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第一章  3 通夜

 暗闇に一人残された千鶴は、しばらくなにもできなかった。動くことも、考えることさえできず、ただ茫然と立ちすくんでいただけだった。

 獣の荒い息づかいで、われに返った。

 なにかはわからなかったが、闇に浮かぶ眼光は、あきらかに自分を狙っていた。ハイエナかジャッカルだろうか。夜行性の肉食獣だということは、まちがいない。気配を隠そうともせず一匹だけで狩りをしようというからには、獲物を捕らえる絶対の自信があるのだろう。

 恐怖はなかった。父親が死んだと同時になくしたままだ。

 獣の気配が、刺すように向かってきた。

 襲いかかってくる!

 千鶴は、咄嗟に右手を突き出した。

 意識して出したわけではない。本能がそうさせた。

 獣は、襲ってこなかった。息づかいも消えた。気配自体も、薄れていく。かすかな眼の光がなければ、どこにいるのか見当もつかなくなった。

 千鶴のことを手強い獲物と認めたのだ。

 もっといえば、千鶴の右手――を。

 右手に痛みはなかった。かろうじて原形はとどめていたものの、かなりの傷を負い、しかも多量の出血をしていたはずなのに……。

 やはり痛覚が麻痺しているのだろうか?

 いや、それにしては身体が軽い。一度は気絶してしまったまでの痛手を負ったとは思えない力が、自身にみなぎっているのを感じる。

 差し出した右手の中指が、カッと熱くなった。

 凝縮されたエネルギーが臨界点を超え、人体を守るためにやむをえず、熱を外に向かって放射しようとしているような――。

 無尽蔵の力が、指のなかにある!?

 幻?

 現実?

 幻……現実!?

 幻のような現実!

 中指が発光していた。

 熱をそのまま色にしたような赤。

 次の刹那、その情熱の赤が光によって溶かされたように、赤としては薄く、しかし光としてはまばゆい塊が、中指から飛び出した。

 それは、宙を踊ってから地上に降り立つと膨脹し、四足獣の形をとった。それに合わせて、光としての明度が薄れ、赤としての彩度が濃くなってゆく。

 鴇色、朱、緋、紅。

 そして、最初の赤に戻った。

 燃えているような真紅へ――。

 その真紅が物質化するまでに、瞬くほどの時間もなかった。完全なる固体となってから、赤色は消えた。

 残ったのは、黄金の毛並み。

 ライオン……!

 光は、本物のライオンに変じていた。

 千鶴の右手を喰い千切ろうとした、あのライオンだ。

 暗闇でも千鶴に存在をわからせるためか、それとも敵をその雄姿で畏怖させるためなのか、ライオンの姿は、まだわずかに残った光によって浮かび上がっていた。

 闇を裂くような獅子の咆哮が轟いた。

 その一声だけで、千鶴を狙っていた眼は、たちどころに遠ざかっていった。

 さきほど体験した惨事が、夢でもなんでもなかったことを、千鶴は実感した。やはり幻ではなく、現実だ。この右手の指に、五種の獣が入っている。ライオンだけでない。そのほかの動物も入っているはずだ。

 この獣たちは、おぬしの意に従い、身を守ってくれる――長老は、そう言っていた。嘘ではないだろう。もしそれが嘘だというのなら、父親が死んだことも夢か幻ということになる。父が死んだことはまぎれもなく事実だし、獣をあやつれることも嘘ではないのだ。

 ならば、それを利用しよう。

 生き抜くためには必要なものだ。

 死ぬことを恐れてるわけではない。

 しかし、死を待つつもりもない。

 いまのように猛獣が襲ってきたら、ライオンで対抗させる。群れで囲まれたら、ゾウにも加勢させればいいだろう。ガゼルは足が速い。背中にのせてもらって移動すれば危険も少なくてすむ。そしてリーちゃんは、かけがえのない友達。たしかリスは、癒しの精霊だということを父から聞いていたような気がする。もしかしたら右手の痛みが消えたのも、リーちゃんのおかげかもしれない。わからないことがあったら、物知りなヒョウの子供に訊けばいいだろう。なによりも、ただの獣たちでないことが頼もしかった。

 ――そうやって、千鶴はサバンナから戻ってきた。一万四七六三平方キロメートルのセレンゲティ国立公園を自力で抜けたのだ。

「家族か……」

 夕陽に染められながら、千鶴は自分の右手を見つめていた。

 放課後の校庭。運動場と体育館を結ぶ遊歩道――庭園のように手入れのされた樹木の下に設けられたベンチに座っている。葉の間からこぼれる夕陽のオレンジが、ほどよくまぶしい。

 傷は、あの夜のうちに完治していた。というよりも、最初から何事もなかったかのように、きれいなままだった。

《指は家族の象徴なの》――森野由美に言ったことを自分の眼で確かめでもするように、千鶴は自分の右手をじっと凝視している。

 親指は、お父さん。

 人差し指は、お母さん。

 中指は、お兄さん。

 薬指は、お姉さん。

 小指は、赤ちゃん。

 そういうふうに、指は家族として表現される。もう本当の家族はいない。だから、指が家族なのだ。

 力持ちのお父さん、しなやかなお母さん。勇敢なお兄さんに、やさしいお姉さんもいる。そして、愛らしい赤ちゃんたち――。

 家族が力を合わせたから、生き抜くことができた。

 一人でも、さびしくはなかった。

「そうだよね」

 千鶴は、自分に言い聞かせるようにつぶやいた。本当は、さびしいのかもしれない。いや、そんな感情はアフリカの大地に捨ててきたはずだ。もし自分のなかに、まだそういう感情が残されているのだとしても、それを抑え込める自信があった。たとえ、一五歳のもろい自信だとしても……。

 ふと、目線を改装されたばかりの校舎に移した。

 朝のゴタゴタでクラス全体が浮足立ってしまったが、久しぶりの学校は、それほど悪いところではなかった。

 ほかでは感じ取れない独特な教室の空気。

 あたたかい親友たちの声。

 どんなに通い慣れても消えることのない、心地よい緊張感。

 普通に生活をおくっていたころの、良いイメージの『学校』がそこにあった。

「ふう……」

 千鶴は、ため息をついた。

 再び来れたことにたいする安堵の吐息のようにも思えたし、今日ここまでを振り返ってみたことへの、疲労感をあらわした嘆息のようにも受け取れた。

 安堵が「3」で、疲労感が「7」ぐらいの割合だろうか。疲れた、というのが、正直な感想かもしれない。しかし、イヤな疲れではなかった。

 ずいぶん、図太くなったもんだ――。

 今日、いたるところで自分自身に抱いた感想だった。

 あれから――ホームルーム後におこなわれた始業式では、例の事件のためにいつもよりは興味をひいたが、それでも退屈な校長の長話のなか、はやばやと噂を聞きつけたのか、もしくは変わった髪形だからなのか、ほかのクラスの生徒たちからジロジロ見られたりもしたが、それほど気にはならなかった。

 式が終わり、生徒たちがみな帰ってからも千鶴だけは残されて、学校からの連絡で早急に駆けつけた外務省邦人保護課の担当者から校長・教頭を交えて、これまでの経緯を事細かく訊かれたていたのだが、あの惨事のことを話しているときも、心が乱れることはなかった。

 明日も、放課後にその担当者は話を聞きにくるという。ニュースで取り上げられたほどの事件なら、マスコミの取材もうるさくなるだろう。それだけではない。身寄りのない未成年の千鶴が、これから一人で生活していくというわけにはいかない。そういう面倒な話も、これからしていくことになるはずだ。しかし、そんなこれからのことを考えても、辛いとは思わなかった。

 もう弱くはない。精神的にもそうだし、肉体的――自分の身体というわけではないが、だれにも負けない圧倒的な力も手に入れた。

 だから、なにものからも逃げる必要がなくなった。

 もう立ち向かう自分しかいない。

(なにと?)

 そこで千鶴は、自問した。

 自分のことをイジメたクラスメイト?

 そんな小さな存在ではない。

 それに、自分を辱めようとした主犯格の二人は、昨夜、見知らぬ青年によって狩られてしまった。自分をイジメるように差し向けたすべての首謀者である森野由美も、さきほど《怖いめ》に遭わせておいた。

 もう、クラスメイトにたいしての恨みつらみはない。

 むしろいまは狩られた二人に同情するし、森野由美にも、かわいそうなことをしたと反省している。自分の力は、そんなことのために使うべきものではないはずだ。

 では、なにと戦う?

(あれは……なんだったの?)

 自分をイジメていた人間たちよりも、遙かに困難なもの。

 いまの力をもってしても、おそらく苦しい戦いになるだろう。なぜなら、これからの敵は、普通の人間では……『人間』ですらないのだから。

 千鶴は、アフリカでの人知を超えた体験を思いおこした。昼過ぎから、夕暮れ時となったついさきほどまで語っていた内容とはちがう――先生たちや外務省の担当者には、当然ながら超常的な部分をはぶいている。

 すべてを……あのとき遭遇した、すべてを鮮明に回想した。

 何十匹という猛獣の群れ。

 ユルグと呼ばれる邪獣。

 そして、スピンクスの来襲。

 あの化け物たちのことを長老は《神獣》と呼んでいた。神が人間を滅ぼしにやって来たというのは真実なのだろうか。

 神とは、仏やキリストのような神? それとも、あんな化け物たちが、神とでもいうのだろうか。それが、次々と人間に襲いかかってくるというのか?

 それに、《鼓動を受けし者》とは、なんなのだろう?

〈洗礼者〉とも呼ばれていたそれは、長老のように不思議な力がそなわった人間のことなのだろうか。千鶴にも、獣たちをあやつれる、という能力が、あのときから使えるようになった。それはつまり、自分も鼓動を受けたということなのだろうか……戦いに巻き込まれたということなのだろうか?

 そのほかにも、疑問は山ほど湧いてくる。とくに、スピンクスの宣告――『源地へ』という言葉……。源地とは、この日本のことだと、子ヒョウは教えてくれた。ここが大地の力をより多く噴出する地球のヘソであるらしい。本当にここで、《鉄の種族》である人間と神との戦いがおこなわれるというのか?

 自分も、その戦いに参加しなければいけないのだろうか!?

 わからないことだらけだった。

「ムクムク、出てきて」

 右の小指に、そう語りかけた。

 人がまわりにいないか、ちゃんと確認している。すぐに右手の小指から、光の塊が飛び出した。色はついていない。白……というより、光というものから素直に連想できる輝きだ。夕陽のオレンジを押し退けてしまうほどにまばゆい。それが、二つの小さな四足獣の形になると、次の瞬間には、二匹のネコ――いや、二匹の子ヒョウが現れていた。

 そのうちの一匹が、千鶴の膝の上に飛びのった。

〈どうしたガウウ?〉

「今日こそは、いろいろ教えて」

 人間の言葉をしゃべるヒョウの子供に、千鶴は真剣な眼差しで話しかけた。名前は『ムクムク』とつけた。リーちゃん同様、一般的なネーミングセンスからはあきらかにズレているが、本人――いや、本豹からなんのクレームも言ってこないところをみると、彼も気に入っているようだ。ちなみに、妹のほうは『ソワソワ』という名前だ。

 そのソワソワは、木の根元で爪を研いでいた。女の子だとわかるように、尻尾の付け根にピンク色のリボンをつけてある。

〈何度きかれても、同じガウ〉

「また、そんなこと言って。知りたいことが頭のなかに浮かんでくるんじゃなかったの? あのとき、そう言ってたじゃない」

〈わからないものは、わからないガウ〉

「だって、なんでもわかる叡智をわけてもらったんでしょ、長老さんから」

〈そうガウ。あの長老から、《然》の力の一部をわけてもらったガウウ。《然》はこの世のすべての知識ガウ〉

「だったらどうして?」

〈その理由もわからないガウ〉

 千鶴は、頬をプウッと膨らます。

「役立たず」

〈……わがはいの推測でいいんなら、答えてもいいガウ〉

 役立たず、という言葉にカチンッときたのか、膝の上で丸くなっていたムクムクは、起き上がって、そう続けた。

「推測でいいよ」

〈おそらく……わけてもらったのが『一部』だけだからだと思うガウウ〉

「なに、それ?」

〈たぶんわがはいにわかることは、ちづるにとって『知る必然性のあるもの』に限られてるガウ〉

「むずかしいこと言わないで」

〈つまり、それを知ることで、ちづるの身が守られる……困難を打ち破ることができる、という具合ガウウ〉

「じゃあ、わたしがいま教えてもらいたいと思っていることは、どうでもいいことなの?」

〈そうかもしれないガウ。もしくは……『いま知る必要はない』ことガウ〉

「……」

 しばし押し黙った千鶴だったが、あることを思い出して、声をあげた。

「あ! でも、わたしの好物言い当てじゃない。あれはどういうことなの? 重要なこととも思えないけど」

〈わがはいが知っておく必要があったガウ。ちづるのことを知らずに、アドバイスはできないガウウ〉

「ん〜……」

 わかったような、わからいないような。

「飛行場の方角とか、チケットの買い方とか……あと、出国手続きとかは? それと、日本に帰ってきてからも、電車の乗り換えとかも教えてもらった」

〈日本に帰ってこなければならなかったガウウ。そのためには、飛行機に乗らなければならないガウ。その考えでいけば、電車の乗り換えも、ちづるが家に戻らなければならなかった、ということになるガウ。でも、電車の乗り換えは、叡智でないと思うガウ。わがはい、掲示板を見て教えただけガウウ〉

 その最後のセリフに千鶴は、ギロッ、とムクムクを睨んだ。

「乗り換えは、だれにでもわかる、って言いたいの!?」

 その詰問から逃れるように、コホンッと、まるで人間のような咳払いをして、ムクムクは続けた。

〈以上のことから、それがわからなければ、ちづるの身が危険になる……もしくは、わからなければ、さきに進めない……そういう疑問にのみ、わがはいは答えられるようになるガウ〉

 千鶴は、う〜ん、と首を傾げて考え込む。

〈たとえば、いまちづるが、オムレツの作り方を知りたいとするガウ〉

「そんなの知ってるもん」

〈たとえガウ。しかし残念ながら、わがはいはオムレツの作り方をちづるに教えてあげられないガウウ。オムレツを作らなければ、ちづるが死んでしまうとか、作り方を知らなければ、ちづるが目的に向かって進めない、そういう場合にのみ、わがはいの叡智がはたらくガウ〉

「ピンとこない。オムレツの例えが悪いよ。それに、目的って?」

〈スピンクスの言っていた、《鉄の種族との戦い》――わがはいたちの側からすれば、《神族との戦い》のことだと思うガウウ〉

 それならなおさら、オムレツではピンとこない。

〈だから千鶴の疑問も時が来れば、わかるようになると思うガウ。いまは、あまり深く考え込む必要はないガウウ〉

「きゃあ、かわいいネコ!」

 突然の歓声で、千鶴はハッとなった。ムクムクの口を瞬時におさえる。

 親友の井上早苗が、爪研ぎしていたソワソワを抱いていた。その隣には、倉本洋子もいる。

 会話に夢中になってしまったあまり、二人が近づいてきたことにまったく気づかなかった。ムクムクにしても、野性的なものを叡智と交換してしまったために、気配を感じることはできないのだ。たのみのソワソワは、敵意をもっている者にしか反応しない。

「さ、早苗ちゃんに、洋子ちゃん」

「あ、もう一匹いる!」

 早苗は、千鶴の膝にのっているムクムクも見つけた。素早くベンチに近づいて、ソワソワ同様、ムクムクも抱き上げる。

「かわいい〜!」

 その様子で、話を聞かれていなかった――と、千鶴はホッと胸をなでおろした。

「……やっぱり、ここだったね」

 そう口を開いた洋子の表情は、戸惑いを隠せなかった。

 ここは、よく三人で待ち合わせにつかった場所だ。始業式が終わったあとも二人は帰らずに、教室で千鶴のことを待っていた。しかし教室に戻ってくる様子もなかったので、こうしてさがしにやって来たのだ。たぶん、ここにいるだろうと期待を胸に――。

 千鶴がここにいてくれて、たまらなく嬉しい。この、三人にとっての『いつもの場所』にいてくれたことが、すごく嬉しい。だがいまの千鶴に、どういう接し方をすればいいのだろう……。

 ムクムクたちを抱く、明るかった早苗の表情も、千鶴と眼を合わせると、とたんに固まった。早苗には、千鶴を追い詰めたという責任がある。

「あ、あの……千鶴……」

 すまなそうに頭を下げた。

「ごめん!」

 ムクムクたちを抱いているために深々とはいかなかったが、それでも早苗の謝りたいという気持ちはよく伝わった。

「いいよ、もう」

 千鶴は、微笑んでいた。その笑顔が、最初から早苗のことを恨んでなどいないと告げていた。

「頭をあげて。もう、イジメぐらいじゃ、めげてらんないんだ。アフリカでは、もっと辛いことだってあったし」

 その言葉に、一度は頭をあげてみるものの、

「あ、あの……おじさんが死んだって……」

「……うん」

 どういう表情をしていいのかわからず、今度は、ただうつむいてしまった。

「また……、顔をあげてよ。悲しみは通り越しちゃったんだから」

「強くなったね、千鶴」

 洋子が、眼に涙をためながら言った。

「そんなことないよ。いろんなことがあっただけ」

 しばらく、三人は黙っていた。

「ね、ねえ……このネコ……千鶴の?」

 悲しい話題から遠ざかろうとするように、早苗が沈黙を破った。

 首輪こそないが、一匹にはリボンもついているし、斑点模様の美しい毛並みを見るかぎり、野良ネコとも思えなかった。どこかの飼いネコが散歩しに入り込んだと考えられなくもないが、なんとなく千鶴のネコという予感がした。もし早苗が、その感じをもっと深く分析できたとしたら、その結果はこうだろう。

 このネコは、『千鶴の子供』のようだ。

「え、ええ、そ、そうなの!」

 千鶴は不覚にも、うろたえてしまった。

 早苗も洋子も、なぜだかうろたえるそのさまに、どうしてだろうと困惑したが、同時に安心もした。今日これまでの千鶴は、まるで千鶴でないように、大人びていたのだ。

「ア、アフリカでね、拾ったのよ!」

 焦りのあまり、訊かれてもいないことまで口走る。

「ふ〜ん、でも珍しい模様だね」

「ア、アフリカンショートヘアーっていうんだって」

 そうなんだぁ、と早苗は簡単に納得してくれたが、洋子のほうは、ん!? と首を傾げてしまった。

「そんな品種があるの?」

「タ、タンザニアでは大流行よ!」

 と、でまかせを言って、あくまでも切り抜けようとする。二人が真実を知るには、ショックが大きすぎるだろう。なんとしても、ごまかさなければ。

「サーバルキャットっていうペットがいるって、この間、テレビでやってたけど……こんな模様だった……」

「そ、そうよ! それよ!」

「でも、ちょっと形がちがうし……もっと耳が大きくて、顔も細かった……手足も長かったような……」

「あ〜、そんなに考えないで!」

 しかし、洋子は深く考え込んでしまった。

「なんか……ヒョウの子供みたいだね」

 その一言で、さらに千鶴の表情が追い込まれた。

 さらにさらに最悪なことに、リボンをつけたほう――ソワソワが、ガウウ、と元気よく吠えてしまったではないか!

「ガウウ!?」

「ニ、ニャン、でしょ、ソワソワちゃん!」

「こ、これ……ホントにヒョウの子供じゃないの!?」

「そんなバカなぁ」

 早苗のほうは大丈夫そうだが、洋子からは完全に疑われてしまった。

〈ニャ〜ン〉

「ほ、ほら、ネコでしょ!」

 ムクムクのフォローでなんとかごまかす。

 しかし、洋子はまだ納得いかないようだ。

「そ、そんなことよりも、今夜、お父さんのお通夜をやるの、二人もこない!?」

 強引に、話題をそらした。

「おじさんのお通夜?」

「うん。先生も呼んであるから」



「良蔵さん……!」

 織絵は、良蔵の笑顔を見ながら泣いていた。花束でうめられたテーブルの上で、写真立てのなかの良蔵が、あたたかくこちらを見守っている。

「さびしい、お通夜だね……」

 つぶやいたのは早苗だった。

 家に招かれたのは、三人だけだ。

 早苗と洋子、そして織絵だけ。

「これでいいのよ」

 千鶴は、静かに言った。

「でも、お葬式とかお通夜って……もっと人がいっぱいいて、にぎやかなのに……」

「にぎやかなの嫌いだから、お父さん」

 お墓は、トゥガル族の村につくってきた。すでに崩壊してしまったから、村のあった場所といったほうがいいだろうか。遺体が多すぎてだれのものだか判別できなかったから、なんとか見つけることのできた良蔵の眼鏡を埋葬してきた。

 眼鏡のほかに、良蔵のものは何一つ見つけられなかった。だからここには、良蔵の亡骸どころか、当時身につけていた遺品すらない。

「洋子ちゃん、早苗ちゃん」

 すでに千鶴は、居間から出ようとしていた。名を呼ばれた二人は一瞬なんのことかわからないようだったが、洋子のほうがすぐに理解した。

「いいから、早苗、あんたも来るの」

「え、どうして?」

 洋子に押されるように、早苗は部屋を出された。

 居間には、織絵だけが残った。

「二人だけにしてあげよ……」

「千鶴も知っていたのね」

 洋子の言葉に、千鶴は黙ってうなずいた。

「どうしたの、なんのこと?」

 一人だけ事情をのみ込めない早苗は、二人の顔を交互に見つめる。でも二人は、なにも早苗には告げなかった。

 洋子は、織絵と千鶴の父親がデートしている場面を目撃したことがあったのだ。生徒の保護者と先生が会っていた、というのではない。あきらかに恋人同士が……いや、まるで仲むつまじい夫婦がいっしょにいるかのようだった。

「千鶴は、知らないのかと思った」

「どうして?」

「だって、高橋先生のこと、あまり好きじゃないみたいだったし」

「知ってたからよ」

 悲しげに微笑んだ。

「わたし、先生にヤキモチやいてたんだ。お父さんをとられるんじゃないかって……」

 今夜、織絵は千鶴のことを心配して、ここに泊まることになっている。気のすむまで、このままにしておいてあげよう。

 部屋からは、心がはり裂けそうな泣き声が、いつまでも聞こえつづけていた。


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