第3話:意地悪な侍女と、“昔の私”が残した手紙
「おはようございます、“アメリア様”」
──その声に、私は一瞬背筋が凍った。
そこにいたのは、灰色の瞳をした美しい侍女。
整った顔立ちに無表情。そして毒を含んだ笑み。
「本日より、城内での奉仕活動として、“わたくしの指導”のもと、掃除や給仕をお任せいただくこととなりました」
「……よろしくお願いします」
私は丁寧に頭を下げた。けれど──
「ふふっ。まさか“あのアメリア様”が頭を下げるなんて。記憶喪失も、悪くはありませんね」
その声音に、敵意がにじんでいた。
「私のこと……ご存知なんですか?」
「ええ。“昔のあなた”には、何度も“地面を拭け”と命じられましたから。
あなたの靴の泥を、素手で落とせと言われたこともあります」
「…………!」
「でも今はこうして立場が逆転。まったく、人生は面白いものですわね」
彼女は名前を「シェリル」と名乗った。
城仕えの侍女で、かつて私の専属だった人物らしい。
──そんな相手に、私は何をしてきたのだろう。
掃除の指導は容赦なく、細かく、厳しいものだった。
何度もやり直しを命じられ、脚立に乗ったまま時間を放置され、
あまつさえモップの柄で軽く背中を小突かれた。
(でも、それでも……怒れない)
だって、私はそれ以上のことを“彼女にしてきた”のだ。
「……なぜ、怒らないんですか?」
掃除の終わり際、シェリルがぽつりとつぶやいた。
「え……?」
「もし、本当に記憶喪失なら。なぜそんなに大人しいままでいるんです?」
「……私が悪かったのなら、仕方ないって、思うから」
「……ふぅん」
シェリルは鼻で笑ったように見えたけれど、
どこかその目が、寂しげにも思えた。
その夜。城の私室に戻された私は、小さな木箱を見つけた。
「……これは?」
“アメリア・ヴェルンシュタイン様 極秘”と書かれた封蝋付きの箱。
日付は、一年前。
恐る恐る開けると、手紙が入っていた。
「この手紙を開くとき、私はもう“アメリア”ではないだろう。
あるいは、全てを失ったあとの私かもしれない。
……そんなとき、自分自身がどれだけ空っぽだったのか、思い出して欲しい」
震える指でページをめくっていく。
「私は、誰からも愛されたくて、誰よりも強く見せたくて──
だから、他人を踏みつけにして生きてきた」
「でも、本当はいつも怖かった。
捨てられるのが、笑われるのが、無視されるのが」
「記憶を失った“私”へ。
もし、君がやり直そうとしているのなら──
どうか、初めての恋を、ちゃんと見つけて。
私は、愛されてみたかったんだ」
涙が、ぽとりと紙に落ちた。
私は、ずっと……孤独だったの?
そんな自分が、他人を遠ざけて、自分を守るために“悪役”を演じていた?
「……ごめんなさい」
誰に向けた謝罪かも分からない。
でも、それでも言わなきゃいけない気がした。
──きっと“アメリア”は、誰よりも不器用に生きてきた。
でも、私はもう、違う。
この手紙は、過去の私がくれた“はじまり”なのだ。
──次回、第4話「監視役の騎士と、少女の涙」