503 御釈迦様は
まぁそんな遅すぎるパンチは軽く避けられるのだが。それもこの程度の奴らのなら加速状態に入らないでも躱せる。
ひょいとテレフォンパンチを後ろに身を下げて避ける。そうすると拳を空振りしたチンピラは振り切った姿勢で固まった。
たぶん躱されるなんて思っていなかったのだろう。ほんのちょっと間が開いた。
「・・・おいてめぇ?なに避けてやがるんだ?お前みたいなのは俺たちに殴られて遊び道具にされるのが名誉ってもんだろうが!?あぁん?舐めてんじゃねえぞ?」
「おいおい、お前ダサいな!プフっ!素人相手に躱されるとか?お前最近鈍って来てるんじゃねーの?ホラ、俺が見本を見せてやるよ!」
今度はもう片方のチンピラが同じように振りかぶり殴りかかって来る。
前世での稽古相手の拳と比べると、本当に、本当に遅い。「力」を発動するまでも無い位に。
素人は向こうの方で、格闘技経験者の俺には「舐めてるのはお前ら」と言ってやりたい。
だけどそれはこの一撃で教えてやる事にした。
俺へと向かってくる右拳。それを俺は軽く力を込めた左裏拳で弾く。
きっと弾かれる事も想定外だったのだろう。そしてその結果も。
「は?」「え?」
俺の裏拳はそんなに早く動かした訳じゃ無い。しかしこいつらの動体視力では一瞬影が走って攻撃が何故か弾かれたように見えたのだろう。間抜け面を晒して二人して呆けている。
そして弾かれた腕が折れている事にすら気付けていないみたいだ。それもちょっとの間だけだったが。
「は?オイ!なんで折れてんだよぉ!?くっそ!何だよコレは!てめえ何しやがったんだぁ!?」
「こいつ何か隠してやがるな!魔導器か!?舐めてる場合じゃねぇ!カチコミか!?」
何処まで行っても馬鹿なのか。こいつらは驕り高ぶり、そして自分たちの実力の程も自覚ができていない雑魚だったのだろう。
こんな暴力組織に入ってそれに酔いしれて、自分が強くなったと錯覚でもしていたんじゃなかろうか?
取り合えずこいつらは俺を遊び半分ででも「殺す」と宣言してきている。
ならば俺の行動は一つだ。こいつらは俺の「モノサシ」の許容量を簡単に超えてきた。
「すまないな。俺は今回は自重しない気でいるんだ。お前らみたいなクズの集まりは、知って、見て、聞いて、実際を体感して、ここまで関わって、「要らない」と判断した。俺の基準はさ、悪い奴らには小さくて浅いんだ、許してやれる器がな。」
この目覚草の一連の事を知る前なら今回のこいつら程度の行動なら見逃している可能性もあった。
しかしもう俺はここまで来てしまったのだ。もはやこいつらには「運の尽き」だと言ってやるしか言葉が見つからない。
俺は極限を謳う空手の格ゲーキャラの「一撃必殺」と叫ぶ超・必殺技の構えを取る。
だがその攻撃発動スピードも、拳を打ち込む速さも、あんなに遅くない。
本気で空手の「型」を極めた人の演武を見た事は有るだろうか?只の中段正拳突きを。
その動きは瞬き一つした間に終わる。そう、構えて、そして、動き終わった後しか認識できない。
瞬きの間に終わってしまうのだ。その「間」が。最も相手の動きを認識して反応しなければいけないその「間」が。相手が動いている真っ最中の動きが本当に「あ」という間に過ぎ去っている。
素人がそれを見ようとするならば瞬きをしてはいけないのだ。そもそも素人じゃ無くたって一瞬で終わるその一撃に対応するには、気を張って相手を観察し続けなければならない。どちらにしろ瞬きなどしていてはその一撃を見逃してしまう。
そう、実戦ならその一撃で終わる。最も警戒していなければいけないのはその初動を見逃さない事だ。
しかしその動き始める初めの流れも滑らかなのだ。ハッと気づいた時にはもう遅い。微かな重心の変わったその流れすらも対峙している者は感じ取れなければ避ける事も受ける事も難しいものとなる。
極めたる一撃とはそこまでに恐ろしいものだ。そう、それを本当に実戦で再現できれば。
実際に「型」は確かに重要だ。だがそれをそのままに投入して戦える程には優しくないのが実戦で。
普通は「型」通りに戦うなんて事はできやしないものだ。「型」は理念であり、そして実戦は「臨機応変」が基礎であるのだから。その根本が違うモノに合わせて「型」は応用を利かせて運用する。
その応用を「理想」に近づけつつ、そして「臨機応変」へと突き詰めていくのだ。
これは俺の持論に過ぎないが。しかしこんな言葉で説明すれば短い事も、実際に極めるには人の一生ではギリギリ足りるか足りないかってくらいだ。それも幼少時からやり始めて計算してだ。
そんな莫大な時間を費やさなければ極める事ができないその一撃を俺は今放った。
この世界に転生させられて得たこの「バケモノ」の身体のおかげで。
しかもその「バケモノ」の怪力を込めた拳で、だ。目の前の男の鳩尾へと。
当然その結果、腕を折られて呻いていた男は、吹っ飛んで壁に派手にブチ当たり、口から盛大な吐血をしてガクリと項垂れてピクリとも動かなくなった。
その男がめり込んだ壁は蜘蛛の巣状に「漫画か!」ってツッコミを入れても誰も咎めない位に綺麗な亀裂が入っていた。
当然その男は最後の辞世の句など紡げる時間は与えられずにこの世を去った。
何が起こったのか認識出来なかったのだろう。そう、残ったもう一人は。
背後で鳴った、まるで重い物が地面に高い所から落とされたような音を聞いてゆっくりと振り返る。
その直後の顔も「漫画か!」と突っ込んでいいだろう。
顎を外れんばかりに大きく開け、鼻水が両穴から盛大に垂れて呼吸を忘れている。
その目も瞼が最大級にまで開いて、息をしていない先程までの仲間の姿をずっと映している。
「さて、アンタも同じ目にあってもらう。覚悟はいいか?」
「ま!待ってくれ!な、なぁ!俺が!俺が悪かったこの通り謝る!謝るから命だけは許してくれぇ!な!な!この通りだ!」
その男は目の前で土下座をしてきた。誰しも自分の命がかかっていれば尊厳云々と言っていられないのだろう。誰しも自分の命は惜しいものだ。
「・・・そうやってお前は命乞いをしてきた者たちを見逃してやった事は有るか?自分よりも弱い存在を、さっきみたいに俺に言ったように「俺たちの気が変わるような命乞い」をして助けてやった事は?当然ないんだろうなぁ。だってさ、言っただろう?「許してやらねえけどな」って。あぁ、段々腹が立ってきた。」
「・・・あ!ある!一度だけ!一度だけ見逃してやった奴がいる!だから!だから!なぁ!」
当然土下座のまま顔を上げて俺に懇願してくるのだが、汚らしい顔を向けられた所で俺は嬉しくない。
「で、一度だけなんだな?全員見逃した訳じゃない、と。で、お前は今まで何人の人間の命を踏みにじってきた?それでお前が重ねてきたその所業に、自分で自分を「許せる事だ」と恥も無く言い切れるって言うのか?ダメだなぁ。本当にお前のような奴を見ると反吐が出る。」
俺はどこぞの御釈迦様では無い。蜘蛛の糸なんて垂らしたりはしない。
そもそもあの話に何の意味があると言うのか、と言いたいくらいだ。
何処まで行っても人は人、悪は悪。あそこまで悪の所業を行った者をたった蜘蛛一匹の命を見逃したからと言って何故あそこでチャンスをやれると言うのか?
あそこで登り切って極楽浄土に辿り着いていたら、現世でそいつから被害を受けている者たちの心はどうするんだ?と言ってやりたい。
まぁ物語はそうは絶対にならないから別にここでこれ以上は何も言ったりしないが。
「せめて自分のやってきた今までの行為を思い出して反省しながら死んで行け。」
俺は目の前で土下座する馬鹿の頭の上へと足を高々に上げていく。
「ま!待ってくれ!見逃してくれ!た!助け・・・」
命乞いが最後まで言い切る前に、俺の上げた踵はこいつの脳天に落とされた。




