最終話:あなたが泣いたあの日から、私の世界は変わりはじめていた
王宮の中庭で、アメリアはひとり花の手入れをしていた。
季節は少しずつ春へと移り変わり、温室の花々もつぼみを膨らませ始めている。
彼女の顔には、以前のような険しさも、恐れもなかった。
穏やかで、どこか柔らかい微笑。
そこに、王子レオナルトが歩み寄ってきた。
「……花の世話、続けていたんだな」
「はい。私、好きみたいです。毎日少しずつ変わっていくから……私もそうなりたくて」
「……少し、話をしてもいいか?」
ふたりは温室の中、静かに並んで腰掛ける。
ガラス越しの陽光が、やさしく差し込んでいた。
「記憶を失った理由、わかりました。ノアが……薬を使ったんですよね」
レオナルトは頷いた。
「……君の心を守るために。死を目前にした君に、せめてもの安らぎを与えたくて」
アメリアは静かに目を伏せた。
「私は……本当にひどいことをしてきたんですね。たくさんの人を傷つけて、それを正当化して……」
「でも今の君は、それを悔いている。変わろうとしている。
それは、偽りじゃないと……私は思いたい」
レオナルトの言葉に、アメリアの目がわずかに潤んだ。
「ありがとう。……でも、それでも私は、全部忘れたまま許されるわけにはいかないと思う。
だから、記憶が戻ったとしても──もう“あの頃の私”には戻らない。
……私は、私のまま、生きていきたい」
そう言って、彼女は小さな花を指差した。
「この花の名前、ノアに教えてもらいました。“フィオリーナ”。“赦し”の花なんだって」
「……君に、似合っている」
そのとき、レオナルトがふっと立ち上がり、まっすぐに彼女へ向き直った。
「アメリア・ヴェルンシュタイン。
私は、君の過去を赦すことはできない。君が傷つけた人たちがいる限り、それは消えない」
「……はい」
「だが、私は“今の君”を信じたい。
そして、君が選ぶ未来を、支えたいと思っている」
アメリアの目が、見開かれる。
「……それって……」
「君に、もう一度“選ぶ権利”を返したい。
君が誰かに愛され、誰かを愛し、君自身として生きる道を」
アメリアの目に、涙がにじむ。
けれど、それはかつての絶望の涙ではなかった。
「ありがとう……。でも、今の私はまだ、誰かに愛されるには、足りないままだから。
まずは、自分のことをちゃんと好きになれるように、頑張ってみます」
「そのときは、また会おう」
「ええ。次は、胸を張って」
ふたりは、そっと微笑み合った。
陽光の中、赦しの花がそよ風に揺れている。
かつて“悪役”と呼ばれた少女は、
今、新しい人生を一歩ずつ踏み出していた。
──これは、記憶を失って初めて「本当の自分」に出会った、
とある少女の、再出発の物語。
「あなたが泣いたあの日から、私の世界は変わりはじめた」
──完──
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
『悪役令嬢、記憶を失ってからが本番です』というこの物語は、
「悪役」として生きることを強いられた少女が、
“真の自分”を見つけ、過去と向き合いながら変わっていく──そんな再生の物語として書かせていただきました。
記憶喪失という設定は王道ですが、
その「理由」が“誰かの優しさ”から生まれたものだったというところに、
小さな希望を込めたつもりです。
また、“誰かを赦す”のではなく、“自分自身を赦す”ことの難しさと強さを、
主人公アメリアを通して少しでも感じていただけたなら、何より幸いです。
このまま続編も展開可能ですので、ご希望あればぜひお知らせください!
改めて、ありがとうございました。