試合、稽古だったもの
二話に分かれてしまいましたが、お読みくだされば幸いです。
「部活を始めるんだ、さっさと道着に着替えな!!!」
部員が隆文が使っていた道着を投げてよこした。
隆文はその道着を見て答えた。
「もっと大きいサイズはないか?」
「なに?」
「身体が大きくなってな、もうこのサイズでは着られん。」
「・・・生意気言いやがって」
別の部員が一番大きい道着を持ってきた。
・・・小さいな、しかししょうがないか。
隆文は道着に着替え始めた。
制服を脱ぎ始めると・・・部員たちは静かになっていった。
知っている隆文はただの肥満体型だったはずだ。
腹が大きくせり出し、みっともなくたるんだ身体だったはずだ。
制服を脱ぎ始めると・・・そこには筋肉と脂肪に包まれた凶器のような身体があった。
シャツを脱ぐと馬鹿みたいに前にせり出した大胸筋が見えた。
腕は女の胴周り位はありそうなほど膨れ上がっていた。
腹回りも大きい、しかしたるみ等一切見られないほどにパンと張っていた。
たとえナイフで突き刺しても内臓まで届きそうにないほどに筋肉と脂肪が乗っていた。
肩から首にかけて首が埋め込まれたように僧帽筋が発達していた。
首も馬鹿みたいに太くなっていた。
ズボンを脱ぐとまるで大型トラックのマフラーのような太ももが現れた。
筋肉の筋は脂肪に覆われてはっきりとは見えない。
しかし無駄な脂肪ではない。きちんと計算されてどうすれば一番効率よく体の力を大きくできるか考え抜かれた割合でついていた。
隆文は全て計算して身体を作り続けてきた。
普通ならばここまで急激な変化など起こらない。
だが隆文はイルムトで20年間鍛え続けた肉体の記憶があった。
身体が、筋肉が、脳が隆文にとっての最適解を覚えていたのだ。
まだまだ元の身体に戻すのは時間がかかる。発展途上の身体なのだ。
脂肪を落とすのは筋肉がついてからだ。
だから隆文はわざと痩せなかった。筋肉をつけるためにはエネルギーがいる。
エネルギーとは脂肪に蓄えられる。体を強くするためには脂肪が必要なのだ。
土木工事の最中もどう筋肉をつけるか考えながら行った。
ジムに通う金などない。器具はつるはし、土嚢、スコップだった。
常にやりづらい体勢を考えた。体がどうすれば柔軟性を保ち大きくなるか考えて行った。
もう隆文は足が180度近くまで広げられるほど柔軟性を手に入れていた。
体操選手顔負けの柔軟性と一流のプロレスラーのような肉体。
隆文の現時点での身体はそうなっていた。まだまだ進化の途中であった。
部員たちは隆文の身体に呑まれた。
一目で次元が違うと解った。野生の羆のような身体を見て自分たちはとんでもない者を入れてしまったのではないかと思った。
そして隆文は着替え終わった。
竹原は隆文の身体を見ても気後れしなかった。
柔道部で一番強いのは竹原であった。
竹原一人であったら県大会で優勝を狙えるほどの実力があったのだ。
試合では隆文より大きな相手を投げた事もある。
自分には速さと技術がある。身長177㎝体重75㎏
竹原のサイズである。この身体で190㎝140㎏の相手も投げたことが有るのだ。
全国大会では一回も勝てなかった。
しかし県では負けたことなどなかった。
そして見てきた、いじめてきた隆文のイメージが強すぎた。
御大層な筋肉などただの張りぼてに見えた。
・・・すぐに泣かしてやる。腕を折ってやる。土下座させてやる。
竹原は残忍な笑みを浮かべて試合場に立った。
隆文は一礼して試合場に入った。
敬意を持ち、相手に接する。自己評価が低い隆文はそれが自然であった。
・・・生意気な・・・
竹原は苛ついた。ただ自分に投げられて泣き喚くだけのくせに。
やがて目の前に隆文が立った。
・・・あれ?
隆文はいる。目に見えてる。
しかし透けて見える。気配がない。ただそこに居る。
何か人ではなく自然にできた大きな木を目の前にしているようであった。
木は何も言わない、動かない、ただそこにある。自然にそこにあるだけ。
そんな幻影を竹原は隆文から感じていた。
????
俺は・・・誰を相手にしている?誰?・・・こいつ人間なのか?
見事なまでに何もない。何もない所に自分は戦おうとしている。
そこには木しかないのに。
竹原は混乱した。
「始め!!」
佐々木の声が響いた。
木が一礼した。
「さああああああ!!!」
竹原は雄たけびを上げて隆文に向かった。
どんなに鍛えようと所詮隆文だ!!豚だ!!豚はブーブー泣いていればいいんだ!!
竹原は気を取り直して隆文の襟をとりに行った。
ストン。
気が付いたら畳に尻もちをついていた。
痛くもかゆくもなかった。ただしりもちをついたのだ。
????
足が滑った?それで?なんで?
周りの人間も何が起こったのか解らなかった。
始めの言葉で竹原が突っ込み勝手にしりもちをついたとしか思えなかった。
「・・・待て」
佐々木が試合を止めて開始線に戻った。
声がかかり、また隆文に突っ込んでいった。
襟をつかんだ。足を払おうとした。
ストン・・・
今度は背中から寝ていた。
今度も痛みがなかった。????
「・・・一本では?」
隆文は佐々木に尋ねた。
佐々木は解らなかった。竹原が足を払いに行ってそのまま倒れたように見えた。
体捌き、重心を崩すそれだけを隆文はやっていた。
実践で鍛えられた隆文は手に取るように竹原がやろうとしていることが解った。
そして竹原はあくびが出る程遅かった。
やろうとしていることにほんの少し力を加えてやる。
手を使う必要もなかった。少し体をずらすだけで竹原をコントロールできた。
竹原は挑み続けた。
隆文はその場から一歩も動かなかった。
4回目になると竹原はもう殴りに来ていた。少し体を沈めて体重を移動するだけで竹原は勝手に足に引っかかり無様に転んだ。
隆文も竹原も体に何一つ傷はついていない。
隆文は竹原を傷つけないように加減して、強く打ち付けそうなときは庇ってやっていた。
だんだん竹原も隆文がやっていることが解ってきた。
周りの人間もあまりの技術、レベルの差に顔色を無くしていた。
大人と子供どころではない。
幼児がオリンピックの選手に遊んでもらっているような状態だった。
隆文は竹原をあやしているだけだったのだ。
竹原は泣いてしまった。自分は無敵だった。
柔道では誰も県内で自分に勝てなかった。
強い、自分は強いはずだった。だから好きにできたのだ。
誰も何も言ってこなかった。みんな自分の味方だった。
その竹原が縋ってきた強さというもの。
何も通じなかった。相手にもされてなかった。
隆文は強靭な筋肉の身体を一切使う事もなく動きだけで竹原をあやしていた。
そして竹原は切れた。
「くそおおおおおおああああ!!!!」
竹原は筋トレ用にしつらえてあったバーベルを手に取り隆文に向かって走り出した。
「おい!!やめろ!!そんなもの使ったらごまかしきれない!!」
佐々木が焦ったように叫んだ。
竹原の耳には入らなかった。
隆文は冷めた目でそれを見ていた。
横からそっとバーベルのウエイト部分に手を当てて軌道をずらした。
それだけでバーベルは畳にぶつかった。
柔道の畳というものはとても弾む。衝撃を吸収するために弾むのだ。
重量のあるバーベルは勢いよく跳ね返った。
思い切り打ち付けた事もあったのだろう。
跳ね返ったバーベルはそのまま竹原の頭を打った。
切れて勢いよくつっこんだ竹原はそのまま勢いよくぶつけてしまったのだ。
そのまま竹原は気絶した。
みっともなく失禁もした。白い道着が黄色く染まった。
反則に反則を繰り返した末に凶器を使い挙句自滅したのだ。
この上ない醜態だった。
ウエイトにはゴムがカバーとしてついていたため顔を切るようなことはなかった。
衝撃だけが伝わって気絶したのだ。
隆文は結局その場から一歩も動かずほぼ攻撃もしないまま竹原を沈めた。
「・・・誰かまだやりたい人はいますか?」
誰も答えなかった。
そして佐々木が上機嫌で言ってきた。
「すごいじゃないか!!小松原!!!お前が居れば全国でも勝てる!!いや優勝できるぞ!!!これで柔道部は最強になれるぞ!!」
気持ちのいいほどの手のひら返しであった。
いっそすがすがしいほどであった。
佐々木は驚くことに本心で喜んでいたのだ。
自分は柔道部の事を考えてきた。だから柔道部の為なら何でもやってきた。
全ては柔道部を強くするため。だから竹原を優先した。
協力したのだ。強ければ、勝つためならばどんな犠牲も払うべきだ。
たまたまそれが自分ではなく他人を犠牲にすることだっただけだ。
そして竹原よりもっと強い人間がいた。
佐々木は自分が行っていることを正しいと思っていたのだ。
もう竹原は使い物にならないだろう。
だが問題ない。こいつが居れば竹原などいらない。
佐々木は喜んだ。
「・・・終りなのなら服を着させていただいてよろしいですか?」
もう部員も誰も何も言わなくなった。
制服を着終わった隆文は佐々木に向かって尋ねた。
「・・・少し間が開いてしまったので受けていた稽古の内容が良く思い出せないのです。
申し訳ありませんが、以前私が受けていた稽古の内容を教えていただけませんか?」
部員たちは顔を青くして俯いてしまった。
言えるわけがなかった。毎日おもちゃにしていたのだ。
ストレスの発散として稽古の名のもとにさんざん嬲りつくしてきたのだ。
隆文は丁寧な言葉づかいで穏やかに言った。
それがとてつもなく恐ろしかった。
言ったら殺される。みんなそう思った。
しかし、佐々木は自分が行っていた事を正しいと思っていた。
全て柔道部のためにやった事だと自信を持っていた。
・・・全部喋った。
稽古と言う名のもとに行ってきた拷問とも言うべき仕打ちを本人に向かって得意げにしゃべってしまった。
佐々木の中では全てが稽古だったのだ。どれだけ隆文が傷を負っても稽古。
泣いてても、許してくださいと言っても稽古。
隆文が失禁して畳を汚した時に自分の道着で無理やり拭かせたうえで思い切りぶんなぐったのも稽古。
骨が折れる寸前まで関節を痛めつけて痛い痛いと泣き喚く隆文を蹴飛ばして痛めた関節を踏みつけたのも稽古。
失神した隆文を水の張ったバケツに頭を突っ込み、上から押さえつけて死ぬ寸前まで追い込んだのも稽古。
余りのしごきに吐いたものをまた頭を押さえつけて食わせたのも稽古。
胸を張って喋る佐々木に隆文は穏やかな顔のまま対していた。
・・・そうか・・・これも追い込まれた一つか・・・
「・・・もう・・・もういいです・・・」
隆文は静かにそういった。
「それで、次はいつ稽古に出れる?なんでも言ってくれ、竹原が嫌ならどうしてくれても構わないぞ!!!何ならお前の好きなように・・・」
隆文は佐々木を無視して奥に進み始めた。
近寄ってくる隆文に怯えて部員たちは逃げ出した。
隆文はうちこみ用に作られた太い木の前に立った。
その木には太い、腰帯が結び付けられて投げ技の練習ができるようになっていた。
隆文は静かにその帯を持った。
後ろを向いた隆文の顔は誰からも見えなかった。
少しの間隆文は佇んでいた。
そして震えだした・・・何かにこらえるように震えだした。
何かが・・・とてつもない感情が集まっていくように見えた。
・・・やがて
「あああああああああああああ!!!!!!」
思い切り隆文は背負い投げを打ち込んだ。
バシイ!!!バギイ!!!
帯が千切れ飛んだ。太い木が悲鳴を上げてぶち割れた。
人間の力でどうこうなる太さの帯ではなかった。太さの木ではなかった。
一瞬、一瞬にして破壊された。
背負い投げをした格好のまま隆文は下を向いていた。
ぽたぽたと何か水が落ちていた。
全員動けなかった。動くことなど許されなかった。
もう死刑執行の前の囚人の気持ちであった。
しばらくののち・・・
「・・・鍵を・・・鍵を開けてくれますか?」
感情の欠落した声で隆文は言った。
部員の一人が急いで鍵を開けた。
出るときに
「稽古は放課後の16時からだ!!朝は6時からだから遅れるなよ!!!」
満面の笑みで佐々木が声をかけた。
隆文は誰とも顔を合わせることなく出て行った。
竹原はもうその存在を誰からも気にされることはなかった。
隆文はポケットに手を入れた。あるものを取り出した。
ボイスレコーダーだった。全部録音した。
一週間後柔道部は廃部となった。
佐々木は消えた。




