表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/25

3代 第一次大久保利通内閣

3代 第一次大久保利通内閣 (2540(明治13・1880年8月19日~2541(明治14・1881年12月3日)

▽来歴・概要

 元薩摩藩士。

 大久保利通内閣の一丁目一番地に掲げた政策は、自由民権運動への対抗であるとともに、富国強兵政策である。

 まず、自由民権運動を規制するための「集会条例」の制定が俎上に上った。慶喜を議長とする元老院はこの法令に対して、運動の抑圧はかえって先鋭化を招くのではとの懸念から慎重な審議を重ねていた。しかし、明治13年11月に第2回国会期成同盟大会が東京で挙行されたことから、法案は成立を迎える。同盟大会は、国会開設の請願だけではなく、憲法制定についても言及しており、このような姿勢が、保守的な慶喜から見たら、時期尚早であり、先鋭化しつつあるとみなされたのである。

 次いで、大久保は警視庁の再設置を行った。明治7年に設置された東京警視庁は、一度内務省の一部局として縮小されたが、大久保による東京の警備強化を目的に再設置されるに至ったのである。同時に各府県に対しても府県警察部の増員を指示し、取締りの強化に乗り出した。

 大久保が本来意図したのは、富国強兵・殖産興業の途である。早急な近代化には、統制され、無駄の無い計画の遂行が必要と考えていたためであり、自由民権運動関係者による国会開設の動きは、国内の貧弱な資源を浪費するものとしか考えていなかった。

 ただ、欧州諸国の政治状況も熟知していた彼は、欧州の政治動向・憲法法律の動きについても調査研究の必要を感じていた。これに答えたのが、外交官として世界に散っていた公武の華族である。徳川慶喜による貴族の今後の活躍先として見出されたのが外交官としての活躍である。国内で下層階級の抜擢をなすためにも国内に彼らの席を設けることが難しかったためでもあった。大久保は、諸外国に駐在する公使を制度研究調査官の任を与えることで、彼らに日本国内にも取り入れることができるような政治制度の下地を調査させた。

 大久保の本音とは異なり、自由民権運動は激化していった。そのような中で、開拓使官有物払下事件が明るみになり、明治十四年の政変が起こると、大久保内閣に対する攻撃が激しくなっていった。この間に徳川慶喜や元首相などが大久保と会談を重ね、ついに大久保内閣は10月、「国会開設の勅諭」を発布するに至った。勅諭の発布により激化していた自由民権運動は抑えられるに至り、大久保は退陣した。

▽在任中の主な出来事

・ハワイ国王来日

・警視庁再設置

・憲兵設置

・開拓使官有物払下事件

・明治十四年の政変

・国会開設の勅諭

・自由党結党

▽内閣の出した主な法令

・集会条例制定

・内務省官制改正(警視庁の再独立)

・警視庁官制制定

・海外制度調査官官制制定

・農商務省官制制定

▽内閣の対応した帝國議会

・帝國議会設置前

▽内閣閣僚

内閣総理大臣

3 大久保利通おおくぼ としみち

 生年:2490(1830)年9月26日(文政13年8月10日)、49歳

 出生:薩摩国鹿児島城下高麗町(現・鹿児島県鹿児島市高麗町)

 学歴:藩校造士館

 官職:元老院議官

 前職:薩摩藩士/太政官中務省出仕、幕府内務局出向、内務奉行、内務次官、内務大臣

 特記:内務大臣兼任

外務大臣

2 柴田剛中しばた たけなか

 生年:2483(1823)年2月27日(文政6年1月17日)、57歳

 出生:武蔵国江戸小石川(東京都)

 学歴:昌平黌

 官職:元老院議官/従四位下、日向守

 前職:江戸幕府神奈川奉行、外国奉行、慶応元年遣欧使節正使

 特記:旗本徒目付・柴田良通長男。

内務大臣

2 大久保利通おおくぼ としみち

( ~2540(明治13・1880年10月15日免兼)

 生年:2490(1830)年9月26日(文政13年8月10日)、49歳

 出生:薩摩国鹿児島城下高麗町(現・鹿児島県鹿児島市高麗町)

 学歴:藩校造士館

 官職:元老院議官

 前職:薩摩藩士/太政官中務省出仕、幕府内務局出向、内務奉行、内務次官

 特記:内閣総理大臣兼任

3 小栗忠順おぐり ただまさ

(2540(明治13・1880年10月15日任~ )

 生年:2487(1827)年7月16日(文政10年6月23日)、53歳

 出生:武蔵国江戸駿河台(東京都)

 学歴:

 官職:元老院議官

 前職:江戸幕府外国奉行、勘定奉行、歩兵奉行、軍艦奉行、若年寄

 特記:旗本小栗忠高の子。

大蔵大臣

1 大久保忠寛おおくぼ ただひろ

( ~2540(明治13・1880年9月1日免)

 生年:2478(1818)年1月5日(文化14年11月29日)、62歳

 出生:武蔵国江戸(東京都)

 学歴:

 官職:元老院議官/従五位下・志摩守、右近衛将監、伊勢守、越中守

 前職:江戸幕府:海防掛、軍制改正用掛、蕃所調所頭取、外国貿易取調掛

駿河町奉行、京都町奉行、外国奉行、大目付、御側御用取次、会計総裁、若年寄

 特記:旗本大久保忠尚の子。

    事務引継ぎ

    年齢を理由にした辞任

2 大隈重信おおくま しげのぶ

(2540(明治13・1880年9月1日任~2541(明治14・1881年11月11日免)

 生年:2498(1838)年3月11日(天保9年2月16日)、42歳

 出生:肥前国佐賀郡佐賀城下会所小路(佐賀県佐賀市水ヶ江町)

 学歴:佐賀藩校弘道館

 官職:

 前職:佐賀藩士/太政官治部省出仕、幕府外務局出向、大蔵局転任、大蔵奉行、大蔵次官

 特記:初入閣。明治十四年の政変で失脚。

3 松方正義まつかた まさよし

(2541(明治14・1881年11月11日任~ )

 生年:2495(1835)年3月23日(天保6年2月25日)、46歳

 出生:薩摩国鹿児島郡鹿児島近在荒田村(鹿児島県鹿児島市下荒田一丁目)

 学歴:藩校造士館

 官職:

 前職:薩摩藩士/太政官民部省出仕、幕府大蔵局出向、大蔵奉行、大蔵次官

 特記:初入閣。

陸軍大臣

1 松平乗謨まつだいら のりかた

( ~2540(明治13・1880年11月1日免)

 生年:2499(1839)年12月18日(天保10年11月13日)、40歳

 出生:武蔵国江戸(東京都)

 学歴:

 官職:陸軍大将/従五位下・兵部少輔、縫殿頭、正四位下

 前職:江戸幕府若年寄、老中、陸軍奉行、陸軍総裁

 特記:三河国奥殿藩8代藩主、信濃国田野口藩(竜岡藩)主。真次流大給松平家11代当主。

    留任

    外国軍制取調の為渡欧による辞任

2 松平正親まつだいら まさちか

(2540(明治13・1880年11月1日任~ )

 生年:2499(1839)年7月4日(天保10年「5月24日」)、41歳

 出生:武蔵国江戸(東京都)

 学歴:

 官職:陸軍中将

 前職:江戸幕府外国奉行支配組頭、陸軍奉行、陸軍参謀次長

 特記:初入閣

幕臣・松平九郎左衛門(150俵)の子。

海軍大臣

2 木村喜毅きむら よしたけ

 生年:2490(1830)年2月27日(文政13年2月5日)、50歳

 出生:武蔵国江戸浜御殿役宅(東京都)

 学歴:

 官職:海軍大将/従五位下・摂津守

 前職:江戸幕府浜御殿添奉行、目付、長崎海軍伝習所取締、軍艦奉行、開成所頭取、海軍所頭取、勘定奉行勝手掛、海軍奉行

 特記:旗本木村喜彦よしひさの子。

司法大臣

3 山田顕義やまだ あきよし

 生年:2504(1844)年11月18日(天保15年10月9日)、35歳

 出生:長門国阿武郡椿郷東分(山口県萩市)

 学歴:長州藩校明倫館、松下村塾

 官職:陸軍大佐

 前職:長州藩士/太政官兵部省出仕、幕府陸軍局出向、司法局転任

 特記:初入閣

文部大臣

2 池田長発いけだ ながおき

 生年:2497(1837)年8月23日(天保8年7月23日)、42歳

 出生:武蔵国江戸浜御殿役宅(東京都)

 学歴:昌平黌

 官職:元老院議官/従五位下、筑後守

 前職:江戸幕府目付、火付盗賊改、京都町奉行、外国奉行、軍艦奉行並、文部奉行

 特記:旗本池田長休の四男。備中国井原領主(1200石)旗本池田長溥養嗣子。

農商務省設置(2540(明治13・1880年10月1日)

農商務大臣

1 横井時存よこい ときひろ

(2540(明治13・1880年10月1日任~2541(明治14・1881)年2月11日免)

 生年:2469(1809)年9月22日(文化6年8月13日)、71歳

 出生:肥後国熊本城下内坪井町(熊本県熊本市)

 学歴:

 官職:

 前職:元熊本藩士/幕府内務局出仕、内務奉行

 特記:横井小楠よこいしょうなんの名で有名。

    初入閣

    年齢を理由に辞任

2 伊藤博文いとう ひろぶみ

(2541(明治14・1881)年2月11日任~ )

 生年:2401(1841)年10月16日(天保12年9月2日)、39歳

 出生:周防国熊毛郡束荷村(山口県光市束荷)

 学歴:松下村塾

 官職:

 前職:長州藩士/幕府内務局出仕、内務奉行並、工務奉行

 特記:実父は農民。

    初入閣

内閣書記官長

3 大木喬任おおき たかとう

 生年:2492(1832)年4月23日(天保3年3月23日)、48歳

 出生:肥前国赤松町(佐賀県佐賀市水ヶ江三丁目)

 学歴:佐賀藩校・弘道館

 官職:

 前職:佐賀藩士/太政官民部省出仕、幕府内務局出向、内務奉行

 特記:

法制局長官

2 西周にし あまね

 生年:2489(1829)年3月7日(文政12年2月3日)、50歳

 出生:石見国津和野藩(島根県津和野町)

 学歴:津和野藩校・養老館/オランダ・ライデン大学

 官職:元老院議官

 前職:江戸幕府目付、司法局

 特記:

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ