ドアマット令嬢は、全てをぶち壊して幸せになる
十歳の誕生日を迎えた直後にお母さまが亡くなってから、全てが可笑しくなった。
お母さまが亡くなって一か月たたない頃にお父さまが再婚して、新しいお母さまと妹ができた。
最初は仲良くできるかなって、わくわくしていた。
でも、現実は違った。
新しいお母さまは、わたしからドレスもアクセサリーも部屋も、全部を取り上げて、妹に渡してしまった。
わたしが嫌がっても無理やり。
お父さまに訴えても、見て見ぬふりをされる。
わたしの部屋は埃まみれの屋根裏部屋に移されて、薄い毛布一枚だけが与えられた。
朝早くに起きて、使用人と一緒にお屋敷の掃除をする。
ドレスは取り上げられているから、使用人のお下がりのメイド服を着るしかない。
悲しかった。どうしてお母さまは死んでしまったのか、お父さまは助けてくれないのか。
新しいお母さまに罵倒され、妹にあざ笑われる日々は、心がすり減っていく。
何か失敗をするたびに、罰と称して食事を抜かれる。
お腹が空いているのが日常になって、くうくうお腹を鳴らしながら、それでも掃除をするしかなかった。
ある日、お母さまに叱られているところにお父さまが通りかかった。
お父さまたちが再婚してから半年がたっている。
この頃のわたしは、もうお父さまになんの期待もしていなかった。
「全く! お前は本当に不出来ですこと!」
お母さまの隣で妹がくすくすと笑っている。
わたしが転んで飾ってあった花瓶をひっくり返して壊したから、怒られている。
でもそれは、妹が足を引っかけたからだ。
なのに、弁明すら許されない。
「誰に似たのかしらね!」
「それの母親も大概無能だったな」
ぽつり、お父さまがこぼした言葉に、大きく目を見開く。
お父さまはお母さまのことを、そんな風に思っていたの?
いつもにこにこと笑っていた優しいお母さまのことを、そんな風に蔑んでいたの?
信じられない気持ちで、たまらずわたしはその場から逃げ出した。
お母さまの叱責の声が追いかけてきたけれど、構うことなく走り続ける。
(お母さま、お母さま、助けて!)
もう耐えられない。もう無理だ。こんな生活、続けられない。
涙を流しながら、お屋敷を飛び出した。
どこに行けばいいのかもわからない。
ただ、がむしゃらに走り続ける。
その時、ふと思い出したことがあった。
病気で寝込むことが増えたお母さまが言っていたこと。
『アメリ、なにか理不尽なことがあれば、叔父様を頼りなさい。お母さまの弟が、貴女を守るわ』
もしかしたら、お母さまはお父さまの浮気に気づいていたのかもしれない。
どうして今の今まで忘れていたのだろう。おじ様は魔法省専属の騎士だ。
この状況を訴えれば、なにか変わるかもしれない。
一縷の希望をもって、わたしは行き先を魔法省に変える。
道は覚えている。お母さまが体調のいい時に散歩と称して教えてくれたから。
息を切らせて、わたしは道路を駆け抜けた。
今ばかりは、ドレスに合わせた靴ではなく、使用人の使いやすさ重視の靴でよかった、と思った。
「助けてください!! おじ様に会わせて!!」
魔法省の広いロビーに駆け込んだわたしは、受付から驚いた顔でこちらを見ている女性にむかってそう叫んだ。
まばらにいた周囲の人たちがぎょっとした顔でわたしをみる。構ってはいられない。
「新しいお母さまと妹が酷いの! いつもわたしを虐めてくるの! このままでは殺されます!!」
「お、落ち着いて!」
受付から出てきた女性が、慌てたように私の前で膝をつく。
涙が止まらないわたしは、訴えるために同じ言葉を繰り返す。
「わたし、アメリ・アレクサンドルです! こんな格好だけど、伯爵令嬢なの! 新しいお母さまが全部わたしから取り上げるの!!」
「アレクサンドル伯爵令嬢?!」
ぎょっとした様子で繰り返される。使用人と同じ格好をしているからだろう。
そのうえ、ここ数日お風呂にも入れてもらえなかったから、髪はべとついているし、薄汚れている自覚もある。
「おじ様に会わせてください! このままでは死んでしまうわ!」
「誰か! ローラン様を呼んでください!!」
必死の訴えが伝わったのか、女性がおじ様の名を口にする。わたしの手を取って、ふんわりと握った。
「大丈夫ですよ、アメリ様。もう、大丈夫です」
「ほ、本当……?」
「はい」
安心させるように頷かれて、少し落ち着きかけていた涙がさらに溢れた。
ひっくひっくと泣くわたしは、女性に促されて応接室らしい部屋に通された。
「アメリ!」
「おじ様!!」
応接室で久々に紅茶とお茶菓子のクッキーを振る舞われて、ぐうぐうと鳴っているお腹がちょっとだけ落ち着いた頃、慌てた様子のおじ様が駆け付けた。
「なにがあったんだ! こんな、こんな格好……!」
おじ様は声を詰まらせながら、ソファに座る私を抱きしめてくれた。
誰かの体温に触れるのは、とても久しぶりだ。
温かくて、引っ込んでいた涙がまたこぼれた。
「事情を聞かせてくれ。だが、その前に風呂だな。食事は食べれていたか?」
「ううん、食べてない」
「そうか。なら風呂に入っている間に飯も用意しておこう。君、ありがとう。後は俺に任せてくれ」
「はい」
ずっとそばにいてくれた女性を下がらせ、おじ様がひょいとわたしを抱き上げる。
「きたないよ……?」
「そんなわけあるか。お前はいつだって綺麗だ」
お風呂にも入れず、メイド服は洗濯もろくにできていない。
それなのに、おじ様はためらわずわたしを抱きしめて抱き上げてくれる。
それが嬉しくて、おじ様の首元に手を回して、涙を流した。
魔法省からおじ様の家に馬車で移動し、メイドの手を借りてお風呂に入った。
着替えがない、と思っていたけれど、執事が貴族街でドレスを買ってきてくれたらしくて、半年ぶりに貴族の令嬢としてまともなドレスに袖を通す。
食堂に連れていかれて、お腹に優しいミルク粥を出してもらった。
「ゆっくり食べるんだぞ」
「はい」
あつあつのご飯も久々だ。最近は食べれたとしても、冷めた残飯ばかりだったから。
スプーンですくって、ふうふうと覚ましながら食べるわたしを、穏やかにおじ様は見守ってくれている。
半分ほど食べると、お腹いっぱいになってしまった。でも、残すのも申し訳ないしもったいない。
スプーンを持ったまま迷っていると、察したおじ様が口を開いた。
「無理に食べる必要はない」
「……また、ご飯もらえる?」
「いつでも食べていいんだ。それは残しなさい」
「はい」
スプーンを置くとおじ様が立ち上がった。
テーブルをぐるりと回って、またわたしを腕に抱き上げる。
「話を聞きたい。応接室に行こう」
「うん」
こっくりと一つ頷くと、おじ様は悲しげに笑う。
その瞳の奥には怒りが宿っているように見えた。
わたしはおじ様の腕に手を回して、ぎゅうとくっつく。おじ様は何も言わなかった。
応接室に移動して、お父さまが再婚してからの扱いを全部話した。
新しいお母さまに全てを取り上げられたこと、妹は意地悪でいつもわたしをあざ笑っていること。
屋根裏部屋で暮らしていること。使用人以下の扱いをされていること。
吐き出すように全て口にすると、少しだけ気持ちが落ち着いた。
そっとおじ様を伺うと、眉を寄せて怖い顔をしている。
わたしの視線に気づいたおじ様は、表情を和らげて頭を撫でてくれた。
「よく耐えたな。気づいてやれなくてすまない」
「ううん」
「……何度かアメリの様子を見に行ったんだが、追い返されていたんだ。こんなことになっているなら、もっと食い下がるんだった……っ!」
苦しそうに言われた言葉に目を見開く。
(おじ様はわたしを気遣ってくれていたんだ)
一人じゃなかった。それが、何より嬉しい。
「わたしも、もっと早くおじ様を頼ればよかった」
どうしておじ様の存在を忘れていたのだろう。
日々を生きるだけで精いっぱいで、急激な環境の変化についていけなくて、そこまで思考が回らなかった。
「これからは俺が守る。だから、俺と一緒に暮らさないか?」
「! うん!!」
おじ様は侯爵だ。伯爵より身分は一つ上。
おじ様が守ってくれるなら、この先はきっと大丈夫。
顔を輝かせて頷いたわたしに、おじ様が小さく笑う。
瞳の奥に傷ついた影があることに、気づかないふりをした。
おじ様に引き取られてからしばらくは、お屋敷で留守番をさせるのも不安だから、と魔法省でのお仕事にくっついていった。
おじ様の仕事中は、魔法省のお姉さまたちが代わる代わる相手をしてくれたから、退屈はしなかった。
中断せざる得なかった勉強も再開して、三食におやつもしっかり食べて、夜はふかふかのベッドでぐっすりと眠る。
そうやって過ごしていると、やせ細っていた体も少しずつ肉がついて回復してきた。
おじ様に引き取られて三ヵ月が立つ頃、わたしは熱を出した。
「おじ様、お仕事にいってだいじょうぶだよ」
「だが、アメリを屋敷に残すのは……」
ベッドサイドに椅子を持ってきて座っているおじ様に、にこりと笑う。
「大丈夫。みんながいるもの」
執事やメイドはわたしに同情的で優しい。彼らがいれば、大丈夫だと心から思えた。
それに、大人は中々仕事を休めない、ということくらいはわたしだって知っていたから。
「帰ってきたら、子守唄を歌ってほしいなぁ」
「姉さんみたいにうまくないぞ?」
「ふふ、だいじょーぶだよ」
うと、と瞼が落ちる。
熱を下げるための薬が効いてきて、うつらうつらし始めたわたしの頭をそっとおじ様がなでた。
「じゃあ、仕事に行ってくる。なにかあればすぐに駆け付けるから」
「はぁい」
寝ぼけた声で返事をすると、くすりと笑う気配がする。
わたしは心地いいまどろみの中、夢の世界に遊びに行った。
「……?」
遠くで、声が聞こえた気がした。
ふわふわとした夢うつつの感覚の中に、聞き覚えのある耳障りな声が響く。
眠い目をこすって体を起こすと、その声は扉の方から聞こえてくるのだと気づいた。
「なんだろう……?」
不思議に思ってベッドから降りた。ドアを開けて廊下に顔を出す。
怒鳴り声は玄関の方から聞こえてきた。無性に胸騒ぎがして、足音を殺して歩く。
玄関が見える曲がり角から耳を澄ませると、声は案の定お父さまのものだった。
傍には扇で口元を隠したお母さまと、綺麗に着飾った妹のクレールもいる。
「娘を返せといっている!!」
「お引き取りください。アメリ様はローラン様が保護されています」
「保護だと?! 小僧が生意気な!」
心臓がばくばくとうるさい。口からでてきそうだ。
きゅ、と胸の前で手を握りしめる。
どうしてお父さまはいまさらわたしを探しているの。
わたしなんていらないんじゃなかったの。
「おじ様……!」
おじ様が帰ってくるまで、あとどれくらいかかるんだろう。
おじ様に仕える執事は高齢だ。
いまは凛と言い返しているけれど、いつまでも持つとは思えない。
青ざめるわたしの耳に、聞きたくない声が飛び込んでくる。
「あ! あそこにいる!」
クレールの声だった。
驚いて視線を向けると、にたにたと嫌な笑みを浮かべたクレールがわたしを指さしている。
(みつかった!)
クレールの位置からは廊下に隠れているわたしが見えていたらしい。
逃げなきゃ、と思うのに体が固まって動かない。
植え付けられた恐怖心が足をすくませている。
「アメリ! こんな場所でなにをしている! いますぐ帰るぞ!!」
お父さまが執事を突き飛ばす。
固まるわたしに、執事が「お部屋へお戻りください!」と叫んだ。
でも、足が廊下に根を張っているかのように、動かない。
部屋に戻りたいのに、走って逃げたいのに、それができない。
私の目の前に現れたお父さまが、強引に腕を引っ張る。
「いたい!」
「お前にようやく利用価値ができたんだ。婚約者がみつかったことを喜ぶんだな」
「いやっ!」
「親に逆らうのか!」
引っ張られるのに抵抗して踏ん張っていると、それに激昂したお父さまが手を振り上げた。
きゅ、と目をつむったけれど、叩かれる衝撃はいつまでたっても訪れない。
恐る恐る目を開くと、怖い顔をしたおじ様がお父さまの手首を掴んでいた。
「おじ様!」
「貴様っ」
「なにをしている」
地を這うような低い声。
いつも穏やかなおじ様からは考えられない、ぞっと背筋が凍るような冷たい声音。
けれど、お父さまは気にした様子もない。
腕を振り払っておじ様から距離をとる。
すかさずおじ様がわたしを守るように間に割り込んだ。
「アレクサンドル伯爵、俺は貴方からアメリの養育権を買い取ったはずだ。それなのに、なにをしようとしていた」
「!」
おじ様の言葉に驚いて顔を上げる。
広い背中に守られながら、そこまでしてくれていたのかと思うと嬉しかった。
「所詮、口約束だ」
「契約書があるはずだが」
「知らんな」
……お父様は、どうしてこんなに変わってしまったのだろう。
お母さまが元気な時は、わたしにだって優しかったのに。
ぎゅうとおじ様の服を掴むと、ちら、と視線が向けられた。
けれど、すぐにおじ様はお父さまをみて睨む。
膠着状態だ。どうにかしたい。
わたしだって、守られるだけはいや。
「……お父さまには、愛人が三人います」
「なっ」
「アメリ?」
わたしは勇気を振り絞って、使用人として扱われる中で知りえた情報を口にする。
この前、家庭教師の先生が「情報は力です」と言っていた。
同時に「事実を告げられただけなのに、人は酷く狼狽する。切り札を切るタイミングは、よく考えることです」とも。
きっと、今がそのタイミングだ。
お父さまを狼狽させて、追い返さないといけない。
「新しいお母さま以外に、メイドを含めて三人手を出したんです。名前はエトワール男爵夫人、コーロラ子爵令嬢、一番新しいメイドのクエット。みんな、お父さまに逆らえなくて泣いていたと聞きました」
心の中に散らばっている勇気をかき集めて糾弾したわたしの言葉に、すかさずおじ様が続ける。
「お互いに了承していない行為は裁きの対象だ。調べねばならんな。魔法省勤務として放置できん」
「でたらめだ! お前は何を言っているんだ!」
「新しいお母さまは男を二人囲っています。お父さまに内緒でたくさんお金をつぎ込んでいるわ。エドワーズ男爵はクレールの本当のお父さまなの」
「なに?! 夫とは死別したといっていたではないか!」
「嘘ですわ!! そんなことありません!」
鬼の形相で振り返ったお父さまに、お母さまが必死に言い返している。
わたしは次のターゲットをクレールに向けた。
クレールがびくりと肩を震わせる。
「クレールは王太子殿下に失礼な態度をとって不興を買ったのを、お父さまとお母さまに隠しているわ」
「なんだと?!」
「なんてことを!!」
「そんなことしてない!!」
涙目で声を上げるクレールをかわいそうだとは思わない。
わたしがされてきた仕打ちに数々に比べれば、事実の羅列など優しいもののはずだ。
場は蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。
お父さまが怒鳴ってお母さまとクレールを問い詰めて、二人は必死に反論している。
お母さまなんて、言い訳を通り越して、お父さまの不貞について反論していた。
しばらくぎゃあぎゃあとうるさい三人を冷えた眼差しで眺めていたおじ様が、ふいにパンと手を叩いた。
「家族喧嘩は自宅でしてくれ。お引き取りを」
「貴様……!」
「先ほどの告発に基づき、調査を行う。事実であればアメリの件と合わせて、相応の罰が下る。仮にもアメリの父親だからと、水面下でことを運んだというのに、壊したのはそちらだからな」
「っ」
おじ様の言葉にお父さまが顔を真っ赤にして口を開こうとした。
けれど、今度こそ冷え切った声で、おじ様が告げる。
「帰れ、と言っている。それとも、魔法省所属の騎士である俺とやりあうか?」
挑発的に笑ったおじ様に、お父さまが悔しそうに口を閉じた。
背を向けたお父さまに、べーと舌を突き出す。
精々困ればいい。わたしの家族は、もうお父さまじゃなくておじ様だから。
おじ様さえ傍にいてくれればいい。今回の騒ぎで、より一層強くそう思った。
肩を怒らせて玄関から出ていったお父さまと、逃げるように立ち去ったお母さまとクレールを見送る。
ややおいて、おじ様が盛大に笑いだした。
「あっはっは! アメリ! お前いい情報を持っていたな!」
「? 事実を口にしただけよ」
「それが最高なんだ」
頭をぐしゃりと撫でられる。お母さまよりすごく乱雑な仕草だけど、嫌いじゃなかった。
「わたし、役に立った?」
「ああ。最高のプレゼントをもらった気分だ!」
ひょいっといつものように抱き上げられる。
上機嫌ににこにこと笑っているおじ様に、わたしも嬉しくなって首に抱き着いた。
「ねえ、おじ様。大きくなったらお嫁にもらってほしいの」
「どうしてだ?」
「わたし、おじ様がお母さまの次に好きだから!」
「はは、それは光栄だな」
にこにこと笑っているおじ様が、軽くわたしの頬にキスを落とす。
「お前が十六歳で成人しても、気持ちが変わらなかったら考えてやる」
「やくそくよ!」
「ああ」
このとき、子供の軽い口約束だと思っていたおじ様が、六年後、成人したわたしに迫られてたじたじになるのは、誰も想像しなかった未来だろう。
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