薄紅色の卒業証書
日一日と暖かくなる3月。
ここは心療内科・黒石クリニックの2階にあるデイケアスペース。メンタルを病んだ人たちが様々なプログラムをこなして職場復帰に備える場所だ。
「よっ」「おはよう」「早いね」
橋本さん、上野さん、木山さん。先に来て机でだべっている、クラスメイトのようないつもの仲間たち。
約2年、ほぼ毎日通ったこの施設もそろそろ卒業する頃合いだ。
じわりと涙が滲んでくる。卒業したらきっともう、この人たちと会うことはない。
俺は熱くなった目頭を押さえながら非常口から外の階段に出る。
すると階段では、四十がらみで頭はボサボサ、黒縁メガネの男性が電子タバコを吹かしていた。
「どうしたんですか、村田さん」
このクリニックの院長・黒石先生だ。
「いや、何でも……」
戸惑う俺。
少し涙を乾かしてこよう。
俺は階段を降りた。
と、1階の診療室から出てきた一人の女性と鉢合わせになる。
「あ、村田さん。今日は遅刻してないですね。えらいえらい」
女性職員の堀さんだ。このデイケアのオアシス的存在だと密かに思っている。
卒業しちゃうと、もうこの人とは会えなくなる。
いつまでもここにいるわけにはいかないけれど、でも、この人とは別れたくないなぁ。
俺はとっさにスマホを出した。
「ね、堀さん。連絡先、教えてくれませんか」
困ったような顔をする堀さん。
ああ、そうだよな。俺なんかと仲良くなったって何のメリットもないよな。
そうさ、どうせ俺なんて……。
時が止まる。
「困りますね、村田サン。ルールは守ってもらわないと」
黒石先生だった。
「第一、堀さん嫌がってるじゃありませんか」
「私嫌がってなんか……」
戸惑う堀さんの声。
ああ、わかってる。わかってるさ。だったら……。
先生の黒縁メガネの奥の瞳を、俺はギリっと睨んだ。
「だったらどうしたらいいんだよ」
俺は先生の白衣の両肩を掴んだ。
「助けてくれよ、先生だろ!」
俺の目から堪えていた涙がぽたりと落ち、地面に黒い点を描く。
先生は俺の手に自分の手を添え、優しく笑った、ような気がした。
「これでいいんですよ」
「え?」
「最後まであなたに欠けていたチカラ、それは『自分の思いを言葉にすること』『人とぶつかること』そして『助けてほしいと言えること』」
先生はメモ帳を取り出して何かを書く。
「来週から思い切って薬の量を減らしますか」
「それってつまり」
「おめでとう。卒業です」
早咲きの桜の花びらが、俺の頭にふわりと乗った。