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名前のない放課後  作者: えあな


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55/88

君を想う

御影蓮と話し合った後、

朝の光が差し込む廊下で、由奈の姿を見つけた瞬間——

胸が自然に、切ないほど温かくなる。


声をかけたい。

昨日「待って」と伸ばした手を、今日は届かせたい。


そう思ったのに。


(……約束したんだろ。)


足が止まる。

その場で、指先が冷たくなる。


近づけば、距離は近くなる。

触れれば、喉の奥まで言葉が溢れる。

でもそれは、御影蓮との約束を破ることでもある。


由奈が、少しだけ悲しそうに足を止めた気配が背中に刺さる。

全身がそっちへ向かいそうで、喉が震えた。


(……触れたい。話したい。抱きしめたい。)

でも、今日は振り返らない。


それが、今の俺が「守る」ということだから。



昼休み。


女子たちがいつも通りわっと寄ってくる。

以前なら適当にあしらって、雰囲気を壊さない距離で流していた。


でも今日は違う。


女子A「ねぇねぇ篠原くん、今日帰り——」


湊「無理。」


女子B「え、まだ何も言ってな……」


湊「無理だって言ったろ。」


声が低く落ちると、空気が一瞬で冷えた。

女子たちが、少し怯んだように後ずさる。


女子C「……なんか今日冷たくない?」


湊「用ないなら、離れて。」


一瞬の静寂。

それから、女子たちは散っていく。


冗談でも相手にしたら、由奈を不安にさせる。

昨日の由奈の寂しい笑顔が、そのまま胸に張りついている。


近づかせない。

誤解もさせない。


そのためなら、周囲に嫌われても構わない。



そんな俺を見て、柏木と久我はすぐ気づいた。


柏木「おま、今日どうした!?冷蔵庫入ってきたんか!?」


久我「……由奈ちゃんと何かあった?」


湊「別に。」


久我は瞬時に察した目で、じっと俺を見る。


久我「距離置いてるの、お前の本意じゃないだろ。」


湊「……」


柏木「なんで!?由奈ちゃん泣くぞ!?」


湊「……それは、わかってる。」


久我の声が静かに落ちる。


久我「……大事にしたいなら、やり方考えろよ。」


その言葉は痛かった。

でも正しい。


だから、反論できなかった。



放課後。


教室には残らず、俺は自習室へ向かった。


静かな空間。

鉛筆の音と紙の擦れる音だけが響く。


女子の視線も、

噂話も、

ここには一切ない。


ただ机と、鉛筆と、

約束だけが残る場所。


(……トップじゃなくて、満点。)


誰にも文句言わせない結果を。

御影蓮が納得せざるを得ない点を。


それが一番早く、

一番正確に「由奈を守る証明」になる。


腕が痛くなるまで問題集を解いた。

視界が滲むまで英文を読み、

眠気をごまかすために手を握ったり開いたりした。


それでも、集中力は切れなかった。


(……ゆなのためだろ。)


ひとりの静けさの中で、

胸の奥にずっと灯ってるのは、

名前ひとつで救われる愛しさだった。



そして、教育実習最終日の小テスト。


答案を提出する瞬間、

鉛筆を置いた指がわずかに震えていた。


(大丈夫。全部解けた。)


休み時間、

御影蓮が教室にテスト結果を持って現れる。


視線がぶつかった瞬間、

あの人の目がわずかに細くなった。


蓮「……満点。」


一枚の紙が俺の机に置かれる。


蓮「やるね。」


声は驚くほど静かで、

でも奥にある評価は隠しきれていなかった。


俺は顔を上げる。


湊「……当然です。」


蓮「満点で来るとは思わなかったよ。」


湊「満点取れば、その上はいないでしょ?」


御影蓮は微かに笑った。

その笑いは、初めて向けられた“敵意ゼロ”の笑み。


蓮「……ゆなのこと、本気なんだね。」


湊「ずっと言ってるじゃないですか。」


蓮「そうだね。」


御影蓮はテストを返して歩き出す。

と、

廊下の向こうで——


泣きながら御影蓮を見上げている由奈の姿が目に入った。


そこで、胸が一度大きく跳ねた。


(——由奈。)


その瞬間、

約束も試練も、

線引きも全部飛んだ。


(もう……十分だろ。)


心の声がひどく優しくて、

どうしようもなく強かった。


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