7 言葉遊び
あれから4年が経った。
時間が解決、してはくれなかったものの、すくすくと成長し今はもう自らの意思で身体は自由に動かせるようになっている。
まだ、さほど喋れるようには至っていないが、ジェスチャーで意思を伝える事が容易にできる。
そこでとある、言葉を学ぶ勉強法を思い出していた。
それはかなり前に、テレビ番組で芸人に原住民の言葉を会得させる企画だったように思う。
詳しく思い出せないけれど、それはこんな方法だった。
(確か・・・これは何?と尋ねて返ってくる答を積み重ねていく。という方法だったか・・・?)
その芸人は驚くべき速さでちょっとした会話くらいならマスターしていた。
(試してみよう。四の五の言ってられない。即、実行だ。)
「これ、なに?」 「これはなに?」 「これは?」
手近にあるものを手辺り次第に尋ねて答えをせがむ。
最初、母は困惑した感じで応えていてくれてたが、その内そういう「遊び」だと納得したらしく、「はいはい、今度はなあに?」と笑ってくれた。
(子供が突然考えた遊び、どころか、俺には死活問題なんだけどね・・・)
発音やニュアンス、アクセント、意味、と注意しながら必死に脳内で繰り返す。
仕事から帰ってきた父も巻き込んで「これ何?」を繰り返す。
父は突然なんだ?と苦笑いを浮かべたが、母が「遊び」だと一言告げるとにこやかになった。
父が始め疑問に感じたのも無理はない。
今まで手がかからないくらい、静かでおとなしい子供だったのだから。
当然、見た目は子供、精神は大人な何処かの名探偵みたいなのだ。
今まで恐ろしいくらいに「必要最低限」のアプローチしかしなかった。
赤子の時分は、空腹、排泄を知らせるためだけに泣き、むやみやたらに喚かず。
離乳食の頃では行儀よく、暴れず器用に食べ。
立ち上がれる様になっては、倒れたりぶつけたりと痛みがあっても泣かず。
そんなだった子が唐突に、あれはこれはと見境無しに疑問をぶつけてくる。
ちょっとくらい不安を感じるはずだろう。
だが父母は喜んでいる様子だ。子供が構ってくれと言ってくる姿が嬉しいのだろうか。
育ててくれている事に感謝している。だからこそ、その苦労がなるべく小さい様にと気を使ってきた。
それがいけなかったのか、そのうち二人とも暑苦しいくらいにグイグイと逆に迫ってくる勢いになっている。
夕飯になってもそれは止まらず、聞いてもいないものにまで、あれはね、これはね、と今日の夕飯の食材にまでも「遊び」は広がっていった。
むしろエスカレートして熱を帯びていき、教育パパ教育ママの様相を呈していく。
(いかん・・・これは本当に大丈夫なのか・・・?)
思いもよらぬ所から発生した危機感に、額に冷や汗が浮き出るのだった。
1年後。その甲斐あってか俺はこの世界の言葉を話せる様になっていた。
もうすぐ6才になる。
ここまでなるのに随分と掛かってしまった。
これにはとある訳が絡んでいるのだが、その事を知るのはまだ大分後になるのだった。