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終章

 『終章』




 コウタは無事、大学に合格することが出来た。


 大学の入学準備説明会の帰り道。

 私はコウタに誘われ、松葉公園に来ていた。


 ベンチに座る時はハンカチを敷いてほしかったが、マナちゃんは気にしないと言ってたからな。

 私も気にしない方向でいこう。


「藤谷……いや、藤谷さん。好きです。ずっと……小学校の頃から好きでした。友達ではなく恋人になりたいです。付き合ってください」


 ……………やはり、このパターンになるのか。

 少し過去が変わったので告白なしのパターンも予想したけど、このルートは変わらなかった。

 どうやら合格した場合、コウタは私に告る運命にあるらしい。


 さて、コウタが恥ずかしい恋心を語り出す前に返事をしようか……。


「……うん、付き合おうか」

「え! ホントにいいの!?」


 コウタの表情が一気に明るくなっていく。


「いいよ」

「マジで!? 嬉しい! ダメなんじゃないかと思ってたよ!」


 コウタはガッツポーズをしてはしゃいでいた。

 羨ましいな。

 藤谷茉奈と付き合えるなんて。


 本音を言うなら、なんの魅力も感じないコウタとは付き合いたくない。

 恋人同士にもなりたくない。

 ずっとオトモダチの関係でいたい。


 それでもOKしたのは『自分を愛してあげて』というマナちゃんの意思を汲んであげたかったからだ。


(マナちゃんがそう言うなら私、自分を愛してみるよ)

(それがマナちゃんの意思なら、意思を継がせてもらう)

(もっと自分を愛するって、約束する)

(……これでいいんだよね? マナちゃん)


 私は空に向かって、マナちゃんに囁いた。




* * *




 春休み。

 私とコウタは初デートでスケートリンクに来ていた。

 スケートを選んだのは、体を動かしたい気分だったからだ。


 以前にマナちゃんから『スノボもスケートも得意だし大好き』というのを聞いていた。

 実際、藤谷家の家族旅行でスノボをやったことがあるのだが、上手く滑ることが出来た。


 そして今日のデートのスケートも、見事に滑ることが出来た。

 マナちゃんは泳ぐのはダメでカナヅチなのだが、その代わりウィンタースポーツ全般は得意らしい。


 一方のコウタはスケートの才能がなく、派手に転びまくっていた。

 まあ、わかってたけど……。


「あのさ、手、繋いで滑ってみる?」


 あまりにも不憫になり、私はコウタに手を差し伸べた。

 今日の私はスカートで、コウタの巻き込み事故で転びたくなかったのだが、しょうがない。

 不憫過ぎて、見ていられなくなったのだ。


「あ、うん、そうしてもらえるとありがたいです……」


 私達は手を繋いで、コウタの立つ練習から始めた。

 私と手を繋いだことが相当嬉しかったらしく、コウタは顔が赤くなっていた。


 ちくしょう。

 コウタが羨ましい。


(私もマナちゃんと手を繋いでおけば良かった……マナちゃん、キミの手の温もりが恋しいよ)




 結局スケートは、一日のほとんどをコウタの練習にあてて終えることになった。

 その帰り道。


「ゴメン、俺……もっと上手く滑れると思ったんだけど、藤谷の足を引っ張ってばかりのお荷物だったね……」

「気にしなくていいよ。これから上手くなればいいんだから」


 初心者は普通、足を引っ張るものだと思う。

 お荷物だと蔑む気はサラサラない。


「でも俺みたいな絶望的な運動音痴のトロい奴が上手くなれるのかなあ……」


 出た、過剰な自虐。

 絶望的な運動音痴ってわけじゃないでしょ。

 マラソンみたいな長距離走なら悪くない成績だったのだから。


「本田君、過剰な自虐はやめたほうがいいよ。もっと自分を愛してあげたほうがいいと思う」

「過剰な自虐なのかな?」

「うん。私の記憶がたしかなら本田君は高校のマラソン大会、悪くない成績だったはずだよ。絶望的な運動音痴ではないでしょう?」

「見ててくれたんだ、藤谷」

「まあ、同じクラスだったし……」


 見てたというか知ってたというか。


「過剰な自虐は百害あって一利なしだよ。そんな事より、もっと自分を愛してあげてほしいな」

「……わかった。ありがとう。藤谷が俺を見ててくれたっていうのは、すごく嬉しいよ」


 これで過剰な自虐をやめて、もっと自分を愛するようになってくれればいいんだけど……。




* * *




 大学の教室。


「おーい、茉奈」


 友達と喋ってたらコウタに呼ばれた。


「あ、ゴメン。彼氏が呼んでるみたいだから行くね」


 私がそう言うと全員、一斉に驚いた顔をした。


「え!? マナちんって、彼ピ居たんだ!?」

「あの人、茉奈ちゃんの彼氏なの?」

「いつから付き合ってるの!?」


 最初に驚いた、少しギャルっぽい子がショーコ。

 次がおっとり系の梓。

 最後がバレー部の冬美。


 三人とも同じ学科の、私が大学でよく一緒にいる友達だ。

 驚いた顔の皆からいろいろ聞かれたが、その話はまた今度にしてほしい。


「ゴメンね。その話はいずれまた」


 皆に謝り、コウタの元へ向かう。




「どうしたの?」


 コウタに用件をうかがう。


「サークル募集の掲示板、見に行こうよ。なに入るか決めた?」


 一年先に大学に入ってたけど、私はサークル活動はやらなかったんだ。

 バイトもしてたし、コウタとの勉強会もあったので。


 掲示板へ向かいながらコウタに言う。


「天文部がいいな。無ければそれ系のサークル」

「星、好きなの?」

「うん」


 好きになったのは、マナちゃんの影響なのだろう。

 何しろ私は、何かあれば空を見上げてマナちゃんに囁くクセがついてしまったのだから。

 マナちゃんには寂しくなったら鏡を見てほしいと言われたが、それより空を見上げることのほうが圧倒的に多い。


 特に夜。

 夜空を見上げることは本当に多くなった。


 星は綺麗だな。

 あのどこかにマナちゃんはいるのかな。

 なんて、一時間ぐらい見続けてしまうこともある程だ。


 心の中で話しかければ、ひょっこりマナちゃんが現れて返事してくれるかもしれない……なんて淡い希望があったりなかったり……。


「ロマンチストなんだな、茉奈は」

「本田君は何かやりたいサークルあるの?」


「俺は釣り部をちょっとやってみたいかも」


 コウタは……というか、私は釣りがけっこう好きだったりする。

 この体になってからは一人で釣りするとナンパ男が寄って来て、それがウザイから釣り堀レベルでも全くやらなくなったけど。


「じゃあ別々に入るのもアリじゃない?」

「別々にするの……?」

「うん。付き合ってるといっても常に一緒に居る必要はないし、お互い、趣味の時間は大切にしようよ」


 コウタは少し顔を曇らせた。

 まずったか?

 一緒に居たいと言ったほうが良かった……?

 フォローを入れよう。


「いやさ、私とばっかりじゃなく、いろんな人と関わって交友関係広げたほうが人間的に深みが出ると思うのよ」

「茉奈の大学の友達って、どういう繋がりなの?」

「同じゼミの人と授業でよく顔を合わせる子しか、知らないよ。だから私も交友関係広げたいと思ってるの」


 これはホントにそう思う。


「私達、別々のサークルに入れば交友関係ずっと広がると思うよ。彼氏の友達とか、彼女の友達とかの繋がりで」

「なるほどね……それはあるかも」


 コウタはいくらか納得した表情をしていた。

 上手くフォロー出来たんじゃないかと思う。




 説得の甲斐もあってか、コウタと私は別々のサークルに入った。

 コウタは釣りサークル。

 私は天文部だ。


 天文部の皆は優しく、良い人ばかりだった。

 女の子もけっこう居たし、歓迎してもらえて嬉しかった。




 夜。キャンパスの屋上。

 さっそく天文部では、新入生歓迎の天体観測会があった。

 海や山で観測会をすることもあるらしく、ミニキャンプみたいな活動もあるとのことで楽しそうだなと思った。


「藤谷さんは昔から好きだったの? 星を見るのって」


 部長にそう聞かれて、ちょっと答えに窮した。

 まさかマナちゃんの影響です、なんて言えるわけもない。

 でも、こういうのはなるべく正直に言いたい。


「えと……大切な人を亡くして、星を見上げることが多くなった感じです」

「そうなんだ……なんかゴメン……」

「いえ、こちらこそ純粋な天体好きじゃなくて、すいません」

「きっかけは何でも興味を持ってくれたのは嬉しいよ。何か飲む? ほうじ茶とコーヒーがあるけど」

「飲み物なら私が取ってきますよ? 新入りなんだし」

「逆だよ。今日の新入部員はお客様扱いなんだから座ってて」

「お客様扱いは今日限定なんですか?」

「ゴメンなさい。今日限定です……」


 部長は申し訳なさそうに言った。

 新入部員に敬語を使うのがなんだかおかしくて、私は笑って言った。


「だったらお言葉に甘えてお客さんらしくしますね。店員さん、コーヒーください」

「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」


 冗談ぽく笑って言うと、部長も笑って冗談ぽくお辞儀をした。

 たぶん接客系のバイトをしてる人なんだろうな。

 ナイスな返しだ。


 夜空の星は今日も綺麗だった。


(マナちゃん、元気? 私は楽しくやってるよ)




 週末のデート。

 私はコウタと釣り堀に来ていた。


 釣りサークルに入るほど、コウタが釣り好きで得意というのは知ってる。

 付き合い始めのカップルが行くデートスポットではないと思うが、今回はコウタに花を持たせる事が目的だ。


 スケートでは散々だったからね。

 今回は彼女の前でいい所を見せて、自信を持たせてあげたかったのだ。


 一応、どっちが多く釣れるかで勝負をした。

 釣り堀だとけっこう運に左右されるが、なんとかコウタが勝ってくれた。


「よっしゃ! 勝った!」


 よほど嬉しかったのか、コウタは派手に喜んでいた。

 女の子を負かしてそこまで喜ぶってカッコよく思えないが、まあいいか。


「うーん、負けちゃったか……残念。本田君はさすが釣りサークルに入るだけあって、釣り上手いね」


 ちょっとだけ悔しそうな演技をして、ヨイショも忘れない。


「勝利した俺に、何か御褒美もらえる?」

「いいよ。なに?」


 御褒美は後で考えておくとのことで、釣り堀を後にした。




 次はゲームセンターに来ていた。

 コウタがUFOキャッチャー得意というのを知ってるので、ここも花を持たせてあげたかったのだ。


「俺、クレーンゲームは得意だよ」


 うん、知ってる。

 だから選んだ。


「何か欲しいのある? 取ってあげるよ」

「お菓子がいいな。あれ欲しい」


 適当なチョコやらクッキーやらをお願いする。

 形が残る物はあまり欲しくなかったので、形が残らない消費物をチョイスした。


「さすが! 豪語しただけあるね! すごい!」


 私は大げさに喜んだ。

 男が喜ぶ『さしすせそ』を使ってみたが、ちょっと露骨だったかな。


「任せてよ。クレーンゲームは自信があるんだ」


 コウタは素直に喜んでいた。

 うん、我ながら、なんて単純な奴なんだろうかと思った。

 扱いやすくて助かるけどさ……。




 適当な店でご飯を食べた後、近くの公園のベンチに並んで座る。

 夜なので、辺りはすっかり暗くなっていた。


「楽しかったね」


 これはあながち嘘ではない。

 ホントにわりと楽しかったのだ。

 雑談が途切れたタイミングで、コウタは少し真剣な顔で言った。


「聞いていい?」

「いいよ。なに?」

「俺は茉奈のことが大好きだよ。茉奈は俺のこと、どう思ってるの?」


 また、答えにくいこと聞くなあ……。

 本音はどうも思ってない。

 でも、これをそのまま言うわけにはいかない。


 マナちゃんの手紙には『大好き』とあったが、これは単なる気遣いの可能性がある。

 それにマナちゃんに好きと言われたのは『私』であって『コウタ』ではないんだ。


 ただ、ここでコウタを肯定してあげないと、また自虐を始めるかもしれない。

 迷った末、私は言った。


「……………好きだよ」

「本当に?」

「あのさ、好きじゃなきゃ付き合わないと思うよ?」

「………」


 コウタは懐疑的な目をしていた。

 気持ちはわからなくもない。

 ホントは私、コウタのことは好きでもないんでもないのだから。


 ただ、好きになりたいとは思ってる。

 愛してあげたい……とも。


「……だったら、俺のこと本当に好きなら、キスしていい?」


 うぐ……。

 愛してあげたいが、これはきついな。

 自分とキスするっていうのは……。


「釣り対決に勝利した御褒美としてキスしたいけど、ダメ?」

「………」


 キスって、そんな景品とか、好きという気持ちの証明の為にするものじゃないと思う。

 もうちょっとムードを考えてほしいな……。


 でもここでコウタを拒絶すると、またバッドエンドになるかもしれない。


「……………いいよ」


 迷った末、私はキスを承諾した。

 ホントは気が進まなかったけどね。

 バッドエンドが怖かったんだ。


「じゃあ目を閉じてくれる?」


 目を閉じると、唇に感触が伝わってきた。

 ちょっと目を開けると、コウタの顔が至近距離にあった。

 キスされてるんだなあと実感する。


(ゴメンね、マナちゃん……)


 私は自然と、心の中でマナちゃんに謝っていた。




 ある日のキャンパスの学食。

 友達とランチしてる時、コウタからメールがきた。


 『話したいことがあるから、西門のベンチまで来てくれ』とのこと。


「誰? メール?」


 冬美が聞いてきた。


「うん。彼氏から『話したいこと』があるって。ちょっと行ってくるね」

「ご飯、食べ終わってからでも良くない?」


 半分しか食べてない私の日替わり定食を見ながら、ショーコが言ってきた。


「あんまりお腹すいてないから大丈夫だよ。途中で席外してゴメン」

「………」


 ランチは途中だったけど、しょうがない。

 なるべくコウタのことを第一に考えてあげたいから。

 食器を片付けて、私はコウタの元へ向かった。




 西門のベンチにコウタの姿を発見。


「なに? 話したいことって?」

「俺さ、バイトやめたんだ」

「建設現場のバイトだっけ?」

「うん、ああいうガテン系はダメだね。バカばっかりで話にならない」


 コウタが攻撃的になるのは珍しい。

 それだけムカついたってことなのかな?


「まぁマトモな教育受けてないんだろうな。マトモな教育受けてないと人間はああいうクズに成り下がるんだなってのを実感したよ」


 たしかにガテン系の仕事は短気な人が多いが、そんな言い方しなくてもいいと思う。

 もちろん、理不尽な叱責には反撃したほうがいい。

 でも基本的に、仕事をちゃんとやってれば怒られることはないんだから。


「仕事は合う合わないってあるからね。合わないと感じたならしょうがないよ」

「マトモな教育受けた人間がいる所じゃないとダメだね。低能なサルとは仕事が出来ない」


 よほど不満が収まらないのか、コウタはなおも罵倒した。

 そういう差別的な物言いは、ちょっとどうかと思うな……。


「バイト先で何があったの?」


 と聞いたら、コウタは喜んで話し始めた。

 そのほとんど、九割九分が悪口だったけど。


 なんなんだ?

 まさかとは思うが、そんな愚痴を聞かせる為に私を呼び出したのか?


 『そうだね、辛かったね。そんなバイトやめて正解だよ』と慰めればいいのか?

 それが彼女の役割なのか?


 悪いが、コウタが言う悪口はあんまり共感できないぞ。


 理不尽に怒鳴られたわけでもなく、ミスを過剰に責められたわけでもなく、ただ『仕事でミスをしたら気の短いおっちゃんに怒られただけ』というのが、話を聞いて感じた率直な印象だ。

 怒られたのは仕事でミスをした時だけ。

 ネチネチ嫌味を言われたわけでもない。


 だったらそれ、当たり前の叱責じゃないの?

 コウタにも非があるよ、悪口言い過ぎだよと窘めるか、共感を示して慰めるか。


(どっちがいいんだろうね、マナちゃん? どうすればいいんだろう?)


 なおも悪口を言い続けてるコウタに気付かれないよう、私はチラと空を見上げた。




* * *




 七月。夏休み。

 今日は天文部の皆で、海での天体観測会をやっていた。


 海で見た星は綺麗だったな。

 都会とは違ってクリアに見えるし、障害物が一切ない解放感というのもイイ。


 といっても観測会はほどほどに、メインはBBQや花火だった。

 山で観測会をする時は肝試しがメインなんだとか。


 天体観測はオマケみたいなもので、皆の楽しみはそっちにあるらしい。

 夕方にやったBBQは全員参加で、花火は自由参加。

 星をじっくり見たい人は花火不参加でもOKということになってる。


 皆でBBQをやる一方で各人がやりたいこともやる、いい部だなーと思う。


「藤谷さんは花火より、星を見る派なんだね」

「交代時間を気にすることなく天体望遠鏡使えますからね。あ、でも花火もあとで参加しますよ。最後の線香花火タイムになったら」

「そういうことなら、藤谷さんの分の線香花火とっておくよ」

「ありがとうございます」


 部長は誰に対しても”さん”付けするような、草食系の人だ。

 見た目もけっこうイケてるし、柔和な雰囲気がとても優しそうで癒し系という感じ。

 彼女がいるのも頷ける草食系のイケメンだ。


 こういう人となら、付き合ってもいいなあと思える。

 マナちゃんがいなくなってから、私の心はまた少し女性化し始めたらしい。


 でも、以前のような男としてのアイデンティティがどうとかの焦りはない。

 アイデンティティなんて、どうでもいいと感じてきてるので。




 夏休みはコウタともデートをした。

 映画を見たりカラオケしたりという普段のデートに加えて、遊園地やプールにも行ったりした。


 どっちも普通に楽しかったな。

 プールは泳げなくても浮き輪を使えば十分楽しめた。

 ウォータースライダーとか流れるプールとか。


 コウタは私の水着姿を食い入るように見ていたな。

 いくら彼氏とはいえ、ちょっと見過ぎじゃない? と思うぐらいに。

 正直、コウタにジロジロ見られるのはイヤだったな。


 水着姿を撮影したいから、今度は海へ行こうと言われた。

 私の水着姿を撮影したがる欲望に、ちょっとゾッとした。

 彼女としては、そんなこと感じてはいけないのかもしれないが……。




 八月。

 今日は海でもプールでも遊園地でもない、普通のデートだ。

 映画を見終わった後、私とコウタはファーストフード店で映画の感想などを話し合っていた。

 ひとしきり感想を言い終わった後、コウタがバイトの話をしだした。


「またバイトやめたの!?」

「うん、だって偉そうなバカがいてさ」


 コウタのバイトは一度も長続きしてない。

 少しでも気に入らないことがあると、すぐ辞めちゃうのだ。


 一か月も持たないというのは、私というか───元の本田滉太より酷い状況だ。

 本田滉太だった時の私は、そこまで酷くなかったぞ?


「今回のバイトはなんだっけ? 軽作業スタッフ?」

「軽作業といってもガテン系が多いね。騙されたわ」


 軽作業=ガテン系なんじゃ……というのは黙っておこう。

 苺シェイクを一口飲んで、続きを促す。


「今度は何があったの?」

「遅刻した次の日、本部に給料を取りに行ったら、昨日遅刻したことを謝罪しろとか言われてね」

「遅刻したら謝罪するのは普通なのでは?」

「現場では謝ったよ。でも本部の奴にまで謝る気にはなれんな。バイト代を引かれるというペナルティは既に受けたのだから、謝罪まで要求するのはおかしいだろって。そしたらそいつ、怒りだしてね」


 いや、そりゃ、怒るでしょ。

 バイトを監督してる立場からすれば。


「謝罪しろ謝罪しろウルセーから、やめてやったよ。あんなバカがいる会社では働きたくねーわ」


 よくそんなどうでも良い事でケンカ出来るね……。

 しかもケンカ相手が本部の人ってことはホワイトカラーの人で、ガテン系関係ないやん。


 コウタが上手くバイトこなせるようになるのは、まだまだ先だなーと思った。

 なにをやらせても長続きしない。


 私がやってる塾の講師のバイトは採用試験に落ちてしまうし、他にも上手くいかなかったエピソードはたくさんある。


 せめて一か月でいいから、バイトを長続きさせてほしいよ。

 一か月とは、長続きとは言わないのかもしれないが。


 ふぅー。

 空を見ながら、軽くため息一つ。


(コウタはバイト長続きしない人になっちゃったみたい。マナちゃん……私、コウタの将来がちょっと不安……)




* * *




 夏休みが明けた九月。カラオケ店。

 大学の友達とカラオケに来てた時のこと。


 コウタからメールがきた。

 『会って話したいことがあるから学食まで来てくれ』と。


「メール? 誰?」

「彼氏から。『会って話したいことがあるから学食まで来てくれ』って」

「ええー! もう抜けるのマナちん!? 来たばっかじゃん!」


 ショーコはあからさまに不満な態度を示した。


 そうなんだよね。

 カラオケ店には、まだ来たばかりなのだ。


「前から思ってたんだけど、茉奈の彼氏って呼び出し多過ぎない?」


 冬美も少し不満そうな口調で言った。


「それウチも思ってた。いつも大抵、急ぎじゃない用事なんだろ? マナちん、たまには断っていいと思うぞ」

「あたしもショーコちゃんに同意かな……。茉奈ちゃんの彼氏、ちょっと振り回しすぎのような気がする。もうちょっと彼女の都合も優先してあげてほしいな」


 おっとり系の梓にまで批判的な事を言われた。


 前からおかしいと思ってたらしく、三人とも、彼氏とはいえ呼び出しにいちいち応じる必要はないと言ってきた。

 まあね、私もそれは思ってたよ。


 今まで呼び出されると、すぐに駆けつけていた。

 それが、コウタをワガママにしてしまったんじゃないかってね。


 なにしろ私の都合なんか、お構いなしに呼び出してくるんだから。

 いま何してる? とか全く聞かずに。


 皆の言うことはもっともな正論だ。


 だが、コウタの呼び出しを無視するわけにもいかない。

 私は自分を───コウタを愛してあげなければならないのだ。


「……皆の言うこともわかるよ。二時間だけ待つよう言ってみる」


 私はコウタへ『ちょうどいま皆とカラオケ始めた所だから、二時間ほど待ってもらっていいかな?』というメールを送った。


 着信音と共にメールが返ってくる。

 『……わかった。適当に時間潰してる』と。




 カラオケが終わり、コウタの待つ学食へ移動。

 ホントはカラオケの後、皆でご飯食べようという話になってたけど、それはキャンセルしたんだ。


「遅かったね。二時間過ぎちゃってるよ」


 コウタは少し不機嫌になってる様子だった。


 正確には二時間十五分。

 十五分は移動時間のロスだ。


「ゴメンね。ここまでの移動時間があったから」

「だったら二時間半と言ってほしかったな」

「うん、ゴメン……」


 イラっときたが、我慢。

 自分を愛するんだ。

 愛してあげないとダメなんだ……。


 気を取り直して、話を聞こう。


「話したいことってなんなの?」

「バイトのことだったんだけど、それはいいや。もっと話したいことがあったんだ」

「なに?」

「茉奈の友達さ、束縛が強過ぎねえ?」

「はっ?」


 ???

 いったいこの人は何を言ってるんでしょうか??


「だっていつも茉奈とベッタリで一緒にいるじゃん。四六時中」

「?? そんな事ないよ? キャンパスでは本田君とも御飯食べてるでしょ? 天文部の人と御飯食べることもあるし……?」


 コウタが何を言いたいのか、さっぱりわからん。


「そうじゃなくて、茉奈の友達として相応しくないと思うんだよな」

「どういうこと?」


 いよいよ意味不明になってきた。


「西野とは連絡とってる?」

「恵里香? たまにメールのやり取りしてるよ? それがどうかしたの?」


 なぜ恵里香が出てくるのか、話がさっぱり見えない。


「天文部に可愛い女の子っている?」

「うん、いるよ。可愛い子」

「その可愛い子は彼氏いる?」

「いるねえ」

「じゃ、ダメだな」

「何がダメなの?」

「前々から俺、釣りサークルの奴から彼女の友達紹介してほしいと言われてて、西野はいいよ。可愛いと思う」

「………」

「でも茉奈がいつも一緒にいる友達って、あれじゃ紹介できないっつーか。茉奈は可愛いんだから、もっと可愛い友達出来ると思う」

「………」


 一瞬、コウタが何を言ったのか、よくわからなかった。

 こんな言葉が出るとは思わなかったんだ。

 『あれじゃ紹介できない』……なんてさ……。


 けっこう酷い言葉じゃないかな、これ……。

 大事な友達を悪く言われて、少しイラっときたが必死に我慢する。


 落ち着け、私……。

 自分を愛することを忘れてはいけない……。


「要するに、合コンをセッティングしてくれってこと?」

「うん。可愛い子”限定”で」


 コウタは限定という言葉を強調した。

 その強調からは『あの友達は願い下げだからな?』という意図的な含みを感じた。


 釣りサークルの人には会ったことあるが、下品な人が多かった。

 コウタに頼まれて飲み会に一度だけ付き合ったけど、さり気なく髪や体に触られて、ものすごく不快だった。

 私の胸とか足とか、体中を値踏みするようなスケベな目で見てきて不快だった。


 二度と行くものかと思ったよ。


 悪いが、私の友達はあなたの下品な友達には勿体ないぐらいの良い子揃いだ。

 こっちから願い下げだよ!


 ……………と、言いたいが我慢。


 『いったん落ち着こう。はい、深呼吸』───というマナちゃんの言葉を思い出す。


 すーはー、すーはー。

 深呼吸して、自分を落ち着かせる。


 自分を愛する、自分を愛する……………。

 自分を愛してあげるのがマナちゃんとの約束……………。


 呪文のように自分に言い聞かせる。


「……合コンは他をあたってほしいな。ゴメンだけど私はセッティング出来ない。恵里香、好きな人がいるらしいし」

「そうなの?」

「うん」


 ちょっと嘘を混ぜたが、全部が嘘ってわけじゃない。

 彼女はバイト先で、いいなーと思ってる人がいるそうなので。


 それに、いつも一緒にいる友達のなかで、梓には彼氏がいるのだ。

 冬美はバレー部に熱心だし、派手めのショーコと釣りサークルの男はタイプが合わないと思う。

 どっちにしても合コンのセッティングは無理だ。




 相変わらずコウタはちょいちょいイラつくけど、それでも私はコウタに優しく接した。

 だって『自分を愛してあげて』がマナちゃんの遺言なんだもん。

 これは絶対に守りたい不文律だ。


 心がグラつく度に、私はマナちゃんの手紙を読み返した。

 燃やしてくれと言われたが、こんな世界で一番大事な宝物、燃やせるわけない。

 もし誰かに見つかって変人と思われてもいいよ。

 マナちゃんの手紙のほうがずっと大事だ。


 自分の部屋で夜空に浮かぶ星を眺めながら、マナちゃんへ呟く。


(ねえ、マナちゃん。私、頑張ってるよ。コウタは度々イラつくけど優しく接してる)

(でも優しくし過ぎなのかな? ちょっと調子に乗ってる所があると思う)

(コウタはまたバイトやめたらしいんだ。将来がすごく不安になるよ。こんなんでマトモに就職して生きていけるのかなって)

(マナちゃんに相談したい。マナちゃんの知恵を借りたい)

(会いたいよ……マナちゃん……)




* * *




 天文部の部室に入ったら、意外な人の姿があった。


「……本田君、なにやってんの?」

「俺、今日から天文部に入ったんだ。よろしくな」

「!?」


 びっくりし過ぎて、言葉を失う。


「藤谷さんの彼氏だっていうのは聞いたよ。高校も同じだったという話も」

「それだけじゃなく、中学も小学校も一緒でしたよ。茉奈とは」

「へー、幼馴染ってやつ?」

「そう言っても過言ではないかと」


 コウタは得意そうに言った。


 いやいや、過言でしょ!

 昔はあんまり喋ったこと無かったじゃん。

 幼馴染ではないと思う。


「……本田君、ちょっと来てくれる?」

「なに?」

「いいから、ちょっと外で話そう」

「彼女が呼んでるんで、行ってきまーす」


 そのノリ、ウザイからやめてほしい。

 軽く殺意を覚え───いや、ダメだ。

 私はコウタを愛さなければならないのだから、そんな事を思ってはいけない。

 『殺意を覚える』とか、自分を過剰にディスってはいけないのだ。




 適当な無人の空き教室に、コウタを連れてくる。


「なんなの、いきなり? 釣りサークルはどうしたの!?」

「あそこは辞めた」

「なんで?」

「皆の目当てが、茉奈の友達だってわかったから」

「どういうこと?」

「合コンがダメになったら、なんか居辛くなってね。元々ノリも合わなかったし、辞めようかなーって」


 合コンがダメになったから?

 そんなくだらない理由で居辛くなる───なんて事あるんだろうか?

 ちょっと気になるが、詮索は後だ。


「それで、なんで天文部なの?」

「だって茉奈がいるじゃん。彼女と一緒に居たいと思うのはおかしな事かなあ?」

「おかしくはないけど……事前に相談があっても良くない?」

「サプライズしたかったんで」


 こんなサプライズいらないわ……。


「サークル決める時に交友関係広げたいって話あったよね? それは無視?」

「だって茉奈、飲み会に誘っても一回しか来なかったじゃんか」

「………」


 だってあの人達、セクハラしてくるんだもん。

 スケベな目で見てきたり、髪や体に触ったり。

 我慢できないよ、あんなの。


「それは悪かったと思うけど、本田君だって天文部の飲み会、誘っても一回も来なかったじゃん……」

「都合が合わなくてね」


 嘘だな。

 たぶんコウタは飲み会で浮いてしまうことを恐れたのだろう。


 どうもコウタは未だに友達も居ないし、大学で人付き合いが上手く出来てないらしいのだ。

 いい機会だから言わせてもらおう。


「本田君、授業でよく顔を合わせる同じ学科や学部の友達って、いないよね?」

「………」

「サークルも辞めちゃったしゼミもやってないし、大学に友達っていないよね?」

「友達はいないけど彼女はいるよ」

「今は友達の話をしてるの。誰かと話したことないの?」

「話したことあるよ。あるけどバカばっかりでさ、俺とは話が合わないんだよ。程度の低い友達なんか逆にいらないよ。バカがうつる」

「………」


 その自信はどこから来るんだろうなあ。

 なんなんだろうか、その謎の上から目線は……。


 コウタはコミュ障というわけではない。

 高校時代は矢島君と友達だったし、他の男子ともそれなりに上手くやれてた。


 それが大学生になってから友達ゼロって、おかしいよね。

 なんでこんな事になってるんだろう?


「大丈夫だよ。天文部では上手くやるから。良い人が多いんでしょ?」

「まあ……ね……」


 自信たっぷりなコウタとは正反対に、私は不安しかなかった。




* * *




 天文部では、たまに皆でプラネタリウムを見に行ったりする。

 人工的な星の世界も、それはそれで良さがあるので私はけっこう好きだ。

 部長は年間パスポートを持ってるぐらい好きらしい。


 でも、今日のプログラムはイマイチだった。

 説明が冗長なわりにわかりにくく、音も映像も盛り上がりに欠ける感じだったのだ。


「ふぁーあ。あまりに退屈で寝ちまったよ」


 コウタはプラネタリウムを出ると同時に悪態をついた。

 たしかに今日のプログラムはイマイチだったが、そこまで言うことないと思う。


「お経を聞かされてるような気分だったな。あの眠くなるようなクソなナレーション、張っ倒したくなったわ。こっちが金払ったのに拷問かよ!」

「!?」


 いったい何を言ってるんだろうか?

 驚いた私をよそに、コウタは笑いながら悪口を続けた。

 単に本音を言ったのか、悪口で笑いを取ろうとしたのかはわからない。

 だが、天文部のメンバーは誰一人笑ってる者はなく、それどころか興覚めという顔をしていた。


 いかん。

 雰囲気がダダ下がりだ。

 悪口を止めねばと思った私はコウタに言った。


「本田君は全く楽しめなかった? プラネタリウム?」

「全くってわけじゃないがな。イスの座り心地は良かったのでリラックス出来た。まあその点だけでもギリ及第点をやるって感じかな。本当にオマケだがな」

「………」


 ちょっとこれ、KY過ぎないかな……。

 他のメンバーの顔はますます白けたものになっていた。


 どうフォローしていいのかわからない。

 でも、何か言わないと……。


「……本田君は次のプラネタリウム欠席したほうがいいかもね。合わないなら無理に参加することもないよ」


 どうしていいのかわからなかった私は、こう言うのが精一杯だった。


「いや、茉奈が行くなら我慢するよ。イスは良かったんで入場料は許してやるさ。俺様の心の広さに感謝してほしいぜ」


 フォローを台無しにする、更にKYな発言をありがとう。

 場はこれ以上ないぐらいに最悪の雰囲気で、お通夜みたいな空気が漂っていた。


「あ、そうだ! 私、予定があったんだ! 今日はこれで失礼しますね!」


 わざとらしかったがこれ以上、皆を白けさせない為にはしょうがない。

 私は突然、用件を思い出したような三文芝居をした。


「本田君、一緒に帰ろう?」

「予定って何?」

「帰りながら言うよ───じゃ、私達は先に帰りますね。お疲れ様です」




 このあと皆で飲み会する予定だったが、私は強引にコウタを連れて駅に向かった。


「茉奈の予定ってなんなの?」

「急に始まっちゃったみたいで……駅に着いたら、お手洗い行ってくるね」

「ああ、うん……行ってらっしゃい」


 生理は便利な言い訳だ。

 トイレに行く為の嘘でもある。


 駅に着き、さっそくトイレから部長にメールを送る。

 天文部はグループチャットがあるのだが、これはコウタも閲覧できるからダメだ。


 『本田君はプラネタリウムに合わないらしいので二度と参加させません。気分を害して申し訳ありません。お手数をおかけして恐縮ですが、皆さんへもこの文面をそのまま見せるなりして、謝罪の意をお伝えください。今日は本当にすみませんでした』


 メールで私は皆に謝った。

 本当に申し訳ない。




 帰りの電車の中。

 コウタは心配そうな顔で聞いてきた。


「茉奈、大丈夫か……?」


 その気遣いの心は、天文部の皆へ向けてやって欲しかったな……。


「大丈夫だよ。それより本田君、天文部では上手くやるって言ったよね? 今日は上手くやれてると思った?」

「なに? 今日のこと言ってんの?」


 そうだよと頷く。


「たしかに今日はちょっとノリ悪りィなーとは思ったよ。でも把握したんでもう大丈夫。俺が連中のレベルを合わせてやるさ」

「………」


 ……なんなんだろうか。

 いつからコウタはこんなKYな人間になってしまったんだろうか……。




 帰宅した私は部屋でコウタのことを考え始めた。

 コウタは自我が肥大して、他人を見下す傲慢な人間になってしまった。


 なぜこんな人間になってしまったのか?

 理由を考えていて、私はある仮説に思い至った。


 もしかして、コウタの自信は『自分は藤谷茉奈に好かれてる彼氏である』……という事から来てるのかもしれない。


 藤谷茉奈は才色兼備の美しい女性だ。

 そんな美人と付き合える自分には、それと同等の、あるいはそれ以上の価値がある……みたいな?


 ありそうだな、これ。


 もう一つ仮説を思いつく。

 それは春先のデートでの言葉。


 『過剰な自虐はやめて、もっと自分を愛してあげてほしい』という私の言葉。

 この薬が想像以上に効きすぎて、傲慢になってしまった説。


 これも有力そうな仮説に思える。




 では実際、肥大した自我を矯正するにはどうしたらいいのか?


 真っ先に思いついたのは、私がコウタと別れることだ。

 そうすれば仮説は二つとも、まとめて潰せる。

 コウタの肥大した自我を縮小させることも可能だと思う。


 ただこれには大きな問題があって、コウタの自信を破壊すると自殺の可能性が出てきちゃうのよね。

 実際、前回は藤谷茉奈に振られたショックで自殺しちゃったわけだし……。

 コウタと別れると自殺する可能性はかなり高いと思われる。


 だからコウタと別れることはしたくない。


 マナちゃんは自殺防止計画の成功を願っていた。

 自分を愛してあげてほしいと言っていた。


 そういうマナちゃんの意思を踏みにじるのだけはイヤだ。

 これだけは絶対にイヤだ。


 ではどうすればいいのか?

 ここまで考えた私は思考が止まった。

 解決策が何も見えなかったのだ。


 うーん。

 どうしたらいいんだろうな、これ……。


 昔のコウタは空気も読めて、友達も居る人だった。

 どうすれば昔のコウタに戻ってくれるのだろうか?


 コウタはこのまま傲慢人間のままだと、ずっと友達が居ない状態になるかもしれない。

 相変わらずバイトもすぐ辞めちゃうし、将来がすごく心配だ。


 確実に良くない流れだよね、これ。

 どうにかしたほうがいいのだろうけど、具体的に何をどうしていいのかがわからない。


(今って確実に良くない流れだよね?)

(何をどうすればいいんだろうね?)

(解決策、何か思いつく?)


 なんて、星に話しかけても回答が返ってくるわけもなく……。


(マナちゃん……私には無理かもしれない……)




* * *




 この日、私は釣りサークルの部室に向かっていた。

 コウタは天文部より、釣りサークルのほうが合ってると思う。


 合コンがダメになったぐらいで、サークルに居辛くなるというのは釈然としない。

 何か理由があるのではないか?

 そしてその理由いかんによっては、もう一度コウタは釣りサークルに戻れるんじゃないか?

 戻る為の橋渡しが出来るんじゃないか?


 ───というような期待があったんだ。




 部室のドアを開けると、何人かの男達がトランプをやっていた。


「こんにちは。突然すいません。お話があって来たんですけど、お時間よろしいでしょうか? もし取り込み中でしたら出直します」


 いきなりの訪問者を、男達は興味深そうに見ていた。


「見ての通り暇だから平気だよ。話ってなに? もしかして入部希望? だとしたら歓迎だよ!」


 いかにもアウトドアが好きそうな、日焼けした一人の男が笑顔で言ってきた。

 飲み会の時には見なかった初対面の人だ。


「いえ、入部希望ではなくて……本田君がこのサークルを辞めた理由についての話です」




 日焼け男はコウタがサークルを辞めた顛末を簡単に教えてくれた。


 コウタは釣りの知識がかなりあって、腕も上手いほうだった。

 それに反して、サークルの他のメンバーは知識も腕も素人とあまり変わらない人が多かった。


 要するにガッツリ釣りをするんじゃなくて、遊び的な面が強いサークルだったのだ。

 いや、サークルの方向性はどうでもいい。

 問題なのはコウタの態度だ。


 なまじ知識があるコウタは偉そうに振る舞い、ちょくちょく他のメンバーを見下したりバカにしたりしたんだそうだ。

 最初は我慢していたのだが、あるとき我慢の限界を超え、ケンカになって辞めたというのがコトの顛末らしい。


「合コンがダメになったのがケンカの原因……ってことはないんでしょうか?」

「合コン? なにそれ? いつ合コンなんてやったの?」


 この反応からすると、日焼け男は合コンのことを知らないらしい。


「合コンの話ならオレ、知ってるよ」


 後ろで話を聞いていた別の男が言った。


「アイツの彼女、この場合キミのことか───本田はキミの可愛い友達を紹介してやるってずっと言ってたんだよ。アイツは偉そうな俺様野郎だったけど、だから我慢してたというのもある」

「………」

「でも合コンの話がダメになって、溜まっていた不満が抑えきれなくなってケンカになった感じかな」

「………」


 別の男も話に加わってきた。


「可愛い彼女がいるというのを鼻にかけた嫌な奴だったよ、アイツは」

「………」

「ヒトを小馬鹿にしたような薄ら笑いを浮かべながら『オマエも早く彼女作れよ』とか、コトあるごとに蔑んでバカにしてきたし。こういった話は貴女に言うべきじゃないかもだけど……」


 うん、なんかゴメンなさい。

 全力でゴメンなさい。


「……あの、ご迷惑をおかけして、すみませんでした……」


 とても恥ずかしくなった私は深々と頭を下げて謝罪した。

 釣りサークルはスケベな人が多いが、スケベ以外の部分はわりとマトモな人達だった。

 話を聞いた感じ、コウタに非があるように思える。


 どうやらコウタが釣りサークル辞めたのは合コンが原因ではなく、コウタが嫌な奴だったから追い出された……というのが真相のようだ。


 これでは戻ることなんて不可能に思える。

 落胆した私は、肩を落として釣りサークルの部室を後にするのだった。




 別の日。天文部の相原先輩という女の先輩から、呼び出しがあった。

 何事だろうかと、待ち合わせ場所のテラスに来てみる。


「アンタの彼氏、なんとかなんないかな?」


 開口一番、相原先輩は怒った感じで私に言った。


「なんとか、とは……どういう意味でしょうか?」

「どうもこうもないわよ」


 相原先輩は、その怒った感じのまま話し始めた。

 私はバイトがあったので欠席だった、先日の天体観測会のこと。


 コウタは速攻で帰ったのだが、去り際のセリフが問題だったらしい。

 開始五分も経たない内に、コウタは部長にこう言ったんだそうだ。


 『飽きた。よくこんなつまんないこと何時間も続けてられるね? 俺、先に帰るわ』と。


 その場に居た全員がポカンとしてしまったんだそうだ。


「天体観測に興味ないなら、じゃあ何しに来たの? って話よ。部長はあの通り草食系のおとなしい人だから、アンタの彼氏を怒ったり出来ない人だ。一瞬のことだったのであたしも呆気に取られてしまった。でもあれはないわーって思ったわ」


 なんの反論も出来ない。

 私も「ないわー」って思う……。


「プラネタリウムの件といいさ、アンタの彼氏、あまりにも傲慢過ぎない?」

「………」


 それは同意です───という言葉をすんでの所で飲み込む。

 たしかに傲慢だが、ここで同意すると悪口大会が始まりそうで、それは避けたかったから。


「アンタさ、よくあんな傲岸不遜な思い上がった奴と付き合ってられるね?」

「………」

「まあ、人の恋愛事情に深く突っ込んだりはしないけどさ」


 先輩の言いたいことはわかる。

 でも……私は……自分を愛さなければならないのだ。

 コウタを愛してあげられるのは、私しかいないのだ。


「藤谷、アンタが良い子だってのはあたしも含めて皆、知ってる。プラネタリウムの件を謝ったメールも見た。そんな、あの謝罪メールを送った藤谷に頼みがある」

「……なんでしょうか?」

「プラネタリウムだけじゃなく、アイツは飲み会にも観測会にも金輪際、参加させないでほしい。これは天文部の多くの人が望んでることだ」

「………」

「部長はお人好しなのでアイツを退部させる事は出来ないと思う。でも、だからせめて、これぐらいは譲歩してほしい」




 そこまで言われたら、了承せざるを得ない。

 私はなるべく、コウタを飲み会にも観測会にも参加させないという約束をした。


 もし仕方なく参加する時は、他の部員から離れた所で私が付きっきりでコウタの面倒を見るということで、とりあえず納得してもらった。

 部室への出入りだけが一応許可されたが、出来ればあまり来させないでほしいとのこと。


 天文部でコウタの扱いは腫れ物に触るような感じになった。

 微妙な距離をとって壁を作り、関わりを最小限に留める感じ。


 なるべく私は、コウタがバイトある時だけ天文部に参加するようにした。




 おそらく、コウタも自分が天文部で浮いてるというのは気付いてると思う。


 それを不安に思ったのかどうかは知らない。

 デートのとき「俺のこと好き?」と頻繁に聞かれるようになった。

 キスされる回数も格段に増えた。


 まるで私からの愛情を、確認したがるかのように。

 私は常に即答で「好きだよ」と返し、キスもされるがままに受け入れた。


 コウタの味方は、たぶん私しかいない。

 私が見捨てたらコウタは自殺してしまうという推測は、確信に変わりつつあった。




* * *




 十二月。冬。

 キャンパス内の廊下。


「まずは冷静になって話を聞こうよ」

「そうだよ。ちょっと落ち着こう」

「落ち着いてなんかいられない。ウチは我慢できない。マナちんにはきっちり説明してもらう」


 いつも一緒にいる友達が何やら言い合ってるのが見えた。

 ショーコが怒ってる様子なのが、少し離れた所からでもよくわかる。


「どうかしたの?」


 嫌な予感がしつつ、聞いてみる。


「ちょうど良かった。マナちんの彼ピのことで聞きたいことがある」

「……なに?」


 怒気をはらんだショーコの雰囲気から察するに、出来れば聞きたくない感じの話だ。

 が、聞かないわけにもいかないのだろう。

 苦情受付係のオペレーターは、きっとこんな気分なんだろうな。


 話はこうだった。

 三人で居た時、いきなり通りがかったコウタに言われたんだそうだ。


 『キミらがもっと可愛ければ上位者の合コン誘ったし、万事うまくいったんだけどね。そうじゃなくて残念だよ』と。


 コウタは言うだけ言うと、去って行ったんだそうだ。

 いきなり意味不明のセリフだが、侮辱されたことだけはわかる。


「なんなんアイツ?! ウチらにケンカ売ってんの? キチなの!? マジでイミフなんだけど?」

「ショーコちゃん落ち着いて……事情もわからないのに責めるのは良くないよ」

「うん、まずは茉奈の話を聞こうよ」


 怒ってるショーコを冬美と梓がたしなめる。


 どうやら、またコウタがやらかしてくれたらしい。

 私の大事な友達に、何してくれてんのよ……。


(助けてマナちゃん……私、こんなピンチどうしていいのかわかんない……)


 ……いや、弱気になってはダメだ。

 マナちゃんはもういないんだ。


 頑張れ、私。

 なんとか切り抜けるんだ……。


 土下座でもしそうな勢いで、私は彼女達に平謝りした。

 コウタにも謝らせる。

 もう二度と関わらないように約束させる。


 だから今回だけは許してほしい───と。




 後日。

 大学の近くの公園。

 私はコウタをランチに誘って、そのことの話をした。


「謝る気はないな。俺は真実を言っただけなんだから。あいつらが可愛くないと思ったのは事実だ」

「そんな事ないと思うよ」


 目を見張る程の美人とは言わないが、決してブスではない。

 梓には彼氏もいるし、ショーコも冬美も普通だと思う。

 ただ、可愛い可愛くないの話は水掛け論になるので、ここを言い合うつもりはない。


「あの子達に失礼なことをした、迷惑をかけたっていう自覚はある?」

「あるわけないじゃん。あいつらが可愛ければ合コンも出来たし釣りサークルを続けられたんだから。茉奈との時間も邪魔されてるし、迷惑をかけられたのは俺のほうだよ」


 まさかの被害者意識……。

 そうじゃないんだ。

 合コンの件がなくても、釣りサークルではケンカになってたと思うよ……。


 私との時間を邪魔されてるというのは、なんだろうね?

 呼び出しに遅刻した件を、まだ根に持ってるのかもしれない。


「だいたい、俺の言動のどこが迷惑だったのさ? 具体的に言ってよ」

「………」


 具体的と言われると困るな。

 私も詳細に分析できてるわけじゃないし。

 彼女達を不快にさせたというのは確実だが、その理由がわからない。


 マナちゃんなら上手く説明できるのだろうけど、私では上手い説明が思いつかなかった。


「ね? 答えられないでしょ? 真実を言うことは罪じゃないのさ」

「………」


 コウタが間違ってるとは思うけど、理由は上手く説明できない。

 ちょっと、もどかしい。


「あのさ、本田君はあの子達のこと好きじゃないようだし、あの子達も本田君のこと好きじゃないらしいのね。だからせめてもう、あの子達には関わらないでもらえるかな?」

「そんな約束は出来ないな」


 せめてこれだけは……と譲歩したつもりだったのに、これすらも断られるとは思わなかった。


「謝るのはともかく、それすらもダメなの?」

「だってそうだろ。茉奈との時間をあいつらが邪魔する以上、関わらないという約束は出来ない。前も言ったが、茉奈にはもっと相応しい友達いると思うぞ」


 コウタは相当、私の友達を見下してるようだった。


「俺はちょっと不満というか、不安なんだよな」

「なにが不安なの?」

「茉奈に愛されてるのか、どうかが」


 いつも好きだと伝えてるのに、何が不安なんだろうか。


「茉奈は本当に俺のこと好きなの?」

「好きだよ。いつもそう言ってるじゃん」

「じゃあなんで、キス以上のこと許してくれないの?」

「それは……まだそういう事したくないっていうか……」


 これまで何回かコウタに胸を触られたことがある。

 でも私は全て嫌がったのだ。

 まだそういう事はしたくないと。


「俺のこと好きなら、そういう事も少しはさせてほしい。好かれてるという実感があるなら、友達付き合いにどうこう言ったりはしないよ。関わらないとも約束する」

「………」


 いろいろ言ってくれたが、要するに『関わらないと約束する代わりにエロいことさせろ』って事らしい。


 ……………。

 ……………。

 ……………。


 絶句と共に怒りがこみ上げてくる。


 『いったん落ち着こう。はい、深呼吸』───という言葉を思い出し、必死に心を落ち着かせる。


 ふぅ……………。




 以降、コウタは私の友達に関わらないと約束してくれた。

 その代わり胸を触られたが、我慢した。

 イヤだったけど関わらないと約束してくれるなら……と、私はコウタの要求を飲んだのだ。


(マナちゃん、こんな事に体を使って本当にゴメン……)


 本当にね、こんな事に体を使って申し訳ないなあと思う……。




 後日。

 改めて私は友達の皆に、気持ちを込めて謝罪した。


「……わかった。二度と関わらないなら、それでいいよ。茉奈ちゃんからは謝罪の気持ち伝わったし」


 ありがとう、梓。

 そう言ってもらえて助かる───と思っていたら、ショーコと冬美が不満そうに言った。


「ウチは不満だな。謝罪の言葉は本人の口から聞きたい」

「私もショーコと同じかな。茉奈の彼氏、謝る気持ちはあるの?」

「………」


 何も言えずに黙ってる私を置いて、冬美が話を続ける。


「茉奈の前でこんなこと言うのもアレだけど、あの人、評判悪いよね」

「そうなん?」


 冬美の言葉にショーコが聞き返した。


「わりと噂になってるよ。天文部で腫れ物扱いになってるって」

「腫れ物扱いは頷けるわ。ウチも関わりたくねーって思ったし」

「………」

「茉奈は彼氏があの人で、ホントに満足なの?」

「………」


 満足するとかしないとか、そういう問題じゃないんだ。

 コウタが自殺しない為に必要なことなんだ……。


「茉奈ならもっとマシな───というか、もっと全然マトモな彼氏が出来ると思うよ?」

「もしかしてマナちん、アイツに弱味でも握られてるんか? もしそうなら力を貸すぞ?」

「………」


 えらい言われようだな。

 そこまで言わなくてもいいじゃんか……。


 皆はホントのコウタを知らないんだ。

 今はなんか調子乗って傲慢人間になってしまってるけど、ホントのコウタはもっと謙虚な人なのだから。


「二人とも、ちょっと言い過ぎじゃないかな。たしかに問題はあるかもしれないけど、それでも茉奈ちゃんの彼氏なんだから」


 ありがとう、梓。

 フォロー感謝。


「ゴメンね、みんな。私の彼氏は皆の言う通り問題があると思う。でも私は、それでも、彼のことを───」


 一呼吸置き、皆に言う。


「愛してあげたいと思ってるの」




* * *




 二月。

 状況は一向に良くならなかった。


 天文部の皆は相変わらずコウタを避けていて、よそよそしい感じになってる。

 私の友達は『別れたほうがいい』とまで言ってくるようになった。


 コウタは未だに友達もいないし、バイトも長続きしない。

 あの傲慢さでは、たぶんバイト先でも嫌われてると思われる。


 今やコウタを嫌っていないのは私だけかもしれない。




 私は以前にも増してコウタへ優しく接した。

 優しくしてあげないと、自殺してしまう気がすごくしたから。


 あれ以来、胸を触られることが多くなったが、あまり本気で拒否しないようにした。

 胸を触るのを許したらエスカレートしてきて、この間は映画館でスカートの中に手を入れられたが、決して怒らず優しくやんわり窘めた。


 友達もいないしバイトもこなせないしサークル活動でも浮いてるし、コウタは四面楚歌なのだ。

 そんな孤独ぼっち人間を冷たく突き放すことなど誰が出来ようか。


 『コウタ君を愛してあげて。コウタ君を一番愛してあげられるのは、誰でもないホンダ君なんだから』


 マナちゃんの言葉を思い出す。


 自分を愛すること。

 自殺防止計画を成功させること。

 マナちゃんの意思を守ること。


 これが私にとって何よりも大事なことなのだ。


 今は嫌われ者になってるが、このままでいいと思ってるわけではない。

 本当のコウタは優しい人。

 それを皆にわかってもらえたら、事態は良くなると思う。


 どうすれば事態を改善出来るのか?

 そのやり方が、一向にわからないが……。




 大学。天文部の部室。

 今日は天文部のミーティングの為、皆で集まっていた。

 次の部長は誰にしようか、観測会はどこにしようか、春の新入部員募集のポスターはどうしようかっていう話し合い。


 半ば幽霊部員になりかけているコウタは欠席。

 もし来てもスマホでゲームしてるだろうし、その事を誰も何も言わないので来ても来なくても大差ないが。


 ポスターは私が引き受けることにした。

 コウタの事で迷惑かけてるので、部の為に何かしたかったのだ。


 次の観測会はミニキャンプという事になった。

 ミニキャンプはいつも楽しいので是非行きたいと思う。




 ミーティングの後、相原先輩に二人だけで話があると呼び止められた。


「藤谷は次の観測会、来るの?」

「出来れば行きたいと思ってます。キャンプ楽しいですし」

「ということは、アイツも来るの?」


 アイツというのはコウタのことだ。


「まだ聞いてないので、わかりません」


 こう答えると先輩はちょっと表情を曇らせた。


「あたしは来年度から本格的に就活始めようと思ってる。だから天文部の活動は次で最後にしようと思ってる」


 夏頃から就活始めて部に来なくなった先輩もいるし、四年生になる前に引退というのはわかる。


「だから次の観測会は思い出に残るものにしたいんだ。出来ればアイツは来させないでくれないかな?」

「………」

「藤谷が面倒見るといっても、アイツが居ると心からリラックス出来ないのよね。わかるでしょ?」

「………」


 わかってしまう自分が嫌だ。

 コウタが居ると、皆どこか落ち着かない感じになっちゃうので。


「あたしも鬼じゃないから絶対に来るなとは言わないけど、もし来るならアイツの傲岸不遜な俺様態度をなんとかしてほしい。それが出来ないなら来ないでほしいというのが本音だよ」

「………」

「それが天文部の為でもあるし藤谷の為でもあるしアイツの為でもあるし、アイツがこれから出会う人の為でもあるのだから」

「……わかりました。考えてみます」


 コウタの傲慢さをなんとかする方法、昔の謙虚で優しいコウタに戻ってもらう方法。

 解決策がわからなかったので棚上げしていた。


 でも、いい機会かもしれない。

 もうちょっと真剣に解決策を考えてみたいと思う。


 先輩と話せて良かった。

 『アイツがこれから出会う人の為でもある』という言葉。


 これってコウタの言動を迷惑に感じるのは天文部の人間だけじゃない。

 ”多くの人はコウタの言動を迷惑に感じるだろう”って意味だよね。


 コウタの問題点と解決策、なんとなくヒントが見えてきたような気がした。




 一応、天文部の他のメンバーにも聞いてみたが、みな口を揃えてコウタの傲慢な振る舞いは『不快だし迷惑だし関わりたくない』と言っていた。


 釣りサークルの人達にも聞いてみたが、やはりコウタの傲慢さは『不快だし迷惑だし関わりたくなかった。だからサークルから追い出した』というプラスアルファまで付いた答えが返ってきた。


 後はいつもの友達か。

 彼女達にも聞いてみよう。


 ショーコと冬美はコウタを嫌ってるので聞くまでもないと思う。

 梓はどうだろうか?




 皆で遊んだ日の帰り。

 私と梓は二人で雑談をしながら、駅のホームで電車を待っていた。

 彼女とは帰りが同じ方向なのだ。


「んー、あたしも思うよ。茉奈ちゃんの彼氏の傲慢な振る舞いは『不快だし迷惑だし関わりたくない』って」

「やっぱそうだよね……」


 梓にも聞いてみたが、天文部や釣りサークルの人と同じような反応が返ってきた。


「この確認、何か意味があるの?」


 聞かれたので答える。


「彼氏の傲慢さには私も思う所あるよ。私には優しいけど、他の人へも優しくしてほしいから。皆の本音を知れば、彼氏が変わるきっかけになるんじゃないかって」

「そっか。よくあるパターンから抜け出して一歩踏み出そうとしてるんだね、茉奈ちゃんは」

「よくあるパターンって?」

「ほら、よくあるじゃん。『皆はカレのこと悪く言うけど私に対しては良い人なの』って、嫌われ者の彼氏を庇うやつ」


 梓が言ってることはわからなくもない。

 ダメ男を擁護する女に多いセリフだ。


「一歩踏み出そうとする茉奈ちゃんの姿勢は好感持てる。難しいと思うけど応援してるよ」


 彼女は笑顔で言った。

 本当に応援してくれてるというのもわかる。

 ただ、少し言葉が引っかかった。


「『難しい』というのは、どうしてそう思うの?」

「え、だって茉奈ちゃんって……」


 梓は言いにくそうに言葉を濁した。


「なに? 言いたいことがあるなら、なんでも言ってほしい」

「じゃあ言うけど……茉奈ちゃんって……彼氏に甘すぎる気が……」


 甘すぎる?


「そうなのかな?」

「だと思うよ。以前、茉奈ちゃんは彼氏から呼び出されると即座に駆けつけてたよね? 基本的に、彼氏の我儘を聞く関係性なのかなって思った」

「……呼び出しに関しては、改善されたじゃん」

「うん。でも基本的には甘やかしてるように見えるよ。以前に『問題があると思うけど、それでも彼氏を愛してあげたい』みたいなこと言ってたじゃん。基本的に甘やかしてるんだなーって感じちゃったよ」

「………」

「茉奈ちゃんが優しい良い子だってのは知ってる。ただ、過剰な優しさが逆に彼氏をダメにしてるという可能性もあるんじゃないかな……みたいな……」


 なに言ってんだ梓は。

 私がコウタを甘やかしてる?

 過剰に優しくしてる?


 ……たしかにそういう部分もあるかもしれないが、優しくしてあげないとコウタはすぐ自虐を始めちゃうような人間なのだ。

 そして今も、過剰に優しくしないと自殺しちゃうんだよ……コウタは……。


 梓は事情を知らないから、そんな事が言えるんだ。


 コウタだって今はあんな傲慢人間だけど、いつかは昔みたいな優しい人間に戻ってくれるはずだ。




 それから数日間、私は思索を重ねた。

 コウタに関する問題点と解決策について。

 そして熟考した末、私は”ある重大なコト”に気付いてしまった。


 そうか……。

 そういうことなのか……。

 だとしたら……。


 やはりコウタをなんとか出来るのは私しかいない。

 私がなんとかするしかないのだ。


 ある決意を胸に、私は夜空を見上げた。


(コウタのことは必ずなんとしてみせるよ。だから見守っててね。マナちゃん)




* * *




 三月。

 映画を見た帰り、私はコウタを松葉公園に誘った。

 決戦の地として相応しい場所だ。


 ベンチに並んで座り雑談を軽くしてから、私はコウタに本題を切り出した。


「ねえ、本田君は釣りサークル、天文部、私の友達。その全てに迷惑かけたという自覚はある?」

「迷惑? そいつらが、そう言ってたの?」

「うん。不快とも迷惑とも言ってたね」


 他にも『嫌な奴』とか『キチ』とか『傲岸不遜な思い上がった奴』とかボロクソ言われてたが、それはひとまず置いておく。


「あっそう。バカになに言われても俺は気にしないよ。そも迷惑ってなによ? 俺がなんの迷惑をかけた?」


 やはりイチから説明しないとダメらしい。

 そうじゃないかとは思っていたが……。


 以前はモヤモヤしてて説明出来なかったが、今は出来る。

 数日間、熟考した成果をみせてあげよう。


「ちょっと質問させてね。プライベートでの極端に傲慢な振る舞いは、他人に迷惑をかけるか否か。どっちだと思う?」

「………」


 コウタは質問の答えを考え始めた。

 じっと答えを待ったが、コウタはなかなか答えようとはしなかった。


「……受け手によるんじゃない? 人によって違うでしょ」


 そうきたか。

 この質問に対しては『人によって違う』という、万能に思える回答も実はあまり良くないんだ。

 だって釣りサークルも天文部も友達も、みな口を揃えて『不快だし迷惑』と言っていたのだから。

 要するに、プライベートでの極端に傲慢な振る舞いなんか、迷惑と感じるのが普通の感覚なのだ。


 だから『人によって違う』という答えは、自分の感覚は普通じゃないと吐露してると同義だ。


 まぁだからといってコウタが特殊な感覚の持ち主……とは言わない。

 たぶんコウタは単純に、自分の傲慢さを温存したいだけだろうから。


「じゃあプライベートでの極端に傲慢な振る舞いを、多くの人はどう感じると思う?」

「知らないよ。バカどもの感性なんて」


 これは多くの人が感じる感覚が絶対に正しいのか? という哲学的な話ではない。


 どういう言動が他人を不快にさせるか、迷惑をかけるか───それをどれだけ自覚できて共感できて、どれだけ他人を不快にさせたり迷惑かけないよう振る舞えるか───という日常生活レベルの話だ。


 一般的な感覚がわからない、あるいはわかった上で迷惑かけるというのは本人のコミュ力の低さ、あるいはサイコパス度を現してるようなものだ。

 どうやらコウタのコミュ力は、本当にかなり低下してしまったらしい。

 あるいは、もともとコミュ力が低かったのか……。


 いずれにせよ、やはり薬が効きすぎていたようだ。

 これに関しては責任を感じる。


「なにが言いたいの? 茉奈」

「さっき自分で『俺がなんの迷惑をかけた?』って聞いたよね? その答えだよ。本田君の極端に傲慢な振る舞いそれ自体が、天文部や釣りサークルや私の友達には迷惑だったって話」

「………」


 もっとわかりやすく言ってあげよう。


「とどのつまりは本田君に、極端に傲慢な振る舞いをやめてほしいっていう話だよ。シンプルでしょ?」

「………」


 このシンプルな結論に至るまでに、なぜか私はずいぶんと時間がかかってしまった気がする。

 マナちゃんなら、もっと短時間で上手い説明を思いついたのだろうけど、私の頭ではこんなもんだ。


「………」


 コウタは黙りこくってしまった。

 たぶん、傲慢さそれ自体を批判されるなんて思ってなかったんだろうね。

 沈黙していたコウタが、しばらくしてから重い口を開く。


「……俺はたしかに傲慢だったかもしれんが、そんな極端と言われるほどだったかなあ……」


 言葉尻をとらえて弁明するってのは、わかってない証拠だ。

 自分の傲慢さを温存したがるのは傲慢人間の特徴だと思う。

 ここはバッサリ切り捨てておこう。


「どう考えても、過剰に傲慢だったと思うよ?」


 人間は誰しも傲慢な部分があると思う。

 でもそれをどうコントロールするか、どうコントロール出来るかが大事なのよね。

 コウタは確実に、傲慢さを上手くコントロール出来てないタイプの人間だ。


「……だってしょうがないだろ。茉奈が言ったんじゃん……自分を愛してほしいって……」


 愛し過ぎだろ!

 という突っ込みは置いといて、これはね……うん、これについてはなんの弁明もないわ。


 完全に私のミスだったと思う。

 だってまさか、ここまで自己愛が肥大するとは思わなかったんで……。


 でも自分のミスは自分でなんとかする。

 話を続けよう。


「本田君の過剰に傲慢な振る舞いが迷惑だったことは、理解してもらえたよね?」

「………」

「だからさ、迷惑かけた人達に心からの謝罪をしてほしいの。仲良くしろとは言わないけど、せめて迷惑はかけないでほしいのよ」


 そう。

 これなんだ。

 私が望んでることって。


 コウタに望むのは、私が大事にしてる人に迷惑かけないでほしいっていう、ただそれだけなんだ。


 誰とでも仲良くしろとは言わない。

 相性悪い人とは距離をとったっていい。

 が、せめて迷惑行為はやめてほしいっていう、それだけなんだ。


 ところが、難しい顔で黙っていたコウタはハッキリ言った。


「イヤだ」


 その口調には、あからさまに不満そうな感情がこもっていた。


「……………どうして?」

「絶対にイヤだ。あいつらが俺にひれ伏すべきなんだ。俺がバカどもに謝るなんてありえない。あんなバカどもに謝るぐらいなら死んだほうがマシだ!」

「………」


 頑固だなあ……。

 こういうのも傲慢人間の特徴だ。


「どうしてもイヤなの?」

「イヤだ」

「私が頭を下げてお願いしてもダメ?」

「そんなどうしてもって言うなら茉奈が裸───いや、メイド服姿でセックスさせてくれるとかなら、そこまでやってくれるなら考えてもいいよ」

「………」


 ……………。

 ……………。

 ……………。


 ……一瞬、コウタが何を言ったのか、よくわからなかった。

 予想の斜め上過ぎる回答に、フリーズしてしまったんだ。


 ……うん、なんかもう、ダメっぽいね……。

 ホントはもっと話をする予定だったけど、こういう返答、反応が来るとは思わなかった。

 いや、全く想像しなかったわけではないが……。


 どうやらコウタの人間性は、想像以上に歪んでいたみたいだ。


 ひれ伏すとか意味わかんない。

 よくそこまで他人を見下せるなあ。


 なんなのよ、メイド服姿でセックスって。

 なんで私がそんなサービスしなきゃならんのよ。

 しかも『考えてもいいよ』ってことは、改善しない気マンマンじゃないか……。


 本当のコウタは謙虚で優しい人……じゃない。

 こういう傲慢なゲス野郎というのが本性なんだ。


 私は昔、前田朋子を批判していたが、実は私も彼女と似たようなゲスさを心に抱えていた。

 そういうゲス人間というのが私の本性であり、コウタの本性なのだ。

 完全に見誤ってたね。


 コウタは傲慢さを捨てるぐらいなら死んだほうがマシとまで言ってのけるレベルになってしまった。

 これはもう、手の施しようがないと思う……。




 ……………。

 ……………。

 ……………なんてね。

 まだ手の施しようはあるさ。


 コウタのことは絶対になんとかしてみせると、マナちゃんに誓ったのは嘘じゃない。

 私には絶対的な自信と確信があるのだ。

 コウタをなんとか出来るという。


 心を落ち着けてから、私は言った。


「本田君は自分が嫌われ者だという自覚はある?」

「どうでもいいよ。世界中に嫌われたとしても茉奈に好かれてるなら、それで十分」


 うまいこと言ったつもりだろうけど全然嬉しくない。

 やはり私からの愛情がコウタの肥大した自己愛の原因になってしまってるようだ。


「……じゃあ、私にも嫌われてるとしたら?」

「………」

「………」


 自信満々だったコウタの顔が、初めて弱々しく怯んだ。


「……………嫌い……なの……………?」

「………」


 一瞬の沈黙の後、意を決しコウタに告げる。


「……うん、嫌い。過剰に傲慢な人なんか、嫌いだよ」

「!?」


 コウタは驚愕の表情で、時間が止まったように固まっていた。

 みるみる内に顔が青ざめていく。


 やはりコウタの自信は、私に好かれてるという事実を拠り所にしていたらしい。

 それが崩れると、そりゃそうなるだろうねっていう。


「別れよう、私達」

「………」


 しばらくして、止まっていたコウタの時間が動き出す。


「……ちょっ!? ちょっと待ってくれよ! なんでいきなりそんな話になるんだよ! 良くない所は直すって! だから別れようなんて言うなよ!」


 コウタは必死になって別れ話の撤回を求めた。


「ううん、傲慢な所は直らないと思うよ」


 少なくとも私と付き合ってる間は、ね。

 絶対に直らないと思う。


 普通に話しただけでは、コウタの傲慢さは改善する見込みが皆無だった。

 それどころか、歪んだ人間性を見せてくれた。

 ここまで歪んだ人間を矯正する方法はただ一つ。


 別れること。

 恋人関係を解消すること。


 結局、これが肥大した自我を矯正する唯一の方法であり、薬なのだ。

 コウタの傲慢さのガソリンが藤谷茉奈からの愛情なら、その供給を断つしかない。

 供給を断つには別れるしかないのだ。


「そういう事なんで」


 私はベンチから立ち上がって、公園の出口に向かい歩き始めた。


「待てよ! 話はまだ!」


 コウタに手首を掴まれる。


「もう話すことなんかないよ。終わりにしたいの。さよなら」


 掴まれた手首をくるりと回して容赦なく断ち切る。

 冷たく断ち切られたコウタは、世界の終わりのような顔をしていた。

 以前、告ってきたのをあしらった時と同等───いや、それ以上に悲しそうな顔。


 コウタに背を向けて歩きながら、心の中で囁く。


 ……さよなら、コウタ。

 ゴメンね、冷たくして。


 唯一の味方だった私に去られて、孤独になっちゃったね。

 死にたくなるほど辛いよね?


 でも大丈夫だよ。

 私も─────いっしょに死んであげるから。




* * *




 私が見捨てたら、コウタは自殺してしまうだろうという思いは変わってない。

 でも、それでいいのだ。


 だって、会う人全てを不快にさせ迷惑を撒き散らす傲慢モンスターなど、死んでしまったほうが世の為になるのだから。


 熟考で私が気付いたのは、これなのだ。

 友達、天文部、釣りサークル。

 コウタはいろんな人達を不快にさせ、迷惑を撒き散らした。


 こんな迷惑極まりない傲慢モンスターなど、死んだほうがいい。

 この先、生きていてもお得意の傲慢さで他人を不快にさせ、迷惑を撒き散らす未来しか見えない。

 だったら死んでしまったほうがいいに決まってる。


 やるべきなのは自殺防止計画ではなく、自殺推奨計画だったのだ。

 それこそ、やるべき課題だったのだ。


 マナちゃんだってたくさんの人達に迷惑かけ続ける、傲慢モンスターを野放しにして良いとは思わないだろう。

 計画を途中で変えたことを許してくれるはずだ。


 こんな傲慢モンスターを作り上げたのは、他でもない私だ。

 だったら私が責任を取るのが筋だし、私の手で始末をつけるべきなのだ。




 いつの間にか空が暗くなってきていた。

 雨がぽつぽつと降り始める。


 ただでさえ気が滅入ってる所に雨まで降り出すとは……最初に自殺した時と一緒だな。

 今は『2023年の3月』───死んだ時期もピッタリ合ってる。

 いよいよバッドエンドっぽくなってきた……。


 傘もささず、雨に打たれながら私はアテもなくトボトボと歩いた。

 たぶんコウタも例の交差点に向かってフラフラ歩いてると思う。


 失敗の原因について考える。

 失敗したのは単純に、私に力が足りなかったせいなんだろうな。


 私の力では自殺を阻止することも出来なかったし、迷惑を撒き散らす傲慢モンスターを矯正することも出来なかった。


 結局、マナちゃんじゃないと無理なのだ。

 コウタをどうにかするというのは。

 私の手には余るというのがホンネだ。


 やり直しが出来ればいいのだが、腕のアザはゼロのままだったので、もうダメなんだろうなと思う。




 死んでしまうことは怖いけど、脳内麻薬を使ってるので恐怖心はマヒしてるかもしれない。

 迷惑を撒き散らす傲慢モンスターを葬ることで社会の役に立てる……みたいな?

 悲劇のヒーローというか、ヒロイン気分に浸るという脳内麻薬。


 褒められたものじゃないかもしれないけど、これぐらいは許してほしいと思う。

 だって、死ぬって怖いもん。


 ……でも、生きることは、それ以上に怖い。


 あの傲慢モンスターに一生ストーカーされる、付きまとわれる人生なんて絶対イヤだ。

 ぶっちゃけ、苦痛だよ。


 私の大事な人達に傲慢モンスターが迷惑かけるのもイヤだし、卑猥な要求がエスカレートしてきてるのも正直、不快だ。

 胸を触られるだけでもイヤなのに、セックスなんて冗談じゃない。

 いつかセックスを許さなければならない……と考えただけで、ちょっと絶望的な気分になる。


 結局のところ、私がコウタに引導を渡すのが一番マシな解決法なんだと思う。




 雨が強くなってきた。

 もう全身ずぶ濡れだ。


 三月の雨は冷たく、感覚も麻痺してきた。

 脳内麻薬と合わせて、物理的にも精神的にも全てが麻痺してきた状態だ。


 コウタはそろそろ交差点に辿り着く頃だろうか?


 雨空を見上げ、マナちゃんへ呟く。


(ゴメンね、マナちゃん。頑張ったけどダメだった)

(結局コウタは自殺する運命にあるみたい)

(もう、やり直しも出来ない)

(自殺防止計画は失敗だった)

(というか、最後の最後で自殺推奨計画に変えちゃったけど、いいよね?)

(だってあの傲慢モンスターを野放しにするわけにはいかないから)

(これで良かったんだよね? マナちゃん)

(良くないってば)

(私、もうすぐそっちに行く───)


 ……………。

 ……………。

 ……………。


 ……………え?

 いま何か混ざってなかった……?


 雨の中、周囲を見回したが誰もいない。

 空耳……?


(わたしがこんな結末を望んでると本気で思ってる? 幸せになってって言ったじゃん。ほら、早くコウタ君を追いかけなよ。前回は追いかけなかったけど、今回は───なるべくわたしの好きなようにさせてもらえるんでしょ?)

(そのルールって今も続いてるの?)

(………)

(……マナちゃん?)


 返事は無かった。

 感情のない雨の音だけが聞こえてくる。

 改めて周囲を見回してみたが誰もいない。


(マナちゃん?)


 もう一度呼びかけてみるが、返事はない。

 やはり空耳だったんだろうか?

 マナちゃんに会いたいあまり、幻聴が聞こえたとか?


 気付いたら、私の足は自然と例の交差点へ向かっていた。

 そこへ行かなければならないような気もしたし、体が勝手に動いてるような気もした。


 感覚が麻痺してるので、どっちなのか自分でもよくわからない。


 最初は歩いていたが、何かに突き動かされ、途中から小走りになった。

 それがなんなのかはわからないけど。




 例の交差点が見えてきた。

 雨で視界が悪かったが、コウタの姿も遠目に見える。


 来る……もうすぐ。


 私にはわかった。

 もうすぐトラックが来るんだと。

 予想通り、通りに視線を向けるとトラックが走って来るのが見えた。


 プォーーーー!!!!!!

 雨の中、けたたましいクラクションの音が鳴り響く。


 そして雨でスリップしたトラックは、コウタのほうへ突っ込んでいくのが見えた。

 全ての動きがスローモーションになる。


 コウタは棒立ちだった。

 このままいけば確実に跳ね飛ばされるだろう。


 そうだ。

 コウタは死んだほうがいいのだ。

 本田滉太は自殺のほうが相応しいのだ。


 私はトラックがコウタに突っ込む様子を何もせず、ただ見ていた。


「死なないで!!」


 誰かの声がした。


 誰だ?

 『死なないで!』なんていう奴?

 死んだっていいじゃんか、あんな迷惑人間……。


 ……………って、私か?!

 いま叫んだのは私なのか!!??

 声が勝手に出てきた。


 これって……!?


 トラックが激突する直前、声に反応したコウタが一瞬こちらを向いた気がした。

 そしてコウタがトラックに跳ね飛ばされた瞬間、私は意識を失った。




* * *




 暗闇だけの空間。

 明かりもないのに、なぜかマナちゃんの姿だけは見える。


(ゴメン、マナちゃん。もうやり直しは出来ない最後のチャンスだったのに失敗だった)


 謝罪の言葉が自然に出てきた。

 マナちゃんにはいろいろ良くしてもらったのに、失敗してしまい本当に申し訳なく思う。


(マナちゃんの言った通りだったよ)

(なにが?)

(『自己愛って上手く付き合わないと厄介なのよ』って言ってたじゃん)

(うん、言ったね)

(これはまさに、その通りだと思ったよ。身をもって知った。私は自己愛を上手く制御できなかった……)

(気にすることはないよ。自己愛を制御するって難しい事だから)


 慰めてくれてるんだろうか。

 マナちゃんはいつも優しい。


(私やコウタの自己愛は非常に歪んでたと思う。以前は自虐が過ぎたし、今回は傲慢が過ぎた)

(その辺、調節がちょっと上手くいかなかったみたいだね)

(ちょっと所じゃないよ。全然上手くいかなかった……)


 こう言うと、マナちゃんは優しく諭すように言った。


(自己愛というのは多過ぎると傲慢になって他人が敵に回り、少な過ぎると自暴自棄になって自分が敵に回る。他人が敵に回ると軽蔑や村八分、自分が敵に回ると自虐や自殺など、いずれもロクなことにならない。自己愛というのは、適正かつ適量なものが望ましいのよ)


 ……………それだ。

 私に足りないのは、そのバランス感覚だったんだ!

 マナちゃんが以前、ブラックアウトする直前に言いかけたのはこれだったのか!


 自分が敵に回った時の自虐や自殺は、説明不要なほど何度も経験した。

 他人が敵に回った時の軽蔑や村八分も、今回の経験からよくわかる。


 一応、コウタにとって私は他人であり、外部の人間だ。

 その他人である私がコウタを嫌ったのは、あの傲慢さに辟易したからだ。


 私だけじゃない。

 天文部も釣りサークルも友達も、皆コウタの傲慢さにウンザリしていた。

 傲慢ゆえに他人が敵に回って、嫌われたり村八分にされたり彼女にも愛想を尽かされたりしている。


 マナちゃんの言う通りロクなことにならない。

 見事なまでのバッドエンドだった。


(自己愛が適正で適量なら、コウタ君も等身大の自分を見つめる事が出来たかもしれない)

(………)

(究極的には自己愛のコントロール方法───というか生き方に正解はないけど、コウタ君の場合は失敗だったと思う。結局、自殺という結論を選んでしまったんだから)


 耳が痛いよ、マナちゃん……。


 私は自分を───コウタを上手く愛することが出来なかった。

 自虐も自殺もしてほしくなかったから過剰に優しくしたり甘やかした。

 でもそれが、失敗の原因だったのだ。


 『過剰な優しさが逆に彼氏をダメにしてる』という梓の指摘は正しいと思う。

 過剰な傲慢さで嫌われ者になっていたコウタは、明らかに問題のある状態だった。


 でも私はそんなコウタを諫めるどころか、甘やかしてしまった。

 それが失敗だったんだ。


(私はコウタに対して甘やかすだけの過剰な愛を注ぐのではなく、適正で適量な愛を注ぐべきだったんだね……)

(そうだね。甘やかすだけという方向性も、過剰という分量も間違ってたと思うよ)

(だから結果、あんな自己愛が歪みまくった傲慢モンスターを生み出すことになってしまったのか……)


 本当にね。

 痛恨の失敗だったよ、これは……。


(もっと早くマナちゃんと話したかったな。自己愛の扱い方、気付くのが遅すぎたよ)

(………)

(ゴメンね、マナちゃん。結局バッドエンドになっちゃった。マナちゃんはいろいろ頑張ってくれたというのに。全部無駄になっちゃったよ……)

(無駄……とは言い切れないよ。失敗は次に生かせばいいと思う)

(忘れちゃったの? 次なんてないよ。もうやり直しは出来ない。もう遅いのよ。何もかもが)


 気付いた時には手遅れ。

 私のグダグダな人生に相応しいオチだと思う。


(忘れてないよ。たしかに”これまでのような”やり直しは出来ないね。でも別のやり直しなら出来るんじゃない?)

(どういうこと?)

(過去に戻ってのやり直しは出来ない。でも今現在からなら、やり直しは出来るでしょう?)

(意味がわからない。私、もう死ぬんだよ? 今現在からやり直しなんて出来るわけないじゃん)

(出来るよ。わたしが最後になんて言ったか思い出して)


 記憶を辿ってみる。


(……えっと……『甘えんぼさんだねー』だっけ?)

(違うよ!)

(『自分を愛してあげて』のほう?)

(だから、違うってば!)


 マナちゃんは苦笑いを浮かべた。

 最後の言葉ってなんだ?

 これ以外に何か言ったっけ?


 私が考え込んでると、マナちゃんは優しい笑顔で言った。


(最後の言葉は───『死なないで』───だよ)




* * *




 ……………。

 ……………。

 ……………。


 ……目が覚めると白い天井があった。

 初めて見たはずなのに、どこかで見たことあるような気がした。


 ベッドに横たわってるのはわかるが、頭は霞がかったようにボンヤリしている。


 夢……そう、ものすごく長い夢を見ていた気がする。

 悪夢だったのか楽しい夢だったのか……いや、そうじゃない。

 楽しいことも嫌なことも、両方あった夢だったような気がする。


 どうやらここは病室らしい。

 そしておそらく、自分は病人なのだろう。


 五体満足か確かめてみると足の感覚だけなかった。

 ギプスみたいな物を逆の足で感じたので、足がなくなったわけではないらしい。

 たぶん骨折なのだろうと思う。


 なんとなく顔を横に向けてみる。

 するとそこには中学生ぐらいの女の子が……………いなかった。


 あれ?

 なんでいないんだろう?


 ……………。

 ……………。

 ……じゃなくて、逆だ。

 なんで中学生ぐらいの女の子が横に居るなんて思ってしまったんだろう?


 ……………俺には妹なんていないのに。


 ……そうだ。

 俺に妹なんていない。


 俺?

 俺って誰だっけ?


 急いでベッドのネームプレートを確認する。

 そこには『本田滉太』様と書かれてあった。


 ……そうだ、俺は本田滉太。

 なんで一瞬、自分が誰だかわからなくなったんだろうか?


 ”俺”という一人称もなんか違和感あるような……?

 俺はずっと、自分のことを”俺”といっていたはずなのに?


 ……時間。

 時間はどうなってるんだ?

 今はいつなんだ?


 急に気になったので、床頭台に置いてあったスマホを確認。


 あれ?

 俺のスマホってこんなだっけ?


 ……いや、こんなだな。

 なぜか一瞬、違うデザインで可愛いストラップがついたスマホと思ってしまった。


 スマホには『2023年 3月』と表示されていた。


 そうだよな。

 今は2023年だよな。

 なぜ一瞬、今が2017年のような気がしてしまったんだろうか?


 夢のせいか、記憶が混乱してるようだ。

 なんだろうこの、自分が自分でないような感じは……。




 病室のドアが開いて、すごい美人が入ってきた。

 この美人は誰なんだろうか?


「!?」


 正体不明の美人を見ていたら突然、ぼやけていた記憶が一気に蘇った。


 そうだ!

 この美人は藤谷茉奈!

 俺の元カノだ!


 数時間前に別れを告げられたショックで雨の中、フラフラ歩いていたらトラックが突っ込んでくるのが見えた。

 死んでもいいと思った。

 いやむしろ、俺みたいな傲慢モンスターは死んだほうがいいとさえ思った。


 でも覚悟を決めた瞬間、彼女の声がしたんだ!


 大きな声で『死なないで!』───と。


 だから生きたいと願って咄嗟にトラックを避けようとして……だから死なずに済んだのか!

 助かったのは彼女の声のおかげだと思う。

 それがなかったら、たぶん俺は死んでた。

 そういう不思議な確信がある。


 お礼も言いたいが、それ以上に俺はこの美人に───藤谷茉奈に伝えたいことがたくさんある。


 今までたくさん迷惑かけてゴメンなさい……と。

 たくさん謝りたい。


 彼女の友達、天文部、釣りサークル。

 俺が迷惑かけた人はすごく多い。

 迷惑かけた人達に謝ることを、彼女に伝えたかったんだ。

 退院したら、すぐに謝罪に行きたいと思う。


 ……………。

 ……………。

 ……………あれ? でも、待てよ?


 この藤谷茉奈は、本当に藤谷茉奈なのだろうか?

 急に不安になってきた。

 おかしな話だが、彼女の中には別の人格が入ってるような気がしたんだ。


 俺はおそるおそる聞いた。


「……君は……俺なの……………?」


 冷静に考えると意味不明の質問だ。

 なぜこんな質問が俺の口から出てきたのか、自分でもよくわからない。

 頭がおかしくなったと思われても不思議じゃない、ぶっ飛んだ質問だ。

 でも、そう聞かずにはいられなかったんだ。


 こんなぶっ飛んだ変な質問なのに、彼女は普通に答えてくれた。


「違うよ」

「!!」


 違うのか……良かった!

 でも念の為、もう一度、確認したい。


「君は本当に……藤谷茉奈なの?」

「本当に藤谷茉奈だよ。わたしがナイチンゲールに見える?」

「!!」


 その言葉を聞いた瞬間、俺はとても嬉しくなった。

 ものすごく不思議で妙なやり取りだが、なぜか俺にはわかったのだ。


 彼女は本当に正真正銘、藤谷茉奈なのだと!


 会いたかった!

 ずっと会いたかった!!

 数時間前に会ったばかりなのに、なぜか超久しぶりに会ったような気がした。


 感極まって全身が震える。

 涙が出そうになるぐらい嬉しい。

 というか実際、ボロボロと涙が零れてきた。


 俺の口からは、自然とこの言葉が出てきた。


「……お帰り、マナちゃん!!」


 そう言うと、マナちゃんは穏やかな微笑みを浮かべながら答えてくれた。


 「ただいま」───と。




END

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