価値観、隆文の考え
いつもお読みくださいましてありがとうございます。皆様のご感想が励みになります。二話続けて更新したいと思います。齟齬があったら申し訳ありません。
・・・隆文は考えていた。
先ほどの高校生たちが自分を虐めていた主犯だった。
・・・確か名前は・・・竹原雅人、そんな名前だったはずだ。
もう20年も前の話だ。しかしここまで覚えていない物だろうか?
隆文は頭がいい。一度覚えた事はめったに忘れない。
その自分がまるでごっそりと抜け落ちたようにこの世界での記憶を失っている。
どうやって生きてきたのかよくわからない。
不幸だったことは覚えている。だが全てに膜がかかったように思い出せない。
家の場所は何となく覚えていた。
学校の場所も調べたらすぐに解った。
だが、家族、菜穂子、そして竹原という人間すべてが記憶にない。
学校で何をしていたのかよく覚えていない。
先ほど陰部に液体湿布を塗られたと言われた。
良く覚えていない。まるで人ごとのように感じられた。
ただ自分の事だったとしても大したことではない。
だからどうした。そんな物よりももっと痛くて屈辱的なことは山ほど経験してきてる。
・・・調べるか・・・
自分である小松原隆文が、17歳で命を絶つほどに追い込まれた軌跡を。
この世界に来た瞬間、自分の姿を確認した瞬間死にたいほどに絶望したその訳を・・・
それは覚えてもいない記憶ではない。本能で絶望したのだ。
本当に帰ってきたくなかったのだ。刷り込まれこの世界に17歳だった小松原隆文は絶望したのだ。自分はこの少年を救うと決めた。
37歳の隆文が17歳の隆文を救うと決めた。
この世界で生きていた記憶があいまいな以上17歳だった隆文は別人と言う感覚であった。
自分が一番優先順位が下。
死んでもいい、むしろ死にに行くように他人のために己を捧げる。
隆文の生き方であった。しかし、37歳の隆文は様々な経験を積んでいた。
本も読み漁り行動心理などの知識も得ていた。
不自然であった。
未成年、17歳の少年がそんな事を心の奥底まで刻み込まれるほど思う事は普通ではない。
特にこの日本と言う平和な国ではありえない。
もしイルムトの世界でそんな事を思う少年が居たら隆文はその少年のためにどんなことでもする。一緒に生きる。
人間の一番大事な、強烈な本能は生存本能だ。
それが17歳の少年が自死を選び、その後も他人だけを大事に生きてきた。
壊れていた。・・・何があったのか?なぜ自分は忘れているのか?
隆文に誰が何をしたのか?それを知らないと隆文は救われない。
17歳の隆文は救われないのだ。
何か手掛かりがあれば・・・隆文は考え続けた。
「・・・おい・・・」
声をかけられた。竹原が目の前に立っていた。
「てめえ、よくもやってくれたな・・・柴田は病院へ行って今日は早退だとよ。しばらく手を動かせないそうだ。」
「そうか、良かったな大事がないようで安心した。」
脱臼してその程度で住めば運が良かったほうだろう。
後遺症も残らずすぐに回復して元通りになるはずだ。
隆文は本心から良かったと思って言った。
自分で殴って脱臼したとは言え少し心配していた。
弱い者を守る。自分が盾になって他人を守る。
弱い柴田がけがをしたことが少し気になっていた。
力のある者が弱い者を守る。だから隆文は強くなった。他人の盾となり続けてきた。
だから竹原に言ったのだ。
竹原にとっては挑発以外のなんでもなかった。
先ほどのトイレの事を忘れたわけではない。
しかし相手はさんざん嬲ってきた豚だった。
さっきのはたまたま柴田がしくじっただけだ。
豚は豚のままの筈、その豚が自分に、逆らうことなど許されない自分に舐めた態度をとった。
ふざけた事を言った。許せるはずはなかった。
「てめえ!!!」
竹原は隆文の胸倉をつかみ思い切り右手を振りかぶった。
全力でぶんなぐろうとした。
「ちょっと!!雅人!!!今はまずいって!!」
菜穂子が止めに入った。
「うるせえ!!糞アマ!!引っ込んでろ!!!」
竹原は菜穂子をふり払って蹴飛ばした。
菜穂子は机に当たりけたたましい音を立て転がった。
竹原は菜穂子を見もしようともせず隆文を殴ろうとした。
「何をしている!!竹原!!この騒ぎはなんだ!!」
教師の佐々木と言う男が入ってきた。
佐々木は柔道部の顧問をしていた。
竹原は大事な柔道部の戦力だった。問題を起こさせるわけにはいかなかったのだ。
竹原が過去起こした事件も全部佐々木がごまかした。
虐めも、暴力もすべて部内での出来事として処理してきた。
だが衆人環視のある場ではごまかしは効かない。
ここで暴れるのはまずい。佐々木は必死に竹原を止めた。
「こいつが気に入らないのなら道場でやれ・・・それなら何も問題など起こらない。」
竹原にしか聞こえないように佐々木は羽交い絞めにしながらささやいた。
そして竹原は暴れるのをやめた。
隆文はまだ柔道部だったはずだ。
だから部活内の事故として何とでもできる。
・・・腕の骨二本とも折ってやる・・・
二度と来れないようにしてやる。
竹原は暗い目で隆文を見ていた。
もちろん隆文には全てが聞こえていた。鍛えた五感はどんな小さな声も逃がさなかった。
「・・・お前も柔道部だ、今日は必ず顔を出せ・・・たっぷりと可愛がってやる。」
「もし来なかったら内申に響くからな。必ず来い。」
竹原は愉悦の笑みで、佐々木はめんどくさいという顔で去っていった。
柔道部、ずきりと頭が痛んだ。
本能的に17歳の隆文が拒絶していた。
・・・柔道部に何かある?・・・ならば行かなくては・・・
菜穂子は身体をさすりながら立ち上がり隆文に声をかけてきた。
「・・・いいよ、逃げなよ、あんた行ったら殺されるよ。今すぐ帰りな。」
「身体は大丈夫か?」
菜穂子の声が聞こえていないように隆文は返した。
「・・・別に・・・いつもの事・・・雅人は怒るといつもああなるの・・・」
「そうか。」
「・・・何よ・・・同情でもしてんの?豚のくせに・・・」
「いや?彼を選んだのは君だろう?ならばどんな事になっても自分で責任を取るべきだ。別れるなら別れる。それでもいいなら付き合い続ければいい。他人である俺が口を挟む問題ではない。」
「・・・他人・・・」
何故か菜穂子はショックを受けたように顔色を悪くした。
「同情などしない。自分の人生には自分が責任を取ればいい。彼がそういう人間だったとしたら一緒に居る君が彼を支えていけばいい。自分で選んだ男なんだ。最後まで自分の選択に殉じればいい。」
実際隆文はそうして生きてきた。
同情などしてほしくなかった。
自分より他人そのことだけを頭に入れて生きてきたのだ。
隆文がそうしたいからしてきたのだ。
誰かに責任をかぶせたことなどない。
自分の身が可愛いなどと思った事はない。
自分で選んで、自分で解決してきた。それが自然だったのだ。
だから隆文は当たり前に言った。
菜穂子はぶるぶると身体を振るえさせ始めた。
「・・・あんた・・・本当に隆文?・・・」
小さな声で菜穂子は言った。もう顔は泣きそうだった。
・・・どうでも良かった。
隆文が守ってきたのはあくまでも理不尽な暴力、無体、なんの責任もないのに突然の悲劇に巻き込まれそうな人達であった。
イルムトでは同情などしない。自分で選択し選んだことなら他人が口を挟むことはその人に対する失礼に当たる。結果がどうであれ自己決定、自己責任が常識だったのだ。
もちろんその中で助けてくれと頼まれれば勇んで駆けつけた。
しかしそうでない以上は何もしてはいけない。
だから隆文は菜穂子の竹原を選んで付き合った事を尊重した。
隆文なりに気を使ったのである。
はっきり言えば菜穂子にそこまで興味はなかった。
だから隆文はそのまま菜穂子を放置した。
「・・・さて、行くか・・・」
隆文は立ち上がった。
熊が冬眠から覚めたように大きな身体が動き出した。
「ちょっと!!!行っちゃダメだって!!」
菜穂子はそれでも隆文を止めようとした。
「・・・君は俺のなんなんだ?」
「え?」
「申し訳ないが君にとって俺は他人だろう?俺にとっても他人だ。昔は交流があったかもしれないが今の君は竹原君と付き合って俺とは縁が切れたのだろう?俺は君の選択を尊重して何も言わない。だから君も俺の行動を止める権利はない。違うか?」
「・・・ちが!!あたしは」
「すまない、本当に君に興味がないんだ。まあ安心してくれ。竹原君も俺もけがをすることはないと思う。少し竹原君は荒れるかもしれないが、君が支えてやってくれ。」
菜穂子は呆然と立ち尽くした。
嫌いでもない、好きでもない、興味がない。他人。
何故だろう、もう捨てた、一緒になって虐めていた幼馴染に言われて菜穂子の心にぽっかりと穴が開いた。
隆文はそのまま教室を出ていった。
菜穂子はその場で崩れて座り込んだ。
なんでだろう?雅人に蹴られた時よりずっと痛い・・・
いつの間にか菜穂子は泣いていた。
・・・
・・・・
柔道場では竹原と部員たちが待っていた。
佐々木もその場にいた。全員がニヤニヤと笑っていた。
・・・いやな笑みだ・・・
加虐心を隠そうともしない嫌な笑いだった。
部員は15人ほどだろうか?確かそこまで強豪と言うわけでもない。
それでも県大会で3位くらいには入れる力はあった部だ。
ずきり・・・
頭が痛んだ。17歳の隆文はこの場を拒否しているらしい。
何かがあった。間違いない。・・・聞きださなければ。
「やっと来たか、いつもみたいに可愛がってやるからよう。」
「しばらく来ないから新しい技がたまってるんだ。あっさり気絶するなよ?」
「豚は投げられることしかできねえんだから黙ってきてサンドバッグになってればいいんだよ!!」
そうか・・・そういう扱いをしていたのかこいつらは・・・
「・・・おい、鍵かけろ、絶対に逃げられないようにしろ。」
竹原が狂気をはらんだ声で言った。
部員がニヤニヤしながらカギをかけた。
「おい、あくまでも部活中の事故だぞ。それだけ気を付けろよ。」
佐々木はそれだけを言って椅子に座った。
誰も気が付かなかった。野生のヒグマのような存在と一緒に閉じ込められた事を。
もし少しでも隆文の変化に気を付けて観察していれば違うと解ったはずであった。
しかしこの集団はすでにサディズムに支配されていた。
冷静な観察眼など持っていなかった。
明らかに違っている隆文の肉体の変化に気が付かなかった。
そして柔道部にとって悪夢が始まった。