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転生したらゴキブリでした。カサカサ走って、今日も嫌われています。

作者: 西玉

 俺は、前世で何をやらかしたんだろう。

 磨かれた銅板は、鏡のように姿を映す。

 俺がご飯を求めて入り込んだ大きな屋敷の一室で、俺は自分の姿を初めて知った。


 長い触覚、黒い肌、平たい胴体、ぬめ光った甲殻。どう見ても、ゴキブリだ。

 この世界に生まれてから、ほんの二週間のはずだ。

 俺は、立派なゴキブリとなっていた。

 腹が減ったら、食えるものを食べた。


 何を食べたのか、覚えていない。

 そこらのゴミか、虫の死骸か、あるいは同族の死体かもしれない。

 とにかく、俺は大きくなった。

 大きくなったといっても、人間ぐらいに大きくなったわけじゃない。


 成虫のゴキブリになったというだけだ。

 俺は、地球からこの異世界に転生した。

 前世の記憶がある。

 どうして、こんな余分な記憶があるのだろう。


 一寸の虫にも、五分の魂というわけだろうか。

 願わくば、消してほしかった。

 人間だった頃のことを記憶しながらゴキブリとして生きるのは、単純に罰でしかない。

 俺は、現実から逃げるように、大きな屋敷から飛び出した。


 カサカサと走り続け、じめじめしたかび臭い、街中の路地裏に入り込んでいた。

 この世界が異世界だと思ったのは、食べ物に満たされたこの場所で、俺が食事をしていた時、野良猫たちが魔法をかけられたように集められたからだ。


 魔法をかけたのが、二本足で立ってローブを着た、杖を持った猫だったのだ。

 俺の知る地球に魔法はなかったし、猫は語尾にニャをつけて話しもしなかった。

 集められたネコたちが去った。

 何かを探すように命じられていたようだ。


 現在の俺にとっては、巨獣の群れだ。

 ネコ達が去った後、残飯の山の上に、ローブを羽織ったネコが腰を下ろした。

 本来ネコに腰はない。この場合は尻を下ろした。

 俺は、カサカサと近づいた。


 ただのネコであるはずがない。

 あるいは、意思の疎通ができるのではないかと期待した。

 だが、ローブを着たネコは足元から近づく俺の存在に気づかなかった。

 話しかけてみようか。


 考えながら、俺は触覚を揺らす。

 足元に、美味そうな何かがあった。

 俺は食らった。


「ふん。何やら動くものがいると思えば、虫ケラか。おうおう。さすがは下等生物じゃな。同族の死体を美味そうに食らっておるわ」

「……俺のことか?」


 俺は驚愕した。

 何か美味そうな物があると思って食べただけで、それが同族の死体とは思わなかったのだ。

 ネコは驚愕したような気がする。ネコの表情は、俺にはわかりにくい。

 ただ、持っていた杖を手放し、慌てて掴み直した姿が、驚いたように見えたのだ。


「虫ケラが話しおった。いや……何かの間違いじゃな。あの下等生物が、しゃべるはずがない」

「ああ。俺も、喋れるとは思わなかった。いや、これって、本当にしゃべっているのか?」


 ゴキブリが話すだろうか。

 どう考えても、無理な気がする。

 昆虫は鳴く。だが、それは足をこすり合わせたり翼を擦ったりで、音を出しているのだ。

 喉があり、舌がある構造はしていない。


「……どうやら、本当に喋れるらしいな」


 猫がじっと俺を見ている。


「俺にとっては、猫がしゃべっていることも驚きだけどな」

「ふん。わしがただの猫に見えるか?」

「普通の猫は、杖なんか持たないな」

「こ、この知的な表情がわからんか。杖だけの問題ではなかろう」

「……わからんな」


 俺は、触覚をふらふらと揺らしながら言った。

 意図して揺らしているのではない。

 無意識で周囲を探ってしまうのは、スリッパで叩かれただけで潰れてしまう体の生存本能だ。


「所詮は下等生物よ」


 猫は笑った。

 笑うと、ヒッヒッと声が漏れる。


「他の猫達に、何をさせるんだ? 残飯を集めさせているのか?」

「うむ。同じ食堂の残り物ばかりでは、胸焼けがするのでな……って、違うわ。我が主人の冤罪を晴らすため、証拠を集めているのだ。のせるでない」


 俺は、のせたつもりはない。猫が勝手に調子にのったのだ。


「ふうん。やっぱり、しゃべる猫ってのは、立派な飼い主を持っているんだな」

「うむ。野良どもでは、魔力を持って人語を理解できるようになるほど、長生きはできんのでなあ。ところで……お前、飛べるか?」


 猫がしゃべるようになるには、この世界では寿命が肝心らしい。

 長生きできない野良猫の悲哀を語りながら、当の猫が俺を挑発するように尋ねた。

 俺は翼を広げた。

 硬い翼の下には、羽ばたくための薄く軽い羽がある。


「『飛べるか』とはご挨拶だな。俺に行けないところは、熱湯の中ぐらいだ」

「湯が嫌いか」


 ゴキブリを殺すのには、熱湯を浴びせるのに限る。

 俺の前世での常識だった。

 猫はそうは理解しなかったようだ。


 話をする猫は、どうやら転生者ではないらしい。

 猫は続けて言った。


「問題ない。ある方のところに、手紙を届けてもらいたいのだ」

「その『ある方』ってのが、天空の城に住むとでも言うのか?」


 俺と同じ世界の転生者なら、知らないはずがないと思って俺はあえて、好きな映画の話題を出した。

 飛べるかと聞いたのだから、的外れな問いではないだろう。俺が想像した通り、猫の反応は薄かった。


「『天空の城』じゃと? 聞いたことがないが……そのお方が、ある塔の上に幽霊されているのだ。その方の証言があれば、わが主人の冤罪も晴れるのだ」

「高い塔ぐらいなら、飛ばなくても登れるな。だけど、その『お方』とやら、俺の話を聞くか? 俺、ゴキブリだぞ」


 俺は言いながら、自慢の触覚を揺らせた。


「問題ない。お前と話すことはない。手紙を届けてくれればいいのだ」

「……無理を言う」


 俺は、猫が懐から取り出した手紙を見て絶望した。

 人間が書いたのだろう。

 人間が便箋に詰めたのだ。


「何が無理だ。この手紙を持って、あるお方が幽閉されている塔の部屋に届けてくれれば、全ては解決するのだ」

「俺がその塔の上まで行けるとして、どうやって運べばいいんだ?」

「持ってみろ」


 猫が差し出した封筒を、俺は前足の2本で挟んだ。

 猫が手を放す。

 俺は前足で挟んでいたが、重さに耐えきれずに脚が持っていかれ、封書が落ちた。


「大事な手紙なのだ。粗末に扱うでない」

「だから、無茶だ。猫のあんたと違って、そんな重い物を持てるものか」

「なんと……そうであったか」


 猫は本気で驚いているようだ。肩を落とす。俺は言った。


「あんたはさっき、猫たちを集めて司令を出していただろう。あんなふうに、俺の同族を集めたらどうだ」

「あの魔法は、術者と同族でなければ効果がない。ゴキブリたちを使役するには、ゴキブリが魔法を覚えるしかないのだ。魔力などなくても、呪文だけで扱える簡単な魔法だが、ゴキブリに呪文が唱えられるものか」


 猫は落胆したが、俺にはその理由がわからなかった。


「俺、喋っていないか?」

「ああ。お前は喋っているな」


 猫は落胆したままだった。

 俺は、触覚をふよふよと動かした。


「喋っているのに、呪文は唱えられないのか?」

「お、おおっ! 喋るゴキブリだと! そんなものが、いるはずがない」

「今更か?」


「いや。うむ……そうか。すまん、取り乱した。そうか。そうだな。お前が呪文を唱えればいいのだ。わしと同じように言ってみよ」


 猫が奇妙な文句を唱える。

 俺が真似をする。


「おお。おおおっ! 気持ち悪いわ!」


 俺の周りに、大量のゴキブリが集まりつつあった。

 ここはゴミ捨て場だ。ゴキブリの温床だ。

 まるで地面が動くかのように、茶色い波が沸き起こる。

 猫は俺に呼び出させておいて、集まった俺の同族を前足でぺしぺしと叩いた。


「おい。仕事があるのだろう」

「おお。そうだったな。よし、この手紙と指輪を、あの塔の……わしは一体、誰に託せばいいのじゃあ!」


 どのゴキブリが話していたのか、猫はわからなくなったようだ。


「俺だ」

「おお。てっきり、間違って叩き殺してしまったかと思うたぞ。頼む」


 猫は、前足を上げた俺の胴体に指輪を潜らせ、手紙を集まった俺の同族たちに託した。


「よし、行くぞ」


 俺が言うと、大量の同族がうねるように動きだした。

 茶色い波が、塔を駆け上る。

 俺だけ、錘が課せられている。猫に被せられた指輪だ。

 俺は挫けそうになった。


 いつもなら簡単に登れる垂直の壁すら、登るのが辛かった。

 耐えられたのは、周囲の茶羽の者たちが支えてくれたからだ。

 俺は塔を登った。

 塔のてっぺん近くで、窓が空いていた。

 俺は飛び込んだ。


「キャアァァァァァァッッ!」


 俺が苦労して猫の頼みを果たそうと頑張っているところで、感謝すべき何者かが悲鳴を上げた。

 俺は、猫の魔道士から教えられた魔法を使用している。

 指輪と手紙を運ぶために、同族を呼び集めたのだ。

 猫の魔道士ですら、一度に30匹も集められないという。


 俺なら、一万匹は集められる。

 文字通り、黒い波となって塔を登り、指輪を抱えた俺を仲間達が運んだ。

 塔の上の窓から入った。

 入った数は、数千匹といったところだろう。


 くんずほぐれず折り重なり、決して広くない部屋が、俺の同族でいっぱいになっていた。

 俺は、体にはまっていた指輪を足に抱え直し、群れの中から飛び出した。

 けたたましい悲鳴をあげたのは、まだ若い人間の女だった。

 俺は、精一杯羽ばたいて、女に指輪を届けた。


 女は壁に張り付き、場所がないために押し出される形で女に押し寄せた、同族が叩かれる。

 俺は、頑張って女の目の前に飛び出した。

 仲間達の後押しもあり、女の顔に飛び降りた。


「届け物だ」


 俺は言ったが、どうやら聞いてもらえなかった。

 あまりにも大きな声で悲鳴をあげたため、俺の小さな声は届かなかったようだ。

 俺は、仲間達の助けも借りて指輪を見せようとした。

 女が倒れた。


 いくら指輪を見せても、女は気づかなかった。

 どうやら、気絶したようだ。

 俺は抱えていた指輪を床に転がし、仲間たちが協力して運んできた手紙を、気絶した女の顔の上に置いた。


 同族に礼を言って、俺は窓から飛び出した。

 魔法は切れた。

 同族たちは、好きなところに行くだろう。


 魔法が切れた後、元居た場所に戻るとも、散り散りになるとも決まっていないらしい。

 塔の上の部屋が気に入ったなら、居座るだろう。

 俺は羽を広げて、元の餌場に戻った。


「おお。戻ったか」


 俺を見つけて、猫の魔道士が言った。


「よく、俺だとわかるな」

「うむ。その触覚には見覚えがある」


 猫は言った。

 俺は、猫の視力に感心した。


「凄いな」

「首尾はどうだった?」

「ああ。ちゃんと渡してきた。寝ていたがな。呑気なものだ」

「そうか。だが、目覚めれば、何が起きたのかわかるだろう。ご苦労だった」


 猫の魔道士が、俺に小さな、腐りかけた肉の塊を差し出した。

 残飯の中から見つけたのだろう。

 俺にとってはご馳走だ。

 俺は、前足で腐った肉を受け取った。


 塔の上の女に何が起きたのか、俺は知らなかった。

 指輪の意味も、最後までわからない。

 だが、ゴキブリの俺にできることは限られている。


 全てがうまく行くというのなら、猫の言うことを信じるとしよう。

 俺は、異世界でゴキブリとして転生した。

 目的などあるはずがない。


 せいぜい、異世界を楽しむとしよう。


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