第1話 俺はガリュウ。ただのガリュウだ!
どうぞよろしくお願いいたします。
※2020.5.3 読みづらかったので修正しました。
「ちっ……こんな時でも逃がしちゃくれねぇか」
俺は逃げるのを諦めて、追手を迎え撃つことにした。
この気配は間違いねぇ。逃げ切れるものか。
「ほっほ、どこまで頑張るかと思えば、もう諦めおったわ」
「うるせぇジジイ。アンタと追いかけっこしてたら死ぬまで終わらねぇや」
木々の影から現れたのはやはり、紅牙族頭領〈ガロウ〉。
俺の名付け親であり育ての親だ。
「ガリュウよ。お主が外の世界へ憧れを抱いていることには気付いておった。しかしなぁ。なにもこんな時に逃げ出すことはないじゃろう」
「けっ。じゃあ真面目に挨拶でもすりゃ送り出してくれんのかよ」
「そりゃあ無理じゃて。抜け忍には死じゃ。これは忍者として生きる者の宿命、そう口を酸っぱくして教えたはずじゃがのう」
「ならこの機会を逃す手はねぇな」
そう。またとない機会だ。
紅牙族の隠れ里がどっかの誰かさんに襲われた。
こんな混乱はそうそうあるもんじゃない。これを逃せばいつになるやら。
「どうじゃ、戻る気は無いか? 今なら命だけは助けてやれるぞ?」
「ごめんだね。俺はもう、あんな日陰でこそこそと生きるような生活はうんざりだ。
ご先祖様が神殺しの大罪だぁ? しったこっちゃねーや。
知ってるか? この世界にはな、俺達紅牙族のことも知らないような、言葉すら違うような、そんな場所だってあるんだぜ。
そこへ行きゃ、俺だって堂々と昼間に出歩いて生きていけるんだ」
俺がそう言うと、ガロウはつまらなそうに睨んできた。
「――なるほどな。いつじゃったか、人間族の貴族邸に忍び込ませたことがあったが、そこでいらん物でも見たかの。
あの頃からお主の様子が変わったから、どうせそんなことじゃろうと思っとったわ」
「へっ、なんでもお見通しってか。そうだよ。あの時俺は見たんだ。
見たこともない言葉で書かれた本や人間族がまだ進出できてない大陸、俺の知らない広い世界が描かれた地図……
……まさか知ってやがったのか?」
「ほっ、当たり前じゃろうて。裏の世界は情報が命。いち部族の頭領ともなりゃあ、知らんかったじゃ済まされんことばかりじゃ。
お主程度の若造が昨日今日知ったようなことは、全て把握しておらねばならん」
ガロウはさも当然といった風に飄々と答えた。
知ってた?
知ってたならなぜ、紅牙族を外の世界へ導いてくれなかった。
いつまでもこんな、昔の罪とやらに怯えてこそこそと生きる生活を、なぜ……
「ま、お主の考えはわかる。わしも若い頃は似たようなことを思った。
じゃがな、無理なんじゃよ。今更闇の世界から足を洗って外の世界で穏やかに暮らす、そんなことは夢物語じゃ。
あらゆるしがらみが、それを許さんのじゃよ。ガリュウよ、お主もそろそろ大人になれ」
「大人? 大人ってなんだ? そうやって女々しくいじけて生きることか? だったら俺はガキのままでいいね」
「まったくお主は、昔から聞き分けのない、困ったガキじゃ。
いいか? これが最後の警告じゃ。わしも頭領としてのメンツがあるんでな。お主だけを生かすわけにはいかんのじゃよ。わしに子殺しになれってぇのか?」
まったくどの口が言うのか。
このジジイに獣人らしい情が残ってたらびっくりだよ。
俺の生みの親だって、掟とやらであっさり殺しちまったんだからな。
「そういう芝居をやるにはジジイ、あんたの殺気は鋭すぎるんだよ。俺は行くぜ。たとえアンタを殺してでもな」
おそらく敵わない。
それでも、俺はもうあんな生き方はうんざりなんだ。
昼間っから堂々と街を練り歩いて、毒の入ってない酒を飲んで、自分の気の向くままに生きたいんだ。
それを諦めるくらいなら、ここで散ったほうがマシさ。
だがな、ただじゃ死なねぇ。
腕の一本でももぎ取って、俺の生きた跡を残してやる。
「そうか、残念じゃよ」
「っ……!」
瞬間、かつて感じたことのないほどおぞましい殺気が俺を射抜く。
やばい!
そう思った時には既に、視界からガロウの姿は消えていた。
そして俺の右耳も。
「があっ!!」
熱い。
チリチリと右耳が熱い。
毟り取られた。
「こんの、くそジジイが! んがあぁ!」
無事だった左耳に風切音が聞こえ、すぐに左耳からも焼けるような熱さを感じた。
そして背中に強烈な衝撃。
思わず前につんのめる。
「ぐぎっ」
その隙きに尻尾の先が切り取られる。
俺は痛みに叫びそうになるのをこらえ、気配を頼りに爪を振るう。
しかし、俺の攻撃がガロウを捉えることはなかった。
ただ、なすがまま。
俺は全身を次々と切り刻まれ、手放しそうになる意識を保つのに必死になっていた。
これほどか。
こんなにも、俺とガロウの実力には差があったのか。
それでも……
「俺はぁ……っ!!」
首筋に感じた寒気から次の攻撃を予測し、全力の攻撃を叩き込む。
もはや腕は動かない。
体は石のようだ。
だから、噛む。
首筋に迫りくる気配めがけて、ただ全力で噛み付く。
これで死ぬ。
この攻撃が成功したところで、俺はこれで死ぬ。
だから余力は必要ない。
ただありったけを込めて、俺は――
その時、ふいに体が軽くなった。
あれだけ石のように重かった体は羽のように軽くなり、手足は光のごとく意識した時には動いている。
いや違う。
視界は赤く染まって、周りが止まって見える。
俺だけが、早く動けている。
そして、体の底から力が溢れ出てくる。
目の前には、俺の首筋を切り裂こうと近付くガロウの姿が、止まったように見える。
だから俺は、ただ全力を込めて、その腕に噛み付いた。
気づくと、そこには右肩を抑えて倒れ込むガロウと血の海が広がっていた。
ガロウは玉のような汗を浮かべて、苦しそうにひゅうひゅうと息をしている。
俺はなぜか、体に受けた傷の痛みもなく、それを見下ろすように立っていた。
「やはり……な……ガリュウ」
「なんだ? こりゃあいったい、なにがどうなって……」
ガロウは今にも死にそうな様子で、それでも鋭さを失わない目を俺に向けた。
「お主は……な、いずれ伝えるつもりじゃった、が……呪い、を、受けておる……」
「呪い……?」
「そう、呪いじゃ……。紅牙族の始祖様が受けた呪い。それを、お主は……受け継いでおる」
紅牙族の始祖、ってぇと、例の神殺しのやつか……?
なんで俺がそれと関係あるんだ?
「お主の……、う……ぐ、すまん、全てを伝えるだけの命が、もうわしには無い」
「なに? ジジイ、死ぬのか? アンタがそれっぽっちの、片腕がなくなったくらいのことで」
「それも、呪いなんじゃ。ガリュウよ。いいか。異我族には、関わるな。それだけ……は、覚えておいてくれ……」
「異我族? なんだそりゃ。それも忍者か?」
「真……の、神殺し……歴史の、闇に」
「おいっ」
ガロウは何かを言いかけたまま、事切れた。
まさか……あのジジイが。
紅牙族最強の〈ガロウ〉が、死んだ?
俺が、殺したのか。
「はは……、なんだよ、意味がわからねぇ。呆気ない。呆気ないぞジジイ! おい! そんなんで満足なのかよ! ジジイ! 答えろよっ!!」
そんな、日陰でコソコソ生きて、自分の育てたガキに殺されて、そんな一生でいいのか?
こんなに強いのに。
この強さがあれば、どこへ行って何をやっても、邪魔なんてされないんじゃねぇのか。
なんでアンタは、こんな生き方を選んだんだよ。
おい。勝手に死ぬなよ。
なんか答えろよ。
「うが」
「うがぁあああ」
「うがああああああああああああああああああああああああああっっっ!!!!!」
俺は嫌だ。
そんな生き方なんてまっぴらごめんだ。
俺は、堂々と自由に生きてやる。
呪いも先祖も知らねぇっ!
俺は、俺だ。
紅牙族じゃない。
ただのガリュウだ。
ざまぁみろ。
ざまぁみろってんだ。
紅牙族なんかに構ってるからこんなことになるんだ。
俺はもう関わらない。
俺はガリュウだ!
「俺はガリュウ! ただのガリュウ!! ガリュウだあああああああああああああああああああああああああああっっっ!!!!!」
最後までお読み頂き、ありがとうございます。