20 父、その見たもの
父親の視点です
あの日から嫌がらせは無くなった。
村の会議で四人の親たちは激しく非難され、役を下ろされた。
議題の目撃者、その証人の一人として彼もその会議には参加し、それを見て胸の空く思いをしていた。
彼は妻にも事の全てを話し安心させた。
苦しみと悲しみと怒りと、また、安堵の入り混じった表情にさせてしまったが、何度も「過ぎた事」「これからは安全」「息子は無事」「本人も気にしていない」など心配はもう無い事を言って聞かせて。
あんな目にあった当事者と言えば、いつも通りに今日も畑仕事に行っている。
ナイフを向けられても平気な顔でそれを防いでいた息子。ならばもう一人でいても問題は対処できるだろう。
かなりの、いや、あれは子供の胆力ではない。
あんな場面を実際に目の前で見た感想は、
(いつの間にそんな強さを・・・完璧な動き?いや、私の目には動いた瞬間すら捉えられなかった。)
彼の視界は一連のその様子を捉えられる位置にあった。だが。
所詮は子供の動き、なのに何があったのか認識すらできなかった。
歴戦?達人?そんなんじゃない。もっと・・・
生易しい表現では言い表せない程の何か・・・人の身では到達することができない境地・・・それは・・
(化け物・・・だからと言って・・・)
耳に残ってしまっていたその言葉が頭に浮かんでくる。
しかし彼は思いなおす。我が子の産まれた時の、あの喜びと感動を思い出して。
息子は何者でもない。自分のかけがえのない宝だと。
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成人になる前の日、彼は「親子で最後の狩りだ」と息子を誘い森へと出向く。
「もう父さんには負ける気がしないよ。」
「ははっ。もう何も心配が無くなって喜ばしい限りだよ。勝ち負けじゃないさ。」
「父さん、ありがとう」
「ほら、獲物がきたみたいだぞ。感謝の言葉は明日にでも聞かせてくれ。また改めてな。」
最後の狩りは収穫が二匹とまあまあに収まった。
「少し奥に来過ぎたな。早めに戻ろう。」
最初に見つけた獲物は仕留めたが、その後が中々現れなかった。
そのせいで、とは言わないが彼はズルズルと奥まで入り込んだ。
奥へ行けば行く程、その危険は増す。その事実は忘れていた訳では無い。
だが今日は送り出す息子のための送別の食事を豪勢にしてやりたかった。
「だから言ったじゃん。そんなにも張り切らないでって。」
息子に諫められてしまう。
「いつも通りでいいんだよ。寂しくなるけど、だからこそ、さ・・・。」
子のその言葉に、彼は我が子の成長を喜んだ。
(これではどちらが大人なのか分からないな)
笑っていられたのも束の間だった。
遠く奥の方からドシドシと振動が響いてきていた。
驚きでその場から動く事を忘れてしまう。
その一瞬が逃げるための時間を奪ってしまった。
彼らの前には巨大な獣が現れていた。
「逃げるんだお前だけでも・・・私が気を引いている間に・・・」
彼はその正体を知っている。
魔獣。
何らかの原因で魔力を大量に受け、死なずにそのまま成長した獣。
過剰な魔力の摂取はその身を破壊してしまうのだが、稀にこれに生き残った獣はより巨大になり魔獣となる。
この村近辺の森では今まで一度も出現を聞いた事が無かった。
それがいま目の前に。
横幅は大人の身長ほどもある。縦はそれよりも一回り高い。
体格は巨大な丸太棒に短いながらも太い四足獣。
顔の前面に突出した丸い鼻、そのすぐ下に大きく広がる裂けたような口。
その中から天を刺そうかと伸びている、立派で真っ白な、大人の太腿ほどもある牙。
その体毛は焦げ茶でびっしりと剛毛、それが全体を覆っている
「ドス・・ファン・・・猪・・?」
彼は息子が何を言ったのか聞き取れる精神状態ではなかった。
勇気を振り絞り、我が命に代えても、「宝」を、「息子」を逃がさなければ。
その気持ちを知ってか知らずか、その「宝」は石を無造作に拾い、魔獣にポイっと投げ当てて挑発した。
(何をしているんだああああああああ!)
彼の心の叫びは誰にも届かない。
魔獣は即座に向きを変え、「ブフゥッ!」と一息、鼻を鳴らした後、その場で何度か後ろ足、前足と引っ搔きだす。
それは瞬きをする間の出来事。
魔獣はその重量など無いかの如くに一足飛びで我が子へ体当たりをした。
あんな物がぶつかれば人の命なぞひとたまりもない。ぶつかる目前。
そんな事すら頭に浮かべられる余裕なぞ無いほどの刹那。
だが、その次に彼の瞳に映っていたのは、ひっくり返りながらクルクルと宙を舞う魔獣の光景だった。
「ドゴォン!」「ズドン!」その振動は彼を現実へと引き戻す。
だが呆気に取られて思考は停止したままだ。
地面に衝突した時に衝撃がするほどの重量「ズドン」。
それはわかる。その一瞬前に耳に入った「ドゴォン」はなんだ?
この場に居たのが別の誰かなら思わないだろう事が、彼は気になった。
彼の疑問はその場に於いて核心を突くものだった。
だがその肝心の答え、その瞬間は彼の目に映せるものではなかった。
だが直感で理解する。
(化け物・・・)
「父さん、いい獲物が取れた。これを、ここを出る餞別に俺から村に寄付するよ。」
彼はその息子の言葉に声も出ない。
だが必死にそれを否定しておく。
「ば、馬鹿を言うな。餞別をやらねばならんのは親のこちらの方だ。何故追い出されるお前が逆に村に寄付なんぞせねばならんのだ?」
その間ひっくり返っている魔獣はピクリともしない。
(絶命してるのか・・・)
「だって見返してやりたいじゃん。こんな大物をとれる奴を追い出すなんて損な事だぞって。」
そう言いながら血抜きし始めた子の姿を啞然と眺めてしまった。
何故か?
あの重い魔獣をいとも簡単に持ち上げてクルクルと木に逆さ吊りにしたからだ。
そしてあの分厚く硬そうな皮膚の首筋を、切れ味のそこまで無い剥ぎ取りナイフで「ヒュ!」と音がしたと思えば一発で掻っ捌いていた。
「そんな事するくらいなら、ウチが使うさ。それで全部片が付くだろ?」
「そうだね、難しく考えないでいいかぁー。」
「き、今日はゆっくりお前と過ごす最後の日だと思っていたが、とんだ大忙しだなコリャ。」
彼は無理しておどけて見せる。息子の前で最後まで父であり続けるために。
この場で最後の最後で体験した全てを心の奥に隠し飲み込んで。
その間に血抜きが終わって魔獣を頭の上に掲げ持ち運ぶ息子。
その様子は表情に余裕すら浮かんでいる。
「早く帰ろう父さん。母さんが待ってる。遅くなっちゃったね。」
「ああ・・・そ、そうだな。これを見たらきっと腰を抜かしてしまうな。」
有り得ない事を目にしている、だが彼は平然を装う。
かけがえのない宝を最後まで守るために。
こうして親子の最後の狩りは終わりを迎えるのだった。




