち……」
着物少女とはちがい、哀れみを込めた眼を向けていた。
すると――。
数人が駆けつけてくる気配が迫ってきた。
その方向のさきには、毒々しい赤色灯の点滅。
「警察ですわ」
「あたしたちも行くよ」
「でもレイ姉さま、こんなお行儀の悪い方たちを救ったところで、本当に世の中のためになりますの?」
「そんな心配は、あたしらがすることじゃあない。それに……」
「え?」
「それに……助けたのは、この子たちじゃないよ」
「それでは、だれを助けたんですか?」
その素朴な質問の答えを着物少女が耳にする前に、二人の警官が到着していた。
「おい! 大丈夫か!?」
すぐに警官たちは、血まみれで倒れている五人の少年を発見した。
五人の安否を確認する過程で、二人の警官は、少年たちそれぞれのもとに、一輪の花がたむけられていることに気がついた。だれの仕業だろうか……あたりを見回す彼らだったが、それらしい人影はない。奥まった路地裏のために野次馬すらいない。
女性からの通報があったということだが、その人が花だけをおいて、どこかへ行ってしまったというのだろうか。
「……?」
首を傾げる警官の視界を、あるものが掠めた。
なぜだろう?
闇夜の中空に、可憐な花びらが数枚、舞っていた。
(また逃げだしたのか……)
薄暗い自分の部屋で、江島周防は虚空を見つめていた。
視界に映るのは天井の模様だけだったが、周防にそれは見えていない。見えるのは、あの得体の知れない女の顔だ。
あれから自宅に逃げ戻った周防は、すぐに自分の部屋に飛び込んだ。外界との接触を断とうとでもするようにカーテンを閉め切り、ドアには鍵をかけた。気休めにテレビをつけて、ベッドに寝ころがった。
それから、何時間経過しただろうか。
カーテンの隙間から、うっすらと朝の陽が明度を増してゆく。
通販番組や、リゾート地などの映像に音楽を流しただけの深夜放送から、ニュースや天気予報といった早朝の情報番組にテレビは移り変わっていた。
(無様に逃げたというのか……オレが!)
時間が経つにつれて、恐怖よりも怒りのほうが強くなっていく。
恐怖に勝る唯一の感情は、怒り――。
その怒りが、冷静さを取り戻すきっかけとなった。さらに時間が進むと、本来の緻密な思考が回復していた。
(……あいつ)
あの女に止められなければ、今日こそ少年たちを殺していただろう。
それでもよかった。
そのほうが、解放される――と思った。
なにからの解放なのか……。
妹の復讐?
いや、もっと根本的なもの……。
生きることからの解放……だろうか。
(……オレは、死にたいのか?)
そうかもしれない……と思った。
「バカバカしい!」
そこまで考えが行き着いたことで、周防の心にはゆとりが生まれた。いつもそうだ。自らの死を望む結論に達すると、追い詰められていたものが、急に軽くなる。
『――アフリカで行方不明に――』
テレビからの声も、耳に届くようになった。
音量はおさえてある。耳を澄まさなければ聞き取れないほどに小さい。しかし、ほかに音のない早朝だから、そちらに耳をかたむけさえすれば、容易に聞くことができる。
『――奇跡の生還を果たした――』
テレビなど、ここしばらくまともに観ていなかった。ニュースで、〈A狩り〉の捜査の状況を確かめておくこともしない。
今夜は――いや、すでに昨夜といったほうがいいだろうか――昨夜は、完全に顔を見られた。いままでも被害者の少年たちに見られていただろうが、襲われたショックや咄嗟の出来事のために、おそらく証言が曖昧なのだろう。自分に捜査がおよんでいる様子はなかった。
だが……あの女には、冷静に見られた。
「警察に突き出すつもりはない」と言っていたが、もし自分が捕まるとすれば、あの女の証言によるものだろう。
周防は、テレビの音量をあげた。
『――が通う、××区立星友中学校です』
どうやら、ニュースとワイドショーが合わさったような番組らしい。リポーターのしゃべり口調やカメラのアングルなどが、硬派なニュース番組のものではない。
『――ただ一人帰国していた彼女を目当てに報道陣がいっぱいいたのですが、ごらんのとおり一週間経った本日は、すでに日常の登校風景を取り戻しています――』
画面の右下には『ワイドショー、一週間まるごと総チェック!』というテロップが出ている。どうやら、正規の時間に放映されたワイドショーのVTRを、今週放送されたもののなかから厳選して、そのまま流用しているコーナーのようだ。
『どう? もう落ちついた?』
何事もない登校風景から、リポーターが一人の少女にインタビューしているVTRに切り替わっていた。その少女は、カメラを前にしても臆することなく平然としている。校門の前で立ち止まり、インタビューに応じようとしていた。
『はい、もう大丈夫です』
やたらと親しげに話しかけるリポーターにイヤな顔一つせず、その少女はさらりと答えた。
顔にモザイクはかかっていない。
少女の素顔がハッキリと映っていた。
それはつまり、これが彼女にとってマイナスにならない、『いいイメージ』の話題ということになる。
周防は、その少女の顔から、視線をそらすことができなくなっていた。
(……!)
あの妹に似た、猛獣を従えた少女だった。