第5回
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その猫の名前は、シュンスケと云う。
片仮名で書くモダンな名前である。
飼い主である喜市が付けた名で、付けられた本人も気に入っていた。その上喜市は、もっと家族としての絆を深めたくて、自分達と同じ名字も与えた。
――梅村シュンスケ。
それが彼の最終的な名前である。
五疋の兄弟は産まれてすぐに親から引き離され、そこから人伝に見知らぬ宅へと連れて来られた。だがその宅でシュンスケだけが居場所にあぶれ、そこから更に引き取り手を探すべくたらい回しにされたが、それでもなかなか飼い主は見つからなかった。漸く喜市が彼を気に入って飼い主となってくれたのは、もう随分人手を回った後だった。その為喜市には、シュンスケがどこの宅からやって来たのか、その血の繋がりは全く教えられていなかった。
しかし、シュンスケ自身は自分の親を判っていたし、親も彼を知っていたのだった。
喜市はシュンスケを大いに可愛がったが、シュンスケにはこれがどうも好ましからず、大抵はその手から逃れていたが、ともするとシュンスケから喜市の膝に乗って行く事もしばしばだった。
シュンスケにとって喜市は最も信頼に足る人間であり、お陰で自分の境遇を幸福に思い、その喜びに満足して暮らす事が出来た。
或る日シュンスケは、動物的な本能で母の住んでいる宅を知った。それからは時折散歩のついでに訪れ、その庭に潜り込んでは会いに行っていた。母親は自分の産んだ子供の中で唯一会いに来てくれるシュンスケを愛しく想い、それが彼女の毎日の楽しみの一つだった。
彼女の飼い主は、時折見るシュンスケがよもや愛猫の息子であるとは思わず、ただ猫好きの性格だけで彼の訪れを歓迎し、とにかく何もかもが円満だった。
シュンスケは母親と一時の愛情を交わし合い、母親の飼い主を観察し、そうして一日の半分をそこで過ごして帰って行った。
だが宅に戻っても、大抵喜市は帰宅しておらず、彼が帰って来るのを待ちながらのんびりとした有意義な時間を過ごすのである。
シュンスケは生まれつき気性が大人しく、喧嘩をすればほぼ連戦連敗だった。それでも母親への路だけはどうにか確保し、その幸せだけは一生手放すまいと通い続けた。
或る牝猫に恋をしたが、それは奪えなかった。
又、別の可愛らしい牝も好きになったが、結局喧嘩に勝てなかった。
それで仕方なく、と云う訳では決してないが、シュンスケは母親の元へ通い続けた。
だが、恋はしたかった。
もっと単純な、愛に拠る幸福が欲しかったのだ。
或る日、いつもの様に母親のもとへ行くと、彼を笑顔で迎えてくれる女性の姿が見えなかった。そこに残っていたのは年老いた夫婦だけだった。
シュンスケには、特別その事を気に留める積もりはなかった。一体どんな人間が母の面倒を見る事になろうとも、それが彼女の境遇に大きな変化を齎すとは思わなかったからであるが、それは間も無くして間違いであるのを思い知らされる結果となってしまった。老夫婦では、彼女を守りきれなかったのだ。
――母は、野犬に殺されてしまった。
引き裂かれ、喰い散らかされ、まるで汚い無惨な姿となって、山沿いを流れる小さな谷川に棄てられていた。
幾日も経たぬ内に老夫婦はそれを見つけたが、だからと云っておぞましいその死骸などとても宅まで持ち帰る気にはなれないらしく、そのまま放っておかれてしまった。
老人は手紙で娘に報せ、娘は悲しみを綴った手紙を友人に送り、愛しき猫の回収を頼んだ。死体はその友人の手によって川縁から拾い上げられ、漸くシュンスケの望む通りの丁重さで葬られた。
シュンスケはその一部始終を見届けると、それから二度とその宅に訪れなかった。
それから随分経ってからの事である。一体自分の主人はどこで彼女と知り合ったと云うのだろうと、シュンスケは訝った。
更に一年近くが経って、彼女は一疋の猫をシュンスケの所へ連れて来た。可愛らしい牝猫である。主人も何故か乗り気だった為、シュンスケは他の猫との争いもなく、彼女とはその後、すんなり結ばれる事が出来た。
そして今、シュンスケには母親の死で味わったのと同じ大きな不安があった。
愛する彼女を守ってくれる筈の飼い主は、大の付く猫嫌いだと云うのである。