男の娘が漢になるのは難しいようです〜吸血鬼(♀)の主食は男○ホ○モ○〜
「――はぁ、はぁ、はぁ……今日はこのくらいにしておくか」
まだ朝露の残る住宅街。その一角に立つ築99年のオンボロアパートの前から、少年のものとも少女のものともとれる、中性的な声が聞こえてくる。
「あらあら、夏樹ちゃん。今日も頑張ってるねぇ」
「あっ、大家さん。おはようございます!」
「おはよう。はい、これどうぞ」
「これはどうも。本当にいつもありがとうございます」
オンボロアパートの前。
人の良さそうな老婆――大家さんから水を受け取るのは、高校2年生の少年、上杉夏樹。その汗まみれの身体は、身長160と高2男子としては小柄な方だ。更にその声と同じく顔も中性的であり、スカートを履かせ”この子が町内1の美少女だ!”といわれればまず疑う者は居ないだろう。
――つまり普通に可愛い男の娘と言うわけである。
「確か、今日からまた学校が始まるんだったかねぇ?」
今日は9月1日。日本の多くの学校では、長い長い夏休みが終了し、今日から始業することだろう。
夏樹の通う高校も例に漏れず今日から始業であり、これから軽くシャワーを浴びて高校へと出発するところだ。夏樹がこの事を伝えると、大家さんは少し寂しそうな笑みを見せた。
「大家さん……」
このアパートに住んでいるのは学校に通う若者のみであるため、学校が始まると昼間は必然的にもぬけの殻となってしまう。
アパートの1部屋は6畳1間と決して広くはない。しかしアパートそのものは普通の家より大きい。
これからまた殆どの時間、この大きな建物の中に大家さんは1人きり。夏樹はその光景を想像して、自分の事のように沈痛な気持ちになる。しかし、ここで自分までもが悲しそうな態度を見せては、大家さんを困らせてしまう。そう思った夏樹は……。
「ぼ、俺、この夏休みで少し筋肉ついたんだ! ほらっ!」
無理やり元気な声を出し、汗でその身に貼り付くスポーツ用のタンクトップを、バッと勢い良く捲り上げた。
あらわになったのは、まるで雪のように綺麗なお腹。その一切毛の生えていないきめ細かい肌だけを見れば、どこぞの雑誌の美少女モデルのお腹にも劣らない。
……しかし残念かな。美少女モデル並みのそのお腹は、ほんの少しだけ割れていた。
「おや? おやおやまあまあ!」
それを見た大家さんは、眼鏡を突き破らんが如く目を大きく飛び出させた。先程までの寂しげな表情はどこへやら。大家さんはしばらくジロジロと真剣な面持ちで夏樹のお腹を観察し。
「立派になったの。亡くなったお爺さんのお腹の面影を感じるぞい!」
「ほ、本当ですかっ!?」
「ああ、本当だとも。一時期鍛錬を辞めてしもうた時はどうなる事かと思っておったが……」
「あ、あの時はご心配おかけました」
「いや、よいよい。ワシもまたこうしてお爺さんの事を話せる相手ができて嬉しかったからの」
――去年の丁度今頃。
その頃の夏樹は、同い年の天才格闘家の少年を目標として日々鍛錬を積んでいた。その少年は夏樹と同じく女の子の様な見た目でありながら、果敢にも己よりも図体の大きな漢に挑み、いくつもの勝利を積み重ねるその姿が世間の注目を浴びていた。
夏樹がそんな彼に親近感を抱き、憧れを抱くようになったのは必然であったのだろう。
しかしある日突然、その天才格闘家の少年がスカートをはき、まるで可憐な少女のような恰好で人前に登場し、世間を驚かせるという出来事があった。その後、少年は何も言うことなく静かに世間から姿を消していった。
それにショックを受けた夏樹は、真の漢とは一体何なのだと悩み、苦悩する事となった……。
目標を見失い、灰色の日々を送っていたそんなある日の事だ。ひょんな出来事から、大家さんの旦那さんが昔ボディビルダーをやっていた事を知った夏樹。更に大家さんの支えも加わり、彼を新たな目標として無事再出発する事ができていた。
夏樹の部屋の壁には、そのお爺さんの現役時代のマッスルボディーがデカデカと貼られていたりする。
「まだまだお爺さんには及ばんが、このまま鍛錬を続けてゆけば、いずれはお爺さんを超える腹直筋が完成するかもしれんぞい!」
「おお! ありがとうございます! 僕、頑張るよっ!」
「ああ。浪速の防災頭巾と呼ばれたお爺さんを超える、立派な漢になるんじゃぞ!」
2人は手を取り合い、元気にキャッキャと飛び跳ねる。
まるで本当のお婆ちゃんと孫娘が仲良くしているようにしか見えない和やかな光景。度々繰り広げられているこの光景は、通勤途中のサラリーマン達の荒んだ心を癒やしていたが、その事を当人たちは知る由もない。
「――あ。そろそろ部屋に戻らないと」
「おお。学校じゃったな。鍛錬も大事じゃが、勉学もしっかりと頑張るんじゃぞ」
「うん! じゃあ、またね〜」
しばらく癒やしの波動を生み出していた2人であったが、夏樹が学校へ行く準備をするために、ここで部屋へ戻ることとなった。
このアパートは木造2階立てで、大家さんの部屋は1階にある。一方で2階に部屋がある夏樹は、大家さんが部屋に入るのを見届けた後、外付けの階段を登って自室の前まで歩を進めた。
自室の前まで辿り着いた夏樹は、半パンから取り出した鍵をドアノブに差し込む。
「――っ!?」
そこで違和感に気づいた。鍵が回らない――つまり、開いていたのだ。
鍵は確かにかけておいた。一人暮らしをする際”都会には変な人も多いから、鍵は必ず締める事!”と家族全員から耳が痛くなるほど聞かされたので、忘れることは絶対にあり得ない。
夏樹はそんな奴返り討ちにすると言ったりもしたのだが、”絶対に駄目ッ! 夏樹ちゃんが汚されちゃう!”と、よく分からないが無駄に真剣味を帯びた注意を受けていたりもする。
何はともあれ、鍵が開いているのは事実だ。締めたはずの鍵が開いている。ここから真っ先に考えつくものは……泥棒だろう。
夏樹は一瞬、大家さん、もしくは他の部屋の誰かに相談すべきかとも考えたのだが、つい先程の大家さんとの会話が頭を過ぎった。
――立派な漢になるんじゃぞ!
立派な漢。それは夏樹の夢であり、目標だ。
この女の子のような身体から、幼い頃はまだしも、もう立派に成長期を迎えた現在でさえ、女の子に間違えられる事は日常茶飯事。自分の事を男だと知っているはずの家族でさえも、冗談半分で時折女の子のように接してくる始末。
そんな日常が積み重なり、夏樹に漢らしくなりたいという思いを強く抱かせた。
……立派な漢なら、泥棒くらい1人で何とかするよね!
夏樹は、鍛錬を終えたばかりのまだ冷めきっていない頭でその考えに行きつくと、ここに住み始めてから約一年。今までで一番力強くドアを押し開き、全力で部屋へと飛び込んだ!
ローリングッ!
ローリングッッ!
立ち上がるッッッ!
「泥棒めッ! 覚悟しろ……あれ?」
素早い動きで部屋へと突入した夏樹。立ち上がりつつ6畳1間の小さな部屋を見渡すも、人っ子1人見当たらない。――と。
『もうっ! いったいな〜。何だよこの馬鹿力はっ!』
首をひねる夏樹の耳に、後方からハスキーな声が届いた。夏樹はその声に一瞬心臓をはねさせるも、直ぐに気合を入れバッと勢い良く振り向いた。……直後、目を大きく見開き唖然と棒立ちになった。
「部屋の中も男臭いトレーニング器具ばっかだし。……ここには可愛い男の娘が住んでいるっていうのは嘘だったのか? ま、まさかあの気持ち悪い写真の男が住んでいるとか……? クソッ姉上め。後で覚えておけ……よ?」
振り向いた夏樹の目には、顔を押さえて床に座り込む少年の姿が映っていた。少年の方も一拍遅れて夏樹の存在に気付いた様子。夏樹のくりっと真ん丸な瞳と視線が合うと同時、口を半開きにしたまま固まった。
「へ、変態?」
先に硬直から溶けた夏樹が口にしたこの言葉。それは正に、玄関でうずくまる侵入者の少年を如実に表していた。
今もなおフリーズしたまま夏樹を見上げているこの少年。やや青白くも整った顔つきは中性的ではあるが、夏樹が可愛いというのに対し、少年には凛々しいという言葉が似合うだろう。背丈は夏樹よりも大きいため、見た目ではいくつか年上のようにも見える。更にその短く切りそろえられた銀色の髪は、1本1本がサラサラと揺れている。
……ただ、それだけなら珍しいというだけで、変態というわけではない。
問題なのは、そのすらっとした身体を隠す服装だ。それはつまり、真っ裸の上に黒のマントのみというものだった。変態。以上。QED.
その綺麗な銀髪からゆっくりと下に視線をおろしていた夏樹。胸元に差し掛かったところで、下に何も着ていない事がわかった。しかしその時は”変態”という言葉を出すに留める事ができた。続けて目線を下げ、おヘソよりも更に下。そこには……無かったのだ。
男にはあるはずのモノが、無かったのだ。
「へ? ……き、きっ――」
家族以外のソコを始めて見た夏樹。そこでとうとう、既に赤くしていた顔を更に真っ赤に染め、声変わりしていない甲高い声で――。
「きゃ――」
「お、落ち着け! 騒ぐなっ!」
悲鳴を上げかけたその刹那。件の変態――否、少年――否、少女が、目にも止まらぬ速さで夏樹に飛びかかり、床に押し倒すと共にその小さな口を片手で塞いだ。
『ムーッ! ムーッ!!』
「だから騒ぐなって!」
馬乗りされた夏樹は全力でもがくも、ビクともしない。少女は飛びかかった拍子にマントが脱げたようで、今は完全な素っ裸だ。夏樹の目には、その平らな胸まではっきりと見えてしまい、恥ずかしさから上手く力がでない。
そして、やがて体力が底を尽き、肩を上下させて抵抗する力を弱めてしまった。
対する少女は、力果てぐったりと涙目で見上げてくる夏樹を、しばらく無言で見下ろし……。
「……も、もしかして君がこの部屋の住人――上杉夏樹か?」
やがて口にしたその声は、どこか興奮の色を含んでいた。その凛々しい顔は変わらずクールフェイスなのだが、若干その頬が桜色に染まっているようにも見える。
問いかけられた夏樹は、しかし最後の意地とキッと少女の顔を睨み返した。……ただ、涙目で気丈に振る舞うその姿には相手を威嚇する威力は皆無であり、強いて上げるなら萌える要素しか含んでおらず……。
「ハァハァ。な、ナツキきゅん……ハァハァ」
素っ裸の少女を変態にする効果しか得られなかった。
変態は先程までの凛々しい表情が見る影も無くなり、恍惚とした表情で夏樹を見下げ、息を荒げて涎を垂らしている。
――今だっ!
素っ裸の少女が変態になったことで、夏樹の口を塞ぐ手の力が緩んだ。夏樹はその隙を見逃さず、最後の力を振り絞って全力で身体を持ち上げた。
「うわっ!」
自分の世界に入っていた変態は、夏樹に身体を押された事でこちらの世界に帰ってきた。素っ頓狂な声を上げつつ尻もちをつき、顔を上げたところで部屋の奥へと後ずさる夏樹に気づく。
「き、君はやはり上杉夏樹なのだな?」
「へ、変態に名乗る名など無いっ! 出でけえ!」
「うっ!」
涙目を釣り上げた夏樹が発した震えた声。それを聞いた変態は、胸を押さえてうずくまった。
「え? お、おい。……あの…………大丈夫……ですか?」
急にうずくまった変態に、夏樹は警戒しつつも心配の色を含んだ声をかける。しかし、変態はうずくまったまま反応を返さない。
しばらく様子を見るも、やはり変態はビクともしない。
やがて警戒より心配が勝った夏樹は、恐る恐る這い寄り、その陶器のような肩に手を触れ――。
「君こそボクが求めていた人間だっ!」
「うわっ!」
「お願いだ! ボクに血を吸わせてくれッ!」
後数センチで手が触れようかというその時。ガバッと身を起こした変態は、逆に夏樹の小さな両肩を掴むと、どこか必死さを含んだ大声で叫んだ。
「信じてくれるかわからないけど、ボクは吸血鬼なんだ。証拠は……こんなものしかないんだけど」
夏樹は驚きで身動きが取れず声も出ない。その驚きで見開いた目には、変態が”ほらっ”と指差す先――鋭く尖った2本の歯が映っていた。
「吸血鬼だから、生きていくためには人間の血を吸わなくちゃいけない。それも、ただ人間の血を吸えば良いってわけじゃなくてね。男の吸血鬼は女、女の吸血鬼は男の人間の血じゃないと意味が無いんだ」
「……な……何で?」
「ん?」
「に、人間の血なら、男でも女でも一緒じゃないの?」
硬直を何とか解いた夏樹は、しかしまだ驚きで頭が上手く回らないのか、言うに余ってそんなどうでも良いことを聞き返していた。対する変態は、何だそんな事かとでも言うように軽く答える。
「吸血鬼が人間の血を吸うのはね、血の中のホルモンを吸収するためなんだ。よく誤解されるんだけど、吸血鬼の栄養は血じゃなくて、その中に含まれているホルモンなんだよね」
「ホルモン……?」
「そ。ほら、男性ホルモンとか女性ホルモンって聞いたことない?」
「それは……知ってるけど」
完璧な漢の身体になるためにプロテインなども摂取している夏樹は、ホルモンについての知識も人並み以上に持っていた。
「なら話は早いや。後は簡単な話でね、男の吸血鬼は女性ホルモン。女の吸血鬼は男性ホルモンが必要だから、それぞれの人間の血じゃないと意味が無いってことさ」
「……吸血鬼がホルモンを栄養にしてるっていうのは……まあ、一応わかったけど。……結局、それぞれ異性のホルモンが必要っていうのは何でなの?」
「それはボクにもわからないよ。知りたかったらボクよりももっと頭の良い吸血鬼――それこそ姉上にでも聞くしかないんじゃないかな」
いくら純粋な夏樹でも、流石に目の前の変態の言葉を全て鵜呑みにするという事はなかった。話している内に落ち着きを取り戻し、目の前の変態を胡散臭そうに半眼で見つめている。
そんな夏樹を他所に、あっけらかんと答えた変態。続けて”他に何かと聞きたい事はない?”と聞き、夏樹が黙って見返すのを確認すると。
「良し! じゃあ、改めて……ボクに血を吸わせてくれないかなっ!?」
夏樹の両肩を掴み直してそう問いかける自称変態吸血鬼。その頬は、またもや若干桜色に染まっていた。
その圧力に押されそうになった夏樹であったが、今度は何とか踏ん張ることに成功していた。
「……何で僕なんですか?」
「ボクは女の子が好きなんだ!」
「え……?」
「ボクは女の子が大好きなんだ!」
夏樹が間の抜けた声を発すると、変態は鼻息荒く言い直した。
「いや、そういう事じゃなくて……って大体ぼく――俺は男だぞ!」
「そう、君は男だ。……だが、正確には男の娘だッ!」
大きな瞳を爛々と紅く輝かせ力説する変態。その顔をジリジリと近づけてくるため、夏樹は徐々に仰け反るような形を取るしかない。
「ボクは女の子が好き……だが、残念ながら生きていくためには男の血を吸わなくちゃいけない。ボクが汗臭い筋肉テッカテカのむさ苦しい人間の男の血を……クッ! 想像するだけでも耐えられないッ! 無理ッ! 身体が受け付けないのだッ!」
そこで元から青白い顔色をより一層青くした変態は、鳥肌を立たせブルッと身震いを一つ。
「今までは、まだ血を吸う力の無い吸血幼児が飲むプロテインで何とか生きながらえてきたけど、ボクももう18――吸血成人を迎えたからね。流石にそろそろ誤魔化しが効かない……つまり、限界なんだ」
顔を下に向け、先程までとはどこか異なる真剣な声音で話した変態。その顔色は変わらず青いままで……夏樹の肩を掴むその手も若干震えていた。
「生きていくためには人間の男の血を吸わないといけない。でも、それはボクにとって死ぬのと同じくらい耐え難い苦痛。結果、十分な栄養が摂れずボクは段々と弱っていった。……でも、そんなボクを見かねた姉上が……そう。君の存在を教えてくれたんだ」
そこで改めて夏樹の目を真正面から見つめた変態。その紅い瞳は先程と同じく爛々と輝いていたが、先程よりも強い力が込められているようだった。
「君も確かに人間の男だ。でも、君にならこうやって触れていても拒絶反応は起こらない。可愛い女の子のような姿の君になら。……ボクには君しかいないんだ。……だから……だから、どうかボクに君の血を吸わせてくれないか?」
この時の夏樹には、目の前の変態が本物の吸血鬼であるかは別にしても、自分が役に立つのなら手助けしてあげても……という思いが芽生え始めていた。変態の声の内に含まれている必死さを感じ取ったのだろう。……ただ”女の子のような姿”という言葉に関してだけは、一言文句を言いたいところだったが。
「あの……へんた……えっと……」
「ん? ああ、ボクはサイリスタ・カーミラ・ブラド。気軽にサイちゃんとでも呼んでくれ」
声をかけようとして言い淀んだ夏樹に、詰まったその理由を察したへんた――サイリスタはサラッとそう答えた。
「その、サイ……さんは、本当に吸血鬼……なんですか?」
「そうだよ。と言っても、はいそうですかって簡単に信じられないのもわかるよ。吸血鬼の特徴って言ってもこの少し鋭い牙くらいで、サキュバスの様に小さな羽が生えているわけでも、ましてや人魚の様に足がヒレってわけでもないからね」
言って、はははっと発したその乾いた笑い声から、これまでにも何度も信じてもらえず馬鹿にされてきたという事が容易に想像できた。そのどこか悲壮感漂うサイリスタの顔を、無言でジッと見つめていた夏樹。
「その、血……」
「ん?」
「……吸血鬼……サイさんに血を吸われたとして、僕に何か起きる……僕が吸血鬼になってしまったりはしない……ですか?」
夏樹は所々詰まりながら、でもはっきりした声でそう問いかけていた。
対するサイリスタは、夏樹の愛らしく、でも男らしい覚悟の篭ったその表情を、ただただぽけ〜っと見つめ返し……。
「……サイさん?」
「へ? あ、ああ。すまない。え~と、吸血鬼に血を吸われた後遺症……だったね? うん、それは心配ないよ。吸血鬼に噛まれたからといって、噛まれた人間まで吸血鬼になるといった事はないから」
夏樹に声をかけられ、慌てた様子で答えたサイリスタ。その顔が赤く染まっているのは、ぼーっとしていた事への恥ずかしさからか、それとも……。
「そ、それなら……それなら、僕の血。……吸っても良い……ですよ?」
「へ?」
「本当に何も影響はない……血を吸われるだけなんですよね?」
「あ、ああ、勿論。勿論だとも! ただ初めはちょっと痛いと思うけど、それも直ぐに慣れるからさ。何なら気持ちよくなって病みつきになる人間もいるらしいよ!」
一度は不意をつかれて素っ頓狂な声を出したサイリスタ。しかし再度夏樹が発した言葉に、聞き間違いではなかったと理解すると、それはもう子供のように無邪気で弾んだ声を上げた。
「そ、そうですか。……では……どうぞ」
サイリスタが勢い余って最後の方に付け足した言葉に、若干微妙な表情をしていた夏樹。だがそれも僅かな間の事で、直ぐに一度大きく息を吐くと、覚悟を決めた様子で顔を小さく傾けた。
「……ほ、本当に良いのかい?」
あらわになったシミ1つ無い綺麗な首筋。否応なくそこに視線が固定されたサイリスタは、ダラダラと涎を垂らしつつも、最後に不安になったのか改めて確認を取った。
「は、はい……んっ、ど、どうぞ……」
夏樹の返答を待ちつつも、サイリスタの顔はどんどん首筋へと引き寄せられている。首筋にかかる吐息がくすぐったくなり、思わず変な声を漏らしつつも、夏樹は最後までしっかりと答えた。
夏樹のその言葉を最後まで聞き終えた瞬間。
サイリスタは夏樹の両肩に置いていた手を背中へと回し、その己よりも小さな身体を力強く抱きしめた。
「うっ。サ、サイさん!?」
「ボ、ボク、もう我慢できないっ! い、いくよっ!」
2人の身体はもうピッタリとくっついている。
その薄いタンクトップ越しに感じる柔らかい感触に、夏樹の心臓は早鐘を打っていた。いくら自分が女の子に間違えられる様な身体をしていても、夏樹も思春期の男だ。サイさんは生きるために必死に、真剣な思いでこの行動をしているだけ。だから変な気持ちになってはいけない。そう思いつつも、身体は自分の意思と関係なしに熱くなっていた。
「うっ……サイさん……」
「も、貰うね! 君の、ナツキくんの……ナツキきゅんの男性ホルモンッ!」
「は――い? ちょ、ちょっと待てッ!」
「あ〜むグゥ!?」
ぼーっとしてゆく頭の中。荒い息と共に発せられたサイリスタの声。夏樹が何も考えずに首を縦に振ろうとした……その直後だった。奇跡的にもサイリスタの言葉の一部に引っかかる事ができた夏樹は、反射的に右手を上げていた。
「むぅ。何だい急に。焦らしプレイかい?」
己の歯が、その首筋まであと数センチ、数ミリの所まで接近していたサイリスタ。目の前のご馳走をお預けの形となり、顎を手で押し上げられたまま不満げな表情で夏樹を見下げる。
「あの……僕の聞き間違いじゃなかったら、さっき”男性ホルモンを貰う”って……言いませんでした?」
「うん。言ったよ?」
サイリスタはそれが何か?とでも言わんばかりに答える。その意識はもう完全に夏樹の首筋に集中しているのだろう。口を動かしつつも、爛々と紅く輝くその眼は一点を凝視し続けている。
「さっきも言ったけど、ボク達吸血鬼の栄養はあくまでもホルモンだからね。だから厳密に言えば、ボクが今から吸うのは血では無くてナツキくんの男性ホ、ホルモン……もう吸っても良いか?」
「……もう一度だけ確認しますが……本当に後遺症はないんです……よね?」
「ああ。それは勿論だ。で、ではそろそろ……あ」
「な、なんですか?」
サイリスタは首筋に顔を近づけようとして、不意に短く声を上げた。その声に何やら嫌な予感を感じた夏樹は、恐る恐る問い返していた。
「いや、今思い出したんだけどさ。そういえば、姉上が去年お世話になった男の子……確か天才格闘家とかいう、聞くからに男臭そうな子だったらしいんだけどね。その子、姉上に気まぐれで男性ホルモンをたくさん吸われて、女の子みたいになったって聞いたことがあるけど……それはむしろ良い事だから関係ないよな!」
「えっ……」
笑顔でそう答えるサイリスタに対して、夏樹は盛大に顔を引きつらせて――。
「じゃあ、問題ないのも確認出来たことだし……いっただっきま~」
「だ、駄目ッ!」
「ムグッ……も~。今度は何なのさ?」
サイリスタが話は済んだとばかりに、涎でテッカテカになっているその口を、夏樹の汗ばんだ首筋に近づけようとした。がしかし、またもや夏樹の小さな手がその進行を阻んだ。
2度もお預けを食らったことで、流石のサイリスタも少々イライラしたご様子。でも、夏樹はそんな事を気にする余裕もなく、早口で問いただす。
「だ、だってサイさんに血……男性ホルモンを吸われたら、僕も女の子みたいになっちゃうって事ですよね!?」
「まあ、そうだな?」
「なら……やっぱりサイさんに血を吸われる事はできません。ごめんなさい」
夏樹は申し訳なさそうに、でも確固たる意志の元頭を下げる。
「ええっ!? な、なぜだい!?」
「僕……俺は真の漢になる事が夢だから。そう、あの人のようにっ!」
そこで夏樹が指し示した先――壁にデカデカと貼られた筋肉テッカテカボデーを見たサイリスタは、ブンブンと首を振って声を荒らげる。
「だ、駄目だッ! ナツキきゅんがあんなむさ苦しい男になるなんて地球の……この世の終わりだッ! 頼むッ考え直してくれッ!」
そのままその絶望に染まった顔を、どんどんと夏樹へと近づけていく。……ただ、絶望に染まっていたのはほんの一瞬。夏樹の意思の篭った力強い、しかし小動物のように潤んだ瞳と目が合うと、徐々にその表情筋をだらしなく緩めていき……。
「だ、大丈夫だよ。ボクは、ボクだけは君が女の子になっても……いや、むしろ女の子になったらより一層愛してあげるからさっ!」
「やーっ!!」
正に変質者の如き笑みを浮かべ、鼻息荒くその真っ赤に染まった顔を近づけてくるサイリスタ。そこで本能的に身の危険を感じ取った夏樹は、叫びながらサイリスタのその薄い胸を両手で思いっきり突き飛ばした。
「うおっ――!」
見た目が女の子のように可憐だとは言え、夏樹も真の漢になる為に日々鍛錬を積み重ねてきたのだ。その成果が発揮された結果、サイリスタはキラキラと涎の線を描きつつ、後方へと思いっきり吹っ飛ばされた。そのまま玄関扉に頭から激突し、物凄い音を響かせ……直ぐに何事も無かったかのようにムクッと起き上がった。
「な、なん……で……」
もはや人間離れしたその耐久力に、夏樹はとうとう戦意を喪失し、呆然と口をパクパクする事しかできない。
夏樹の僅か数メートル先。その芸術品のような肢体を隠そうともせずに、堂々と2本の足で立つサイリスタ。自称吸血鬼の少女は、ハァハァともう地上波では放送できない様な恍惚とした表情を浮かべ、夏樹へと視線を向ける。
「フフッ。いきなり胸を揉んでくるとは……君って意外とダイタンなんだな!」
「も、もう出てけぇー!」
はてさて。この後、夏樹はサイリスタに血を吸われてしまったのか、どうなのか。
……どちらにせよ、男の娘が漢になるのは難しいようです。