茂田さん、義明
茂田さんはそれから仕事を探し始めた。
日雇いをやりながら働き口を探した。
3日に一回は義明の見舞いにも来てくれた。
50歳を超える茂田さんはなかなか働き口が見つからないらしい。
何年もホームレスをやって住所もなかった茂田さんには世間は冷たかった。
結局、日雇いの深く詮索されない肉体労働を続けていた。
見舞いのために頑張って身ぎれいにしているのだろう。
義明には果物や、面白そうな本を買ってくれた。
本は雑誌であった。駅前でゴミから拾ってきたような少年誌。
大体100円で売られているものだった。
義明は読み漁った。漫画など見たことはなかった。
つまらない入院生活で同じ本を夢中で読んだ。
そこにはヒーローが居た。苦しくてもどんな敵にも負けない、諦めない最後には敵さえもヒーローの仲間になって行く。身体中を傷だらけにしながら戦うヒーローの姿があった。
どこにでもあるお話、テンプレとも言うべきよくある話だった。
義明はそのどこにでもある話の主人公のヒーローにあこがれた。
毎日そのヒーローと自分を一緒に考えて妄想した。
母親の最後を見た義明はもう半ば壊れていた。
茂田さんがいなかったら笑い続けてずっと病院のベッドに寝ていたであろう。
茂田さんに救われて、ヒーローに憧れた。
茂田さんがいない間はその漫画は唯一の逃げ場だった。
・・・そんな日々が続いた。
顔の抜糸も済ませ、肋骨もだいぶくっついてきた。
医者の腕も良かったのだろう。思ったよりは深い傷にならなかった。
退院も見えた時、児童相談所の職員という男たちがやってきた。
義明はお母さんは悪くない言い続けた。
お母さんが居なくなった事は何となく解った。
でも茂田さんが言っていた。お母さんも辛いんだ。
だから義明は壊れかけた頭でずっと言っていた。
職員は心底同情して申し訳なさそうに言い始めた。
世間的にはもう義明の居場所はなくなってしまったらしい。
母親の両親にも連絡が言ったが引き受けを拒否されたそうだ。
・・・何を言っているのだろう?僕には茂田さんがいる。
これからはあの小さい部屋で茂田さんと暮らす。
一緒に暮らすんだ。義明はそのことを疑ってなかった。
茂田さんと一緒なら何でもよかったのだ。
しかし茂田さんはホームレスであった。住所など持っていなかった。
定職も見つからなかった。決まった収入などもなかった。
そのことを茂田さんに言うと茂田さんは泣き始めて義明に詫び始めた。
茂田さんが頑張って職を探していたのは義明の引き受け先になりたかったためだった。
何とか、どんなに安くてもいいから住居を借りて、
どんなに賃金が安くてもいいから定職を探していたのだった。
どこへ行っても鼻で笑われた。
職業安定所の職員は毎日現れる茂田さんを厄介者として扱った。
歳も行き、長年働いていなかった茂田さんには紹介できるところなどなかった。
茂田さんは求人票を毎日目を皿のようにしてみていた。
何もなかった。茂田さんがいまさらできそうな募集など何もなかった。
茂田さんは毎日泣き続けた。自業自得で無くしてしまったものを悔いて泣き続けた。
家族に捨てられて、そして自分で世間を捨ててしまった。
かかわりを断ってしまった。そしてその結果何もできない自分が今ここに居た。
義明の見舞いに行く時だけは明るく振舞った。
心配などかけられなかった。義明にやった100円で売られていた漫画。
茂田さんにとっては100円は大きかった。
100円あれば一日何とか食いつなぐことができる。
でも義明が楽しそうに自分がくれた漫画の面白さを話していると惜しくなかった。
食費を削って見舞いのたびに新しい漫画雑誌を買っていった。
茂田さんは自分の情けなさに泣きながら義明の前でだけ頼りがいのある大人を演じた。
日雇いの仕事に行けば体力のない茂田さんは半分邪魔者として扱われる。
自分の半分以下の年の若者に怒鳴られながら働く。
人が10できる事を6ほどしかできなかった。
日々がたつうちに日雇いの人たちは茂田さんに冷たくなっていった。
もう来なくていいと毎日言われた。賃金は半分でもいいから使ってくれと頼んだ。
結局何もできないまま、義明に児童相談所の人が来て誰も引き受け手がない事が解った。
このまま義明は施設に入れられるだろう。
自分には何もできない無力感に茂田さんは義明に謝っていた。
義明は全く解っていなかった。ただ目の前でなく茂田さんを慰め続けていた。
「・・・ごめんな・・・義明・・・」
そう言う茂田さんの背中が小さく震えていた・・・
・・・
・・・・
施設に入れられた。孤児院の先生は優しかった。
不幸な生まれの周りの子供たちはみんな義明に優しくしてくれた。
中には義明と似たような境遇の子もいた。
12歳になった。
中学校に入った。
中学に入った時点で身長は178㎝あった。
規格外の体格であった。そんな義明は運動部から熱烈な勧誘を受けた。
義明は悩んだ。お金がかかるものはできない。
野球、サッカー、柔道、ボクシング、バスケット、陸上
全てユニフォーム、シューズ、遠征費用などお金がかかる。
自分にそんなお金はない。結果義明は全て断った。
事情を知っている先生は何も言わなかった。
しかし同級生たちは違った。体が大きく何も話さない、日本人とは見えない義明を最初は怖がっていたが・・・義明がおとなしいと解ると虐め始めた。
同じクラスに可愛い女の子がいた。
名前は小松原朋子と言った。義明はこの女の子に目を付けられた。
理由もわからずクラス全員から無視され始めた。
無視など慣れたものであった。幼いころから静かにしていることをやってきた。
外見が違う自分は疎外される。子供のころからそうされてきた。
堪えない義明に対していじめは加速し始めた。
身体が大きい義明が何もしないと解ると毎日呼び出されてぼこぼこにされた。
そこには必ず朋子の姿があった。朋子は義明を豚と言って蹴り続けた。
虐めを言い出したのも朋子だった。
朋子は自分の兄と雰囲気、身体が似ている義明を徹底的に責め抜いた。
やがて学校中に義明の居場所はなくなった。
教師は心配してくれたが、孤児院のみんなに心配をかけたくなかったので黙っているようお願いした。
いじめを受けるときはなるべく痕にならないように身体を丸め続けた。
泥と唾に汚れた制服は運動部の洗濯機を勝手に借りて洗った。
見つかってまたいじめの原因となった。
貧乏人、汚い、豚、死ね、朋子は容赦なく義明に言い放った。
その姿は周りの人間も引くくらい常軌を逸していた。
誰も朋子に逆らえなくなった。加えて朋子は類まれな美少女であった。
朋子の気を引こうと男子はこぞって義明に暴力を振るった。
毎日毎日、気が遠くなるくらい義明は耐え続けた。
ボロボロの義明はいつの間にか茂田さんを求めていた。
茂田さんと撮った写真の入ったペンダントをいつも見ていた。
写真の中の茂田さんはいつも嬉しそうに義明を撫でてくれていた。
もう3年以上あっていない。
病院から退院し、落ち着き、自由に動けるようになって公園に行ったら茂田さんはもういなかった。会う事が出来なくなった。
義明は泣いた。
自分の人生で唯一と言っていい優しくしてくれた人が消えた。
泣き続けて孤児院へ帰った。
孤児院のみんなは優しく慰めてくれた。
話を聞いて一緒に泣いてくれた。
もし誰もいなかったら義明は暴走していたであろう。
その暴力性に支配されて全てを憎んだであろう。
虐めた相手を殴り殺してやっただろう。朋子をぶち殺していただろう。
自分の母親が性にだらしなかったせいで義明は性欲がなかった。
性行為がトラウマになっていたのだ。
思春期の中学男子にとってそれは吐き出されることのないマグマが身体に溜まり続けていくようなものだった。義明は黒いものがどんどん身体に溜まっていくのを感じた。
いじめを受ければ受ける程黒いものはたまって行った。
大きな義明を内側から破壊しそうに荒れ狂っていた。
いつ暴走してもおかしくなかった。
そんなとき止めてくれるのは茂田さんの言葉だった。
正しい事をしていればいつかは報われる。
茂田さんがくれた漫画のヒーローのように耐え続ければいつかきっと・・・
そんな子供騙しの言葉が何とか義明を食い止めていた。
発作的に物に当たるようになった。
我慢が出来なさそうなときは粗大ごみ置き場に行って思い切り冷蔵庫、洗濯機、たんすなどを殴りつけた。一撃でたんすを破壊し、冷蔵庫を叩き潰し、洗濯機を抱え、そのまま締め上げて押しつぶした。
義明は壊れていた。昔から壊れていたのだ。
母親が死んだ時、その場を見た時に決定的になった。
脳がまともに働かなくなった。茂田さん・・・茂田さん・・・
それだけになってしまった。
茂田さんが絶対だった。暴力に訴えてはいけない。
その茂田さんが言った言葉を守っていた。
中学三年になった。
もう限界が近づいていた。ゴミ捨て場には毎日通うようになった。
叩き潰し、絞め潰し、暴れ続けた。
最近何をしても苛ついていた。体から力が溢れそうだった。
少しでも気を抜くと躊躇なく人を殴ってしまいそうだった。
このころになると成長期を迎え、さらに大きくなっていた。
身長は190㎝を超えた。体重も120㎏になった。
もはや大型の猛獣のような体格になった。
学校ではおとなしくしていた。
何をしても耐えていた。義明の身体が大きくなるにつれて囲む人数は多くなっていった。
朋子はにやにやと義明がいじめられるのを見ていた。
朋子に思い切り顔をつま先で蹴り上げられた。
女の力で蹴られても大して効かなかったが、鼻血が噴き出してきた。
その姿を見てみんな笑っていた。
切れそうになった。切れちゃいけない・・・切れたら止まれなくなる。
もうイライラがたまりすぎている。
あああ・・・その綺麗な顔を二度と見られないようにしたい・・・
周りで笑っている奴を引き肉にしてやりたい・・・
ぶち殺す・・・ぶち殺したい・・・殴り殺してやりたい・・・
思い切り抱きかかえて締め上げて口と尻から内臓をぶちまけてやりたい・・・
頭と肩の位置が同じくらいになるまで頭を埋め込んでやりたい・・・
もうどうなってもいいからこいつらを目茶苦茶にしてやりたい・・・
義明は必死にいらいらと戦っていた。身体中の筋肉が悲鳴を上げていた。
みちみちと身体が一回り大きくなっているように思った。
朋子はそんな事に気が付かず義明の頭を蹴り続けていた。
そんな痛みなど感じなかった。義明は暴れそうな身体を必死で理性と茂田さんの言葉でつなぎとめていた。
・・・我慢しろ・・・我慢しろ・・・我慢しろ・・・
身体の中から止まらなく出てくる暴力的なイライラに耐えていた。
その日、義明は何とか乗り切った。
だれもいなくなった校舎裏で義明はのっそりと起き上がった。
もしその義明の顔を見ていたらこの男を虐めようなんて思う人間はいなかったであろう。
顔の中央に走る傷と真っ赤に染まった顔面、目は吊り上がり歯は割れそうな程力が入り強烈な一目見たら失神しそうなほどの鬼の顔があった。
義明はそのイライラを思い切り学校のフェンスにぶつけた。
金網のフェンスは一撃でひしゃげ、破け、大穴が開いた。
そのまま何度も殴った。穴は広がっていった。
最後は内側から掴み、引き裂いた。そのまま義明は穴を通って帰った。
フェンスの破損は原因不明として処理された。
人間ができることだとは誰も思わなかった。
もう一回続きます




