第五章 3 死闘
邪魔する敵を切り裂きながら、千鶴たちを乗せたガゼルは疾走を続けた。
どれくらい突き進んでからだろうか、それが前触れもなく急停止してしまったので、千鶴も周防も、危うく落ちそうになった。
「ど、どうしたの!?」
行く手に、巨漢が立ちはだかっていた。
巨岩のごとき、頑丈そうな体躯をもった男だった。二人はそれが、『天の岩屋戸伝説』において岩屋をあけたとされる剛力の持ち主、天手力男神だということは、もちろんわからない。
「ここからは、一歩たりとも通さん!」
「チッ、なんだか硬そうなヤツだな!」
だからガゼルは止まったのだろう。舌打ちした周防の眼光に力がこもると、巨漢めがけて地割れがはしった。
「ん!?」
しかし敵は、ガゼルのスピードに匹敵するほどの速い動きで、あっさりとそれをかわしてしまう。もしかしたら、『硬さ』ではなく、『速さ』にガゼルは不利を悟ったのかもしれない。
「これならどうだ!?」
次に繰り出した攻撃は、『土の針』だった。
巨漢の周囲二メートルほどの地面から、まさしく針のような無数の鋭い隆起が生えだしたではないか。剛力の男神を取り囲むようにその『土の針』は、まるで意志をもっているかのように襲いかかっていく。
天手力男は、やはりその巨体からは想像することのできない身軽さで跳躍していた。『土の針』が届かないほど高く飛び上がると、一気に千鶴たちとの距離を詰めた。
着地したのは、ガゼルの目と鼻のさき。
「うけよ!」
相撲の四股を踏むがごとく、地面を踏みしめた。
『天驚の地響き』――!!
「きゃっ!」
強烈に地が揺れた。
人がさだめた『震度』という基準など当てはまらなかった。もし無理やり震度をつけるのだとしたら、〈10〉でもたりない。テン蔵の踏みしめによる振動など、くらべものにもならなかった。
しかも、ただ揺れるだけではない。その揺れが衝撃となって、二人と一頭に襲いかかっていた。千鶴も周防も、そしてガゼルも、耐えきれずに撥ね上げられた。
三つの身体が散り散りに宙を舞い、激しく大地にぶちあたる。
天手力男は、攻撃の手をゆるめようとはしない。ただし速度だけは、ゆるめたようだ。身体に似合った、ゆったりとした動作で、やっと立ち上がることのできた千鶴と周防に近づいていく。
「こいつ、強いぞ……」
死闘は、一か所だけにとどまらない。
千鶴たちから離れた場所でも、戦いは続けられていた。
「キリがないねえ、まったく」
氷柱を剣と化して敵を斬り倒していた桐生玲が、ため息まじりに愚痴をこぼした。
「神々は、八〇〇万いるらしいですわ」
薔薇の花をダーツのように投げつける久世桜子の一言で、さらに玲の憂鬱さは増していった。
そこに、突然の雷光!
「危ない!!」
玲は押し倒されるかたちで、その攻撃から逃れることができた。
抱きついてきたのは、《雨》の力を持つ鈴宮京介だ。
〈ゴオオオ!〉
おくれて雷鳴が轟いた。
「まあ、なんて破廉恥な! レイ姉さまから、はやく離れなさい」
「そんなこと言ってる場合か!」
鈴宮は、すぐに『レイ姉さま』を抱き起こすと、お姫さま抱っこをしたまま大地を蹴った。まるで王女を守るナイトのようにきまっている。
その直後、それまでいた場所に、再び雷撃がほとばしった。
「よくぞかわした!」
それは、均整のとれた見事な肉体の男だった。格闘家のような戦闘的に磨かれた筋肉質の身体。身長は一八〇センチほどあるだろうか。やはり神軍の象徴である、鹿の模様が胸にほどこされた黒い鎧を身につけている。
「俺の名は、建御雷之男」
そう名乗ったあとに、三撃目の雷光が鈴宮と玲めがけやって来た。二撃までは、ただの威嚇……いや、遊びだったのだろう。しかしこの攻撃には、本物の殺気がこめられていた。
逃げられる隙など見当たらなかった。
「風雨よ、守ってくれ!」
逃げられないのなら、遮断すればいい。
雷光の直撃と同時に、湿った空気が二人を包んだ。雷撃は、二人のまわりにできた膜を伝って、地面へと逃げていく。
「ほう、おもしろいことをしおるわ!」
「こうすれば、雷もただの電気さ」
鈴宮は、さわやかに言った。
たしかに、薄い膜のなかにいる二人を雷撃で傷つけることはできないようだ。原理はちがうようだが、ちょうどリーちゃんの『水の羽衣』と同じような効果がある。何度となく建御雷之男は雷撃を放つが、すべてが無意味に終わった。
「ならば、これはどうだ?」
悔しがる素振りなど微塵も見せずに、建御雷之男は拳を握った。
指と指の隙間から、まばゆい光がもれる。
わずか拳を開くと、人差し指と親指で囲われた小さな空間から、出口をみつけて勢いよくあふれだすように、光が飛び出した。
1メートルほどの光の線が、瞬く間に色を変えた。
炎で熱した鉄を流水で冷ましたように、本来の硬質な色を取り戻していく。打ちあがったばかりのように、さえざえとした刃が、見る者の背筋に訴えかける。
「フツミタマ剣!」
建御雷之男神は、その名のとおり《雷神》という側面だけでなく、《刀剣の神》という性質ももっている。『フツミタマ剣』とは、かつて神話において、この葦原中つ国(現世)を平定したおりに振るったとされる霊剣。
それがいま、真の主の腕にある。
「この刃を防ぐものはない」
水の膜に包まれた二人を両断しようと、建御雷之男は、天地を斬り結ぶように剣を振り下ろした。
「お姉さま!」
背後にまわっていた桜子が、花々を舞わせる。
「花たちよ、雅びやかに踊れ!」
色とりどりの花びらが、建御雷之男を取り囲んだ。千の花々が敵の動きを封じ、万の花びらが毒を吐いて息の根を止める。
『可憐な乱舞』――!
だが、冷たいはずの刃から、熱を帯びたかのように雷光が放たれていた。
「きゃ!」
「桜子っ」
稲妻は、花々を吹き散らし、桜子の肩を射抜いていた。
「おまえは、あとでじっくりかわいがってやる。純潔の乙女は汚されるものだからな!」
神とは信じられぬ邪悪な笑みを浮かべて、建御雷之男は喜々として告げた。不気味な笑みのまま、再び玲と京介めがけて霊剣を振り上げる。
「乙女にしか用はない」
カチッ!
刃を、氷の刃が受け止めていた。
「大人の色香に興味がないってのは、病気だねえ。それとも神様ってのは、みんなロリコンなのかい!?」
「つくづくおもしろい! 神であるこの俺を冒涜するとはな」
「神の名を汚してるのは、自分じゃないか」
わずか怒りをのせた形相で、建御雷之男は至近距離から雷撃を放った。
衝撃で二人は後方へ飛ばされるが、水の防御のために、致命傷にはいたらない。しかし、ある程度のダメージは避けられなかった。
「ぐぬう……」
だがそのうめき声は、京介でも玲のものでもなく、雷撃を放った本人――いや、本神のものだった。近過ぎたために、自身にも衝撃が返ってきたようだ。意識をハッキリさせるように、顔を左右に振っている。
神とて、絶対の存在ではないという証明だった。
ならば人間である鈴宮たち三人にも、まだ勝算はあるはずだ。
「殺す! 神の怒りを知れ!!」
建御雷之男は、吠えた。
そして、ようやく立ち上がった二人を、どす黒い憎悪の眼光で睨んでいた。
織絵たちを守りながらの、安全な場所への移動。途中、重い怪我人がいれば、リーちゃんの治癒力で回復させながら、壊滅エリアからの脱出をめざしていた。
そんな身分不相応な重責を担っていた玄崎太一の前にも、上級神の魔の手……いや、神の手はのびてきた。
「われ、風神、志那都比古! 下等な人間、清浄、な、風、一掃、する」
片言の台詞が、その風貌の異様さを、より気味の悪いものにしていた。
奇怪なほどの細長い体型。
2メートルは超えていよう。
そして、枯れ木のように細い。
この身体の持ち主だった男が、大学レガッタ界では《ビッグタワー》と呼ばれていた人気選手とは、乗っ取ったこの神自身、理解してはいまい。人間だったころの彼は、温厚で見かけ倒しの気弱な性格だったということだが、現在の邪悪が住み着いてしまったような形相から見て取るかぎり、かなりの残虐性を覚悟しておくべきだろう。
「死ぬ、が、いい」
自ら風神とつけるとおり、異様な男神が一息吹きつけただけで、凄まじい風圧が太一に襲いかかってきた。
風が風を押し、力を加えた風が、また風を押す。
その繰り返しが技となる!
『破邪の息吹』――!!
強力な暴風と化した風は、渦を巻き、太一の身体を遙か上方へ吹き飛ばす。
「う、うわ――ッ!」
〈なにやってるガウウ! 重力、重力!!〉
一緒に飛ばされていたムクムクが、なんとか太一の残り少ない髪の毛にしがみつき、必死に叫ぶ。
10メートル以上の高さから落下をはじめていた太一の身体は、地面スレスレでピタッと制止していた。
自然の法則を無視したこの現象こそが、太一にあたえられた力!
「生、意気! 浮揚、すると、は」
憎々しげに、風神は吐き出した。
「大丈夫、ストーカーさん!?」
いちはやく、安全な瓦礫の山の陰に隠れていた織絵や洋子たち、そして彼女たちに抱かれたソワソワとリーちゃんも、心配げに戦況を見守っている。
こんな大勢の女性たちから(三人と二匹だけだが)応援されたことなどない太一にとっては、張り切らずにはいられない。
「あなたたちは、絶対に守ってみせます!」
チラッと織絵たちのほうをかえりみると、太一は力強く言い放った。決意を誓うなど、生まれてはじめての快挙だ。
勝てるかどうかはわからないが、彼女たちだけでも助けなければ……。もし、彼女たちを救えないのだとしたら、なんのために力を得たのかわからない!
〈また風がきたら、いまみたいに重力をかけるガウ。飛ばされないガウウ〉
しかし、ムクムクの助言は役立ちそうになかった。なぜなら、次の志那都比古の攻撃は、相手を吹き飛ばすのではなく、切り裂こうとする攻撃だったからだ。
「これ、かわす、こと、む、り! かま、いたち、吹け! シャ、シャ、シャ――!!」
鋭く吐いた呼気が、そのまま空気の刃となって、太一に吹きかかった。
「動け!!」
太一は、ビルの残骸を移動させた。
まさしくサイコキネシスのように、巨大なコンクリートの塊を眼の前に動かしたのだ。丸井善學のようなインチキではない。正真正銘の、《奇跡の力》だ。
「あま、い!」
だが、コンクリートの塊ていどでは、空気の刃を阻む盾としては不充分だった。
まるで粘土を削るかのごとく、縦横無尽に刃がはしる。粉々に裂かれたコンクリートの雨が、太一に激しく降りそそいだ。
「うわっ!」
ムクムクは、なんとか太一の股の下に隠れて無傷だったが、ダイレクトに浴びてしまった太一は、たまったものではない。
額からは、鮮血。
気持ちが萎えるほどの量だ。
しかし、太一の瞳は死んでいなかった。
手で拭った血を、地面にはらった。
逃げない!
なんとしても……なんとしても、みんなを助けなければ――。
ここで彼女たちを救えないようなら……。
こんな命いらない!!