苦手です
なろうで投稿するのは久しぶりです。よろしくお願いします。
ーー殿方の横腹が見たい。
皇太子の妃候補として、顔見せに向かう馬車の中。頭をよぎる内容としては、逸脱していると十分に理解していた。
願望を口にするれば、父が顔面蒼白になり卒倒する姿は容易に想像できる。
イレーヌは、自他共に認める淑やかな伯爵令嬢だ。うちに秘めたいやらしい欲求でもなければ、興味本位の好奇心でもない。
しかしここ数年、"殿方の横腹を見る"ただそれだけのために頑張ってきたと言っても過言ではないくらい、イレーヌにとっては重要だった。
ウェンデル王国は、精霊や魔法の逸話が多く残る豊かな国。今ではおとぎ話の中だけのものとされているが、魔法使いは特殊な職種として存在しているのではないかと、まことしやかに囁かれている。
今から向かう王宮にこそ、精霊も魔法も未だ実在しているのではと噂される。
そうだったらいいのに。
もしも精霊と話せたら、きっと悩みも全部吹き飛ぶ。
「イレーヌ様。緊張されていますか?」
「えっ、ええ。そうかもしれないわ」
侍女のモニカに名前を呼ばれ、目を伏せながら心あらずだった意識を取り戻す。
「皇太子様からご招待を受けるのは、大変光栄で誇らしいのは確かですが、女嫌いで有名な皇太子様の元に輿入れされるのは気がかりにございます」
顔を曇らせたモニカの、すっ飛んだ意見に苦笑する。
「輿入れなんて、気が早いわ。でも……殿下は、お飾りの妃をご所望なのかもしれないわね」
でなければ、特に目立つ特徴のないイレーヌにもう一度会う機会が与えられる理由がない。
イレーヌは、二度目の皇太子殿下への顔見せに王宮に向かっていた。
等しく一度しかチャンスを与えられない顔見せ。二度目は、前代未聞だ。
皇太子妃の地位を虎視眈々と狙っている令嬢の間では、すでに噂は広まっているだろう。
イレーヌは小さくため息を吐く。
お茶会や夜会で顔を合わせたとき、なんと言ってやり過ごせばいいのやら、今から気が重い。
イレーヌの髪は、胸のあたりで馬車の振動とともに微かに揺れる。落ち着いたブロンドヘアは艶めいているが、特に珍しい色ではない。瞳はピンクがかった薄い茶色。日に焼けにくい肌は、透けるように色白だ。
どこを切り取っても、ごく平凡的。身内はかわいいだとか、美しいだとか褒めてくれるが、所詮は身内の欲目。
突出して美しいわけではなく、贔屓目に見ても絶世の美女とは言えない。ひと目会っただけで、皇太子を恋に落とせる自信は毛頭なかった。
そしてイレーヌはただの伯爵令嬢。どちらかといえば婚約者候補の末席だった。
王宮に着くとモニカと別れ、イレーヌはひとり庭園に向かう。招待状には侍女を従えず、ひとりで来るように書き添えられていた。慣れない王宮に頼る人もいない状況は、心許なく不安になる。
前回と同様、近衛のガレンに出迎えられ、庭園内にある東屋に案内された。
「殿下は、じきにいらっしゃいます」
「はい。ありがとうございます」
しばらく待っていると、皇太子であるハロルド・レミントンが別の騎士に護衛されながら現れる。姿が見えるか見えないかのあたりから、起立して彼を待った。
次第にシルエットがはっきりとしてくると、緊張感が増していく。
背が高く整った顔立ちをしているハロルドは、無表情のため近寄り難い雰囲気を全身に纏っている。
オーラが見えたとしたら、神々しくて目が眩んでしまうだろう。
指をパチンと鳴らして、オーラが見える世界にしてみたい。硬い顔をして護衛をしている騎士も、すました顔をして控えている使用人も、眩しさに目が開けられなくなり慌てる様子を想像してクスリと笑う。
それだけで少しだけ心が軽くなる。
皇太子の誰をも寄せ付けない空気がイレーヌは苦手だと、前回も感じていた。
人懐っこさなんて、国王になられる方には必要ないんでしょうけれど。
伯爵家に生まれた宿命として自分の意見は通せない政略結婚になるのだとしても、せめて結婚後は穏やかに過ごせる優しい方がいいとこっそり思う。
皇太子妃なんて、おこがましい。身の丈に合った嫁ぎ先で十分だ。
「二度も手間を取らせたな」
こちらを労った言い回しに、少しばかり面食らう。
すごく冷淡な人なのかと思っていたのに、案外優しいお方なのかしら。
イレーヌは膝を下げ、ドレスの端を持ち上げる。
「前回は名乗りもせず、大変失礼致しました。イレーヌ・フェリシアと申します」
「こちらが呼び寄せているのだ。名前くらい知っている」
不遜な態度で言われ、促された椅子に小さく座る。
やっぱり苦手だ。神々しさを通り越した威圧感も相まって、すごく怖い。
苦手意識を再確認して、体を固くしたまま目の前の皇太子から視線を外す。じっと見つめるのは、はしたないとされる作法が今はありがたい。
「今回来てもらったのは、ほかでもない。褒美を取らせようと考えている」
「褒美、ですか?」
ぱちぱちと目を瞬いていると、ハロルドの後方に控えていたガレンが付け加える。
「ええ、自分の立場を顧みず、殿下に休むよう進言なさったお姿は素晴らしいと、同席していた私たちの意見でもあります。殿下は無理をしてしまうのが、常ですので」
私たち、というのは護衛についている者たちの意味だろう。
褒美の訳を理解して、イレーヌは逡巡したのち、テーブルの模様ばかりを凝視して要望を口にする。
「横腹にホクロ……」
「え?」
意表を突かれた声を出すハロルドとガレンに、イレーヌは積年の思いがあふれ最後まで言い切る。
「横腹にホクロのある男性を、探していただけませんか?」
しばしの沈黙のあと、ガレンがイレーヌに問い掛ける。
「生き別れたお父様かどなたかをお探しですか?」
穏やかな声にイレーヌが応える前に、口を挟まれる。
「ケンドリック伯爵は、ご健在のはずだが?」
さらに低くなった声で、ハロルドはガレンの意見をはねつけた。
イレーヌは、小さな領土の領主である父の存在を知っている皇太子に驚く。
「はい。父は元気です。ホクロのある方は、わたくしと同じくらいの……」
「仮にも皇太子妃候補の顔合わせで、まさかほかの男の恋心を告げるとはな」
どこか不機嫌そうな声色に失礼があったのだと、慌てて訂正する。
「いえっ。滅相もない。恩人で、お会いしてお礼をお伝えしたくて。すみません。褒美と言われて人探しを頼むだなんて、失礼でございますね」
皇太子なら、どんな宝石も厭わず送ってくれるかもしれない。ただイレーヌは褒美と言われ、宝石よりも金銀よりも、ここ数年気になっている彼の消息が一番に頭に浮かんだ。
女である自分が男性の裸を見てまわるわけにはいかず、ほとほと困り果てていた。
そこへ降って湧いた"褒美"。
「年頃の男女が横腹のホクロを見せ合うとなると、おのずと関係性は知れていると思うが?」
酷く低い声に震え上がり、イレーヌは自分の犯した失態の真の意味を知る。
「ちがっ。誤解です。本当に、命の恩人で」
声は震え、目は勝手に潤んでくる。
「弁解はいい。聞き苦しい」
息を飲み、震える唇でかろうじて非礼を詫びる。
「寛大なお心遣いをしていただきましたのに、申し訳ありませんでした。お目汚しは退席させていただきます」
イレーヌは、逃げるように王宮の庭園を飛び出した。
ガレンの目配せにより、護衛のひとりが静かに後を追う。彼がケンドリック伯爵邸まで無事に帰れる手筈を整えるだろう。
残された庭園で、近衛であるガレンは皇太子に質問を向ける。
「どうなさるのですか?」
「なにがだ」
仏頂面のハロルドにガレンは続けた。
「あるでしょう。横腹にホクロ」
ますます難しい顔をするハロルドは、口を閉ざし黙り込んだ。