銀剣のルフィナⅦ
ルフィナとイールが訪れた世界は酷く荒廃していた。
建物の残骸ばかりがあちこちに散らばっていて海がその建物の残骸まで迫っていた。
見える景色はすべて残骸ばかり、原型を留めていたりはしていない。
「なんか荒れてるね」
ルフィナがイールにそう言うと、イールは応答するように頷いた。
「これらは【静寂】の持ち主がこの世界に対して特異の力を行使した結果起きたものだ」
「え、それは・・・・・」
ルフィナが問う前にイールは答えを言う。
「特異点【静寂】は、その力を自由に使うことの出来る許された存在なんだ。何せ【静寂】の力はただ静かになるだけで世界に対して大きな影響は産まないからね」
「大きな影響・・・・って」
ルフィナは移動するイールに騎乗したまま周囲を見渡している。
荒廃して廃墟となった建物群、それらを侵食していくかのように植物が這ったり生えたりしている。
鹿の群れがその廃墟となった建物群の間をすり抜けるように走っている。
人間はいない。
「ただ静かになるだけなんだ、人間も建物も動物も自然も」
イールがルフィナにそう説明し、更に続ける。
「特別な強さはない、特別な状態にも出来ない、何かを産んだり作ったりしない、この世界の必要に応じて静かになるだけだ。誰かが滅ぼすことも乱すことも出来ない、居ない方が逆に世界は混沌と化すだけだ」
「なるほど」
建物群を飛び越えて、イールとルフィナは周囲を見渡した。
とても静かに、風の音さえも消えて、遥か彼方の遠い空が動いた。
「【静寂】のやつだ」
イールがそう言うと、ルフィナは遠くの空を凝視した。
ぬっ、と空から現れた大きな角、建物群の瓦礫を粉々に粉砕する静かな蹄。
大きく、より巨大な、鹿の顔が雲の縫い間から現れた。
「やあ、【静寂】の」
イールがそう呟くと、鹿はイールの近くまで顔を下げた。
何やら会話している様だが、ルフィナには分からない。動物同士の会話だ。
しかしながら何とも優雅で逞しく大きな、より巨大な鹿だろうか。
何を食んで生きているのかすら想像もつかない。
それほどに巨大だ。
イールの言う【静寂】の特異点、その巨大な鹿は目の前の瓦礫を踏みつけて前掻きをしている。それだけで土埃がイールとルフィナの目の前を覆うが、イールのバリアによってそのどちらも土埃を被らない。
前掻きはイールもよく行う行動だ、不満や要求を行うときにしばしばそういう行動が見受けられる。
この巨大な鹿もそうなのだろうか、とルフィナは土埃の中で巨大な鹿を見上げた。
「【静寂】のやつ、ボクやルフィナがこの世界に来訪することで騒がしくなるのを嫌ってるみたいだ」
イールのその言葉を聞いてルフィナもようやく【静寂】の特異点の前掻きに対する答えを得る。
「早く出て行けってことかな」
「ボクはどの世界に居たとしても許されている。あちらがこちらを追い出す気があるなら少し痛い目を見てもらうけど」
イールがそう言うと、それを聞いた【静寂】の鹿はイールとルフィナからそっぽを向いてどこかに歩いて行った。もう二度とこの場所に戻って来ないような、そんな気さえする。
「いなくなっちゃった」
「これだから【静寂】は許されてる、特異点による強制効果もただ静かになるだけだし」
イールは呆れたように溜息を吐く、戦い争わなければむしろ厄介事ではないのだがイールはやたらと好戦的だ。おそらく挑発して手の内や考えを探っているのだろう、そういう意味では【静寂】の鹿は満点の解答を得ている。
特異点【静寂】との会合は果たした。
残りは特異点【転移】だ、こればかりはあちこちに移動するので今現在どこに居て何をしているのかはイールにも掴めない、ただイールは【転移】黒鳥の本拠地となる世界を知っている。
「【転移】は一度会ってるけど、やけに好戦的だったからなぁ。とりあえずはヤツの世界に移動するけど、あの黒いの何しにボクに会いに来たんだっけ」
「あの黒い鳥のこと?」
「そう」
およそ計り知れない理由なのだろう、単純に勘違いしていた可能性もあるが、イールとルフィナには
分からない。
「脅威がどうとか言ってたような」
ルフィナが辛うじて思い出す騎士の言葉、それを聞いてイールも少し考えるが結局は思い出せなかった。
「とりあえず【転移】のやつの世界へ行ってみよう」
イールはそう言うと爪先で空間を引き裂いて穴を作り、その中を移動した。
「む」
移動した直後にイールは周囲にバリアを展開する。
遅れてルフィナも自身の周囲に【私の結界】を展開した。
どうやら人や生物が踏み入れる環境にはなさそうだ。それらに必要な大気、酸素がない。
「惑星そのものが崩壊しているね、とてもじゃないが生物はここでは暮らせない」
イールがそう言って周囲を見渡す、上も下もなく天地が逆さまになって何が何やら分からない。
バリアと結界によって密閉した前の世界の大気はある程度の活動を許してくれそうだが、それだけだと心許ない。
ルフィナはイールから降り、持ってきている装備の中から携帯用の酸素ボンベとガスマスクを取り出した。
いざという時のためにリックがルフィナに持たせていたものだ。イール用のガスマスクもある。
それらをイールに装備し、そしてルフィナ自身も装備する。
これでしばらくは極地での探索が可能だ。
「これでよし」
ルフィナはイールと目を合わせて頷き、再びイールに騎乗した。
探索は可能だが左右、上にも下にも大地と空がある。
「誰かに砕かれたような場所だな」
「こんなところにあの人達は住んでいるの?」
ルフィナがイールにそう聞くが、聞かれたイールも答えられずに首を横に振る。
「【転移】のことだからどこかに移動してるとは思うけど、この状況は異常だ。おそらく大規模な戦闘の後だとは思うけど、これじゃまるで」
そう言ったイールがハッとした。
管理者マキナが姿を消す前に『同存在がそちらに向かっている』と言っていた。あれは同種である特異点の存在のことではなかったのだ。
「まるでボクが本気で暴れたかのような・・・・・そうか」
イールは今の場所から頭上を見上げた、その視線の先をルフィナも見上げ、そうして確認する。
「もう一匹のイール・・・・?」
装備も何もない、鞍さえも付けていない黄金の羽根を持った鳥がルフィナとイールを見上げていた。
「パラドックスだ」
イールは頭上の黄金の鳥を見据えてルフィナに静かに語る。
「パラドックス?」
「ボクはいつも自分が思う“正しい行い”を信じてきた、それが正解だと信じてヒトと共に歩もうと心に決めてきた。己の意志で己の主人たる決定を常に行って来たんだ」
イールの行動には必ず倫理や道徳が存在する。それは言い換えて見れば騎士道精神に連なるものだ。
「ボクの特異の力【最強】は元々、違う力だったんだ」
「違う力・・・・・・・」
見上げた先の黄金の鳥は動かない、こちらの出方を見ているようでもある。
「【移動】、ボクはその特異の力を使ってあらゆる時間のどんな場所にでも現れることが出来る。言い換えればボクは自分自身が想う常に正しい選択を行う自身の最終である終着点に辿り着くことが出来るってことだ。それは違う時間軸のボクが辿り着く答えと同じとは限らない」
パラドックス、逆説的位置の黄金の鳥。
「アレはボクが自分自身を忘れた姿だ」
イールは自身とルフィナの周囲を囲むように多重のバリアを展開させ、自身に兜鎧爪を装備し、そして目の前に自身の身の丈を遥かに超える大剣を召喚する。
「ルフィナ、少し無茶をするよ」
そう言われたルフィナも腰から銀剣を抜き、頭上の黄金の鳥を見据えた。
イールも目の前の大剣の柄を右足で掴み、黄金の鳥を見据える。
その瞬間、目の前の黄金の鳥が姿を消し、イールも同じくルフィナと共に姿を消した。
およそ人間の目では見えない空震が鳴り響き、崩壊した惑星の大地が更に散り散りと砕け散る。
ルフィナの目で追えないイールの移動速度だが、そのルフィナの周囲だけは重力や摩擦を受けないようイールのバリアによって守られている。
何重かに張られたバリアだが、イールの大剣とその周囲の足回りだけイールが移動するたびに剥がれてその度に修復されている。
イールの視点ではすでに拵えられた大剣は溶け折られていて、装着された爪も鈍い光を放つようになっている。
もはや何合と打ち合ったのか分からない攻防の末にイールが右足に持つ折られた大剣を黄金の鳥が右足で掴み、互いに制止する。
イールと黄金の鳥を中心にそれ以外の大地が弾け飛んでいてさながら爆心地のように周囲に衝撃波と熱波、爆発音を齎している。
束の間の鍔迫り合いはルフィナによって乖離する。
「見えた!」
そう言ったルフィナの反射速度は人間の反射速度であれば天性のものによる速度だが、イールと黄金の鳥にとってはあくびが出るほど遅いものだ。
ルフィナが黄金の鳥を見て放った光の一閃【波動剣】は初撃こそ真正面で避けられる低速の技だったが、その一閃から溢れる無数の光が黄金の鳥の羽根を一枚だけ斬り落とした。
イールはそれを見て背後の空間を爪先で斬り、別の世界への入り口を開いてルフィナと共に別世界へと移動した。
「ここは・・・・」
建物の瓦礫がたくさん並ぶ静かな雰囲気はその【静寂】さを伺える。
「【静寂】の世界だよ、逃げる必要があったからここに来た」
そう言ったイールの右足は指を欠損し、溶けた大剣がくっついている。それらをイグドラシルフィールドが欠損状態を完全に元に戻し、イールは溶けた大剣から自身の足を剥いだ。
「ルフィナ、あの技は」
イールから下りたルフィナに対してイールは続きを言う。
「ボクに届き得る技だ。だからヤツはボクと同様に本気にならざるを得ない、そうなればボクはルフィナを庇えない、だから逃げたんだ」
「大丈夫?」
ルフィナがイールの怪我を見て言う、その怪我はルフィナ自身を庇ったために負った傷だろう。
「問題ない、だけどボクはあいつと決着をつけないといけないから」
「・・・・・勝てるの?」
そう問われてイールは首を横に振って言う。
「分からない、あれはボク自身だから良くても悪くても相打ちかな」
ルフィナは自身が考えうる結果を仮想する。
「もしかして決着もつかない?」
「おそらくは」
そう言ったイールは考え込むように頭を下に下げた。
その様子を見てルフィナは気付いたように言う。
「同じ存在なら、イールと同じ考えなのかも」
ぴくり、とイールは下げた頭を上げた。
「む」
「あっちにはあっちの都合があって、こっちには特異点を抑える目的しかない」
ルフィナがそう言うと、イールは頷き言う。
「ボクがボクとしての行いが、ボクとルフィナをあの世界から追い出すことを選んだとするならその理由は・・・・・」
「それは・・・・・・」
ルフィナは分からなくなって頭を抱える。
流石にイールにも分からない。
「むう・・・・・」
「分からないなら分からない方がいいのかも、しれない?」
ルフィナのその言葉の続きをイールは黙ってルフィナの顔を見つめて聞く。
「私達の目的は特異点が世界を壊さずに現状を維持すること、その理由は管理者マキナが不在だから」
「うんうん」
「あの世界はパラドックスでもイールという存在が居て、そもそも私達の目的はパラドックスイールではない」
イールは首を傾げる。
「むむ?」
「“無視”しよう、イール」
「ふむ」
ルフィナは建物の瓦礫の上から周囲を見渡して緩やかな風と静かすぎる静寂の音を聞く。
「イールは何があってもイールなんでしょ?」
「・・・・・・そうだね」
イールは溶けた大剣を異空間に収納し、ルフィナを背中に乗せて言う。
「別の世界を観てみよう、【転移】のやつも他の特異点の様子を観てるかもしれない」
「うん」
ふと、正面の空間が歪んでその中から騎士鎧と黒い鳥が現れた。
特異点【転移】が【静寂】の世界に現れたのだ。
「あ」「ああ!」
ルフィナとイールが目的を見つけて高揚する。
その二人の様子を観て騎士は剣をルフィナとイールに向けて構えている。
何もしないルフィナとイールとただ見つめ合う時間が続く。
【静寂】が居る世界はその特異の力によって静かすぎるために思考もゆっくり考えられて冷静さを取り戻してしまう。
騎士は剣を下げ、溜め息を吐いてイールとルフィナに言う。
「あの黄金の鳥では無さそうですね」
「もう一匹のアレはボクのパラドックスだね。現状維持のために【転移】を探してたけど、何か他に問題がありそうだね」
イールがそう告げると、鎧騎士と黒い鳥はハッとしたようにその場で考え込む。
「それは・・・・・しかし、それなら・・・・・なぜ・・・・・私の世界は」
「さあ?それは自分自身でもよく分からない、未来のボクか、それとも過去のボクかも分からないけどおそらくは未来のボクなんだと思う」
未来、という言葉を聞いて騎士は大剣を抜く。
イールは【静寂】の気配を感じながら、戦闘態勢に移行しようとする騎士と黒い鳥に対して言う。
「ボクはボク自身が間違うことはない、例えその選択が誰かにとって厳しく辛いものであろうともボクが間違えることは決してない。それはこの特異【最強】が証明している」
図らずも【静寂】は特異の力を常に行使している。
この世界がとても静かな理由は、万物がこの特異の強制力に抗えないからだ。
それは騎士も【転移】の特異を持つ黒い鳥も、イールもルフィナも同じように【静寂】の影響を受けている。
その中でイールと、そのイールに守られているルフィナに対して【静寂】の効果が薄い理由は、イールが無自覚に反発し【最強】の特異を思うが儘に行使しているからだ。
「それなら何故、私達の世界は」
「分からない、理由があると思うんだけどパラドックスは何も語らなかったんだよね」
騎士はイールの言葉を聞いて黙した。【転移】の特異を持つ黒い鳥も同様に沈黙している。
「ふむ」
イールは納得したように騎士と黒い鳥に背を向け、空間を切り裂き時空を移動しようとしている。
「どこに行かれるのですか」
騎士にそう問われ、イールは騎士に言う。
「自分の世界に帰る。管理者から存在を認められた特異点の様子を見に回ってたんだけど【転移】で最後だったんだ。その【転移】が暴走してなければボクがここに居る理由もない」
「そう・・・・・ですか・・・・・」
そう言った騎士と黒い鳥が後ろを向く、このままどこか別の世界に行くのだろう。
「ついてくる?」
イールが思い出したように騎士と黒い鳥にそう言うと、どちらもどうしたらいいのか分からずにお互いの様子を見ている。
「パラドックスがボクの未来というのであれば、ボクの近くに居ればキミの世界を崩壊させた理由も分かるかもしれない」
「・・・・・・・・・・・・・」
イールはそう言って、自分の世界へとルフィナを背に乗せて帰って行った。
切り裂かれた空間は裂け目こそあるが自然にその裂け目を閉じ、別世界へと渡れなくなる。
もっとも【転移】にとってはそれこそ自由に移動できるものだ。イールと違って空間に裂け目を作らずとも自由に黒い鳥の意志で行き来することができる。
ただし、イールにとっての元々の特異の力である【移動】のように時空間移動を可能にするものではない、【転移】は時間の流れには逆らえない。
あらゆる世界において、その一指の匙加減一つで世界の崩壊や創造に至れる特異点と呼ばれた存在は、それぞれが仕組みや構造が異なるものだ。
イールが行う空間を引き裂いて各世界を移動する技能は、他の特異点にとって到底理解できるものではない。
それは逆に、他の特異点が行っていることはイールにとって理解できるものではない。
例えばルフィナの【増幅】の特異は、どこから何がどのような結果に至って増幅されているのか本人自身も見当がつかなければ、その他が理解することはできない。
イールはその特異の力を、何かが与えてくれていると理解はしているが、それが一体誰で、どのような理由で、何を与えられているのかは分からない。
特異点という存在が、管理する各世界で共鳴するように偶然に自然発生するのだから、管理者マキナもたまったものではない。
それが今回、管理者マキナの不在理由だとイールが気付くまでには一週間ほど時間を要した。
管理者マキナは、休暇中だったようだ。