殿下にホクロ?
27日分、1回目
帰っていくイレーヌの後ろ姿を眺めていたガレンが「ケンドリック伯爵邸の馬車に乗るまで、お見送りして参ります。王宮の庭園は迷いやすいですので」と取ってつけた理由を口にして、イレーヌの後を追った。
ガレンと、その向こうにまだ微かに見えるイレーヌの姿を視界の端に映しながら、ハロルドは呟く。
「覚えていないのか。誤魔化しているのか」
ハロルドの足元に穏やかな風が舞い込み、落ち葉をくるくると踊らせる。
思い耽るハロルドの傍らに護衛の者が立ち、テーブルに影を落とした。
「ああ、すまない。執務室に戻る。仕事が山積みだ」
昔に思いを馳せていた青年から皇太子の顔に変わると、王国の仕事をすべく腰を上げた。
イレーヌは迎えの馬車が来るまで休もうと入った木陰で、ひとりになった安心感から息をつく。
悪い夢でも見ている気分だった。
お開きとなった三度目の顔見せ。どうやら次もあるらしい。
冗談で言われたのか、試されているのか。執務室から消えたピンブローチ。
「精霊のイタズラだったりしてね」
人に聞かれていないから言える言葉。
ウェンデル王国では、精霊や魔法は軽々しく話せる話題ではなかった。
もっと気軽に、精霊や魔法について話せる世の中になればいいのに。
ぼんやりと庭園の方を眺めながら、とりとめのない思いを巡らせていると、ガレンがこちらに向かって歩いてくるのが見えた。
日差しに照らされて歩いているガレンは確かに整った顔立ちをしており、ハロルドと並べはそれはそれは美しい絵画のようだろう。
おふたりが恋に落ちても不思議はないわ。
女嫌いな皇太子様なら、なおさら。
ガレンはイレーヌの傍までやってくると軽く会釈をして「馬車の手配は済ませましたか?」と声をかけた。
「お気遣いありがとうございます。庭園を出る辺りで聞いていただきました」
これだけ行き届いていれば、侍女を連れて来なくても十分だとは思う。ただイレーヌとしては、自分の味方が傍にいてほしいと、つい思ってしまう。
「ホクロ、ありますよ」
「え?」
顔を上げると、木漏れ日を背に受けるガレンがにこやかな顔をしている。
すっかり忘れ去っていた話題を持ち出され、一瞬なにを言われているのか、わからなくなった。
戸惑った表情をしていたのだろう。重ねて言われる。
「殿下の横腹にあります。ホクロ」
頭の中でゆっくりと反芻して、意味が理解できた途端にボッと火を吹いたみたいに赤面する。
思わず膝の上でギュッとドレスを握りしめ、肩に力を入れて文句を言う。
「か、からかうのはよしてください」
「良かったですね。想い人が皇太子にあらせられて」
「いえっ。まだ皇太子様だとは……それに想い人というわけではないと、あれほど」
「まあ、確かにハロルド様であると確証はありません」
フフッと優しい微笑みのあと、ガレンは笑みを消して真面目な顔で言う。
「けれど誰も知り得ない身体的特徴を、なぜイレーヌ様がご存じなのですか?」
柔和な雰囲気から一転した厳しい表情のガレンを前にして、イレーヌは握りしめていたドレスから手を離し背すじを伸ばした。