第5話:彼女の変化を疑う者たち
「記憶喪失、ねえ……。便利な言い訳だわ」
その声は、玉座の間の一角──
王子レオナルトの傍らに立つ、銀髪の令嬢のものだった。
その名はエリセ・ロザリアン。
公爵令嬢にして、王子の婚約候補と噂される才色兼備の才媛。
かつてアメリアと何度も政争で衝突した宿敵でもある。
「アメリア・ヴェルンシュタインが人を気遣う? 泥仕事をする? 花の世話なんて?
信じられると思う?」
「だが、今の彼女には悪意の欠片もない。君も実際に見ただろう」
レオナルトはそう言ったが、エリセは目を細めた。
「……むしろ、あの“無垢な態度”こそが演技だったとしたら?」
「…………」
「記憶を失ったと“装い”、罪から逃れ、王子の同情を得る。
そして今度は、純粋無垢な“かわいそうな令嬢”としての地位を築こうとしている……」
レオナルトは答えなかった。
だが、思い出していた。
昨日の彼女の、震える声と涙を。
──あれが、演技に見えるか?
その頃、アメリアは温室で再びルミナと会っていた。
「この前の花、ありがとう。あのあと部屋がふわっといい匂いになって、嬉しかった」
「よかった……! えへへ、アメリア様が笑うと、なんだか安心します」
「“様”なんて、もういらないよ。私、今はただの奉仕係だし」
「……でも、やっぱりアメリア様はアメリア様です」
そう言って微笑むルミナの顔を見て、胸が温かくなった。
だが、温室の外──木陰から、それを見ていた者がいた。
鋭い視線と、黒いローブ。
「……やはり、変わりすぎている。あれは何かの“術”か……?」
夕方。食堂での給仕を終えたアメリアは、帰り道で人影に呼び止められた。
「おい。ちょっといいか?」
声の主は、王城の警備隊長である男。アメリアとは何度か接点があったらしいが、本人は覚えていない。
「……あなたは?」
「以前、君に剣術の稽古場を取り上げられた者だよ。
“貴族のくせに粗野すぎる”と、君は私を侮辱し、追い出した」
「…………そう、なんですね……」
「だが、今の君は違う。誰にでも頭を下げ、侍女と花の話をしていると聞いた」
アメリアは黙ってうつむいた。
「質問に答えてくれ。……君は“本当に”変わったのか?」
その問いに、彼女は静かに答えた。
「……私自身は分からない。でも、少なくとも今の私は……人に優しくありたい。
昔、どれだけのことをしてきたとしても──その罪が消えないとしても……」
「“変わろうとすること”は、許されないんですか?」
その言葉に、隊長はふっと息をついた。
「……そうか。ならば、見届けさせてもらおう。
君が、本当に“変わった”のかをな」
彼はそう言って、踵を返した。
その夜。
リオンの元に、一通の匿名の手紙が届いた。
「アメリア・ヴェルンシュタインは、“何か”に取り憑かれている。
魔術か、禁術か。あれは本物の変化ではない」
それは、静かに、そして確実に広がり始める“疑惑”の種。
──記憶喪失で変わったアメリア。
だが、彼女の変化を“信じない者”もまた、王宮には確かに存在した。
──次回、第6話「魔術か、それとも赦しか──心を揺らす審問の影」