恋とはいかに
「女性は明確な言葉をほしがるものですよ」
ぼんやりとしている主人に、ガレンはため息混じりに告げる。
「なんのことだ」
「なにも言わず、突然キスなど」
ゴホゴホと咳き込むハロルドは耳を真っ赤にさせ、ガレンを睨む。
「気を利かせて目をつぶっておけ」
「私は殿下の護衛が仕事ですから。本当に、意気地なしにもほどがあります」
これには目を見開き、「耳も塞いでおけ!」と言葉尻を強くする。
「なぜ突然、あのような……」
雰囲気もなにもない。突然キスをされてイレーヌは驚いたに違いない。
「虫の知らせだ。あのとき口づけなければと、思ったのだ」
それが恋というものですよ。そう助言したくなったが、黙っておくことにした。
実際、離れる結果となったのだから、虫の知らせは本当かもしれない。ただ、恋とは唐突に心を奪い、冷静な判断を失うものだ。
女嫌いを拗らせた弊害で、女性との付き合いのマナーを欠いている。
それなのに、一瞬でイレーヌの心を奪い、心にハロルドを住み着かせる行動を取れるのは、生まれ持った才能だろうか。
離れてしまうからこそ、想いを募らせるように仕向ける、計算ではなく感覚でそういう行動に出る人たらし。
ハロルドに目をつけられたイレーヌを、少しだけ不憫に思った。
ただ、心奪われたのは口づけた方のハロルドも同じで、すっかり自分の恋心を自覚したか。
「城に急ぐぞ。ウィルの兄の消息も気になる」
すでに皇太子の顔に戻っているハロルドに、ガレンはやはりイレーヌを不憫に思うのだった。
「お茶でもどうだい?」
目まぐるしい変化の中で、イレーヌは魔女の家のテーブルに着いた。
ケーキスタンドには、焼き菓子が並べられている。ティータイムにはピッタリだ。
前のときと同様に精霊は見えないものの、浮かび上がる茶葉や、勝手に取り皿に移動する焼き菓子。それらは全て精霊がやっているのだろう。
そこでふと気がつく。
「こんなに手伝ってもらっていて、ギフトは足りるんですか?」
「おやおや。本当になにも知らないんだねえ。なにも大それた頼みを聞いてもらっちゃいないよ。少し手伝ってもらっているだけさね」
「少し、ですか」
少しには見えない。ベロニカがこの部屋に入ってから、イレーヌと一緒にテーブルに着き動いていない。全て精霊がやっているとしか思えない。
「大勢に少しずつ。水の精霊には、水を。風の精霊には風を。みんな得意なことをして、それで協力して出来上がった焼き菓子をみんなで食べるのさ」
ケーキスタンドの上にある焼き菓子は、ふわふわと浮かんで消えて行く。手伝った精霊は、自由に食べていいとなっているみたいだ。
「あーもう。ごちゃごちゃうるさいね。のんびりお茶も楽しめやしないよ」
イレーヌは大して話していないのに、ベロニカは煩わしそうに頭の辺りで手を左右に振る。
「本当、面倒な置き土産をしていってくれたもんだよ」
「ご、ごめんなさい」
「嬢ちゃんに怒ってるんじゃないよ。そうさね。ちょっとズルして、声だけ聞かせようかね」
パチンとベロニカが指を鳴らすと、洪水のように声が聞こえてきた。
「あんな奴、やめときなよ!」
「本当、突然レディの唇を奪うなんて最低!」
最初の話題が泉でのキスについてだったため、途端に顔を真っ赤にさせる。
「イレーヌはあんな男でも好きなんだから、仕方ないんじゃない?」
「あら、そう? イレーヌ自身、自分の気持ちに自信がないみたいだけど」
好き勝手話しているのは、精霊たちなのだろうか。これが聞こえていたのなら、うるさくて堪らないのは頷ける。
「あのー。ごめんね。私たち今お茶をしていて。それにまだ私は、自分の状況を把握できていないの。ベロニカさんとゆっくりお茶をして、準備ができてからお喋りしない?」
「わあ。イレーヌがあたしたちに話しかけてるわ!」
「ベロニカ、さすがね!」
「ほら! いい加減にしないとベロニカが怒るわ」
「そうね。イレーヌもああ言っているし、あとにしましょう」
「じゃイレーヌあとでね!」
「約束よ!」
ベロニカが再びパチンと指を鳴らすと、シンと静かな部屋に戻った。
「助かったよ。あんまりにもうるさかったからね」
「いえ。申し訳ないです」
「あの兄さん、あまり精霊に好かれていないみたいでねえ。だから余計にうるさいんだよ。次に話すときは覚悟しておきな」
覚悟しておきなと言われても、どうしたものか。
『イレーヌ自身、自分の気持ちに自信がないみたい』精霊に言われた言葉は、当たっていた。
皇太子のハロルドはすごく苦手で、皇太子妃に選ばれるだなんて考えたくもなかった。
それなのに横腹の君がハロルドと知り、何度も顔を合わせるうちに、いつの間にか好意を持っていた。
それはハロルドが目見麗しいからなのでは。そう思えてしまうときがある。美しい彼に見つめられれば、誰しもが惚けてしまうに決まっている。
だって、彼を好きになる理由が見当たらない。
無表情のハロルドの珍しく崩れた笑顔に心奪われたのも、彼が美しいからで。
旅をしてからは、すっかり打ち解けて話せるようになったけれど、やっぱり彼の容姿やオーラには慣れなかった。
ハロルドの行動ひとつひとつに心乱されて、今も口づけられたあのときのハロルドの顔が目に焼き付いて、離れない。
熱っぽく見つめ、そして少しだけ寂しそうな表情をして。
ベロニカに連れられ、ひと月離れると聞いたときは、「離れたくない」と縋ってしまいそうだった。それなのに、ハロルドは淡々と去ってしまい、胸が締め付けられ苦しかった。
「すっかり恋する乙女って顔だね」
ベロニカに指摘され、頬を赤らめる。
「恋、してるのでしょうか」
「してるに決まってるさ。どうであれ、ひと月離れていれば、お互いに気持ちもハッキリするってもんさ」
「お互いに?」
「兄さんも本気で大事に思っているのなら、迎えに来るよ」
「迎えに、来なかったら」
思わず声が震えて、情けなくなる。どうしてこんなにも不安で、こんなにも恋しいのか。わからないのに、今すぐにでも会いたい。
ベロニカはあっけらかんと容赦のない言葉を放った。
「それだけの間柄ってことさね」




