十四・虹の向こうに煌く、
「あぁ、飛鳥。戻ってきてよかった」
泳魚は、さらに飛鳥を強く抱きしめた。
「兄ちゃん……」
泳魚の胸に顔をうずめながら、飛鳥は言う。
飛鳥はこの感触を知っていた。もっと幼い頃にも、指の先に感じた懐かしい感触だ。
「ああ、兄ちゃんだったんだね」
二人が過ごしてきた夏は短い、そして一緒に暮らした時間は長い。そのことを二人は語らずとも、感じ取っていた。
「でも、オレはもう行かなくてはならない。わかってくれるかな?」
泳魚は、飛鳥の頭を優しくなでた。
「……うん」
飛鳥の瞳から、涙が雫となってあふれてくる。
「兄ちゃん、ありがとう」
あの空を覆っていた雲はどこへ流れていったのだろう、その青い天井には日輪が、光に咲いていた。晴天の下、山からの流れくる軽い風が、全てを包み込む。まだ少し雨の匂いを残した風は、泳魚の黒い髪を揺らしている。その風に誘われて、どこからともなく、白狐たちが集まりはじめた。小さな狐、大きな狐、太った狐、様々な狐が集い始める。狐たちは皆、ほのかに明るい提灯を持っていた。
「もう、本当にさようならの時間だ」
泳魚を囲むように現れた白狐たちを見て、泳魚はそう言った。
「この狐たちは?」
何の前触れもなく突然現れた白狐たちに、飛鳥は戸惑いを隠せない。起こっている出来事に、辺りを見回している。
「これはハクアたち一族の役目なんだよ。魂を空へ送るんだ」
泳魚はそう説明する。
「その通り。いつまで経っても、向こうへ行こうとしない困った魂でも、これは役目だから」
ハクアもいつの間にか、他の狐たちと同じような提灯をその手に持っていた。揺らめくその火は、まるで蛍の火のように、淡い光を帯びて青く燃えている。
「さぁ、さぁ。お見送りましょう、見届けましょう」
白い尾を天に向かって立て、白い狐たちは、そう言った。
「飛鳥、これで本当のお別れだ」
泳魚は目を細め、飛鳥の頭に手を置き、名残惜しそうに優しくなでる。
「悲しまないで、全て泡のように消え去るわけじゃない。オレはあの空へ行くんだから」
「分かっているよ」
一つ、また一つと、白狐たちの提灯は円を描きながら、空を舞う。青い焔の粉がはらはらと落ちていく。明滅する蛍のように、その光彩は意思を持って舞い始める。泳魚の体はその微光に包まれて、大気に浮かんでいく。
泳魚は手の平をそっと差し出した。
「兄ちゃん」
飛鳥は駆け寄った。しかし、飛鳥にももうその泳魚の白い手に触れることはできなかった。彼のその手は、灯りに照らされて水晶のように透き通っていた。
「これからも、見守っているから」
泳魚は微笑む。
「うん」
飛鳥はうなずいた。
飛鳥は空を見上げた。その空は晴れわたっていた。それなのに、空からは雨が降り注いでいる。それは、白狐たちが持つ灯火から漏れ出した碧い粉。それが、いつしか柔らかな水のつぶてになって、地上に散り、満たしていく。
天気雨、そして通り雨。
静かに天空に舞う灯の軌跡が、雨粒に照らされている。虹と言う名の奇跡が、太陽の光に輝いている。輝石のように煌めく空に浮く橋は、光彩陸離に染まった光を放つ。
狐たちの送り火が、川の向こうの空へとゆっくりと列を成し、人ならざるものを天へと導いていく。
生命は大地に還り、そして空で孵り、再び大地に帰る。その循環が繰り返されている。
そして、またひとつの生命が、また空で初声を上げた。
『ありがとう、』
その声は、流れる空に、風に、うっすらと、残像を残し。
青い空に強く残る、虹のように。
明けた空気の中に、溶けるように。
そっと、流れていく。