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初代 板倉勝静内閣

初代 板倉勝静内閣 (2537(明治10・1877)年11月10日~2539(明治12・1879)年6月23日)

▽来歴・概要

 元備中松山藩第七代藩主。内閣制度創設により旧幕府機構の老中首座の地位にあった板倉勝静が、初代内閣総理大臣となった。

 板倉政権にとって重要な課題は、新発足した内閣制度を順調に運営していくことであった。このため板倉政権下では大きな政治的な動きはなかったと言われがちではあるが、いくつかの重要な法令が成立している。

 「学制」はそのうちでの最も重要な法である。当時の政府は全て旧武士階級から構成されており、高級官僚も同じ状況であった。欧州流の国民国家構想を推進していくためには、国民の教化は重要な事項であり、そのためには全国で均一化した教育体系の整備は焦眉の課題であった。板倉政権下で文部大臣の職に在った佐久間象山は全国に存在した「寺子屋」を利用して、全国民に一定の「読み書き計算」を習得させるカリキュラムを定めた。6歳~8歳程度から入学させ、一定の学術技能を習得させる。現在のような学齢を基にした一斉入学一斉進級の制度を取らず、就学を終えるまでに必要とする知識のゴールのみを定めたことは、地域差を考慮したものであった。就学を終えるまでは、早い者で2年程度、遅い者で5年程度を予定していた。

 画一的な教育システムを導入し、国民皆兵に耐えうる年齢的にも均一な兵卒養成にも転用可能な教育システムを期待した陸軍次官大村益次郎との間に、国民教育論の議論が交わされたが、佐久間は時期尚早として退けた。ただし、大村が企図したシステムは漸進的に導入され、学制は年を経るごとに改正され、郷土史や国史、地学、博物といった学問分野が追加され、体操や唱歌といった兵隊教育に転用可能な強化も随時導入されていった。全国統一的な小学校システムが導入されるのは明治19年の「小学校令」からであり、それまでは、地域の状況に応じて教科も就学日数もバラバラであった。

 地方三新法の公布もこの内閣において行われた。明治4年の各藩藩知事の東京集住と藩知事代理の派遣に始まる一連の改革(廃藩置県)において地方政治の基礎的な部分が固まったと見た政府は明治11年7月、地方三新法(府県会規則・郡区町村編制法・地方税規則)を公布した。府県会規則においては、地方に議会を設置することが法的に認められた。議会そのものはこれまでも地方長官の裁量で設置されていたが、これを公的に認めたという点では画期的であった。郡区町村編制法は、これまでの地方制度を整理し、府県の下に郡を置き、その更に区町村という3つの行政区画を設置することを規定した法である。都市部を区とし、それ以外は旧来の慣習に従って町村の名の自治体を設置した。地方税規則は、地方税の統一的な規則を定めた法令である。

 板倉勝静は、近代的な内閣制度の初めての運用者であったが、彼の背後には徳川慶喜の存在もあり、閣議で論争があったときなどは、慶喜が調停に回るなどして大過なく政権を運営した。明治12年6月、板倉は年齢を理由に職を辞した。

▽在任中の主な出来事

・紀尾井坂の変(大久保利通暗殺未遂)

・参謀本部独立

・琉球処分

▽内閣の出した主な法令

・教育令(第一次)

・徴兵規則

・海外旅券規則

・地方三新法(府県会規則・郡区町村編制法・地方税規則)

▽内閣の対応した帝國議会

・帝國議会設置前

▽内閣閣僚

内閣総理大臣

1 板倉勝静いたくら かつきよ

 生年:2483(1823)年2月14日(文政6年1月4日)、54歳

 出生:陸奥国白河郡白河小峰城内(福島県白河市)

 学歴:

 官職:元老院議官/従五位下左近将監、周防守、従四位下侍従、阿波守、伊賀守

 前職:江戸幕府奏者番兼寺社奉行、老中、老中首座

 特記:陸奥白河藩主、松平定永八男。備中松山藩主、板倉勝職婿養子。

    備中松山藩第7代藩主。板倉宗家第13代当主。

    初入閣

外務大臣

1 阿部正外あべ まさとう

 生年:2488(1828)年2月15日(文政11年1月1日)、49歳

 出生:武蔵国江戸(東京都)

 学歴:

 官職:元老院議官/従四位下、越前守、豊後守、侍従

 前職:江戸幕府神奈川奉行、外国奉行、北町奉行、寺社奉行兼奏者番、老中

 特記:旗本・阿部正蔵次男。陸奥白河藩主、阿部正耆養子。

    陸奥白河藩第7代藩主。忠秋系阿部家(豊後守家)第15代当主。

    初入閣

内務大臣

1 水野忠徳みずの ただのり

 生年:2470(1815)年5月18日(文化12年4月9日)、62歳

 出生:武蔵国江戸(東京都)

 学歴:

 官職:元老院議官/筑後守・下総守

 前職:江戸幕府使番・御先手組火付盗賊改方加役、浦賀奉行、長崎奉行、勘定奉行兼勝手掛、外国奉行

 特記:諏訪庄右衛門頼篤の子。旗本水野忠長養嗣子。

    初入閣

大蔵大臣

1 大久保忠寛おおくぼ ただひろ

 生年:2478(1818)年1月5日(文化14年11月29日)、59歳

 出生:武蔵国江戸(東京都)

 学歴:

 官職:元老院議官/従五位下・志摩守、右近衛将監、伊勢守、越中守

 前職:江戸幕府:海防掛、軍制改正用掛、蕃所調所頭取、外国貿易取調掛

駿河町奉行、京都町奉行、外国奉行、大目付、御側御用取次、会計総裁、若年寄

 特記:旗本大久保忠尚の子。

    初入閣

陸軍大臣

1 松平乗謨まつだいら のりかた

 生年:2499(1839)年12月18日(天保10年11月13日)、37歳

 出生:武蔵国江戸(東京都)

 学歴:

 官職:陸軍大将/従五位下・兵部少輔、縫殿頭、正四位下

 前職:江戸幕府若年寄、老中、陸軍奉行、陸軍総裁

 特記:三河国奥殿藩8代藩主、信濃国田野口藩(竜岡藩)主。真次流大給松平家11代当主。

    初入閣

海軍大臣

1 勝義邦かつ よしくに

 生年:2483(1823)年3月12日(文政6年1月30日)、54歳

 出生:武蔵国江戸本所亀沢町(東京都)

 学歴:

 官職:海軍大将/従五位下・安房守

 前職:江戸幕府軍艦奉行、海軍奉行、海軍総裁

 特記:旗本勝小吉の子。

    初入閣

司法大臣

1 津田真道つだ まみち

 生年:2489(1829)年6月25日(文政12年7月25日)、48歳

 出生:美作国津山藩上之町(岡山県津山市)

 学歴:オランダ・ライデン大学

 官職:元老院議官

 前職:江戸幕府蕃書調所、騎兵差図役頭取、目付、司法奉行

 特記:幕臣、初入閣

文部大臣

1 佐久間象山さくま しょうざん

 生年:2471(1811)年3月22日(文化8年2月28日)、66歳)

 出生:信濃国埴科郡松代字浦町(長野県長野市松代町)

 学歴:

 官職:元老院議官

 前職:信濃国松代藩士、文部総裁

 特記:初入閣

内閣書記官長

1 岩瀬忠震いわせ ただなり

 生年:2478(1818)年12月18日(文政元年11月21日)、58歳

 出生:武蔵国江戸芝愛宕下西久保(東京都)

 学歴:昌平坂学問所大試乙科に

 官職:元老院議官

 前職:目付、外国奉行、作事奉行、国内事務総裁

 特記:旗本・設楽貞丈の三男。岩瀬忠正の婿養子。

法制局長官

1 小栗忠順おぐり ただまさ

 生年:2487(1827)年7月16日(文政10年6月23日)、50歳

 出生:武蔵国江戸駿河台(東京都)

 学歴:

 官職:元老院議官

 前職:江戸幕府外国奉行、勘定奉行、歩兵奉行、軍艦奉行、若年寄

 特記:旗本小栗忠高の子。


各省次官(このころの次官は高級官僚の職ではなく自由任用制であった。)

外務次官 井上馨(元長州藩士)

内務次官 小松清廉(元薩摩藩士・在任中に死去) / 大久保利通(元薩摩藩士)

大蔵次官 松方正義(元薩摩藩士)

陸軍次官 大村益次郎(元長州藩士)

海軍次官 西郷従道(元薩摩藩士)

司法次官 江藤新平(元佐賀藩士)

文部次官 渋沢栄一(元幕臣)

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