祈神
太陽神ラーを皮切りに、人々は神を崇める。
太陽、月、そして星々になぞらえ数々の神話が作られていく。
勘違いしてはならないのは、神はこの世の管理者であって、
支配する存在であり、
瑣末な、人の、願いなど、毛頭聞いてはいないと言う事だ。
* * *
「赤血球だけで6種もある、ほら、ここ。運んでいるのは···」
顕微鏡を覗きながらアースが口を動かす。
ニアは退屈そうにお椀に寝そべりつつ、アースの観察結果をまとめている。
「あぁ、だめだ。わからないな。くそ〜、一人捕まえて持って帰ってくれば良かった」
ニアは、えっ、とアースを見上げた。
『犯罪だわ、滅菌したら生命体はその活動を止めざるを得ないわよ?』
「滅菌だなんてそんな。なかなかに人懐こい子が一人いたんだ。あの子ならきっと、ここで仲良く過ごせたよ」
ニアはアースの肩に表示し直した。
『あの子?』
アースは顕微鏡を覗いて気づかないが、そのまま頷く。
「あぁ。森の中で出会い、そのまま村まで案内してくれたんだ。夜もその子の部屋で過ごしてね」
『まぁ!私、一晩中貴方の事を心配していたのに。貴方は可愛い子と仲良くしていたの!?』
アースは顕微鏡から顔を上げる。
「ニア、もしかしてヤキモチを妬いているの?」
ニアはアースの肩の上でそっぽを向いた。
『いいえ?自覚が足りないんじゃないかって指摘しているだけだわ。私達の使命が!』
アースはふふ、と笑い、肩に座るニアに手を伸ばす。
「可愛いね、ニア。その仲良くなった子は、男か女かすら判断つかなかった。ニアにも会わせてあげたかったな」
世紀の大発見の、はずだった。
しかし、相も変わらずに里からの反応はなく、小さな画面に、送信の完了を示す『Delivered』という文字が表示されるだけだ。
アースは小さなため息をつく。
大きなディスプレイには白く輝く星々が点在している。
あの爬虫類たちが暮らす青くきれいな天体はどれだったか?
画面からそれを判別することは、もはや不可能であった。
「名残惜しいな。なんだかまだ興奮が冷めやらない」
コールドスリープベッドに座り、アースは珍しくなかなか横にならない。
ニアはくすくす笑って小さな子をあやすように優しく諭す。
『貴方の時間は貴重だわ。次にはもっと面白い出逢いがあるかも!それを貴方が叶えてちょうだい。私、楽しみにしているわ』
アースは観念して横になる。そして少し甘えたような顔でニアを見上げる。
「神は、耐えられぬ試練をお与えにはならない。俺に出来ると、神はお思いだ···。そうだろう?ニア」
アース···。
『貴方が今回やり遂げた偉業を見て。この宇宙で一番すごいことを!貴方だから出来たの。誰よりも私が一番、それをわかってる···』
小さな体でアースの顔の横に立ち、その頬を、ニアは腕を大きく振るように撫でる仕草をした。
ニアは半透明のホログラフィックだ。
どんなに心を寄せた所で、その頬に触れることすら、できない。
愛の裏には憎しみがある。
楽しいからこそ悲しくなる。
ニアは普段は近づかない部屋に訪れていた。
そこは宇宙塵などの影響の最も少ないと言われる部屋。
当然照明などなく、部屋は真っ暗で、その様子を網膜に映すことはできない。
しかしニアには見える。
真っ黒い金属の板。
その横に、所々煤けたように黒ずんだあとがある、打ち捨てられた義体が一つ。
その義体は、普段ホログラフィーで現れるニアそのもので、大きさは中学生の女の子くらいだ。
ニアは、部屋の暗さをものともせずそこに近寄って行く。
もうすでに、ニアの記憶域には『人間』の情報はほとんど残されていない。
度重なるデフラグの元、それらは電子の海へと還っていった。
人は、自分の携帯番号を一番使わない。
一番身近にあるはずのその情報を、時には記憶すらしていない者もいるくらいだ。
ニアを作り出した人々も、ニアの中に自分たちの情報を盛り込む意識はなかった。
目の前にある黒い金属板。
パイオニア金属板と呼ばれるそれは、外宇宙に住むまだ見ぬ生命体に向けて書かれた人類の情報であった。
そこには当然、人体の情報も書かれていることであろう。
ニアはそっと、その表面を撫でる動作をする。
こうして見るニアの義体は、ニアから見て不格好で、とてもこれで二足歩行で叡智を極めたとは考えられない。
本当に、こんな格好の生物が、いるの?
私達が進んできた、そのスタートに、今も立って宙を見上げている?
ニアの顔は、一切の光源のない中に暗く沈んでいて、その表情は他のものが例えばそこにいたとしても、見えることはない。
楽しみがあるから挫折があり、
達成したときの喜びと、なる。
精神とは表裏一体。
どちらを無くしても、精神のアルゴリズムは崩れ去り、あっという間に崩壊が起こる。
かつて、義体に移した私の精神がそうであった、ように。
暗闇の中に、キラリと涙が光ったように見えた。
連日投稿して参ります。
ー用語解説
アース:宇宙を旅する技術者。恒星間をコールドスリープ状態で過ごし、星に降り立ち調査を行う。調査は大好き、報告は苦手。
ニア:探査機に搭載されたAI。2〜30cm程の大きさの、少女のようなホログラフィックで現れる。アースとは、万が一の有事の際には遠隔操作できる回線がつながっているが、普段は凍結させている。元々は等身大の義体であったが、今はホログラフィックのみ稼働している。
パイオニア探査機の金属板(pioneer plaque)
カール·セーガン博士による、外宇宙にいる生命体に対して人類の事を説明した金属板。この後打ち上げられたボイジャーには、音声による説明が流れるレコーダーも搭載された。
金属板は腐食を避けるため探査機が発する電磁波や、宇宙塵の影響の最も少ない場所に厳重に保管されている。