多幸時間
昇降口を出て、外に出た瞬間。
湊くんの手が、当たり前みたいに私の手を取った。
ぎゅっと強くもなくて、
でも離れる気もない、あの掴み方。
(……近い)
距離も、体温も、心臓の音も。
さっきまで教室にいたのが嘘みたいに、
世界が急に静かになる。
私「……湊くん」
呼ぶと、すぐに視線が落ちてくる。
湊「なに」
声が低くて、優しい。
それだけで、胸がきゅっとする。
さっき言われた言葉が、
まだ頭の中で反芻されていた。
――離れる想像ができない。
それ、そんな簡単に言っていい言葉じゃないのに。
私「……さっきの、ほんと?」
湊「なにが」
私「……離れる想像できない、って」
湊くんは歩きながら、
ほんの一瞬だけ考えるみたいに視線を前に向けて、
すぐ、何でもないことみたいに言った。
湊「できないよ」
即答。
湊「できないし、する気もない」
心臓が、変な音を立てた。
(……そんな……)
私だけが、こんなに怖がってたみたいで。
私「……私さ」
言葉を選んでる間に、
湊くんの歩幅が少しだけ遅くなる。
ちゃんと、合わせてくれる。
私「最近、すごく幸せで……」
そこで、声が少し小さくなった。
私「……それが、ちょっと怖い」
湊くんが、ぴたりと足を止めた。
私もつられて立ち止まる。
夕方の風が、少し冷たい。
湊「怖い?」
私「うん……」
正直に言う。
私「今まで、こんなふうに大事にされたことなくて」
私「慣れちゃったら……失うの、耐えられないなって」
言い終わる前に、
湊くんの腕が伸びてきた。
引き寄せられて、
気づいた時には胸に顔が当たってた。
近い。
近すぎる。
でも、逃げる隙がない。
湊「……由奈」
頭の上から声がする。
湊「それ、逆」
私「……え?」
湊「慣れていい」
背中に回された手が、
ゆっくり、安心させるみたいに動く。
湊「慣れて」
湊「当たり前にして」
湊「失う想像できなくなるくらいで、ちょうどいい」
……ずるい。
こんなの、
信じたくなっちゃう。
私「……そんなこと言われたら……」
湊「言うよ」
即答。
湊「由奈が逃げ道作ろうとするから」
少しだけ、からかうみたいな声。
でも、腕は緩まない。
湊「俺は逃げない」
湊「だから、由奈も逃げなくていい」
胸に押し付けられたまま、
小さく頷く。
私「……近い……」
湊「今さら」
そのまま、
額がこつんと当たる。
湊「この距離が嫌なら、言え」
私「……嫌じゃない」
むしろ。
離されたら、困る。
そう思ってしまう自分に、
少し驚く。
湊くんが、安心したみたいに息を吐いた。
湊「じゃあ、帰ろ」
手は、ずっと繋がれたまま。
指先まで、絡めるみたいに。
歩き出しながら、
私は思う。
(……怖いのは)
幸せそのものじゃない。
この幸せを、
手放したくないって思ってしまった自分が、
怖いだけだ。
でも。
湊くんの手は、あたたかくて、
離れる気配がなくて。
それが、答えみたいだった。




