89 普通
周りは森、簡単な事だ。人の守る領域から出ればそこは野生の世界。
獣に襲われる可能性があるのは当然。だけどその獣が問題だった。
自分の知識と記憶を照らし合わせても、それは野犬なんかじゃ無かった。
それはオオカミ。どう考えても。何の冗談でも無く狼だった。
全体の黒く、艶消の様に光の反射が無い。まるで隠れる事が前提のような毛並み。
(アメリカン忍者の相棒パピィかよ・・・ファンタジーはどこ行った?いや、ある意味これもファンタジーか?)
ここでまたもや厄介に巻き込まれている状況で、現実逃避に顔が引きつりそうになる。
通りには他の旅人がおらず、馬車と俺たちしか見当たらない。
狼は道を塞ぐように広がり、姿勢を低くして今にも跳びかからんと並び構えていた。
その数は十匹。中央の一匹だけ下がって控えている体格のデカいのがこの群れのボスに見える。
「主様、お下がりを。ここは我らが。」
「いや、もうそろそろ解ろうか?そうゆう気遣いは要らないから。」
「我らが身を盾に主様の身をお守りします。」
「同じ事は言わせないで?取り合えず自分の事は自分でできるから、皆は自身の事を守って。」
だけどエルフたちは俺を守ろうとするように陣形を組んだ。それを見てため息が漏れる。
分かってくれない事に少しイラっとしてしまい強めに言ってしまった。
「じゃあ聞きたいんだけど。この状況を回避できる方法は無い?」
馬車が襲われているのを見たからには放ってはおけない。だけど余計な目立つ行為は控えたい。
「フォレストシーカーは賢く、数の上で有利な場合向こうが引くことはありません。」
狼がそんな風に呼ばれている事に、へー、と気の無い返事をする。
「群れの頭がやられた場合、撤退する可能性は高いかと。ですが例外もあります。」
「それはどんな時に起こるの?」
「群れの次席にある個体の実力が高く、そのまま統率を引き継いでしまう場合です。その時は引くか襲ってくるかは半々です。」
(うーん、さて、先を急ぐ訳でもないけれど。動物虐待の趣味は無いし、どうすりゃ穏便に済ませられる?)
悩んで動かないでいると馬車の中から三人の武装した男たちが出てきた。
「おいおい、まだほんの少ししか進んでねーのにこれかよ。たまらんぜ。」
「まあ傭兵家業ってなぁこんなもんだ。分かってた事だろ?」
「ちげぇねえや。さっさと片付けようぜ。」
傭兵と聞こえて一瞬驚いたが、そのまま三人を観察することにした。
しかしその視線が煩わしかったのか文句が飛んできた。
「おう!見せもんじゃねーぜ?お前らの方に襲い掛かったとしても助けねーからよ。」
「契約はこの馬車を守る事だからな。お前らも助けてほしけりゃ俺たちに金を払いな。」
「よそ見してる暇ねーぞ。前を見ろ、前を。」
馬車の方では御者が一人、怯えながらも黙って機を窺っているみたいだった。
それは傭兵を囮にしてでも自分の命だけは確保しようと必死な目のように見える。
その目を見て、騒ぎを起こさず、いたって「普通」にこの場が収まるにはどうすればいいか?その答えが出た。
「傭兵の皆さん。私からもお金を払います。こいつらを追っ払ってこの場の安全を確保してください。」
その発言にエルフたちは一斉に俺を見てきた。その表情は「信じられない」と言ったものだ。
六人全員からそんな眼差しを向けられてちょっとたじろいだが、傭兵の方から交渉が来たことでそちらに意識を向けた。
「いくら払う?もう猶予はねえぞ?戦闘が始まりゃ遅い。即決だ。」
この言葉は脅しでは無いだろう。戦っている間に連携を取る以外の会話なんて死に直結する。
どんな物事であっても集中ができなければ、高い率で失敗を招く。命がかかっていればそれはそのまま死だ。
傭兵も急かしたくて、急かしている訳じゃない。それが分かってはいたので何も文句は無かった。
フォレストシーカーがじりじりと距離を詰めて包囲しようと迫ってきている。
「お一人に金貨一枚。」
それを聞いて驚いたのか傭兵が声を上げた。その視線は道を塞ぐ邪魔者を見据えたまま。
「豪気だね!ほんじゃ行くぞお前ら!」
気合と共に瞬時に踏み込んで斬りかかっていく。それは群れのボスにだった。
対処法を分かっていたのだろう。馬車から出てきた時から感じていたが、この仕事がだいぶ長い事を思わせる雰囲気だった。
その戦いぶりも手慣れた感じだ。
先ずボスに付き添う二匹、護衛だろうか?それを二人が腕に装備していた小盾ごとぶつかり道を開ける。
残る一人がボスに突撃してねじ伏せる。それは鮮やかに決まってボスの首が斬り飛ばされた。
その間にも初めにぶつかりに行った二人もそれぞれが護衛を仕留めていた。
その手並みは素早く、残りのフォレストシーカーは一歩も動けずにいた。
「お疲れさん」傭兵がそう口にしたとたんに群れは四散していく。
何事も無かったように三人が仕留めた獲物の皮を剝ぎ取り始めた。手早くそれが終われば死体を道の脇、森に放り投げてこちらに向かってくる。
道のど真ん中に染みた血溜まりだけが戦闘のあった証として残された。
「よう、豪気な旦那。約束は守ってくれ。一人金貨一枚。」
そう言われてお金を出すようにセレナに目配せする。俺はその取り出された金貨を受け取り、一枚ずつそれぞれ傭兵たちの手の平に落としていく。
「まいど!いやーこんな楽な仕事で金貨なんか稼いじまったぜ!笑いが止まらねぇ。」
「毛皮もいい値が付くぜ!儲けモンだこりゃ!フォレストシーカー様様だな!」
「ちげぇねぇ!最初は面倒だと思ったが、とんだ臨時収入だったな!」
ゲラゲラワハワハ笑って馬車に三人が乗り込んでいく。そしてすぐに馬車は走り始めた。
それを見送りつつ俺たちも歩きはじめる。
「さあ行こう。ちょっと時間を取られた。その分を少し取り戻したい。先導は任せるからだれか速度を決めて先行して。偵察もかねて。」
「はい。では私が。」
「交代でやってね。体力配分も考えて。んじゃ宜しく。」
こうしてこの場を「普通」に収める事ができ、ホッと安堵の息を漏らして再び歩きはじめるのだった。




