優しい声
昼休みの始まり。
チャイムが鳴り終わる前に、
蓮お兄ちゃんが「少し話そうか」と言って、
廊下の端まで歩いた。
文化祭明けの空気はまだざわざわしていて、
誰も私たちの会話なんて気にしていない。
蓮お兄ちゃんは歩幅を合わせてくれる。
昔からそう。
私が歩きやすい速度で歩く。
でも——今日は少し違う。
会話が始まる前から、
胸の奥がきゅっとしていた。
蓮「ゆな、元気だった?」
私「うん。元気だよ。蓮お兄ちゃんは?」
蓮「もちろん。……でも、ちょっと驚いたよ。」
私「……驚いた?」
蓮は少しだけ笑う。
先生より先生らしい、柔らかい表情で。
蓮「文化祭でね。
ゆなが“誰か”と手を繋いで歩いてたって、聞いたから。」
その“誰か”の場所に、
湊くんの名前をあえて置かない。
圧じゃなくて、確認でもなくて……
ちゃんと選んだ距離。
私「……っ」
胸がまたぎゅっとなる。
でも蓮お兄ちゃんの声は、優しい。
蓮「怒ってるわけじゃないよ。
びっくりしただけ。ゆなが、誰かと一緒に笑ってたって。」
私「……怒られるかと思った。」
蓮「怒る理由なんてないよ。
ゆなが幸せそうなら、それだけで充分。」
一気に肩の力が抜けた。
蓮お兄ちゃんは私の気持ちがすぐに表情に出ることを知っていて、
言葉の選び方ひとつ、昔から変わらない。
蓮「ゆな、ちょっとだけ教えて。」
私「……なに?」
蓮「その“誰か”は、大切にされてると、感じる?」
その言葉に息が詰まる。
責めてない。
批判でもない。
ただ、本当に心配してくれてる声。
私「……うん。すごく。」
蓮の目が少しだけ細くなった。
蓮「そっか。安心した。」
ほんの数秒の沈黙。
でも苦しくない。
蓮「ゆなは優しいからね。
誰かのために我慢して、自分を後回しにする癖がある。」
私「……そんなこと——」
蓮「あるよ。」
柔らかい断言。
蓮「だから、聞きたかっただけ。
ゆなが無理していないか、悲しい顔をしていないか。」
私「……してないよ。」
蓮「うん。じゃあ、よかった。」
蓮の視線が少し揺れる。
蓮「……その“誰か”が、ゆなを泣かせるような人じゃありませんように。」
呟くみたいな声。
でもすぐに笑って、
優しい表情に戻った。
蓮「ゆな、放課後は少しだけ時間ある?」
私「えっと……今日は、湊くんと帰る約束で……」
自分で言って、顔が熱くなる。
蓮は一瞬だけ驚いて、
すぐに柔らかく笑った。
蓮「……そっか。うん、行っておいで。」
私「え……怒ってないの?」
蓮「怒るわけないよ。
ただ……ちょっと寂しいだけ。」
その“寂しい”が、家族の優しさで胸にしみた。
蓮「ゆな。
困ったら言ってね。」
私「……うん。」
蓮「じゃあ、教室に戻ろうか。」
一歩後ろに下がり、
通りやすいように進む方向を空けてくれた。
その仕草が昔と同じで嬉しくなって、
私は小さく笑った。
蓮も笑う。
その瞬間——
廊下の向こうで何かが視界をよぎった。
湊くん。
静かに笑って去っていく蓮。
残された空気がゆっくり落ちつく。
湊くんが近づいて、小さく言った。
湊「……大丈夫だった?」
私「うん。全然。
蓮お兄ちゃん、ただ心配してただけだから。」
その言葉に湊くんはふっと息を吐いた。
湊「……ならよかった。」
私「心配してくれたの?」
湊「するだろ。……普通に。」
顔をそむけながら言うその感じが、
胸の奥を甘くする。
ほんのすれ違いにすら、
“好き”がこぼれる。




