第四章 6 魔槍
白い部屋は、暗黒をからみつかせたような重苦しい空気に支配されていた。
中央に円卓だけが配置された虚無の部屋。
いるのは、三人……いや、三神――。
魔性の美を持つ、天空の覇王『ゼウス』。
猛々しい独眼の荒神『オーディン』。
翡翠の瞳を輝かせる、太陽と光の神『ルーフ』。
オリュンポス、アース、ダーナの三神族の長――ギリシア、ゲルマン、ケルト神話の登場神たちが、いまここに集っていた。
「なかなかやりますね」
部屋の沈黙を破ったのは、琥珀色の髪をなびかせる理知的な青年――ダーナ神族を代表するルーフだった。正確に言えば、彼だけが『長』ではない。ダーナの《母なる女神》ダヌは、この場に訪れてはいなかった。
「どういうことだ!?」
オーディンは、声を荒らげた。
怒りの矛先はルーフに向いていた。
もしその手に、魔法の投槍――グングニルが握られていたとしたら、それこそ、その矛先が、ここを血の海にしていることだろう。
「なんのことでしょう、オーディン?」
しかし、ルーフの緑の眼光も負けてはいなかった。
オーディンに『グングニル』があるように、ルーフにも『魔法の槍』がある。《手の長いルーフ》と呼ばれる由縁だ。まるで、その切っ先をオーディンの残った右眼に突きつけているかのようだった。
両の翡翠と、片方だけの好戦的な瞳のぶつかり合い――!
「とぼけるな! クー・ホリンとは、おまえの子とされる、ケルトの英雄の名ではないか」
クー・ホリン――半神半人の英雄。
つまり神と人とのハーフ。
その名を騙ったのはなぜだろう?
神の世界と人間の世界をつなぐ架け橋にでもなろうというのか?
なんにせよ、彼が本当の名を告げたのは、浄明の心にのみ。ここにいるだれも、その本当の名を知らないはずだった。
「それは人の世に伝えられる神話のなかの話にすぎないでしょう」
「黙れ! おまえの差し金だろう!!」
「待て、オーディン!」
いままさにつかみかかろうとしていた独眼の荒神を、ゼウスが肩に手をかけて、なんとか制することができた。
冷厳な無感情を誇る美貌も、わずかだが昂りをみせていた。肩を抑え込む力も、ゲルマンの主神にして、アース神族の長をとどめるには、そうとうな強さがいるのだろう。
「『不敗の剣』を持つ者といえば、あいつしかいない。ルーフ、キミの槍がダヌの右腕とするならば、あいつの剣は左腕。いや、まさしく《銀の腕》を持つ――」
「ヌアダか!?」
銀の腕……そういえば、カナヤマビメの宝刀を叩き折ったのも左腕……。
ヌアダとは、ルーフに並び称されるケルトの王。神話においてルーフは、そのヌアダから王位を譲り受けたという。
「放せ、ゼウスよ! この裏切り者を葬ってくれるわ!!」
「待つのだ!」
だがゼウスの制止も、怒れる王の前には限界があった。
ゼウスの手をほどいたオーディンは、右の拳に力を溜めた。その掌をわずか開くと、マグマが憎悪に沸騰してるような毒々しい赤い輝きが!
赤光は、長い棒状のものに形をつくった。
これは……グングニル!
オーディンの右腕に、一本の槍が握られていた。上方めがけて穂先がのびるその様は、まるで誇らしげに天空を突いているユニコーンの角のよう。
これこそが、絶対にかわせない一撃をあたえるという魔の投槍だ。
「答えろ! なぜ人間に加担する!?」
ルーフの喉元に、グングニルの切っ先を突きつけた。あと少し腕に力を込めれば、血を見ることになる。
ルーフは答えない。
翡翠の瞳を隠すかのように、瞼を閉じた。
「どうした、答えられんのか!?」
「やめたまえ、オーディン! たとえダーナ神族が人間の側に立ったとて、戦況が変わるわけでもない。たしかに、〈洗礼者〉たちの善戦により、日出づる国の神たちは少々手こずっているようだが、所詮はここまでの健闘だよ。わたしが使者としておくったスピンクスは倒れたが、キミの命令で動いている者がまだ残っているはずだ」
ゼウスの説得により、オーディンの力がわずか弱まった。
「うむ。あいつならば、ひとりで〈洗礼者〉すべてを殲滅することも可能だ。正義の審判をくだす司法神の裁きにかかればな――」
一つだけの眼光が、流血を求めるかのように力強くきらめいていた。
この世は、混沌に支配されていた。
大地が生まれたのは、いつのころだったろう。地底の闇『タルタロス』も、愛の神『エロス』も生まれた。
なにから?
すべては謎のまま――。
混沌。
大地。
タルタロス。
エロス。
以上が原初の存在。
大地は天空『ウラノス』を生み、そのウラノスと交わり、時の神『クロノス』を生んだ。
クロノスの子がゼウス。
天界の支配者の系譜が、ここにできあがった。
大地こそ、オリュンポスの母。
その功績、神に匹敵するものである。
よって大地を、女神ガイアとする――。