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学園祭のハサミ男

作者: ウォーカー

 これは、学校に居残って学園祭の準備をしている、ある男子学生の話。


 「僕のハサミ、どこにあるか知らないか?」

その男子学生は、同じ教室にいる学生たちに尋ねた。

話しかけられた学生たちは、作業の手を止めずに応える。

「いや、俺は見てないよ。

 誰かが、備品と間違えて持っていったんじゃないか?」

「あたしも見てない。

 人の出入りが多かったから、いちいち見てないわ。」

「もしかして、誰かが盗んだんだったりして。

 怪盗だか妖怪だかが、出るらしいからな。」

「そうそう、ハサミ男だっけ?」


 学校の教室。

集まっている、美術同好会の部員たち。

明日の学園祭を控えて、只今準備の真っ只中だった。

その男子学生も、美術同好会の部員で、

展示物の手直しなどをしていた。

その最中に、

自分のハサミが失くなっていることに、気がついたのだった。

他の学生に尋ねるが、誰も見ていないという。

その男子学生は、困り顔で腕を組んだ。

「そうか、参ったなぁ。

 あのハサミは、昔から使っている愛用品なんだよ。

 古くて切れ味が落ちてるから、

 誰も使ったりしないと思って、置きっぱなしにしてたんだけど。

 それが良くなかったか。

 今日は徹夜で作業をする予定なのに、

 あのハサミが無いと、作業が出来ないよ。」

その男子学生が困っていると、

近くで作業をしていた、おさげの女子学生が声をかけてきた。

「あなたのハサミは特別だものね。

 無いと困るでしょう。

 わたしも一緒に、探してあげましょうか。」

おさげの女子学生の綺麗な顔が、その男子学生の顔のすぐ横に並ぶ。

首を傾げるのにつれて、綺麗なおさげの髪が揺れている。

その男子学生は、ドギマギとして応えた。

「あっ、いや、まずは自分で探してみるよ。

 それじゃあ!」

「そう?」

その男子学生は、逃げるように教室を出ていった。


 その男子学生は、

おさげの女子学生から逃げるように教室を出て、

トボトボと学校の構内を歩いていた。

「折角、あの子が話しかけてくれたのに、

 また、ちゃんと話すことが出来なかった。」

その男子学生と、おさげの女子学生は、

同じ美術同好会に所属していて、

この学校に入学する前からの知り合いだった。

いつ頃からか、

その男子学生は、

おさげの女子学生に、密かに思いを寄せていた。

しかし、

自分の好意を伝えることが出来ないまま、時が過ぎ。

そうこうしている間に、

おさげの女子学生は、

美術同好会の先輩と交際するようになってしまった。

それを知った時、

その男子学生は、ひどく落ち込んだものだった。

今は落ち着いたものだが、

それでも好意まで失ったわけではなかった。


 その男子学生は、学校の構内を歩きながら、

足元の石ころを軽く蹴飛ばした。

「あの子、最近ちょっと元気が無いんだよな。

 付き合ってる先輩と、上手くいってないって話を聞いたけど、

 そのせいかな。

 僕で良ければ、相談にのるんだけど。

 でも、そんなことを直接聞くのも怖いし。

 ・・・うわっ!」

うじうじと考えながら歩いていると、

何か柔らかいものを踏んづけて、すっ転んでしまった。

地面に倒れ込んで、踏んづけたものの正体。

それは、銀杏ぎんなん

学校の構内にある、銀杏並木いちょうなみきを歩いていて、

地面に落ちていた銀杏の実を、うっかり踏んづけてしまったのだった。

踏まれて崩れた銀杏の実と葉っぱは、つるつるとよく滑る。

そのせいで、滑って転んでしまったのだった。

潰れた銀杏の実の臭いが、鼻先に漂う。

「いてててて・・・。

 あーあ。

 銀杏の実が、体中に付いちゃったよ。」

地面に倒れ込んで銀杏まみれになっている、その男子学生。

その姿を見て、通りがかりの女子学生たちがくすくすと笑っている。

その男子学生は、

恥ずかしさで顔を赤くすると、

立ち上がって体中にくっついた銀杏の実を払い、また歩き始めた。


 その男子学生が、

失くなったハサミを探して向かった先は、部活棟だった。

部活棟の建物には、

同好会や部の部室がたくさんある。

ハサミを持っていったのは、

学園祭の準備をしている学生の誰かだろう。

今、学校の構内に残っている学生は、

大抵がどこかの同好会か部に所属しているはず。

そう考えたその男子学生は、

まず最初に、

部室棟で一番目立つ、自治会の事務室のドアを開いた。


 その男子学生は、自治会の事務室の中に入った。

自治会とは生徒会のようなもので、

学生が自らイベントなどを運営するための組織。

この学校にも当然、自治会があって、

その事務室には、数人の学生が控えていた。

誰もが忙しそうにしていて、

入室してきたその男子学生を気にもしていない。

その男子学生は、手近な学生に声をかけた。

「あの、すみません。

 僕のハサミが失くなってしまったんですが、

 こちらに届けられてないですか。」

その問いに、

自治会のメガネを掛けた男子学生が、

書類を見ながら神経質そうに応えた。

「遺失物ですか。

 生憎、ハサミの届けはありませんね。

 ハサミが必要なら、

 自治会の備品を持っていってもいいですよ。」

そう言って差し出したのは、よくある事務用ハサミ。

何にでも使えるが、何に使っても完璧ではないものだった。

その男子学生は、

差し出された事務用ハサミを、丁重にお返しして応えた。

「ありがとうございます。

 でも、

 探しているのは、僕の私物のハサミなんです。

 自分のハサミじゃないと、使いにくいので。

 ハサミって、色々と種類があるんです。

 こういう事務用ハサミだけじゃなくて、

 工作用や医療用や利き手用のがあって・・」

「ハサミと言えば、

 君はハサミ男の噂は知ってますか?」

メガネを掛けた男子学生が、話を遮ってきた。

その男子学生は、思わずオウム返しに聞き返す。

「ハサミ男?」

「そう。

 この学校の学園祭では、昔から、

 ハサミ男が現れるという噂があるのです。

 ハサミ男は、

 人の髪の毛を切って持っていくのだそうで。」

「へぇ。

 ハサミ男とはいっても、

 人を切り刻んだりするわけじゃないんですね。」

「ええ。

 しかし、髪の毛だけでも、立派な傷害ですからね。

 学校も自治会も、警戒しているのですよ。

 そのせいで、

 うちの学校では、

 学園祭の決まり事が多いのですよ。

 同好会でも顧問の先生が必要なのは、そのせいです。

 君も気をつけるように。」

「は、はぁ。

 ともかく、僕のハサミが届けられてないなら、

 他を探します。」

ハサミを探しに来ただけなのに、お説教されてしまった。

その男子学生は、

メガネの男子学生にお礼を言って、自治会の事務室を出た。


 その男子学生が次に向かったのは、手芸同好会の部室だった。

ドアをノックして、返事を待ってドアを開いた。

手芸同好会の部室の中では、

部員らしい女子学生たちが、忙しそうにミシンを動かしていた。

やはりどこの同好会も、

明日の学園祭に向けて、準備で大忙しのようだ。

なるべくその邪魔をしないように、

手が空くのを待ってから、手近な女子学生に話しかけた。

「すみません。

 こちらに、僕のハサミが紛れ込んでいませんか。

 誰かが間違えて持っていってしまったようで。」

話しかけられた手芸同好会の女子学生は、

引き出しからハサミを取り出して応えた。

「ハサミなら、これを使っていいですよ。」

差し出されたのは、手芸に使う洋裁用ハサミ。

布を切るための大きな刃がついているハサミだった。

探しているハサミとは違うものだ。

その男子学生は、困り顔で説明した。

「えっと。

 探しているのは、

 そういう洋裁用ハサミじゃなくて、

 僕の私物のハサミなんです。

 こちらに、間違って持ち込まれてませんか。」

その説明に、女子学生は首を横に振って応えた。

「今ここにあるのは、洋裁用ハサミだけです。

 なんでも、

 学園祭にはハサミ男が出るらしくって。

 余分なハサミを置いておくのは危ないので、

 使わないハサミは仕舞ってあるんです。

 ハサミ男は、女子学生を狙うことが多いそうなので。」

ここにも、ハサミ男の噂は伝わっているようだ。

この手芸同好会には女子学生が多いので、

警戒しているのだろう。

余計なハサミを置いていないのなら、

ここには私物のハサミは紛れ込まないだろう。

その男子学生は挨拶をして、

手芸同好会の部室を出た。


 その男子学生が次に向かったのは、園芸同好会の部室だった。

園芸同好会の部室は、

部屋の前に植木鉢がたくさん並べられていて、

部員らしい男子学生が、植えられた植物の手入れをしていた。

その男子学生は、

植物の手入れをしている園芸同好会の男子学生に声をかけた。

「すいません。

 僕の私物のハサミを探しているんですが、

 ここに間違って持ち込まれてませんか。」

声をかけられた男子学生は、

植物を触る手を止めて、振り返った。

その手には、ハサミが握られている。

持ち手が大きくて刃が短い、園芸用のハサミだった。

「ハサミかい?

 こういう園芸用ハサミで良ければ、

 そこの用具箱にたくさん入ってるから、

 好きなのを持っていくといい。」

言われて、用具箱の中を覗いてみる。

しかしそこに入れられているのは、

同じ様な園芸用ハサミだけだった。

その男子学生が事情を説明する。

「えっと、

 探しているのは、僕の私物のハサミで、

 園芸用ハサミではないんです。」

「そうなのかい?

 ここには、こういう園芸用ハサミしか無いよ。」

「そうですか。

 じゃあ、ここには無さそうですね。」

どうやらこの園芸同好会もハズレのようだ。

しかし、その男子学生は、

ふと気になって尋ねた。

「そういえば、ハサミ男が出るらしいですね。

 なんでも、

 女子学生の髪の毛を切り取っていくとか。

 自治会や他の同好会も警戒してましたよ。

 この園芸同好会は、

 不用心にハサミを置きっぱなしにしてますけど、

 大丈夫なんですか。」

そう言われた園芸同好会の男子学生は、

手をひらひらと振りながら応えた。

「ああ、ハサミ男の噂か。

 大丈夫大丈夫。

 ハサミ男は髪の毛を切るだけで、

 他に危害は加えないらしいから。

 園芸用ハサミは、

 髪の毛を切るのには不向きだからね。

 そんなに神経質に管理しなくても大丈夫だろう。」

なるほど、そういうものか。

言われてみれば、

持ち手が大きくて刃が短い園芸用ハサミでは、人の髪の毛を切るのは困難だろう。

そんなハサミで無理に髪の毛を切ろうとすれば、途中で見つかってしまうはずだ。

その男子学生は、頷いて返した。

「なるほど。

 それもそうですね。

 ここには僕のハサミは無さそうなので、

 他を探すことにします。」

そうしてその男子学生は、隣の部屋に向かった。


 次のその男子学生が訪れた部屋は、

同好会や部の部室ではなく、工学部の倉庫になっていた。

部屋の中では、

作業着を着た男子学生が、倉庫の備品整理をしていた。

その男子学生に話を聞く。

「すみません。

 僕のハサミが失くなってしまったのですが、

 こちらに間違って入っていたりはしませんか。」

話しかけられた作業着の男子学生は、ボールペンで頭を掻きながら応えた。

「ハサミかい?

 ハサミなら、その引き出しの中に入ってるよ。」

言われた引き出しの中を覗いてみる。

その引き出しの中にあったのは、

ケーブルや針金を切断するための、

太くて短いペンチの様な工事用ハサミだった。

その男子学生は、引き出しを閉じて再度質問する。

「探しているのは、

 こういう工事用ハサミじゃないんです。

 他にハサミはありませんか。」

尋ねられた作業着の男子学生は、書類を見て返事をした。

「う~ん。

 その引き出しに入ってなければ、

 この部屋にはもう無いと思うよ。

 神出鬼没のハサミ男が現れるそうなので、備品管理は厳重にしているんだ。

 なんでもハサミ男は、

 学校の構内にどうやって侵入してるのか不明らしい。

 ということは、

 泥棒も入り込んでいるかも知れないから、

 倉庫は全て鍵を掛けて管理しているんだ。

 だから、誰も中の備品を出し入れ出来ないと思うよ。」

ここでも、ハサミ男を警戒しているらしい。

いくらなんでも、鍵が掛けられた倉庫に、

間違ってハサミが持ち込まれたりはしないだろう。

その男子学生は、次の部屋に向かった。


 そうして、

その男子学生が最後に訪れた部屋、

それは、漫画研究会の部室だった。

漫画研究会の部室のドアを開けた途端、

むわっとした熱気が溢れてきた。

明日の学園祭を前にして、

学生たちが鬼気迫る様子で机に向かっていた。

ある学生は、紙にペンを走らせ、

また別の学生は、パソコンのペンを走らせ、

はたまたある学生は、人形の衣服を整えている。

同じ漫画研究会の部員とは思えないほど、その作業風景は千差万別だった。

誰もが真剣な様子で、

その男子学生が部屋に入ってきたことには、誰一人として気がついていない。

熱気にあてられて、その男子学生は言葉を漏らした。

「みんな作業に没頭しているな。

 僕も早くハサミを見つけて、作業に戻らないと。

 邪魔をするのは悪いけど、少し話を聞いてみよう。」

その男子学生は、

たまたま出入り口付近にいた、痩せた男子学生に声をかけることにした。

「あの、すみません。」

痩せた男子学生は、

人形の身なりを整えていた手を止めて、その男子学生に振り返った。

「・・・何?」

陰気な声で出迎える。

その男子学生は気後れしながらも、

要件を済ませようと説明を始めた。

「お邪魔をして、すみません。

 僕のハサミが失くなってしまって、探しているんです。

 ここに、僕のハサミが紛れ込んだりは・・・」

話の途中で、痩せた男子学生が食って掛かる。

「ハサミ?

 まったく、そんなことのために話しかけたのか。

 フィギュアのヘアカットをしていたところだったんだ。

 手元が狂ったら、どうしてくれる。」

痩せた男子学生は、

持っていたハサミごと、右手をぶんぶんと振って抗議した。

どうやら、

とても緊張する作業をしていたようだ。

自分も、美術同好会の作業では、

声をかけて欲しくない場面は経験しているので、

その気持はよく分かる。

素直に頭を下げて謝った。

「すみませんでした。

 お話を伺いたいのですが、良いですか。」

「ああ、いいよ。

 君は、うちの部員じゃないよな。

 何でこんなところに来たんだ。」

「えっと、それが、

 僕のハサミが失くなってしまったんです。

 それで、あちこちを探していて。

 ここに、間違って持ち込まれたりはしてないですよね。」

痩せた男子学生は、手に持っていたハサミを見て応える。

「ハサミか?

 この部室にもいくつかあるけど、

 部員の私物ばかりだから、君のハサミではないと思うぞ。

 言っておくけど、

 僕が今使ってるこのハサミは貸せないからな。

 この美容用ハサミは、

 フィギュアの髪の毛を綺麗に切るために、わざわざ用意したんだ。」

「いえいえ!

 僕のハサミは、美容用ハサミじゃないので。」

念の為に、漫画研究会の部室にあるハサミを見渡す。

しかし、

あるのは普通の事務用ハサミばかりで、

その男子学生が探している私物のハサミは見当たらない。

やはり、ここも無駄足だったか。

部室棟で行ってない場所は、まだあっただろうか。

そう思った時。

少し離れた場所にある机の上、

そこにひとつだけ、

その男子学生にも使えそうなハサミがあった。

手に持って確認してみる。

そのハサミは、

その男子学生の私物のハサミではないが、同じ種類のハサミだった。

それを見て、痩せた男子学生が声をかけてきた。

「ああ、それか。

 それは、先生のハサミだよ。

 部室に忘れていったんだな。

 取りに来ないところを見ると、しばらく使わないんだろう。

 よかったら君、持っていっていいよ。

 ただし、後でちゃんと返しに来てくれよ。」

どうしよう。

自分のハサミではないけれど、このハサミは使えそうだ。

もう他に心当たりがある場所は無いし、

これ以上作業を遅れさせたくない。

不躾だが、このハサミを借りていってしまおう。

そういう結論になった。

「じゃあ、このハサミをちょっと拝借しますね。

 もしも必要になったら、知らせてください。

 そうしたら、すぐにお返ししますから。」

そうしてその男子学生は、

探していたハサミと同じ種類のハサミを見つけて、

元いた教室に戻っていった。


 使えるハサミを手に入れてから、

その男子学生は、学園祭に向けた準備に没頭した。

時間はみるみる過ぎて、日が次第に西に傾いていき、

いつしか真っ暗な夜になっていた。

「・・・よし、出来た!」

その長時間の作業の甲斐あって、

その男子学生の準備は完了したのだった。


 その男子学生が所属する美術同好会では、

夜までにほぼ全員が作業を完了させて、

あとは明日の学園祭の開催を待つのみになった。

準備が終わったところで、

丁度良く、顧問の先生がやってきた。

白い頭を掻きながら、バツが悪そうに話をする。

「みんな、明日の準備はできたようですね。

 あまり顔を出せなくて申し訳ない。

 私が顧問を兼任している、もう一つの同好会の作業が大変でしてね。

 長年顧問をしていますが、

 今年は特に、追い込み作業が立て込んでいて。

 こちらには、顔を出せませんでした。

 でも、

 ちゃんと準備ができたようで何よりです。」

顧問の先生は、

教室を見渡してにこにこと笑顔になった。

教室の中には、

美術同好会の展示物が並んでいて、

もういつでも学園祭を開催できるようになっていた。

美術同好会の学生たちが、

お互いに顔を見合わせて、満足そうに頷いた。

それから、学生の一人が挙手をした。

挙手をしたのは、部長である男子学生だった。

部長は、顧問の先生に向かって話し始めた。

「先生!

 実は、まだ終わっていない準備があるんです。

 そのために、

 今夜はみんなで、ここに泊まりたいんですが。」

そう言う部長は、ニヤニヤと笑顔を浮かべている。

教室の準備は整っているし、

その表情は、これから作業をするという顔ではない。

それを察して、顧問の先生が大笑いをして応えた。

「あっはっは。

 作業という名目で、

 みんなで酒盛りがしたいだけなんでしょう。

 まったく、しようがない学生たちだ。

 ・・・まあ、いいでしょう。

 ただし、学校側から、

 泊まり込む際には名簿を作るように言われているから、

 ちゃんと記入するように。

 私も来られる時は顔を出すけど、

 みんな、気をつけるんだよ。」

「はーい!」

「やった!」

「今夜は飲むぞー!」

顧問の先生の許可を得て、学生たちがドッと笑った。

もう宴会が始まったかのように、騒ぎ合う学生たち。

顧問の先生はそれを確認して、一度教室を出ていったが、

すぐにまた教室に戻ってきた。

その手には、酒瓶がいくつも抱えられていた。

「ちゃんと準備が出来た諸君に、私からお祝いです。

 とっておきの銘酒をごちそうしましょう。

 でも、飲み過ぎたらダメですよ?」

「やった!」

「先生、太っ腹!」

「みんな、今夜は飲み明かすぞ!」

そうして、

その男子学生が所属する美術同好会は、

明日の学園祭の前夜祭として、

学生たちが教室に残って酒盛りすることになった。


 そんなことがあって、美術同好会の部員たちは、

夜の学校で賑やかな酒盛りをしていた。

どういうわけか、

この美術同好会の部員たちは大酒飲みばかりで、

用意した酒瓶は、次々と空になっていった。

その男子学生は、適度に酒を飲みながら、

おさげの女子学生の姿を探していた。

おさげの女子学生は下戸、つまり酒を飲むことができないので、

こういう宴会では所在なさげにしていることが多かった。

そういう時、おさげの女子学生は、

付き合っているらしい先輩と話していることが多かったが、

あいにくと近頃は、その先輩は美術同好会に顔を出さなくなっていた。

だから、今も所在がなく困っているのではないか、

そう思ったのだった。

そんなことを考えていると、

おさげの女子学生が、

教室のドアを開けて出ていくのが見えた。

もしかしたらトイレだろうか。

付いていくのは、良くないかも知れない。

そうも思ったが、もしかしたら違うかもしれない。

酒の勢いを借りて、

その男子学生は、おさげの女子学生の後を追いかけた。


 その男子学生は、

美術同好会の部員が集まっている教室を出て、

おさげの女子学生の後を追いかけていった。

通路の先に、おさげの女子学生の背中が見える。

おさげの女子学生は、自動販売機で飲み物を買おうとしていた。

その後ろから、その男子学生が声をかけた。

「気分が悪いのかい?」

振り返ったおさげの女子学生は、赤い顔をしていた。

酒が入った眠そうな目で応える。

「ああ、あなただったの。

 ごめんなさい、

 今日はちょっと飲みすぎてしまったみたいで。

 とは言っても、コップ一杯だけだけどね。」

「君は酒が飲めないから、コップ一杯でも大変だろう。

 そういうときは、水をたくさん飲むといいよ。

 そこのベンチで休んでいて。

 僕が水を買って持っていくから。」

「ええ、ありがとう・・・。」

それから、

その男子学生とおさげの女子学生は、

外のベンチに並んで腰を下ろして、一緒に水を飲んでいた。

おさげの女子学生は、真っ赤な顔をしていた。

その男子学生が、心配して尋ねる。

「本当に大丈夫?

 医務室に行くかい?」

「う、うん。大丈夫よ。

 ちょっと飲みすぎちゃっただけ。」

「いつもはほとんど飲まないのに、今日は珍しいね。」

「・・・うん。

 ちょっと、嫌なことがあって。」

おさげの女子学生が、曖昧に応えた。

嫌なこととは、付き合っているという先輩についてだろうか。

その先輩は、ここ1ヶ月ほど、美術同好会に姿を見せていない。

おさげの女子学生が、

誰に言うでもなく、ぽつりぽつりと話し始めた。

「人の心なんて、わからないものよね。

 今日と明日と、全く違っているかもしれないんだもの。」

その男子学生は、応えることが出来ない。

やはりこれは、付き合っている先輩の話なんだろう。

ふたりの関係は今どうなっているのだろう。

聞きたいけど聞けない。

そうして、

その男子学生とおさげの女子学生は、

お互いに黙ったままで、時間だけが過ぎ去っていった。

そうしていると、

美術同好会の部長がやってきて、

そのふたりの肩に手をかけてきた。

近付けてきた顔からは、濃厚な酒の匂いがした。

「ふたりとも、何か暗いぞ~。

 もっと飲め飲め!」

部長に引きずられるようにして、

その男子学生とおさげの女子学生は、

美術同好会の部員たちがいる教室に引き戻されていった。

そうしてその夜、

美術同好会の部員たちは、

酒を浴びるように飲んで、

そのまま教室で泥のように眠ってしまったのだった。


 深夜。

みんなが寝静まっている教室で、何か物音が聞こえる。

ジョキジョキと、ハサミで何かを切っているような音。

その男子学生は、

酒量が少なかったこともあって、

美術同好会の部員の中で唯一、その音に気がつくことが出来た。

しかし、

金縛りにあったようで、体が動かない。

瞼だけをゆっくりと開いて、

視線だけを動かして、薄暗い教室の中を見渡す。

すると、

自分の隣に寝ているおさげの女子学生に、

誰かが覆いかぶさろうとしている影が目に入った。

教室の中は暗く、その人相までは見えない。

暴行か?とも思ったが、何か様子が違う。

その人影は、手に持った何かで、

おさげの女子学生の耳元に何かをしている。

ジョキジョキと、

ハサミで何かを切っているような物音だけが、聞こえてくる。

悪い酒でも飲んでしまったのか、

体が動かせず、頭が朦朧とする。

おさげの女子学生を助けなければ。

その男子学生は、必死で頭を上げようとする。

しかし、やはり体は動かない。

そうして悪戦苦闘している男子学生に、

その人影は全く気がついていないようだ。

その人影は、

間もなく作業を終えたようで、

何かを手に持って、悠々と立ち去っていった。

あの人影は、何を持っていったのだろう。

そんなことを考えている内に、

その男子学生は、抗うことが出来ない眠りに落ちていった。


 翌朝。

学校の教室の床で寝ていたその男子学生は、

ざわざわと騒ぎになっている物音で目を覚ました。

体を起こして辺りを見渡すと、

美術同好会の部員たちが顔面蒼白になっていた。

集まった部員たちの真ん中には、おさげの女子学生がいるらしいのが見えた。

その男子学生は、伸びをしながら呑気に声を掛けた。

「おはよう。

 みんな集まって、どうかしたの?」

近くにいた女子学生が、こちらを見ずに返事をする。

「それが・・・。

 出たのよ、ハサミ男が。」

「ハサミ男?」

促されて、おさげの女子学生の方を見る。

それから絶句した。

おさげの女子学生のおさげが、片方だけ失くなっていた。


 美術同好会の部員たちが、状況を教えてくれた。

今朝、

おさげの女子学生が目を覚ますと、

左のおさげが、切り取られて失くなっていたのだという。

切れ方から見て、誤って何かに引っ掛けたとかではなく、

刃物か何かで切断されたのではないかという。

学園祭の時に女子学生の髪の毛が切り取られる。

それは正に、ハサミ男の噂そのものだった。

そんなことがあって、大騒ぎになっていたのだった。


 改めて、おさげの女子学生の髪を見てみる。

昨夜までそこにあった、綺麗な髪のおさげ、

おさげの女子学生から見て左手側のおさげが、

ぶっつりと切り取られて失くなっていた。

乱雑に切り取られた髪の跡が痛々しい。

どうやら、

その男子学生が昨夜見た人影は、

おさげの女子学生のおさげを切り取って奪っていったようだ。

その男子学生は、

自分がそれを目撃していながら止められなかったことを悔やんだ。

そうしている間にも、

おさげの女子学生は、

美術同好会の部員たちに囲まれて、質問攻めに遭っている。

「大丈夫!?

 他に何もされてない?」

「女の子の髪の毛を切るなんて、許せないわ!」

「髪の毛を切って持っていくって、まさか本当にハサミ男が出たのか?」

しかし、

当のおさげの女子学生は、

あっけらかんとしたものだった。

顔色一つ変えず、冷静に応える。

「大丈夫。

 わたしは何もされてないよ。

 髪はどうせ切る予定だったから、別に気にしてない。」

だけども、

本人が気にしていなくとも、それだけで話は終わらない。

すぐに顧問の先生が呼ばれ、話し合いが行われることになった。


 美術同好会の部員たちがいた教室に、

部員と顧問の先生が集まった。

顧問の先生が、重々しい表情で口を開く。

「顧問をしていながら、学生を守れなくて申し訳ない。

 ハサミ男かどうかはともかく、

 こうして女子学生が何者かにハサミで髪の毛を切られたとあっては、

 もう学園祭どころではないですね。」

そこで、部長が話に割り込んで、

顧問の先生に向かって頭を深く下げた。

「すみませんでした。

 先生の責任ではないです。

 同好会の顧問は便宜上のものですし、

 部長としての私の責任です。」

深刻な顔をしている、顧問の先生と部長。

しかし、

おさげの女子学生本人は、大して気にしていないように話す。

「おふたりとも、気にしないでください。

 わたしは、気にしてませんから。

 どうせ髪は切る予定でしたので。

 それよりも、

 せっかくみんなで準備をしたのですから、学園祭を中止にしたくないです。

 届け出をするにしても、学園祭の後まで待ってもらえませんか。」

それを聞いて、美術同好会の部員たちが顔を見合わせる。

それから、顧問の先生が困った表情で聞き返す。

「君がそう言うなら、

 大事おおごとにしないことも出来るけどね。

 それで本当にいいのかね?」

「はい。

 本当に、わたしは大丈夫ですから。」

しかし、部長はその話に納得しなかった。

渋い表情で口を挟む。

「君が大丈夫なのは良いんだけど。

 まだ犯人が学校の構内にいる可能性もある。

 それを野放しにしておいて良いものかな。」

他の部員たちが、その言葉に続く。

「ああ。

 安心して学園祭をやるために、

 俺達の手で、ハサミ男を見つけないか?」

「そうだよ。

 この学校の出入り口には警備員がいるし、監視カメラもある。

 不審者の情報が無いんだったら、

 ハサミ男はまだ学校の構内にいるはずだ。」

「他の同好会や部の人たちにも、話を聞いてみましょうよ。」

美術同好会の部員たちは、ハサミ男を捕まえようと盛り上がる。

顧問の先生が、慌ててそれを制止する。

「自分で犯人を探すなんて危険だよ。

 いいから、

 君たちは大人しくしていなさい。」

しかし、

独立独歩の気運が高い学生たちは、先生が止める声に耳を貸さなかった。

そうして、

美術同好会の部員たちは、

ハサミ男を自分たちで探し出そうということになった。


 そうして、その男子学生と美術同好会の部員たちは、

ハサミ男を見つけるために動き始めた。

別の同好会や部の知り合いに連絡を取ったり、

同じ授業を受けている学生たちを頼ったり。

そうやって、学生同士の横の繋がりを使うことで、

すぐに学内の状況を調べることが出来た。


わかったことは、次の通り。

被害があったのは、美術同好会だけ。

被害内容は、

おさげの女子学生の、左のおさげが切り落とされたこと。

他に被害は無かった。

それから、不審者の目撃情報について。

学校の校門にいる警備員は、不審な人物は見ていないという。

校門と学校の外周に設置されている監視カメラにも、

不審な人物は映っていなかった。

不審者の姿を目撃したのは、

被害者であるおさげの女子学生の隣で寝ていた、

その男子学生だけだった。

以上の情報が、美術同好会の部員たち全員で確認された。


 それから、美術同好会の部員たちは、

集めたハサミ男の情報を精査して、

怪しい人物の心当たりを挙げていくことになった。

そうして、

ハサミ男の容疑者として挙げられたのは・・・その男子学生だった。

それも、ほとんど満場一致。

その男子学生が怪しいと言わなかったのは、

その男子学生自身の他には、おさげの女子学生くらいなものだった。

話し合いに参加している美術同好会の部員たちが、

疑いの眼差しでその男子学生を見ている。

その男子学生は、仰天して反論した。

「僕は、何もしてませんよ!

 もしも、僕がハサミ男だったとしたら、

 夜にハサミで何かを切っている人影を見たなんて、

 自分から言ったりはしませんよ。」

しかし、

美術同好会の面々は、疑い半分で反論する。

「目撃証言なんて、いくらでも嘘をつけるからなぁ。

 他の部員は誰も気が付かなかったのに、

 お前だけが人影を見たなんて言うのが怪しい。」

その男子学生は、唾を飛ばしながら言い返す。

「それは、

 昨夜はみんな大酒を飲んで、酔いつぶれていたからでしょう!

 僕は昨夜、そんなに酒を飲んでなかったんですよ。」

それに対して、

他の男子学生が、ニヤニヤと指摘する。

「でもお前、

 あのおさげの女子学生のことが気になってたんだろう?

 つい魔が差して・・・とか。」

「もしそうでも、髪を切ったりはしないよ。

 そんなことをする勇気があるなら、

 自分の口で正直に・・・ってそうじゃなくて!」

その男子学生は真っ赤な顔になる。

他の女子学生が、気味悪そうに言う。

「私、他の同好会や部の人たちに聞いたんだけど。

 あなたは昨日、

 ハサミがどうのって、部活棟で聞いて回っていたそうね。

 その時に、死体の臭いがしていたって話を聞いたの。

 あなたがハサミ男で、死体を隠しているんじゃないの?」

「それは、

 僕の私物のハサミが失くなったから、探し回ってたんだ。

 臭いは、死体の臭いじゃなくて、

 転んで銀杏まみれになったからだよ。」

どんなに説明しても、簡単には疑いが晴れそうもない。

学生たちが、ああでもないこうでもないと話をしている間。

その男子学生の中に、ふと何か引っかかった。

その引っ掛かりは、違和感となり、

やがて大きな疑問へと膨らんでいった。

そうして、その男子学生は考え込んだ。

それから、何かに気がついた様子で、

美術同好会の部員たちに向かって言った。

「僕、ハサミ男の正体がわかったかもしれない。」


 学園祭を翌日に控え、その準備に追われていた学生たち。

その男子学生は、

美術同好会の部員として、学校の教室で準備をしていた。

持ち込んだ私物のハサミが失くなって、

その代わりを探すというアクシデントに見舞われながらも、

なんとか準備は完了。

美術同好会の部員たちは、教室で前夜祭と言う名の酒盛りをした。

翌朝、その男子学生が目を覚ますと、

隣で寝ていたおさげの女子学生のおさげが、片方切り取られていた。

学園祭の時に女子学生の髪を切ったのは、

噂になっているハサミ男に違いない。

その一番の容疑者として挙げられたのは、その男子学生だった。

理由は、

前日にハサミを探して聞き込みをしていたのが、怪しかったから。

自分はハサミ男ではないと、必死に説明する。

その中で、

その男子学生に、思い当たることが見つかった。

ハサミ男の正体が、わかったかもしれない。

その理由を、これから説明していく。

「僕、ハサミ男の正体がわかったかもしれない。」

その男子学生の言葉に、美術同好会の部員たちが注目した。

「どういうこと?」

「気がついたこと、話してみてくれよ。

 このままじゃ、落ち着いて学園祭が出来やしない。」

その言葉に、その男子学生は頷いて、

それから口を開いた。

「ハサミ男が、

 重要な手がかりを残していったことに気がついたんだ。」

部員の一人が、疑問を口にする。

「重要な手がかり?

 そんなものあったかしら。

 教室の中は、

 昨夜の酒盛りで散らかっていて、

 痕跡なんてわからないと思うけど。」

「そう。

 散らかった教室からは、足跡などの痕跡は拾えない。

 でも、一箇所だけ、

 確実に痕跡が残っているところがあるんだ。

 それは、ここだよ。」

その男子学生が指差した先。

それは、おさげの女子学生の髪だった。

指さされたおさげの女子学生は、キョトンとして聞き返した。

「わたし?

 わたしのどこに痕跡が残ってるって言うの。

 言っておくけど、他に何もされてないわよ。」

「ちょっと、無神経なんじゃない?」

他の女子学生たちが、口を尖らせて非難する。

しかし、それには構わず、

その男子学生は、おさげの女子学生に近付いた。

ふたりの顔と顔が近付いて、

おさげの女子学生の顔が、ほんの少しだけ赤くなった。

しかし、

その男子学生は、

他のことに集中していて、

それには気が付いていない。

そのまま顔を近付けていって、何かを確認する。

それから、他の部員たちに向かって説明を続けた。

「残された痕跡は、髪を切った跡だよ。

 よく見てくれ。

 これが、凶器を示す有力な手がかりだ。」

そう言われて、

部員たちがおさげの女子学生の髪を見た。

切られた髪は、

荒々しく切り取られていて、

残った髪の毛の長さも向きもあべこべだった。

切り取るのに苦労したのか、切り損じの跡もあった。

美容室などで切った髪と比べて、とても雑に切り取ったように見えた。

それを確認して、部長が口を開いた。

「髪の毛は、乱暴に切り取られている。

 つまり、

 使われた刃物は、

 美容師が使うような専門の道具とは違うってことか?

 てっきり俺は、

 ハサミ男は髪を切るための専用の道具を用意していると思ったんだが。」

その指摘を受けて、

その男子学生は、昨日の出来事を思い返した。

昨日、話をした人の中で、

美容用ハサミを持っていた人がいた。

それは、漫画研究会の痩せた男子学生だ。

痩せた男子学生は、確か人形の髪の毛を切っていたはずだ。

では、痩せた男子学生がハサミ男だろうか。

・・・いや、そうとは限らない。

その男子学生は、すぐにそれを否定した。

「いいえ。

 ハサミ男が髪を切るために、

 専用の道具を用意していた可能性はありますが、

 髪が切り取られた跡だけでは、断定は出来ません。

 みんなが寝静まった時、教室の中は暗くなっていました。

 暗がりの中で髪の毛を切ったとすれば、

 美容用ハサミを使っていても、事務用ハサミを使っていても、

 どちらにしても、綺麗な切り方にはならないと思います。」

「じゃあ、何が有力な手がかりなんだ?」

「僕がまず言いたいこと。

 それは、切られたおさげの方向です。」

「方向?」

「はい。

 切り取られたのは、本人から見て左手側のおさげです。

 ハサミを使って左のおさげを切り取るには、

 犯人は右手でおさげの先を持って、左手でハサミを扱うことになる。」

「あっ、それって・・・」

何かに気がついたのか、おさげの女子学生が声をあげた。

その男子学生は頷いて応える。

「そう。

 この犯人は、

 ハサミを左手で持っていたから、

 おそらく左利き。」

別の部員が口を挟む。

「それって、

 両方のおさげを切り取ろうとしたはずが、

 左のおさげを切り取ったところで、逃げ出したんじゃない?」

しかしそれは、二つの理由で否定される。

「それは無いと思います。

 僕は昨夜、犯人らしき人影を見ています。

 その人影は、

 左のおさげだけを切り取って、悠々と立ち去っていきました。

 途中で止めたのではなく、片方だけで良かったんだと思います。

 僕の話を信じるかどうか別にしても、

 最初に切ろうとするのはやはり、

 利き手でハサミを持つ側だろうと思うんです。

 利き手ではない手でハサミを扱うのは、

 意外と難しいですから。」

さらに別の部員が疑問を口にする。

「おさげの根本の方を持って、切り取ったんじゃないか?

 そうすれば、

 左手でおさげの根本を持って、左のおさげを先に切るだろう。」

「それは無いと思います。

 おさげの根本の方を手で持って切り取ると、

 切り取られたおさげは床に落ちてしまいます。

 暗い教室の中で、目的のものを床に落として、

 探し回りたくはないでしょう。」

部長が、さらに疑問をぶつける。

「なるほど。

 ハサミ男が左利きだったとしよう。

 でも、左利きの人なんて、たくさんいるんじゃないか?

 この町内だけでも、何人いるのかわからないぞ。」

その疑問に、その男子学生は思わず苦笑して応える。

「町内全部を調べる必要はありません。

 学校の出入り口で不審者は見当たらなかったし、

 フェンスを乗り越えるとかして学校の構内に入った人もいません。

 つまりハサミ男は、まだこの学校の構内にいる。

 もっと言えば、

 入る時点でも不審者として確認されなかったのだから、

 ハサミ男は、この学校の関係者です。」

その説明に、部長が頷く。

「なるほど。

 そういうことか。

 もしも、ハサミ男が左利き、

 それも学内の人間だったとしたら、

 当てはまるのは、限られた人数になるな。

 学内に左利きの人間が何人いるのか、正確には知らないが。」

男子学生の説明は続く。

「それは、これからの条件で、もっと人数は絞られます。

 まず、言います。

 僕も左利きです。

 僕が昨日探していたのは、私物の左利き用ハサミです。

 ハサミには、左利き用ハサミがあります。

 通常の右利き用ハサミは、左利きの人には使いにくいんです。」

「そうなのか。

 だから、その辺にあるハサミを使わずに、

 わざわざ自分のハサミを探していたんだな。

 で、自分のハサミは見つかったのか?」

「それが、どうしても見つからなかった。

 でも代わりに、漫画研究会の部室で、

 他の誰かの私物である、左利き用のハサミが見つかったので、

 それを拝借しました。

 だから、

 その左利き用ハサミの持ち主は、

 自分のハサミが失くなって、困ったと思うんです。

 でも実際には、

 左利き用ハサミが失くなって困ったという人の話は聞かない。

 何故なら、

 その人は、左利き用のハサミを既に持っていたからです。

 この学校の中で、左利きの人、

 しかも、わざわざ左利き用ハサミを用意してる人といえば、

 人数はとても限られたものになる。

 その中でハサミが入れ替わるとしたら、

 僕の私物の左利き用ハサミだとほぼ断言出来る。

 僕のハサミは使い古しで、切れ味が悪くなっていた。

 それもあって、

 おさげを綺麗に切り取ることが出来なかったのでしょう。」


話を総合する。

おさげの女子学生は、左のおさげを切り取られた。

切り取ったおさげを手に持ったままで切り取るには、

左利き用ハサミを使ったはず。

それから、

髪の毛を切る道具は、とても切れ味が悪いものが使われた。

その両方の条件に当てはまる道具は、

その男子学生の使い古しの左利き用ハサミ。

さらに、ハサミが入れ替わっているのだから、

今その男子学生が持っているハサミは、ハサミ男のものということになる。


そうして、その男子学生は、重々しく口を開いた。

「つまり、それらの条件から浮かび上がってくる結論。

 ハサミ男は、あなたです。」

その男子学生は、

キッと口を結んで、ある人物を指差した。

その指が指す相手とは、

自分を取り囲んで話を聞いている学生たちの頭を飛び越えて、

さらにその向こう。

教室の端に佇んでいた、顧問の先生だった。


 その男子学生は、

残された痕跡から考えて、

ハサミ男の正体は、顧問の先生だという結論に至った。

それを指摘された顧問の先生は、ぎくりとした顔になった。

「な、何を言っているんだ?

 何の証拠があってそんなことを。

 私は、この美術同好会の顧問だよ。

 責任者が、自分で事件を起こすわけがないじゃないか。」

しかし、その男子学生は動じない。

強い口調で、顧問の先生に言う。

「僕が漫画研究会から拝借してきたハサミ、

 これは先生のハサミですよね?

 漫画研究会の部員から、

 このハサミは、漫画研究会の顧問の先生の私物だと聞いています。

 それから先生は、

 この美術同好会だけではなく、

 他の同好会の顧問を兼任していると言っていた。

 それは、漫画研究会のことですよね。

 隠そうとしても無駄です。

 調べればすぐに分かることです。

 つまり、僕が拝借したこの左利き用ハサミは、先生のものだ。」

その説明には、部長が補足する。

「調べるまでもない。

 先生は、この美術同好会だけではなく、

 漫画研究会の顧問でもある。

 間違いない。

 手続きをした時に、書類で確認している。

 ついでに言えば、先生が左利きなのも事実だ。

 これは、他の学生諸君にも知っている人がいると思う。」

部長の補足を受けて、その男子学生の指摘は続く。

「では先生。

 昨日、ご自分の左利き用ハサミが失くなって、

 代わりはどうしたんでしょう。

 もしかして、僕のハサミを使ったんじゃないですか。

 あのハサミは、

 使い古しで切れ味が悪いので、大変だったでしょう。」

顧問の先生は、嫌な汗をかきながら反論する。

「代わりのハサミなんて無い。

 き、昨日は、ハサミを使う作業が無くて、

 ハサミをどこかに置き忘れたことに気が付かなかったんだ。」

やはりそう来たか。

それは、その男子学生が予想していた反応だった。

今、その男子学生の手元にある左利き用ハサミが、

顧問の先生のものであることは、証明出来る。

しかし、

今、顧問の先生が、

入れ替わりに自分の左利き用ハサミを持っているということは、

自白させるか、あるいは無理矢理にでも調べることでしか、証明出来ない。

だから、

他のことを指摘することで、

顧問の先生に自白して貰おうと思ったのだが。

しかし実のところ、

顧問の先生は既に、

自分がハサミ男であることを自白している。

それを指摘することにしよう。

その男子学生は、顧問の先生に向かって言う。

「確かに。

 先生が今、僕のハサミを持っているのか、証明は出来ません。

 でも、先生は既に、

 自分がハサミ男だと自白しているんです。

 先生はさっき言いましたよね。

 女子学生が何者かにハサミで髪の毛を切られた、と。

 先生はどうして、ハサミが使われたと知っていたんですか?

 それを知っているのは、

 ハサミ男の姿を目撃した僕と、ハサミ男本人だけです。」

この騒ぎの始めに、顧問の先生は確かに言っていた。

女子学生が何者かにハサミで髪の毛を切られた、と。

美術同好会の部員たちは、

その男子学生が目撃したハサミ男の情報を聞くまで、

ハサミが使われたとは断定していなかった。

断定していたのは、

その男子学生の他には、

顧問の先生だけだったのだ。

それを指摘されて、顧問の先生は口籠った。

「そっ、それは・・・、

 ハサミ男が出たと思ったからだ。

 君だって、ハサミが使われたと断定していたじゃないか。」

「僕は、

 夜に誰かがハサミを使っている物音を聞いていたから、

 使われたのがハサミだと断定出来たんです。

 あの夜、先生は教室には泊まってませんでしたよね。

 じゃあどこで、ハサミが使われたことを知ったんですか?」

顧問の先生は、完全に黙り込んでしまった。

その沈黙は、事実を認めたようなものだった。

黙り込む顧問の先生に、部員たちが食って掛かった。

「先生、とぼけるのは止めてください。」

「ハサミは鞄に入ってるか、そうでなければ先生の部屋にありますよね。

 見せてくださいよ。

 本当にこいつの言う通り、ハサミが入れ替わってるのか。」

美術同好会の部員たちに取り囲まれて、

顧問の先生は、とうとう観念したようだった。

仕方なく、ポケットに入れていたハサミを取り出してみせた。

それは紛れもなく、

その男子学生が探していた、使い古しの左手用ハサミだった。


 それから、顧問の先生は、

美術同好会の部員たちに問い詰められて、全てを白状した。

ハサミ男は自分だということ。

昔からこの学校に在籍している顧問の先生は、

しばしばこうして女子学生の髪の毛を切り取って持ち去っていたらしい。

昨夜、

美術同好会の部員たちが酔いつぶれてしまったのは、

先生が持ち込んだ酒に、強い酒が混ぜてあったからのようだ。

それらの話が終わると、

顧問の先生は、そのまま学校の事務局に連れて行かれてしまった。

今のところ、警察には通報されていない。

本来なら問題だが、

被害者であるおさげの女子学生と、

それから、過去に被害に遭った学生たちが、

事を荒立てて欲しくないと要望したのもあって、

一先ず穏便な対応が取られた。

この後、警察に突き出されるのか、現状では決まっていない。

そうして、犯人が早くに捕まったこともあって、

学園祭は一応無事に開催されることになったのだった。


 日が昇って、学園祭が行われている学校の構内。

その男子学生は、

おさげの女子学生と一緒に、

美術同好会の作品展示が行われている教室で受付をしていた。

元おさげの女子学生、と言ったほうが正確だろうか。

「元々、髪は切る予定だったから。」

その言葉通り、

残っていた右のおさげも自分で切り落としてしまって、

さっぱりとしたショートヘアになっていた。

受付の椅子に座っているその男子学生が、

隣に座っているおさげの女子学生を気遣う。

「髪の毛、本当に切ってしまってよかったの?

 それも、道具を借りて自分で切ってしまうなんて。

 無理に学園祭に参加しないで、美容室に行っても良かったのに。」

しかし、おさげの女子学生は、あっけらかんとしている。

「いいの。

 忘れたいことがあったから。」

なんとも思い切りの良い子だと思う。

そういえば、聞いたことがある。

女の人が髪の毛を切るのは、嫌なことがあった時。

特に、失恋した時だったっけ。

失恋したばかりの相手にこんなことを言うのは、節操なしと思われるだろうか。

でも、急に思いついたことではない。

ずっと前から、思っていたことだ。

こんな時でもなければ、想いを伝えることは出来ないかもしれない。

その男子学生は、ポケットの中を弄った。

ポケット中には、あの使い古しの左利き用ハサミが入っていった。

使い古されて切れ味が悪くなったハサミなんて、

なかなか切れなくて、縁結びには良いかも知れない。

その男子学生は、意を決した。

今はショートヘアになった女子学生の方を向いて、口を開く。

「あのさ、聞いてほしいことがあるんだけど。」

「なに?」

「あのね。

 僕、前から君のことが・・・」



終わり。


 ハサミをテーマにした物語を書こうと思って、この話を作りました。

丁度、学園祭の季節でもあるので、学園祭の学校を舞台にしました。


お読み頂きありがとうございました。


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