報告
周りが静かになった。
アースは立ち上がり伸びをした。
「この、着陸の衝撃を無くせたら、俺は英雄になれると思う」
ピピピ···。ニアは沈黙していた。
アースは小さいモニターにいくつか情報を打ち込み、「さてと」と出入り口を振り返った。
『待って』
ニアが声をかける。
『今大気の成分割合の計算中よ』
アースは肩をすくめる。
「植物がいる。なら大丈夫。これが今までの経験からくる結論だ」
ニアは建物内をいくつも這うアームの一つにメットを持たせ、それでアースの頭をガコンと叩いた。
『大気を漂うウイルスをご存知なくて?』
アースは叩かれた頭をさすりながらメットを受け取る。
「ニアは心配性だなぁ。まるで母親だ。俺の母は俺を丈夫に産んだようだ。だから大丈夫さ」
『······』
アースはメットをかぶり、お椀の所に近付く。
プン!とニアが現れる。
アースはニアの頭をそっと撫でるような仕草をしてメット越しに微笑んだ。
「ありがと、ニア。いってくるよ」
『えぇ、いってらっしゃいアース。気をつけてね』
ニアは今にも泣きそうな顔をしていた。
アースは大地に降り立った。
外からニアを見上げる。
30mくらいの直径の、六角形の機体が、その角から伸びる支柱に支えられて佇んでいる。
長く宇宙空間を漂っていた機体は所々黒ずみ、過酷な環境下に晒されていたことを匂わす。
ニアの優先コマンドの弱さには困ったもんだな。
アースは思う。
設定をやり直そうとしても、ニア本人による強固なセキュリティによって、ニアのAI回路には近付く事すらできない。
アースが星に降り立つ時、それは即ちニアの監視下から外れる時だ。
ニアは探索にはついて来ない。
ニアはAIである。ついてくるという事は回線が探査機と直通しているという事。万が一にも探査機に侵食される危険は避けねばならない。
厳密に言うと、アース内部に一つ、回線が直結しているが、これはもしもの場合、ニアが遠隔操作できる緊急時のもので、普段はお互い凍結している。
「もしも、があったとして、優先一位はニアだ」
アースはニアから音が届かないだけ離れたので口を開く。
補充可能な乗組員と、たった一つの探査機。
どちらが必要不可欠か、計算機を使わなくてもわかる事だ。
「俺が守るべきはニアって事さ」
アースはぐじゅぐじゅした地面に足を突っ込みつつ、その成分を分析していた。
メモを取る素振りはない。そのまま記憶していっているようだ。
「まだまだ原始だな。シダ系が大半を占め、やっと毛の生えた単細胞がチラホラ、か」
歩いていくと目の前に真っ平らな部分が現れる。
近づくと、それは海のようだった。
アースの記憶にある海とは似ても似つかないそれは、ドロドロと緑がかった茶色い色で、バタバタと波打っていた。
「原始の海···。生命の源···」
アースはそう呟く。そしてしゃがみ込み成分分析を始める。
遠い里、地球。
太陽という恒星を中心に8個の惑星を持つ太陽系を構成する一つ。
隕石が集約し星となったとき、その表面温度は、太陽と並ぶ4500度であったという。
そこから46億年。そこは単細胞生物達の楽園であった。
人類という知的生命体が生まれてからまだたった300万年。
宇宙という時間に置き直せば、それは瞬きする間もないほどの一瞬である。
「なかなか拝めないもんだなぁ」
そんな一瞬の間に、漂うだけのアース達が出会う確率など、奇跡を差し引いたとしても天文学数値でしかない。
アースはパチンと滅菌装置を閉める。
土、海水、植物の葉、並ぶ密閉容器を眺め満足げなアースの顔。
これとアースの調べた成分の分析表があれば、里の奴らも泣いて喜ぶだろう。
アースは立ち上がり荷物をまとめると、ニアの待つ高台へと取って返した。
ブシュァァァァっ!!
ものすごい蒸気とともにアースが船内に現れた。
「うっへぇ、毎度この洗浄には参る」
『おかえりなさいアース』
胸の前で手を組む少女が、プン!とアースの目の前に現れた。
アースは顔を手で拭うとニアに笑いかける。
「ただいま、ニア。今回は···」
説明しようとするアースを、ニアは手を上げて留めた。
『待ってちょうだい、里への報告が先よ?』
アースはため息をついた。
「するけど。別に後ででもいいだろ?どうせ返事なんてないんだ」
ニアは苦笑する。
『そうね。でも先に終わらせてしまったほうがゆっくりできるわ』
アースは報告が苦手だ。調査は止めてでも行くほど好きだが。
ニアにはよくわかっている。
手応えがないせいだ。
里にどれだけデータを送ろうと、里につながる通信機から、労いの言葉が投げかけられることはない。
送信の終了を告げるコマンドが表示されるばかりだ。
アースはツン、と唇をとがらせモニター前の椅子に座る。
ピ、ピ、ピ。アースは何を見ることなくデータを打ち込んでいく。
ニアはいつものようにお椀からプン!と現れ、うつ伏せに寝転び、肘に顔を乗せて、踵を浮かしてプラプラさせながらアースの報告作業を眺めていた。
『まぁ』
ニアは目を丸くする。そしてふふふ、と笑った。
『なんてバラバラなデータ!貴方これはひどいわ。ひどい報告書ね!』
アースは不貞腐れたような顔をしながら画面を見ている。
「俺と同じ感性なら解ける。奴らにおもちゃを与えてやるだけさ。難解なほうが喜ぶだろ」
ニアはクスクス笑うだけで答えなかった。
『終わった?』
アースが、ピ!と心持ち強くボタンを押すと、ニアはそう聞いた。
アースはニアを見る。
「あぁ、終わった。目新しいことはなかったな」
ニアは立ち上がり、アースに向かって小さな両腕を広げた。
『お疲れさま、アース!ちゃんと報告もできて、偉いわ』
アースはにっこり笑って、ニアの体の前に手を持っていく。
ニアはその手を抱きかかえるようにして包む素振りを見せた。
「ニアもお留守番ご苦労さま。えらいし、とても可愛いぞ」
ニアは真っ赤になってアースの手を叩いた。
『もう!AIをからかわないでったら!』
連日投稿して参ります。
ー用語解説
アース:宇宙を旅する技術者。恒星間をコールドスリープ状態で過ごし、星に降り立ち調査を行う。調査は大好き、報告は苦手。
ニア:探査機に搭載されたAI。2〜30cm程の大きさの、少女のようなホログラフィックで現れる。アースとは、万が一の有事の際には遠隔操作できる回線がつながっているが、普段は凍結させている。
里:探査機が作られ、出発した惑星『地球』