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ゴールデンウィーク、5月初めの某日。

あの日の約束を果たすため、私は渋谷のライブハウスの前に立っていた。

10組ほどのアイドルが出演するライブイベントで、葉月あすかさんはそのオープニングアクトを務めるというのだ。


その頃の私は日々の仕事に追い詰められ、今日首を吊ろうか明日ビルから飛び降りようかと、寝ている時と働いている時以外は常にそんなことばかり考えており、チケットを買ったのはなんとか生きてゴールデンウイークを迎えられそうだと見通しがついた4月の終わりのことだ。


事前に確認した地図を思い浮かべながら道玄坂を進むと、それらしきライブハウスが現れた。そこにはすでに大勢のファンが集まっていて、その独特な熱量に私はいささかたじろいだ。年齢も性別も違えば目当てのアイドルも違う誰彼は、ただ自分の推しを応援する気持ちの真剣さだけは一様に本物であるということが伝わってきる。私は冗談半分で決めたマイルールに従い冷やかし半分でのこのこやって来た自分を恥じた。

全力で楽しまなければ出演者やここにいるファンの皆さんに失礼にあたる。そう気を引き締めて開場を待った。


ふたを開けてみればその日の出演者は皆、MCタイムでのワンマンや全国ツアーといった告知に対して、その集客力もさもありなんと思えるくらい、魅力に溢れていた。楽しもうなどと自分に言い聞かせる必要など微塵もなかったのだ。さすがに無料ライブとはものが違う。それはアイドルライブを合わせて二回しか観ていない私にも一目瞭然で、これがプロとアマチュアの差かと感じ入った。


会場は屋内で500人が入るワンフロア。フロアをぐるりと囲むような壁伝いの二階席もあり、そこはどうやら関係者席のようだった。


葉月あすかさんがオープニングで、それに続く二組目は名前は忘れてしまったが四人組のユニットだったと記憶している。

三組目か四組目のステージ中。少し振り返って二回席を見上げると、その二組目の女の子たちが並んで座っているが見えた。虚ろな目でステージを眺めている。あまりにじっと動かないので、もしや蝋人形かと考えたりもしたが、時折思い出したかのように隣のメンバーと二言三言交わしたりペットボトルのドリンクに口を付けているので、どうやらちゃんとした人間らしい。

しかし、その生気を欠いた姿は、つい今しがたステージ上で見せた無限の生命力が持っているのではないかというような溌剌とした姿とあまりに掛け離れたものだった。私には、あの日の伊勢丹松戸店の暗く沈んだ姿が重なって見えた。


その時、彼女たちが何を想っていたのか本当のところは分からない。ただ私は、彼女たちが犇めくライバルを前にして自分たちはアイドルとして成功できるのかと、未来への不安を想っているのだと感じた。

そしてすぐに、それは他でもない自分の感情だということに気付いた。彼女たちの目があまりに空虚だから、それを何かで埋めようとして、私は自分自身を投影していたのだ。


その頃、私は少しずつではあるが小説の投稿を始めていた。そして、他の投稿者と比べて、いや比べるまでもなく、自分にはどうしようもなく文才がないということを痛感していた。商業出版など大それたことは夢にも思わないが、誰かにおもしろいと言ってもらいたい。それだけで救われる。でも自分にはそんなささやかな望みさえ叶わないのではないか。そんな絶望感に襲われていたのだ。小説の執筆は常にその絶望感との戦いである。


ちなみに、後々登場するキャラクターの一人は葉月あすかさんから名前を頂戴するつもりでいた。

主要キャラクターの苗字は松戸駅に乗り入れる新京成線の駅名から取っていて、そのキャラクターに選んだのは「三咲」だ。最終的にはオミットになったが元はアイドルという設定だったので、華やかな字をチョイスした。

三咲明日風(みさきあすか)。良い名だと思う。


話は戻り...しばらくすると、二階席の四人の少女はスタッフらしき男性に促されて席を立った。どうやら物販が始まるらしい。

遅れて三組目だか四組目だかの持ち時間が終わると、暗かった室内に自然光が差し込み、開いたドアから屋外に出る人の波が起こったので私も後に付いていった。


物販会場には、葉月あすかさんがにこやかな笑顔で立っていて、隣ではさっきの四人が元気な声を振りまいている。


私は葉月あすかさんに声をかけるのを躊躇っていた。


「松戸のライブがきっかけで観に来ました」


そう一言伝えれば良いだけではないか。

しかし私は動かなかった。なぜなら、動いたところで何も変わらないからだ。

私が望んだ世界は、コツコツと続けたライブで少しずつファンが増えて最後は憧れの舞台でコンサート。というものだ。

だが、今、私が声を掛けたところでファンが一人増えるだけ。一人増えただけではきっと何も変わらない。


この世界はアイドルアニメじゃないのだ。私に現実は変えられないのだ。

改めてそれに気付いた私は、物販タイムが終わるまで、チェキや談笑をする彼女をただ眺めるしかできないでいた。


ライブが終わり、帰路に着く。

ラストまで残ったため5時間以上立ちっぱなしだった私の足は疲労困憊で、休息を執拗に訴えている。ようやく松戸まで辿り着いた私はファミレスに駆け込み、適当に選んだ料理と飲めないワインを注文した。

私は下戸だ。にもかかわらず、柄にもなくアルコールを注文したのは現実逃避だ。ライブという非日常の時間が終わり、再び嫌で嫌で仕方のない日常生活の足音が近づいてきたから、いつもと違うことをしてそれを紛らわそうという魂胆だった。


案の定、気持ち悪くなり、疲労も重なったので靴を脱いでソファーに足を投げ出してしまった。深夜なので客が少ないとはいえ、みっともない態度だったと思う。そして、私の目は死んでいたと思う。関係者席に座って押し黙る四人の少女のように。

私はこの先どうなるのだろう。絶望しかない明日からのことを思った。ブレイクする確率など絶望的なのにそれでも諦めずに歌い続ける幾多のアイドルを思った。四人の少女と葉月あすかさんを思った。彼女たちに明日はあるのか。


辛い現実に押しつぶされそうになった私は、またしても現実逃避を試みた。執筆中の小説について考えることにしたのだ。三咲明日風、彼女はどのようなキャラにしようか。


その時、私は唐突に気付いた。

三咲明日風、漢字を変えれば「未咲明日花」になる。未だ咲かぬ明日の花。


どんな花になるか分からないが、彼女のことは絶対に咲かせよう。そう決意した。

小説のなかでなら、できる。


しかし現実世界の私の花は、葉月あすかさんの花は、明日、咲くことができるのか。

苦いとしか思えないワインを無理やり喉に流し込んで、私は、店を出た。

目の前には伊勢丹松戸店、だった建物がまるでそこだけ時が止まったかのように静かに佇み、満月が慈悲の光を照らしている。


私は立入禁止を示すロープの前に立ち、あの日、そこで行われた無料ライブを思い出した。

頭のなかで「JUMP」が流れる。葉月あすかさんが飛び跳ねている。

彼女は、伊勢丹松戸店の巨大な建築を飛び越そうと、さらにはそれだけでは飽き足らず、満月をも掴もうと、いつまでもいつまでも必死にジャンプし続けていた。

ちなみに、松戸での「JUMP」の映像がYOUTUBEにアップされているので、興味のある方はどうぞ。

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