銀剣のルフィナⅤ
「ただいまー、ってあれ?」
帰宅したルフィナが宿のイールの小屋を覗き込むと、イールの周囲の藁が綺麗に整えられていていつもの野性味を感じない仕様になっている。
普段のイールのような「とりあえず巣が出来れば何でもいい感」はなく、整えられていることからルフィナは不思議に思い、イールに聞く。
「何かあったの?」
「あ!お、おおおおかえりルフィナ!」
イールが動揺している、ルフィナの旅において終始落ち着き払っていたあのイールが、だ。ルフィナが二度声を掛けるまで気づかなかったほどに集中力も散漫になっている。
イールはルフィナに目の前の事態を全て話した。
端的に言えば、世界を統括管理する管理者の不在というだけの話だ。
しかし成人すらしていない年端もいかない少女であるルフィナにとってはその重要性は理解できない、精々懸念することがあるのであれば管理者がルフィナとその母親のルセナの処遇を握っている者であるということだ。
「不在だからって実際にはイールと私はどうすればいいの?」
「どうすればいいのって・・・・・どうしたらいいんだろう?」
とにかく大変だということだが、イールは特異【最強】を有するだけで今後の展開を予測して先んじて行動するようなことはできない。
ルフィナは聡明で利発ではあるのだが、経験が圧倒的に足りないために発案できる案を持たない。
「お師匠様なら、なんて言うかな」
「う、うーん、聞いてもいいけどシックのことだからなあ」
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ルフィナを乗せたイールが音を残さずに跳躍し、音を蹴り進んで轟音と共にものの数秒で帰宅する。
リックとシックが木剣を合わせて鍛錬を行っている場所に降り立ち、イールがシックとリックに対して事の顛末を話すと返ってきた言葉はというと。
「既に“乗り手”はルフィナとなった以上、俺からルフィナの旅の方針を示すことはできない。ルフィナが考えて決めなさい」
「わ、私が・・・・・・」
ルフィナは師であるシックにそう言われ、答えを出すにも時間を要している。
「リック・・・・・・・・」
イールがそう言ってリックを見やるが、リックは笑顔でイールに対して言う。
「お父さんがそう言ってるなら私からも何も言えることはないかな、あはは」
「すぐに答えを出す必要はない、だが差し迫った状況かもしれない。何がルフィナとイールに出来て何が出来ないのか、やるべきことを見誤ってはいけないことは確かだが、俺とリックに出来ることは少ない」
ルフィナにそう伝えたシックがルフィナの頭を撫でながらイールを見やる。
「イール、状況はあまり良くないみたいだな」
シックはルフィナとリックを背にして完全な武器、鎧、兜を武装する。
イールはシックの武装に気付いた瞬間に空を見上げて背中に誰も乗せずに跳躍した。
リックが遅れて短剣二本を両手に携え、ルフィナは抜刀せずに腰の剣の柄を握る。
「【封牢結界】」
先に動き出したのはリックだが、その結界内にシックは留まらずカタールで既に現れた一人を貫き仕留めていた。
「お父さん!」
リックが封牢結界で自身とルフィナ、そして家屋周辺を覆う。
「【波動剣】」
シックが次に標的に定めた複数を狙う、塵のような決め細やかな波動の剣が無数に周囲の森全体に広がって枝葉と木々を粉微塵にする。
イールはシックの波動剣を見やり、そうして頭上に開いた大きな亀裂と共に現れる飛行船を見上げる。
別世界のモノであることは明白な機構を有しており、この世界のものとは異なる動力で鉄の船が空を飛んでいる。
しかも複数の人なのか人ではないのか分からないような敵意を持った襲撃者が周囲に小さな亀裂と共に現れている。
シックはそれら襲撃者を何の躊躇いもなく葬っていく、現れただけで斬るといった感じだ。
イールが空に現れた鉄の飛行船を一蹴で爆散させ、数ある開いた亀裂からは黒煙だけが周囲に漂っている。
跳躍したシックが封牢結界を足場にイールを見上げる。
イールはシックを見て封牢結界に降り立った。
「どう思う?」
問うシックに対してイールは口を開く。
「おそらくボクに用があるんだと思う」
それを聞いたシックが溜め息を吐いた後に、イールに対して言う。
「イール、背中に乗せろ」
「おっけー」
イールの背中に騎乗したシックが両手のカタールの装備を外して二振りの長剣を握る。
シックがそれらを振れば波動の剣が飛んで何もかもを斬ってしまう。
イールがシックの剣の動きに呼応するように高速で移動して亀裂から現れる者全てを動けなくしていく。
二対の呼吸の合った連擊と高速移動にリックとルフィナは見惚れていて言葉すらも出ない。
鬼神のごときその動きはシックの全盛からは劣るものだ。
そのシックの右腕が亀裂から現れた一筋の光によって吹き飛ばされる。
「む」
鈍く響く痛みがあるが、四肢の一つが欠損したとしても顔色一つ変えずにシックは光の先を見据えた。
「イール」
シックの声に気付いたイールが小範囲のイグドラシルフィールドで失った右腕の欠損を復元させるがなかなか完全な復元まで戻り切らない。
イールと共に眼下を見下ろしたシックが次に亀裂の先へと光の如く駆け抜けていく、リックがそれを見て封牢結界内から自分だけ移動して亀裂に入り込もうとするが、イールに蹴り返されてしまった。
それはリックの力不足を示すものだ。
閉じた亀裂の先を悔しそうに睨めつけながら自身の封牢結界と共に落下し行くリックが、周囲に認識できる全ての亀裂に対して封牢結界を施した。
ルフィナは何も出来ずに柄に手を置いていただけだ。
降り立ったリックは考えを巡らせ、近寄ってくるルフィナに対して視線を向ける。
「リックさん」
「・・・・・私はここから離れられないみたい、ルフィナ」
周囲の結界が亀裂の拡大を抑え込み、亀裂の中から人間とも思えない魔の有象無象が湧いて出て来ることを阻止している。
「わ、私・・・・どうしたらいいのか分からなくて」
リックはルフィナの頭を撫で、そうして唇を噛みしめながら頭上の消えた亀裂を見上げて言う。
「ルフィナはここに私と残って」
そう言われたルフィナは剣の柄を強く握り、静かに目を閉じてリックに言う。
「【増幅】を使います」
「それは」
「イールは特異【最強】にも弱点があると言ってました、お師匠様がその弱点になるのでは?」
リックにはルフィナが勝手に動いたとしてもどうすることもできない、ルフィナの言うことも一理ある。
「相手はイールのバリアを貫通するほどの相手、同じ特異を持つ何かだと思います」
「ルフィナ・・・・」
「私がイールとお師匠様を迎えに行きます」
リックがその言葉を聞いて小さく頷く、しかし懸念が一つある。
「ルフィナ、あなたが特異の力を使えばこの先どうなるのか分からない、例え管理者が不在の今でも使うべき力ではないのよ」
「・・・・はい」
ルセナが遠くからルフィナを見ている、そのことに気付いたルフィナは笑顔で手を振る。
リックはその二人の様子を見てルフィナに言う。
「これはあなたの旅だったわね、ルフィナ」
「はい」
右手の短剣で一つの亀裂を指し示したリックが言う。
「あの亀裂の結界を一瞬だけ解く、その間に行きなさい」
「はい!」
ルフィナは剣の柄に手をかけ、結界に阻まれた亀裂を目の前にする。
今にも得体の知れない魔の生き物が蠢く亀裂に対していつの間にかルフィナの隣に杖を持ったエウリュアレが立っていた。
「最大出力で蹴散らします、準備はいいです?」
「はい!」
「エウ、いい?」
リックがそう聞くと、エウリュアレは嬉しそうに言う。
「いつでもいいです、お姉ちゃん」
リックによって亀裂の結界が解かれ、それと同時にエウリュアレの杖の先から迸る魔力の熱線が亀裂から溢れそうな魔の生き物達を焼く。
「【醒竜の咆哮】」
放たれた熱線から更に高出力の魔力の渦が亀裂から溢れ出る魔の生き物を全て灰と化し、亀裂すらも少し焼き広げて全てを吹き飛ばしてしまった。
「エウ、亀裂が広がってる」
「やり過ぎたです」
そんな姉妹のやり取りには目もくれず、ルフィナは亀裂の向こう側へと走り抜けた。
リックはすぐに亀裂を【封牢結界】で閉じ、ルフィナの背中を見送る。
亀裂から抜け出て異なる世界へと足を踏み入れたルフィナはその先で【私の結界】を張る。
あらゆる攻撃を弾いて相手に返すその結界はルフィナに対しての集中砲火を全て跳ね返していく。
ルフィナが見上げた先でイールとシックが一体の赤鳥と対峙していた。
次の瞬間、イールとシックが赤鳥の攻撃に被弾する。
シックに対する攻撃を庇ったイールだったが、受け止めきれずにシックの右肩にまで貫通する威力の赤鳥の咆哮のその光だ。
ルフィナはそれを目の当たりにして抜刀、特異【増幅】を発動させる。
先程ルフィナが見たエウリュアレの【醒竜の咆哮】を剣先に集約し、特異の力【増幅】で威力を高めた極めて薄い熱線が赤鳥に放たれる。
不意を突かれた赤鳥はそのルフィナの攻撃を受けて吹き飛ばされた。
吹き飛ばされた先で赤鳥は空中で体勢を持ち直し、ルフィナに対してシックの右腕を吹き飛ばした光を咆哮するように放った。
ルフィナはその反撃を【私の結界】で受けたが、光は結界を貫通してルフィナの胸と左肩に大きな穴を開けた。
赤鳥が倒れるルフィナからイールとシックに目を向けると、その瞬間にルフィナが赤鳥の背後に現れる。
ルフィナの幻影がその場に残っており、赤鳥は一瞬の判断を誤った。
「【波動剣】」
特異【増幅】によって高められた波動の剣が赤鳥に対して一度だけ、ルフィナの剣から放たれる。
赤鳥はルフィナの波動剣を右足で掴み、受けきる算段でいるようだ。
増幅する波動の剣はルフィナの剣から放たれた後でも大きく、更に大きく膨れ上がる。
「シック!」
イグドラシルフィールドによって再生するシックの身体だが、徐々に崩壊しかけている。
「俺はいい、それよりもルフィナを頼む」
「わかった」
赤鳥がルフィナの増幅波動剣を受け、それらを端から塵霞へと亀裂と霧散を繰り返していく。
「ルフィナ乗って、ここからはボクがやるよ」
「イール」
ルフィナの傍らにイールが現れ、ルフィナはイールの手綱を手に騎乗する。
赤鳥がルフィナの増幅波動剣を霧へと変え、そうして再びイールとルフィナに対峙する。
「おい赤いの、お前の特異は【破壊】だな」
イールが赤鳥を睨みつけて言う、その目には薄っすらと涙が滲んでいる。
「・・・・・・・・・・・・・」
赤鳥は何も言わない、ただ目の前のイールを敵と認識したのかその身を大きく見せるように羽を大きく逆立たせている。
見えていた目の前のイールとルフィナが消え、赤鳥の頭をイールの足が掴んで地上へと蹴り飛ばした。
それだけで赤鳥は気絶し、その場で動かなくなる。
「死んだの?」
ルフィナがイールにそう問うと、イールは赤鳥を見下ろしながら言う。
「あんなのでも死ねばこの世界のバランスを崩してしまうかもしれない、特に特異点と呼ばれる存在は倒すと次の無秩序を産むから厄介だ」
赤鳥のいる世界はほぼ崩壊しかけた赤色の風景だが、それなりに生物がいるみたいだ。
気付いたようにイールがルフィナを乗せてシックの元へと舞い戻る。
「お師匠様・・・・!」
イールのイグドラシルフィールドを受けながらもシックの身体は少しずつ末端から崩壊しつつある。
「シック・・・・」
「ふむ、イール・・・・・俺を元の世界に戻してくれるか」
言われたままにイールはシックの服を啄んで持ち、足の爪で虚空を引っ掻いて亀裂を作って元居た世界のシックの家の庭先に移動する。
「お父さん!」
駆け寄るリックに対してイールは無造作にシックをその場に置く、違う悲鳴がシックから聞こえるが顔を合わせることはない。
騎乗していたルフィナがイールから降り、そうして駆け寄ってきたリックに対して言う。
「リックさん、お師匠様は」
遮るようにシックの左手がルフィナを静止させ、そうしてシックはイールの顔を見上げて言う。
「相手が特異の力を持っていてな、どうやらこのまま持たないらしい」
シックの見せた右手が指先から光の粒となって消えていく。
「そんな・・・・!」
「この世界が荒れないよう同じ冒険者を殺し過ぎた罰なのかもしれないな」
他人事のように笑うシックに対し、リックはどうにかしようとイールに言う。
「イールのイグドラシルフィールドは!?」
「・・・・・相手の特異の力が【破壊】だったんだ、ボクのスキルは特異の力を超えられない」
リックはそれを聞いて力が抜けたようにその場にへたり込んで泣き始めてしまった。
ルフィナ、イール、エウリュアレ、そしてルセナが泣くリックを見て言葉が出ずに沈黙する。
その沈黙を破るような深い溜め息がシックから聞こえ、そうして指のない右手を立てて立ち上がった。
「このまま死ぬのなら愛弟子に技の一つくらい残して死ぬか」
シックはそう言ってルフィナを見やる。
「え、えっと・・・・・」
それを聞いたイールが鼻で笑う、その笑い声を聞いたシックも同じく笑んでいる。
「ルフィナ、リック、それにエウ、人はいつかは死ぬものさ。今から俺が死ぬまで最期の修練を始める」
困惑するルフィナの前にエウリュアレが立つ。
「おししょー、御別れです」
エウリュアレが杖を構える。
その姿は昔とまったく変わらない、世界各地を一緒に飛び回った時のままだ。
涙をどうにか止めてリックがエウリュアレの隣に立って短剣を両手に構える。
感情の抜けた子だったが、ここまで感情を見せるようになった。娘のように育ててきたが、今となっては教えてきた暗殺術は使い物にならなくなるくらい感情が表に出ている。これはこれでいいのかもしれない。
二人の後ろで柄に手をかけるルフィナ。
次の乗り手としては未熟だが、剣術の才は鬼気迫るものがある。生涯最後の弟子だ。
「おそらく俺がこの技を見せるのは一度だけだ・・・・誰にも見せたことがない今の俺が出せる俺だけの技だ」
シックはそう言って無くなりつつある右手を見つめ、左手に木剣を握った。
「よく見ておけ」
シックの周囲に波動が集束し、そうして閃光のように光ったかと思えば目の前のシックが忽然と消失する。
その瞬間にエウリュアレが後方に吹き飛ばされた。
リックはそれを見て【封牢結界】を自身の周囲に展開するが既に攻撃が終わっていてエウリュアレと同じく結界ごと後方に吹き飛ばされた。
ルフィナは【私の幻影】で初擊から逃れ、【私の結界】を展開する前に攻撃を受け、どうにか見えた剣影に対して左手を犠牲にして受け、そして蹴り飛ばされた。
最後に、観ていたイールに対しての左手の木剣の斬擊はイールの片足によって止められた。
「これを防ぐか、イール」
そう言ったシックの腕は既になくなっている。
「驚いた、シックが移動術を編み出すなんて」
そう言ったイールの足と、シックの木剣は鍔迫り合う。
「そろそろ決着をつけようか、イール!」
「望むところだ!」
吹き飛ばされた三人を他所に、シックとイールは攻撃し合う。
シックの右肩が無くなろうとも、半身が無くなろうとも続くその攻防に三人は見入っていた。
そうして右足が無くなると、シックはその場に膝をつく。
「ここまでみたいだね」
そう言ったイールに対し、シックは左手の木剣を地面に突き刺した。
「これが最後の技だ」
シックはイールに対して波動の剣を幾重にも折り重ねて放つ。
それはイールの足元から針のように突き出て、風の如く切り裂く波動が揺れる。
波紋がシックの足元から溢れ続け、波動は四方に反射してイールの位置に波紋が交錯していく。
一撃はイールならばいとも容易く弾かれるだろうが、それが二つ、三つと折重なっていく。
「エウリュアレ、リック、ルフィナ、よく見ておけ波動の神髄は波紋にある」
シックから広がる波動の波紋がイールに集中する。
「これに名を与えるなら、そう・・・・・【明鏡波動剣】」
発動と同時にイールが首を下げる、その技の至る道を識ったかのようにイールはシックに言う。
「およそ人の域でここまでの力を引き出したことに敬意を評するよ、シック」
イールが滅多に見せない羽ばたきを、そして咆哮を、その身を追い詰める波動の波紋に対して行う。
「イールが、鳴いた」
リックは耳にしたことのないイールの鳴き声に驚愕している。
荒々しい大きな鳥の大きな鳴き声だ、しばらく一緒に旅をしていたリックでさえ聞いたことがない。
リックが気付く前に、エウリュアレがシックの崩壊していく身体を抱える。
「まさかエウに抱えられて死ぬなんてな」
「さよならです、シック」
「さよなら、シック」
イールが全開のイグドラシルフィールドを展開するが、シックの身体は消えていく。
顔を下に向けるルフィナの様子に気付いたシックが笑顔で言う。
「気に病むな、いつか訪れることが今日になっただけだ。これからやるべきことも、やらなくちゃいけないことも自分で探すんだ。ルフィナ」
「はい・・・・!」
「やれやれ」
泣きだすリックを見てシックは笑んで左手でリックの頭を撫でる。
「元気でな」
「お父さん・・・・!」
シックの身体は完全に崩壊し、塵となってその場から完全に消滅した。