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名前のない放課後  作者: えあな


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26/51

カケル2ミリ

放課後。

展示会場の照明が半分だけ落ちていた。

窓の外の空は、群青に変わる途中。


スマホの通知。

|少し、時間ある?|

篠原くんの名前。

(どうして、今…)

返事を打つ指が止まる。

返したら、行くことになる。

でも——返さなかったら、きっと後悔する。


送信。

|……はい|


準備室へ続く廊下。

誰もいない。蛍光灯の音だけが遠くで鳴ってる。

扉の向こうに、彼の影。

ガラス越しに見える姿が、少しだけ揺れた。


私「……どうしたの?」

声が小さくなる。

喉の奥が、少しだけ乾いた。


篠原「話がしたくて」

篠原くんの声は静かで、どこか決意みたいなものがあった。

息を吸うたび、胸の奥が少しだけざわつく。


私「文化祭の確認?」

違う、と首を振る仕草。

その瞬間、空気の層が変わった気がした。


——確認なら、俺の気持ちの方。


その言葉で、時間が止まる。

目を逸らそうとしても、逸らせなかった。


私「……ごめん」

やっと出た声は、弱くて頼りなかった。

私「私、そういうの、わかんない。迷惑かけるだけで」

自分で言いながら、胸の奥が痛んだ。

(逃げてる。わかってるのに)


篠原「迷惑なんて思ってない」

その一言が、まっすぐ届いた。

冷たかった空気が、少しだけ温かくなる。


篠原「むしろ、助けられてばっかり」

(そんなことないのに)

息を飲む音が、自分のものか彼のものかわからなかった。


——俺、佐伯が好きだよ。


胸の奥が、ぐしゃっと音を立てた気がした。

息を吸うのを忘れる。

心臓が“ぴた”を忘れて跳ねた。


私「……どうして」

精一杯の抵抗だった。

それでも、理由を聞くのは卑怯だと自分でも思う。


篠原「俺もわからない。でも、好きなんだと思う」

(そんなふうに言われたら、もうどうしたらいいの)


俯いて、指を重ねる。

私「私なんかじゃ、だめだよ」

声が震えた。

篠原「“なんか”って言葉、禁止」

その瞬間、視界の端がにじむ。


篠原「周りとか、誰が何言うとか、関係ない」

(ほんとに、そう思ってくれてるの?)

怖くて聞けない。


篠原「俺が好きになったのは、佐伯だから」

名前を呼ばれた音が、やけに鮮明で。

体の奥まで届いて、動けなくなった。


私「……怖いよ」

それだけが、精一杯だった。

篠原「うん。知ってる。俺もだから」

少し近づいた気配。

(また、距離が……カケル2ミリ)


篠原「でも、逃げない。もう二度と」

その声に、迷いが一つもなかった。

だから余計に、怖くなる。


私「私、どうしていいか……」

篠原「何も考えなくていい」

たぶんもう逃げれない。

篠原「俺を好きかどうか——それだけ、考えて」


息が、止まる。

視界の中で、世界が少しずつ遠くなっていく。

それでも、彼の声だけは近くにあった。


篠原くんのまっすぐな言葉と瞳に嘘が言えなくて

私「……好き」

それは、ほとんど無意識に出た。

頭で考えるより先に、心が言葉を押した。


静かな“ぴた”が鳴る。

空気の隙間がなくなる。


——俺の方が、だけどね。


その言葉と一緒に、彼の指先が髪に触れる。

そっと、輪郭をなぞられる。

それが不思議と怖くなかった。


ぽん、と頭の上で小さな音。

篠原「ありがとう」

その声が優しくて、泣きそうになる。


私「こちらこそ…です」

どうにか笑おうとして、俯いた。


(焦らない。でも、もう離れない)


空が、群青から夜に変わっていく。

教室の電気がひとつ消えた。


篠原「できれば抱きしめてもいいですか?」

私「できれば確認しないでほしいです」


恥ずかしいのに、拒絶なんてできるはずもなくて。

これしか、答えが見つからなかった。

次の瞬間、腕の中の温度で、全部——現実なんだって理解した。


彼の胸に顔をうずめる。

心臓の音が、どちらのものかわからない。

“ぴた”が鳴った。

昨日と同じ音。

でも、昨日までとは違う意味で。


ガラス越しの夜が、静かに深くなる。

抱きしめられたまま、世界が少しずつ沈んでいった。


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